珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

あなたの生きる世界が幸せでありますように

何から説明しよう。そうだ、ティンクルちゃん。私は小学校一年生の時、ティンクルちゃんの文房具セットを学校に持って行っていた。おそらくそれは親戚の誰かから入学祝にもらった様々な文具の中の一つだ。

ティンクルちゃんというキャラクターは、あまり世の中に知られていないと思うが、ある世代の女性が見たら「懐かしい」と心がときめく人も多いと思う。

明らかにサンリオのキキララを意識したであろう星をモチーフにしたデザインだが、80年代特有のファンシーさと、サンリオのように洗練されていない、どこかもっさりした感じが逆に魅力的なキャラであった。

 

私の親は平均より多くの給料を稼ぐ職種だった。だからといって経済的に甘やかされた覚えもないのだが、それでも色々なものを常識の範囲内で買い与えてくれたし、祖父母や親戚も当たり前のようにお小遣いをくれた。私はティンクルちゃんの文具だけでなくキティちゃんや他にも可愛い文具類を持っていたしそういう生活は子供にとって当たり前だとその時も今もずっと思っていた。

 

私は、一人の女の子のことを、すっかり記憶から忘れていた。消していた。

ヤマモトユウコちゃん(仮名)。小学校一年生の時に同じクラスだった。出席番号が私の一個前で、隣の席に座っていたユウコちゃん。

彼女は、ピカピカの一年生なのに、入学式の日からランドセルがびっくりするほどボロボロだった。6年間使ったとしても、あんなにボロボロにはならないだろうというほど、赤いランドセルの表面には深い横皺が無数に刻まれ、革がささくれて黄土色の粉を吹いていた。出席番号が隣だったものだから、アルバムで入学式の写真を見返しても、必ずあの子が写り込んでいる。1年生でそんなランドセルを持っていたのはあの子だけだったかもしれない。

でも私がそのランドセル以上に衝撃を受けたのは、ユウコちゃんの体臭だった。体臭、ではなかったのかもしれない。

単純に、彼女はお風呂に入れてもらっていなかったのだ、今思えば。髪も何もかも汚れていて、臭かった。そんな子が隣の席なのが、とても嫌だと思っていた。

 

さらに私を悩ませたのは、ユウコちゃんが私の文房具を片っ端から盗んでいったことだ。ティンクルちゃんの消しゴムも、鉛筆も、全部ユウコちゃんに盗まれた。うちの親が持ち物に一つずつ名前を書いていたので、ユウコちゃんの筆箱に収められたそれらが私のものだと一目瞭然だったし、先生はユウコちゃんを何度も叱ったと思うが、彼女はそれでもしつこく私の持ち物を盗もうとした。

 

その後、ユウコちゃんとはクラスが離れた。でも、不潔で、言動のおかしなところがある彼女は、ずっとイジメやからかいの対象だった。友達はいなかったと思う。かわいそうだと思うこともあったが、私は自分に被害が及ばなくなったので、もうユウコちゃんのことをそんなに気に留めることもなくなった。そして中学を卒業してすぐの頃、同級生から「ユウコちゃん、子供産んでんて!!」という話を聞かされて、心底驚いたのだった。子供を産んだ、ってことは、セックスしたってこと!というのが、16、7の私には一番の関心と驚きなのであった。それも、あんな子がねえ、と。

「あんな子」と、私は思っていた。

その話も、そこそこ衝撃的ではあったが、それすらもすぐにどうでも良くなり、ユウコちゃんのことなど今日まですっかり忘れて暮らしていたのだ。

 

そういえばその後一度だけ、ユウコちゃんの話をうちの母親から聞いたことがあった。私は大学生か社会人になっていた頃だと思う。その時町内会の役員をしていた私の母親は、自治会夏祭りの日、役員用の炊き出しを作る係をしていた。オニギリや豚汁などは、役員達にだけ無料で振舞われる食事であった。そこへ、あのユウコちゃんがやってきたというのだ、子供を何人か連れて。そして、役員でもないユウコちゃんは(いやそれどころかこの街に住んでいたのかさえ定かではないが)何度も子供たちと食事をお代わりしに来て、誰も咎めはしなかったが皆あっけにとられていた、というような話であった。

 

そんな子が、同級生にいたこと。ずっと忘れていた。急に、思い出した。そして、とてつもなく胸が苦しくなった。

あの子がお風呂にも入れてもらえず、鉛筆も消しゴムも他人の物を盗むしかなかったのに、先生も誰も助けなかったこと。体が臭くて人のものを盗んで、嫌だなあと思っていた当時の私。あの子は、どういういきさつで妊娠出産したのだろうか、まだ殆どの同級生が高校へ進学する中で、あの子は、恋とか、したのだろうか。友達はできただろうか。なにもわからない、わからない。

けれど、今の世の中の出来事なら、もっと何とかなったかもしれないとも思う。あの頃は、今よりずっと、子供の人権が蔑ろにされていた。

彼女のお子さん達は、もう成人しているだろう。彼女は今、どうしているだろう。せめてどこかで、幸せでいて欲しい。

 

そういえば今朝こんなニュースを見た。

www.jiji.com

大変結構なことではあると思う。でも、これだけではいけないのだ、いろんな子供が、皆、守られないといけないのだ。突出した能力のある子供がいれば、またその逆の場合もある。本人の努力ではどうしようもない生まれて来た環境、親の人間性、経済力、それらで不幸になる子供がいる世の中は間違っている。

私は毎年、初詣のたびに「全ての子供たちが幸せでありますように」と願う。それは、自分の子供が生きる世界が、そうあってほしいからだ。つまり、結局全ては自分の子供の幸せのためだ。でも我が子だけが恵まれて、教育を満足に受けて、お腹も満たされて愛されて温かい布団で眠って……それではいけないのだ。全ての子供が幸せでなくては。全て子供達のの幸せを、いつも願っている。願っている。

 

 

 

 

 

 

 

何を着るか=どう生きたいか、ということ。

怒涛の年度末が過ぎ去った。
年度末が地獄なのは毎年のことだが、少し前から役所の人事異動に関する業務を請け負うことになったために3月から4月の作業量が異常に増えた。
 
しかも、今年度はさらに最悪なことに子供の小学校の役員を3つも兼任するはめになってしまっていた(しかもうち一つは副会長)ので、かつてないほどの過密なスケジュールに心が何度も折れそうになった。
友達の誘いも何度か断ることになってしまった。
 
それでも、そんな中で今年もサンポーの本に記事を無事寄稿できたこと、そして、タクシー運転手ぜつさんの本の表紙のデザインもできたことは本当によかったし、忙しい中でもこの仕事だけは断りたくなかったのでとても頑張ったと思う。
さらに、その合間に自分の祖父母の家のガラス窓をモチーフに栞を作ってマニアフェスタで販売することもできた。もちろんその間家事も子育てもしている。我ながらものすごい生命力で今年前半を乗り切ったと自負したい(まだ前半終わってないけど)。
 
