《家族ってなんだろう?展 パンフレット寄稿原稿》
実家の母が、最近、携帯電話をスマートフォンに変えた。
『ばあばのスマホ、イコール、あたしのスマホ』な私の娘こはる(8歳)は、さっそく母のスマホを私物化していた。
こはるは、ばあばの携帯に保存されたいくつかのデータの中から、ひとつの動画を見つけた。
そこには、母の母、つまり私の祖母が映っていた。
祖母は、痴ほうの状態である。私を私だと認識してくれなくなって、もう随分経つ。
そしてそれは、母に対しても同じで、母のことをもう、自分の娘だとは、分かっていない様子なのだった。
私がこの状況で、救いであると感じているのは、祖母の呆け方に、一切の邪気がないことである。
痴ほうと一言で言ってもその症状は様々で、人によっては、とても暴力的な人格になってしまうことがあるという。
その点、私の祖母は、ただひたすらに無垢だった。
「きょうは、あさから校長せんせいのお話を聞いた」と言っていたこともあった。この特別養護老人ホームにいる祖母は、一人の可愛らしい少女に戻っていた。祖母に会うと、小さな女の子と話しているような気持になった。
そして、娘である私の母のことを「とてもしんせつな、やさしい、どこかのおばさん」と思っているようだった(母が自分でそう言っていた)。
母は毎週、和歌山から奈良の特養(特別養護老人ホームの略)まで片道2時間かけて祖母の身の回りの世話などをしに行く。実は別の場所に祖父も入院しており、また、空き家状態の実家の手入れをしたりしなくてはならず、更に和歌山の家には足の不自由な父方祖母の介護があり、私の母一人が抱える負担の大きさを考えると、何故母ばかりがいつもこんなにしんどい思いをしているんだろうと思うし、本当に、少しでも私が何か力になれたら、と願うのだったが、母は私にも妹にも一切の手助けを求めないのだった。
そんな母のスマホには、動画が保存されていた。
おそらく誰にも見せることを想定していなかった、短い動画。
こはるが、何のためらいもなく再生ボタンを押す。そこには、車いすに座る祖母が映し出されていた。
「お母さん、きょうは、いい天気やね」
姿は見えないが、撮影者である母の声が流れ出した。祖母の視線の焦点は、定まらない。
「お母さん、きょうのご飯、美味しかったね」
祖母は、その声に答えることもなく、カメラを見るということがそもそも理解できず、ずっとどこかを見ていた。
「お母さん、あのね、わたし」
母の、おそらく相手には届いていないメッセージの、一つ一つが、私の