これもひとえに、我が子が今年は安定して楽しそうに学校に行ってくれているからこそなのだ。昨年は、本当に大変だった。
 
しかしやはり忙しすぎて時間が無いというのは事実で、まず日記を書く余裕がなくなった。しかし、どんなに時間が無くても、本当は文章を書き続けるべきなのだと思う。
小説家になりたいのであれば。小説家になりたいのなら、本当は毎日ちゃんと書くべきなのだと思う。
 
***
 
ずっと日記に書かなくてはと思っていることはいくつかあって、まずは昨年太田明日香さんに誘っていただいたイベントで購入したいくつかのエッセイについての感想である。
 
その催しはこちらの太田明日香さんのレーベル「夜学舎」から出ている「B面の歌を聞け」の出版イベントだった。
この本のコンセプトは「服の自給を考える」ということで、私も趣味で洋服を作っているので、エッセイを寄稿させていただいた。
 

yagakusha.hatenablog.com

 

太田さんは、私がどんなに文学賞に落ちて腐っていじけていても、いつも何かしら創作に関しての場を与えてくれて、コンクールなど声をかけてくれる。

本当にありがたいと思う。

 

このイベントでは、多くのお客さんやファンが太田さんに会いに来ていたわけだが、そういった場でも気疲れなど一切見せることなく、堂々と会う人全てに丁寧にお話をしていて、凄いと思った。

わたしなど、横で何もせず突っ立っているだけだったのに、知らない人と話すことに緊張して、全くなんの役にも立たないくせに疲労感だけはいっちょまえであった。

 

そして、太田さんは、文章がとても綺麗で優れているとか、編集能力が高いとか、色んなメディアで連載したり執筆しているとか、そういう文筆家としてももちろんすばらしいのだけど、自分で本を作って出版する行動力がある人なのだ。

すごくカッコいいし、こんな尊敬できる人と友達で良かったと、凄いのはあくまで太田さんなのに、なぜかこんな友達がいる自分自身が誇らしく思えてくるほどだ(よくわからない理屈で無理やり自分をほめるポジティブすぎる私)。

 

更に今回、このイベントを通して「自分で書いて・作って・売る」をしている、太田さん以外の人にも出会うことができた。

 

こちら「ノーブラZINE」を書いた「かみのけモツレク」さんである。


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「この夏、絶対はずせない、モノなど無い」

まずは、このコピー、すごくないですか。

コラージュのタイトルデザインがオシャレ。シルクスクリーン印刷という手法も味わい深い。

 

かみのけモツレクさんのこのノーブラZINEに、私はもう、ほんまに心を射抜かれたのだった。彼女に会って、そしてこのエッセイを読み終えた時、私は仲の良い友達に長文メールで「今日会った女性がどんなにすごかったか」を切々と説いた。

そもそも、女がノーブラについて語るとき、とてもセンシティブというか、性的になりがちだと思う。そういう、変な空気になりそうなテーマなのに、とてもニュートラルで自然でいやらしさが無い文章なのだ。ポップな装丁も良いのだと思う。

 

私は性格が歪んでいて、かなりルッキズムにとらわれている人間なので、初めかみのけモツレクさんの文章を読んで、シャンプーで頭を洗わないことも、ノーブラでオーバーサイズの服を着ることも、たとえそうやって着飾らなくても尚とてもキュートな見た目に生まれたカミノケさん(ちょっとお名前を略させていただきました)の特権で、多くの女にはそんな自由な生き方は出来ない、と思った。

 

事実カミノケさんは色白で顔が小さく、目のぱちっとしたすごく可愛い顔をしているし、例えば私みたいなもんがノーブラノーメイクノーシャンプーにしたらどうなるか、目も当てられない、と思ったりもした。そんな僻みのような感想も、初め浮かんだりもした。

だけど、読めば読むほど、彼女はそういうつまらない次元にはいないのだということがわかってきた、というか、私自身のなかに、「じゃあどうしてブラジャーをしたいのか、化粧したり、実際より胸もなにもかも、盛りたいのか?本当に必要なのか」という疑問もわいてきたのだった。そう、多くの女にとって、おそらくなぜブラジャーをしないと「いけない」のか、なんて、考えたことも無いことだったのだ。もっと自由でいいんじゃない?そう言われても、かなりびっくりしてしまう女が大半なのでは。だってそんなの当たり前じゃない、ブラジャーするの。……当たり前。本当に?

 

そして私は、去年の11月頃から、ほとんどブラジャーもブラトップもしないで会社に行くようになった。

かみのけさんのエッセイに出合ったのは11月。冬服は、もともと着重ねて分厚いし体の線を拾わない。ノーブラ生活を始めるにはもってこいだった。

べつに無理をしてそうしてるわけでもない。着る服によってはブラジャーをするときもある。また、現在は5月でそろそろTシャツ一枚の季節が到来する。そうなると私は手持ちの服が体にピタッとしたデザインの手持ち夏服が多いので、またブラジャーをすることが増えた。ただ、選択肢として、ブラジャーは無くてもいい、これが私の人生に現れたのは大変なことだったのだ。

そもそも、かみのけさんはノーブラを他人に強制などしていない。ただ、彼女の自由な生き方を、こうして文章にして、そういう考えもあるよ、ということを教えてくれているだけなのだ。そこから個人がどう動くかはまた別の話である。ただ、私の世界は確実に変わったと思ったのだった。

 

私は、恐ろしく、自分に自信がない。そして人の目がとても気になる。コンプレックスも多い。

ここで私の持っている「洋服」と、自信のなさ、今までの生き方を振り返るきっかけになった一冊を紹介したい。


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真っ赤な装丁が印象的な、佐々木ののかさんのエッセイ「わたしと服」である。

こちらもB面の歌を聞けイベントで購入した一冊。佐々木ののかさんのこれまでの洋服遍歴を人生の出来事とともに振り返る構成になっており、この一冊もまた、多くの人の心に刺さると思った。

なんというか、言われてみれば、どんな服を選んできたかを振り返るということは、私の場合は特に「人にどう見られたいと思ったか」の遍歴なんだよな、とあらためて気づかされたのだ。ののかさんの歴史は、中学生の頃指定のジャージの刺繡を縫いかえるところから始まる。パラダイスキスがでてきたり、マルジェラしか着ないオシャレな男の子の話、そして「あなた」の章ではハッとさせられた。私は、いま子供を育てている。それはたしかに、「私がここに存在して良い理由」であると思うふしはあるよな、と思ったのだ。この部分の話はそれだけでまた長く語りたくなるので、洋服のことについて、話を戻そうと思う。

 

 

私が私の服を語るとき、思考を巡らせると、どうしても自分の母親・母親の生き方に行きつくのだった。

私の育った家庭は裕福だった。それなのに、母親はいつも、みすぼらしい服を着ていた。

なぜなら、母は結婚した女の仕事は家事と育児だけだと信じて疑わなかったし、母の家事育児はそれはもう完璧であったと思う。ただ、本当に洋服に関して贅沢をしない人だった。母が服を選ぶ基準はただひとつ。「いかに家事がしやすいか」この一点のみであった。そして義両親と同居していた母は常になにかしらの掃除や洗濯、料理などに追われていた。それらを完璧にこなすために。家事なんて、ちゃんとやろうと思ったら終わらないよ、今の私ならわかる。そしてそんないつもボロボロの服を着た母親が、私は内心恥ずかしかった。

 

洋服や鞄で贅沢をしてはいけないのだと刷り込まれた私が、やがて自分で服を作るようになったのは自然な流れであった。それも材料はできるだけ安価なものを揃える努力と工夫をした。そのあたりは、B面の歌を聞けのエッセイにも活かされたと思う。

私が大学生の頃、00年代は、女子大生がブランドバッグをもつことが普通であるかのような雑誌記事が多かった。鞄を買うお金なら持っていた。でも、そんなことにお金を使ってはいけないと思った私は、服飾学校にかよっていたわけでもないのに、何着も自分の服を作ったのだった。

その後就職してからも相変わらず私は安い服しか買わなかった。ちょうどそのころから、世の中にファストファッションの波が押し寄せたのだ。私は「昔より安く服が買える!」という喜びで、値段だけに飛びついてしょうもない服を山ほど買った。

 

諸々時の流れを端折るが、私は出産を機に仕事をやめた。そして専業主婦になった。

ここで私は、以前に増して「母のように慎ましく生きなければいけない」と思うようになった。なぜなら、私は一銭も稼がない人間なのである。今ならわかる、子育てがどれほど大変で、そんなに卑屈になるような立場ではないことぐらい。でも、私は無職である自分に負い目を感じ、そして自分の母は服なんか買わなかったこと思い、洋服を買うのをやめた。

 

更に、それまで買った服の中でもお気に入りの「お出かけ用」ではなく、どう見てもボロボロの「部屋着」のようなものを着る日々が大半となった。

専業主婦になり大切な服を着て出かけるような用事がほぼなくなってしまったのだ。そして、部屋にいることが多いのだから必然的に部屋着にもなる。

なにより、乳幼児の子育ては、めちゃくちゃ服が傷むのだ。

つねに抱っこしているので擦れて毛玉だらけに。よだれや排泄物が付くことも多い。小さな子供は、服がびろんびろんになるまで布を引っ張ってくる。

かくして私は、気付けば、いつ見てもボロボロのお母さんになっていた。

 

そうすると何が起こったか。

よちよち歩きが始まると、子供を公園に毎日連れて行ってたのだが、このあたりは土地柄なのか、公園で子供を遊ばせるだけなのに、ものすごく綺麗に髪を巻き、化粧をし、ブランドバッグを持ってくる人が大半だった。

たまたま、通った公園の層がそうだったのだろう、今ならわかる、運が悪かった。

しかし私は、あからさまにその場で浮くことになった。被害妄想かもしれないが、仲間に入れてもらえないことがしばしばあった。そして子供をプレ幼稚園に通わせるようになり、ひとつの結論に達した。

「オシャレ着をおでかけ用にしてしまうと、月に一回もそんな日が来ない。でも子供を連れて外出は嫌でも毎日しなくてはいけない。その時こそちゃんとした服装をしないと馬鹿にされる」。

そう思いなおし、タンスにしまっていた『ちゃんとした服』を着て子供と出かけるようになった。それ以来、ずっと私は「舐められたくない」「娘のためにこそ、綺麗なお母さんでいなくては」と思うようになった。

子供が乳幼児の頃の付き合いは、母親も必ず同伴なのだ。私がみすぼらしい母親だと思われると、子供に迷惑がかかる……そう思って、頑張ったのだ。

私は身長がかなり高く、パッと見たらスタイルが良いと言われることがおおい。実際は脱いだらそんなことはなく、そして肉が圧倒的に少なく、尻と胸はペラペラだ。しかし、布をまとえばそこは一気に補正されてしまう。

これは、良い意味でもそして悪い意味でも「洋服のちからを引き出してしまう」体型なのだと自分でも思う。

つまり、オシャレに気を遣ってちゃんとした服装をしていたら「モデルみたい」などと言われるのだが、ひとたび変な服を着れば、そのマイナスのパワーすらも目立たせてしまうのである。

さらに、これは以前日記にも書いたことがあるし、おそらく人から裂けられていた決定的な要因のひとつは「アフロみたいなパーマヘア」をしていたからというのも大きいと思う。写真を見返しても本当におかしいからな、私。アフロで、チューリップ帽子をかぶって、ボロボロの服を着た、やたら背の高い女。

そこからまた、ごく普通に洋服を着こなす私に戻ると、近所のママたちとの関係が円滑になたというのは気のせいかもしれないが、ある時あからさまに私を避けていたママが「あら!mikimiyaさん、そんな服装するんや!!」と言ってきたのである。あの台詞が忘れられないし、あーやっぱりな、と思うには十分な出来事だったのでいまだに私の脳裏にあの日のことがこびりついている。

 

ただ、そんな日々にもまた、徐々に変化が起こった。まず、私は働き始めた。

抱えるものが多くなった。そして、娘は成長した。

私の存在が無くても、もう勝手に人間関係を築くことができるのだ。私は、近所の、そんな人を見た目で仲間外れにするような人を気にしなくても、心から仲良くできるママ友もできた。私が変なアフロにしてる時からずっと仲良くしてくれるママなのだから本物だ。彼女のことも何度かブログに書いたが、とても素敵な女性である。

そして現在は、誰かの目を気にしてとかではなく、その日私がしたい格好をするようになった。そこに、ノーブラという選択肢が増えた。

 

こんなふうに、心地よく生きられる環境をこれからも整えていきたいなと思う。

 

最後に、ふたたびあの日のB面の歌を聞けイベントの感想がまた今蘇って来たので書き残しておくと、太田さんはもちろん、あの日出会った人、みんな心地よい人たちばかりだった。私は、今まであまりにも無理をして、自分を良く見せないと仲間にいれてもらえなかったり、馬鹿にされたり、そういう経験をしすぎて、卑屈になりすぎていたのだと思う。あの日であった人は、誰も無理に背伸びをしたり変に自分を良くみせようとしてこなかった。だから私も、必要以上に遜ったり、また虚勢を張ることもしなかった。そういう自分でいられる人たちとの縁を、これからも大切にしたいなと思ったのであった。

 

 

2018年の思い出と、人類の進歩と調和

 

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はじめに

今回書くのは2018年12月の話である。

ずっと「書かんとなあ~」と思って気がたのだが気が付いたら2022年で、コロナももう2年目で、世の中はすっかり様変わりしていた。

 

なぜこんなに書くのが遅れたかというと、実はこれには私なりの明確な答えがある。

はてなブログに写真をパソコンからアップするのが大変面倒くさい仕様になっているから」

これのみである。

以前書いた奈良交通バス日記

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

の時は、スマホから写真をアップしたのでそこそこ手軽だったのだが、あれはあれで別の問題が発生した。

写真が汚いのだ、ギザギザしている。

 

そこで今回はパソコンから写真をアップしてみたのだが、これがほんまにめんどくさかった。いや面倒だと言ってもAmazonフォトからパソコンに写真をダウンロードし、それをまたはてなブログにアップするだけのことで、ほんのひと手間でしか無いのだが、そのほんのひと手間が煩わしくて、私は2018年12月の出来事を、ずっと書けずにいた。

 

横浜からの友人を、万博公園に案内する

私は生まれも育ちも関西である。現在は兵庫県阪神間在住、大阪の会社にも数年勤めていた。

そんな私が、東京方面から大阪に遊びに来る人がいたとき「どこに行くのがおススメですか」と訊かれたら、必ずここに行って欲しいと答えている場所がある。

絶対に後悔はさせない自信がある。

それがここだ

www.expo70-park.jp

 

万博記念公園である。なんだここか、と思った人もいるかもしれない。太陽の塔は、その存在を知らない人はいないだろう。

 

しかし、実際に太陽の塔を見たことがあるという人、特に関西以外の人は、そう多くは無いのではないだろうか。

 

頼むから、死ぬまでに一回は見ておいてほしいのだ、太陽の塔を、その目で。

 

きっと、圧倒されてしまうから。そのパワーに。そしてその魅力は、たとえ写真を高画質でアップできたとしてもこんな画面では伝えることができない。

 

2018年冬、横浜から友人が関西に来ることになった。彼と会うのは既に何度目かだったのだが、いつも私が大船の親戚たちに会う時のついでに横浜方面を案内してもらうことが多かったので、向こうがこちらに来て大阪を半日一緒に歩くというのは初めてだった。案内するのはここしかないと思っていた。

 

「散歩王」を片手にいざ万博念公園へ

その時、ちょうど私がデザインを担当させていただいたカードゲーム「散歩王」が発売されたばかりだった。

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このカードゲームは、街歩きに関するお題が書かれており(そのカードの文言一枚一枚がすでにもうそれだけでも面白いのだが)、カードの遊び方としてはまず、ランダムにカードを引き、そこに書かれたお題にあった風景や道端で見つけた変なものなんかを当てはめて楽しむ、というものであった。

※カードについての詳細はこちらの記事をどうぞ

sanpoo.jp

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しかし今回は、万博記念公園を歩くのだ。のちほど紹介するが、おもろい展示の宝庫国立民族学博物館

にも当然立ち寄る。というか、むしろここがメイン。

 

そう、万博記念公園は、太陽の塔だけではないのだ。

www.minpaku.ac.jp

ここがね、もう本当に素晴らしい博物館でね。

一日居ても足りないぐらいコンテンツが濃いのです。万博記念公園ってなにもの?!ってなる。

 

とにかくそんなわけで、この日は横浜からの友人とエキスポシティで待ち合わせた。

そして、お題のカードに負けず劣らず今回は風景のほうも濃いので、カードの遊び方をちょっと捻って「見つけたものに対してどのカードのキャプションがしっくりくるかを探すゲームをしよう」ということになった。

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ということで、入場券を買ってさっそく公園に入る。


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どのキャプションも「太陽の塔」の説明だと思うとじわじわ面白い。

 

で、あれだけ冒頭で「太陽の塔すげえすげえ」ていっておきながら、この日、私はまともに正面から太陽の塔の写真を撮っていない。ごめんなさい、もう何回も見ていて、何回も毎回感動するけれど、さすがに写真は毎回とってなくてですね。

あと、写真ではやっぱ伝わらないのです、太陽の塔の「圧」は。

 

太陽の塔について語るならば、写真よりこの「万博記念館」から説明したほうが良いだろう。

 

EXPO’70 パビリオン | 万博記念公園

www.expo70-park.jp

万博記念公園はとても広い。国立民族学博物館太陽の塔も、公園内にあるのだが、もうひとつ初めてここを訪れる人には押さえておいてほしい施設がこちらである。

「EXPO70パビリオン」。

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内部には、1970年万博の、当時の貴重な記録・資料が保存されている。

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今身近にある色々なものが、大阪万博から始まった。

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そしてこれ。

私がここに来た時、いつもここで、このフレーズに、しびれてしまうのだ。

「人類の進歩と調和」

EXPO70のテーマ。めちゃくちゃかっこいい。こんなコピー、ある?

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戦争から復興したこの国が、世界に「どうだこれが日本だぞ」って、ここで見せたわけですよね、当時の技術人力すべてを駆使して。その最高峰が、太陽の塔だったわけで。

 

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こちら、展示されている模型なんですが、当時の太陽の塔はこんな感じで屋根がついていたのですね。

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広大で、巨大な。こんな塔を作る技術は、今の日本にもあるのかもしれない

 

でも、こんなものを、つくる元気があるのか?と問われたら。

 

今の日本に、こんなバカげた、こんな魅力的な、でかい、怖い、カッコいい、こんな塔を作って、しかも当時はこれを作って万博が終わったら全部壊そうとしていたわけで、ああ、数か月後に壊されるもののために、こんな空間を作る才能やら気力が今の日本……いや世界にあるのだろうかと、思ってしまうのだ。

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この記念館は、当時の日本の生命力に圧倒され、感動してしまうこと間違いなしである。

 

おまたせしました国立民族学博物館

さて、ここからいよいよこちら、国立民族学博物館へ。

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まず入り口のこの空間、何もまだ始まっていないのに、すでにもう素晴らしい。

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さあそれでは、散歩王カードを片手に、中へと参りましょう。

www.minpaku.ac.jp

 

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内部はこういった世界中の民族に関する展示が膨大に。

そこに勝手にキャプションをつけていく。

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この監督に変わってから全敗らしいです。何のスポーツなのでしょうか。

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目立ちすぎやろ、アジト

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第四の家来のキャラ濃すぎて消されたな

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控えめなあの子の趣味すげえ

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このカードが気に入ってしまった

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どこがやねん

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バカの走馬灯ってだけでもう面白い

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ひどい

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あかん、カードのお題と展示がどれもしっくりきすぎて腹がよじれる

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ひととおり笑った、しんどかった。

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展示見るの楽しいなあ。もちろん

f:id:mikimiyamiki:20220206112716j:plainカードがなくても時間を忘れる。

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中東のコーヒーやさん。こんなスタイルで飲んでみたい。

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まだまだ写真はあるのだけど、このあたりで。

 

最後に

この日は帰りに梅田のマズラに案内した。

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大阪駅前ビルは、私が大阪勤務時代に毎週訪問していたクライアント先があって、この喫茶店もよく来ていた。昨今のレトロ喫茶ブームで今は若いお客さんも増えているらしい。以上、2018年の思い出でした。

 

なんせ古い話で、記憶に残っていない曖昧な部分も多い。

でも、万博記念公園の素晴らしさは、伝えることができたのではないだろうか。

 

さて、来る2025年、大阪万博が再び開催されようとしているわけだが。あのEXPO70のような、伝説の万博はもう日本では開かれることはないのだろうな、と思う。

誤解しないでいただきたいのは、私は何でもかんでも「昔はよかった」というつもりは毛頭ない。

むしろ、いろんなことが昔よりも今は確実に良くなってきていると思っている。特に子供や弱い人を取り巻く環境はずっと改善されていると思っていて、まだまだ膿を出し切っている過渡期ではあるのだろうけれど、昔の日本はもっと酷かった。

 

しかし、それはそれとして、1970年の大阪万博は素晴らしかったんだと思う。ここに来ればそれはわかる。当時を生きた人の熱さも。

人類の進歩と調和、このフレーズに、私はこれからもしびれ、憧れ続けるんだろう。

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こんな僕デスよろしく頼みます

先日の路線バスの日記は、沢山の方に読んでいただきました。新たに読者になって下さった方、ありがとうございます。あらためて自己紹介します。

表題はNHKみんなのうたから、幼少期のエレカシ宮本さんの歌声でおなじみこちらをパクり……オマージュしました。


www.youtube.com

普段は小さな会社でデザイナーとして勤務しています(自分の会社でもないのに『小さな』とか書いてしまうのは社長に申し訳なく思いますが、小さな会社なのです)。デザイナーと言っても色々あって、華やかなその言葉の響きには全く似つかわしくない、地味な仕事を毎日コツコツ一生懸命やっています。

 

また、子持ちししゃもという名前で(或いはこもちししゃもだったり、表記揺れしています。悪口を書かれた時にエゴサしても見付けづらくするための自衛で、わざと統一させていません)ライター(デザイナー)もやっています。Webで書いたものの中では以下の記事が自分でもお気に入りです。

sanpoo.jp

new.akind.center

note.com

 

デザインしたもので一番好きなのがこのカードゲームです


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散歩王

国会図書館にも登録されています。↓↓↓

https://t.co/6DgcY51sFj

 

散歩王に関しては、私が書いたものではないのですが、こちらの記事をぜひ読んでいただきたいです。かなり面白いので。

www.e-aidem.com

 

こんなおもろい人達が考えたカードゲームなのでおもろいに決まってますよね。

有り難いことに私もいくつかのお題を出して、商品に採用していただきました。

このカードゲーム、持って色んな場所をウロウロするだけで笑いが止まらないです。

東急ハンズで買えるみたいです、すいません、自分が作ったもののその後のことはあんまりよくわかってないです。


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2018年頃に、このカードを持ってはてなブロガー黄金頭さん(id:goldhead)と大阪の万博記念公園にある国立民族学博物館に行ったのですが、その時のことをずっと記事にしなくてはと思って、気が付いたら2022年になっていました。時の流れは早い。またそのうち記事にします。ネタの宝庫すぎて全ての展示とカードの内容がマッチしすぎて大笑いしながら写真を撮りました。以下の3枚はその時に撮影した一部です。


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その他、子持ちししゃも名義ではない、別のペンネームで書いたネット記事もそこそこあるのですが、村上春樹的に言えば文化的雪かきというか、あんまり自分では好きではない類いのものも執筆していたのでここには紹介しません。

 

また、紙媒体でもエッセイや自由研究のような文章を書いています。


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こちらの「あたらしいさんぽのていあん」というシリーズでは、2019年には多分まだ全国的にも珍しい斜行エレベーターの取材記事などを書いています。


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その他「かぞくってなんだろう展」パンフレット、

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

フラスコ飯店の本、

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

あとは、仕事文脈2020年vol.17号寄稿などしています。

 

そして去年は夜学舎さんの「B面の歌を聞け」に裁縫に関するエッセイを書かせていただきました。こちらの本は大変素晴らしい内容になっています。

yagakusha.hatenablog.com

 

また、この本に関するイベントが去年奈良で開催されました。

ここで購入したかみのけモツレクさんの「ノーブラZINE」と佐々木ののかさんのエッセイがかなり良くて、ずっと感想を書かなきゃと思ってて先延ばしにしています(こんなことばかり言ってる)。

 

さて、前回の路線バスエントリーでも触れました、R18文学賞の二次選考発表。

こちらが今日発表されました。そして、今年もまた落ちました。

 

さすがにもう、才能が無いのだと諦めたほうが良いのかなとも思いますが、私はしぶといので今年も小説を書くつもりです。もう次の話のあらすじもできています。

前に占い師の人に言われたのですが、私はさそり座で、星占い的には名古屋の河村市長と同じ性質の人間なのだそうです。厚かましくて、負けず嫌いで、何度やられてもへこたれない。それはもう、しぶとい人間だということで、普通は河村氏と同じと言われたら落ち込むべきなのかもしれませんが、私はそれでかなり勇気をもらえたのでした。

子育ては絶対におろそかにしたくない、でも仕事もある、家事もある、その合間に小説を書くというのはけっこう私にとっては大変な作業で、その上で積み重ねた努力が報われるならまだしも、苦しんで生みだした小説は消えていくのです。徹夜してふらふらになりながら書いて、仕事に行って……これを何年続けてきたか。ツイッターでそう呟いた私に「よくわかんないけど書くことが好きなんですね!」ってリプライされたとき、なんかショックをうけて。書くこと、好きなわけないやろ、と思ってしまった自分に。

好きなのかなんなのかわからないぐらいもがいて、フラれて、それでもしぶとく文学賞を追う自分の気持ち。好き、だなんて、そんな甘いもんじゃないよお、と。だったら諦めればいいのにと思いますね。

 

ただ今年は少し違うアプローチで自分の書いたものを発信しようとも思います。過去には三次まで健闘した作品もありますので、そういったものをまとめて発表しようかなとも思っています。具体的には、せっかく印刷の知識があるのだから、自分で本を作ろうかなと思っています。それでは、今後とも、宜しくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

四十路女が日本一長い路線バスに乗って片道6時間の旅へ。日本最古の神社で文学賞最終候補祈願するのこと

 

日本一の路線バス「八木新宮線」とは

「全長169.8㎞、停留所の数は168、高速道路を使わない路線では、日本一の走行距離を誇る路線バス、それが八木新宮特急バスです(奈良交通HPより)」

 

プロローグ

2021年仕事納めの12月末。小さな印刷会社でデザイナーとして働く私は、例年であればこの時期は年賀状業務などもとうに終わってあまりやることもなく、のんびりと消化試合のような仕事をこなすはずであった。が。おいこらどういうことだ。仕事納めの日まで年賀状百枚単位で刷ってるじゃねえか。1日に一気に7件校了させて即日「g」に入稿した後自社で五百枚ハガキ印刷、さらに名刺4名は別で「P」に入稿とかやめてくれ絶対ミスするやんか。

心も体もボロボロ。薬物のオーバードーズ(※ボラギノールを多めに投入すること)など、不安定な年の瀬、私の心の支えはこの旅路への期待感だけだった。


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これである。

 

冒頭に記したように、八木新宮線とは日本一長い路線バスだ。

長距離バスの旅というと一般的には高速バスを思い浮かべる人が多いと思う。

しかしこちらが凄いのは、なんと言っても一つ一つの停留所に人が待っている可能性がある(そして実際乗ってみてわかったが、途中めっちゃ人が乗ってくるし降りていく)そんな地元に根ざした日常の交通手段というところなのだ。

そのその乗車時間、実に約4時間半(今回はスタートの近鉄八木駅バス停から蕨尾口停留所まで)。ちなみに新宮まで乗った場合はトータル6時間半かかる。

 

考えて見て欲しい、運転手さんは、その間のバスの停留所168カ所の通過時間を、寸分違わず守りながら169.8キロもの道のりを運転しているわけである。このことを考えただけでも、私は非常に胸が熱くなるのだった。

 

そんでもって、まあ実家は和歌山で、祖父母の家はちょうどこの八木新宮バスの走行区間である奈良の御所方面なので、通過するルートに親しみも情景もあるというか、とにかくいつか絶対乗りたい路線バスだと思っていたのだ。

 

とはいえ。6時間半だよあなた。あと、新宮って、下手に海外旅行行くより和歌山県内移動でも普通に3時間とかかかる場所なんですよ、新宮、なめたらいかんのですよ。

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地元民だからわかる、新宮の遠さ。とにかく時間がかかる。そして、長時間のバスである。体力的にも自信がなく、あとお尻の治安もそこそこ不安定でボラギノールが手放せない私としては、一歩を踏み出せすにいたのだった。

そんな時に、この交通費キャッシュバックキャンペーンがあるよという知らせが妹からきたのだ。コロナの感染者数もその頃は二桁もない日が続いていた。

よし、乗るしかねえ、このビッグウエーブならぬ、奈良交通バスに!!ということで、妹と二人で2021年の締めくくり、12月28日・29日、旅が始まったのです。

 

旅のスタート!ワクワクとトイレへの心配が止まらない!

12月28日旅の始まり当日。嬉しくてたまらんのだ。もう、異常にワクワクしていた。

出発は近鉄八木駅11時38分なのだが、まず初めに小5の娘を夫の実家に預けてから出発しなくてはいけなかった(夫の仕事納めは私より1日遅かったので、私が旅に出てる間は娘が家に一人ぼっちになってしまう)のと、何より万が一電車が止まったりしてバスに遅れては絶対に困ると思ったのでかなり早めに家を出た。

鶴橋のこの時刻表、ザ近鉄って感じで好きなんよなあ。


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鶴橋から近鉄大阪線


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そして割とちょうど良い時間に八木駅到着。


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駐輪場の壁面カッコいいな

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で、心配していたのは、トイレである。今回八木駅から目的地の蕨尾口停留所までは約4時間40分。

この日本一長い路線バスは、路線バスにもかかわらずトイレ休憩が何度かあるのも大きな特色だ。八木駅から乗った私が次にトイレチャンスがあるのは五条バスセンター停留所、バスに乗り込んでから約1時間20分後ということになる。水分補給は、慎重にしなければいけない。

新宮行きバス停。新宮の遠さを知る者は、この文字だけでも震え上がる。


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ちなみに、和歌山県山間部にすむ妹は五條まで自家用車で行き、駅前のコインパーキングに車を停めてから五条駅停留所で合流することになっているが、この有様である。


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尿意を恐れ過ぎて朝からキャベツしか食ってない。

しかし私は、トイレをこんなにも心配しているくせに、同時に「コーヒー気狂い」という悲しい習性を持つ女だったのだ。コーヒーを飲まなければ、どうにもこうにもいられない、絶対トイレ行きたくなるのに、そう、わかってる、だけど、だから一口だけ……。

駅前の素敵な喫茶店に入りたい誘惑はなんとか断ち切った。


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でも、もう、飲めなくてもいいからアロマ的な感じで手元に置いておきたかった。そして八木駅前のローソンでコーヒーを一杯買ってしまった。

それにしても、この路線図のながいことよ!
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奈良交通の鹿マーク、可愛いね。

バスが到着した。中はこんな感じ。


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おお、ドリンクホルダーがあるではないか!これでコーヒーを飲むペースを次のトイレ休憩までに調節できそうだ。というか、ドキドキわくわくしすぎて一瞬だった笑。妹と五条で合流。


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ここまで、最初から長旅をするぞ!という感じでバスに乗り込んだ私のような人は車内に8人程度。

 

その他の何人もの人々は、途中の駅で去り、そしてまた途中から乗ってきたりしていた。

ある老人は途中の病院に通院していたし、あるカップルは途中の橿原神宮イオンで降りた。

ある人は「こんな所で降りるのか!」とびっくりしてしまうような何もない山奥に降りていった。

みんな、当たり前のようにいろんな人が生活の大切な交通手段としてこのバスを利用していることに、なんだか感動してしまったのだった。

 

景色がどんどん白くなる

13時6分に五条駅停留所を過ぎてからは道のりが本格的に山のなかへと突入する。延々と上り坂カーブオンリー、旧国道の細い道路も多く、運転手さんの神がかりの技が続く。窓の外の景色は、高度を増すごとに白くなる。


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そして五条バスセンターの次のトイレ休憩、15時に上野地停留所で約20分、再びのトイレ休憩。ここのトイレのすぐそばには「谷瀬の吊り橋」という日本一の吊り橋がある。


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凍る吊り橋、踏み板がベコベコと浮くし滑るしスリル満点。


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次のトイレ休憩は16時14分十津川温泉停留所。私たちの泊まる民宿はそこからもう少しだけ先の蕨尾口、この日のゴールはもうすぐだ。

 

最高すぎた民宿「太陽の湯」

蕨尾口停留所は、細い山道の途中にあった、そしていきなり到着し、めちゃくちゃ慌ただしくバスを降りた。


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私にしてみたら片道六時間の目的地であり、余韻に浸りたいような気持ちであったが、あくまでもこれは路線バス。168の停留所うちの1つであり、さっさと降りてスムーズにバスが出発できるようにしなければいけない。

 

目的の宿は停留所から歩いてすぐであった。


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というか、十津川温泉停留所からも全然歩ける距離だった。そしてこちらの民宿が、何もかも実に最高だったのである。


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ご覧くださいこの、これ、素敵な部屋!きゃー、テンション上がる妹と私。

晩御飯は、ボタン鍋と鹿肉のカツなどジビエに舌鼓。

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そしてなんといってもこちらの宿が最高なのは、源泉掛け流しの天然温泉が3つもあり、いつでも入浴可能な上、「必ず1家族で貸切にできる」仕組みなのである。

どういうことかというと、こちらの民宿の温泉、男女が分けられていないので、女性が入浴する場合必ず「入浴中」のふだを出して鍵を閉めなければいけないことになっている。つまり、女子が風呂に入ってる間は実質貸切ということになるのだ。

これは家族にも嬉しいシステムで、なぜかというと通常子供は同性の親としか公共の浴場には入れない。もし、両親と子どもで入浴したい場合は、当然家族風呂を別料金で申し込むことになる。しかし、この宿なら1家族で一つの温泉を使用できる。

私と妹も、二人だけで露天風呂を独占できてとても贅沢な気分だった。

 

ただ、3つある温泉のうちの、一つがめちゃめちゃ熱かった。笑えるほど熱くてもう絶対人間が耐えうる温度じゃねえって感じの温度で、しかもこの温泉にはシャワーがなかった。あるのは水が出てくる水道と、長いホース。風呂場は極寒。しかしお湯は熱湯。クソ寒いのに湯船に入れない私たち。


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そこで、ホースから水を出し、それを湯船に二人で持って入ることにした。とにかく寒すぎて凍死しそうなので湯に浸かりたかった。


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なんだか長いホースを握りしめて、シーシャしてるインスタ女子っぽいね、と思った。

うん、全然違うしシーシャってなんやねん若い女の子ら、なんであんなシーシャばっかり嬉しそうにやってんのやろっておばはんいつも不思議やねんけども。

 

お風呂は4回入った。

貸切なので、露天風呂では風呂場の電気を全て消して、真っ暗な湯船に浸かり降ってくるような満天の星空を、妹とずっと眺めていた。

早朝は、夜明け前の時間を狙って再び露天風呂へ。相変わらずの極寒。まだ真っ暗な空が段々と開けていく様子は、とても神秘的だった。

 

民宿に持って行くべき3品はこれ!

ここで突然ですが民宿に持って行ってよかったもの3つ。

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コーヒー、鏡、エリップスの小分けトリートメント。これです。

いま私、地味にお役立ち情報書いてるので、民宿泊まる予定あるよーってひとは今日はここだけでも忘れないように帰ってください。

 

私は年に2回ほど家族旅行に行くのですが、ホテルなら通常コーヒーのサービスはあるし、鏡は部屋にドレッサーがあります。でも、民宿の場合はコーヒーもないし、部屋にトイレがついていないことも多いです。当然ドレッサーもありません。共用の洗面所の鏡で化粧をするのも何だか私は落ち着かないので、私は民宿に泊まる時はドリップパックと、大きめの鏡を持っていくようにしています。折り畳みの鏡はマツキヨのロージーローザ、SNSでもよくみるやつで鮮明に肌が映るので厚化粧にならずオススメ。普段から家でも役立つ。


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あと、エリップスのトリートメントは軽くて小さくて旅にはぴったりです。髪もサラサラになる。

おまけ

妹は、和歌山県民らしく「旅には蜜柑やろ!」言うてこの通りでした


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光る雲を突き抜け「玉置神社」へ

12月29日。この日は、玉置神社へ参拝する

ja.m.wikipedia.org

 

玉置神社は、十津川温泉停留所から1時間半の場所に位置する。玉置神社へ行こうかどうか妹に相談していた時のLINE画面。


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八木新宮バスの時の流れを前にして、もう姉妹揃って時間の感覚がおかしくなってる。一時間半とか五分ぐらいじゃねぐらいの気持ちになってしまっている。

ちなみに友達に玉置神社へ行くことを報告したらスゴイスゴイ言われたときのLINE。

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しかしこの時、本当の玉置神社の凄まじさを私達はわかっていなかった。

十津川温泉からバスに乗る。山をのぼり、車窓には雲海が。
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私達、いま雲の中を通ってるんだ。視界がとても悪い。
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そして道がツルツルに凍っている上に細い。

対向車が来たらどうするのだろうかという細さ、そしてガードレールがない。緊張感が半端ではない。

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そうして一時間半、ようやく鳥居が見えてきた。やったー!到着!お参りしよー♪

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って、え?

 

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なに


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この凍ってる山道、さくのない崖っぷちを、


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歩くのか、何分?五分とか?
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いや
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もう、何分歩いた?戻るに戻れない
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てか、さっきの鳥居何やったの笑

こんな凍ってるのに普通のスニーカーやし足元への不安感がすごくて、滑らないように神経を集中させながらへっぴり腰で歩くこと40分……暑いっ!

雪なのに汗だくになる私。これは更年期関係ないと思う。メガネが曇る。二日目もコンタクトにしなかったことを後悔。
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そして、ようやく到着……!
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また、同じ道を帰るのか……
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めちゃくちゃ喉が乾いた。暑くて、コーヒーとかいらんからスポーツドリンクが欲しかった。

こんな山の中に自販機を置いてくださったダイドーさんに心から感謝。
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いやー、まじで子供連れてこなくてよかったよなと心から思った、過酷な道でした。

今回の服装反省点

ここで今回のバス旅ファッションチェックですが、出発前に大寒波が来ていたこともあり、もともと十津川村は寒いのが有名な場所ですから、そりゃもう寒さ対策は万全にしておりました。

また、スカートはプリーツだと長時間座ることによって尻の圧でプリーツがぐちゃぐちゃになってしまうと思ったので、防寒とラクさを重視してウエストゴムのニットスカートにしました。トップスはユニクロのウールセーターです。


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で、帰りの29日は18時頃に大阪梅田に戻れる予定だったので、そのままその日は夫と二人きりだし、久しぶりにちょっと高級な店で晩御飯食べようかなんて話になってたのです。だから、あまりカジュアルな服装をしたくなくて。どうせバスに座っているだけだし、バッグもCELINEのラゲージにしたのですが、これは激しく後悔しました。革が重い。


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紀州ドンファンの元嫁がドンファンに買ってもらったことで有名なCELINEラゲージも、まさかこんな山奥の雪道でへっぴり腰で運ばれるとは思ってなかったでしょう。

私だって、よもやここまでスケートリンクのような坂道を長いこと歩くとは思ってなかったので、29日の梅田ディナーも見越して何ならヒールの靴を履いていこうとしていたんです。ほんまにスニーカーにしといて良かった。バスで後ろに座っていた若い女性二人組も同じことを喋っていたので、女性はここほんと服装気をつけてください。

 

玉置神社は、その立地条件から「選ばれた人間しか辿り着けない場所」と言われているので、レポート自体が少ないのですよね。

なので私がここで声を大にして言っておきます「玉置神社へは、ヒールを履いて行ってはならない。セリーヌもダメ。ワークマンの雪靴で出来れば手ぶらで行こう」です。

 

さて、玉置神社では絵馬を描きました。


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新潮社R18文学賞、今年も一次選考は合格したのです。


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実は一次通過は初めてではなく、過去には最高で二次まで進みました。

だからこそ、残りたい。今度こそ、最終に残りたい。一番に願うことは家族の幸せです、でも2022年は、2番目の願いとして何よりこれを神様に聞いてもらいたかった。

 

かくして2021年私のバス旅は終わりました。

でも今もまだ小説の結果は出ていません。毎回この期間は怖くて怖くて、もうずっとこのままドキドキしていたほうが幸せかもしれないとさえ思います。

 

そもそも過去には二次選考まで残ってたのに、今もこうして挑戦しているということは、その分落選し続けているということですからね。

 

デザイナーの仕事は忙しい。そして何より大切なのは家族。子育てと家事はおろそかにできない。圧倒的に書く時間がない。それでも寝ずに書いて、落選。何度も、もう早く夢なんか諦めて楽になってしまいたいと思いながら、だけどやっぱり書くことをやめられずにここまできました。

 

やめずにいられたのは、こんな私にいまも報酬を提示して文章依頼をしてくださる太田明日香さん、フラスコ飯店の川合さん、サンポーのヤスノリさんの存在と、そのご恩にいつか報いたいという気持ちもあるからです。

特に昨年は太田明日香さんの発行する「B面の歌を聴け」にエッセイを書かせて頂き、イベントにも参加できたことがほんとに大きなモチベーションになりました。

 

サイドストーリー

とはいえ、誰にも読まれない小説に労力と時間をかけ続けることは、相当にしんどい。自分の無能さに嫌気がさすのを通り越して笑えてくる。

何時間も何日も考えて、もがいて生み出した文章も、落選してしまえばそこで終わり。初めから無かったことと同じ。誰の目に触れることもない。ゼロ。この虚無。

みんなに見られたいから書くわけではない、そうかもしれない。

でも、毎日仕事をがんばって、愛する子供の心配事に気持ちを持っていかれながらも何とか時間を捻出し、必死で書いた小説が、誰にも読まれずに消えていく。これが何度か続くと、はやく俺をラクにしてくれよ、という気持ちにもなる。

 

遡ること2018年の文フリ

ここに一冊の本がある。2018年の大阪文フリで購入した本。


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その名も「ちょっぴりエッチでかなーりおバカな大和八木〜新宮167k m!日本最長路線バス旅行記」。

そう、今回の旅の主役八木新宮バスについて書かれたもので、綿密な取材を経てバス旅の内容が記されているのだ。

しかしそのしっかりした情報量にも関わらず、私が気になって仕方だなかったのが、「ちょっピリエッチでかな〜りおバカな」部分なのだ。

私の著書ではないので自費出版の内容を引用するのは失礼かもしれないという事情から残念ながら内容を載せられないのだけど、この本、本当に意味わがわからんぐらい無意味な下ネタとよくわからないアニメの内輪ネタが随所に散りばめられているのである。

取材量は本格的なガイドブックに遜色ない厚みとなっている。なのに、突如「ああっ出る!はあああああん」みたいな文言が急に出てきたりして、筆者の趣味?の訳のわからん下ネタ?かどうかも良きうわからない独特の文体が随所に繰り広げられるのだ。私は大変混乱した。なんで普通に書かないんだろう。「ちょっぴりエッチで」って、別にエッチなアクシデントは最後まで起こらないのに、1人で盛り上がってるだけやん……。

 

でも、この人、すごく楽しそうに文章を書いてるんだよな。

 

誰に評価されたいとかじゃなく。

 

今回バス旅をすることになり、本棚からこの本を数年ぶりに引っ張り出して改めて読んでみて、私はちょっと感動してしまった。このちょっぴりエッチな本に、改めて書くことへの大切な姿勢を教えられた気がする。

 

誰に見られなくても。私は書くべきなのだ、今年も。

ああでも玉置神社の神様、最終まで残らせてください、最後の1人に選ばれなくていいから、新潮社のホームページに公開されて読者投票してもらえるとこまで行きたいです、ね、神様。

 

余談


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本当はタイトル「痔主の四十路女が〜」にしたかったんですよね。そのほうが長時間バス旅のインパクト出るかなと思って。でも私のおしりは確かにしばしば治安が悪くなるのだけど、ボラキノール入れときゃすぐ良くなる程度の軽いやつで、世の中には、もっと重い痔の症状で困ってる人がいるだろうと思うとそこは簡単には書けないなと思って。私ごときが痔主名乗れないなって。俺のほうがとんでもない痔主だぜって、痔主マウントされちゃうかもしれないし、そんなこの世で一番悲しく情けない争いの芽は摘んでおいた方がいいし、自分の言葉と文章には責任持ちたいのでタイトルに冠するのはやめておきました。痔にも文章にも真摯な態度で向き合う私です。最後なんちゅうまとめ方よ。

 

 

辛い。苦しい。子供と一緒に沈むことしかできない。引き上げてあげることが親の役目なのに、私はあのこと一緒に深く暗い底に落ちて一緒に絶望することしかできない。心が苦しくて眠れない。

この前夜中に娘が泣きながら起きて、こわい夢を見たというのでどんなのかきいたら「親子がビルの屋上から飛び降り自殺をしようとしていた。私は止めたけれど二人は死んでしまって、次の瞬間目の前に血まみれの子供が私を下から覗き込んで『お前が死ね』と私の顔をじっと見ながら言ってきた。怖かった」というのだ。私は絶句した。子供が見る夢にしてはあまりにも怖すぎて笑ってしまうほどだったが、私が死にたいなどと思っていることが共鳴してしまったのかと、それもまた怖かった。とても繊細な子なのだ。優しくて、傷つきやすくて。大切に大切に育ててきた。でも私の育て方は間違っていたと思う部分も今思えば多々あるのだった。色んな綻びが、ポロポロとでてきて、誰か助けてほしい。もうどうしていいかわからない

もう本当に疲れてしまったな。今日は近隣の心療内科についての口コミを調べたりしていた。市内の病院は誰かに会うと嫌だから隣の市で探した。

私は傍目から見たらとても恵まれており幸せな部類の人間なのだけどそのはずなのだけど、このところ子供のことで悩むことが増えすぎて、自分ではどうしようもないことばかりで、気づいたら死にたいと思うようになった。死にたいと思うとき、同時にこの子を置いていくのかという気持ちにもなり、いっそ二人で死ぬほうがいいのかなとも考えるようになった。色んなことの答え合わせが全部「今までのお前のやってきた全ては間違いでした」と言ってるみたいで、正解したいのだけど、正解がわからない。7月と8月の半ばまでは仕事が暇なのでまだ精神的に余裕があるはずなのだけどこの有り様。私のことはどうでもいい。どうすれば、この子が幸せに、生きられるんだろう。そのために私は何をすれば良かったんだ、いやもう過ぎたことは仕方ない、これからどうすればいいんだろう。色々考えていると、じわじわと死にたくなる気持ちが体の奥からわきあがってくる。衝動的に死んでやる!という感じではなくじっくりと嫌な空気が部屋に充満していくような。なんでこんなふうになってしまったんだろう。……これって結局、子供のせいで死にたくなって、子供を殺そうとさえしているという最低すぎる気持ちの吐露なんだよな。どうせ誰も読んでいないブログだからここでだけ、ゆるしてほしい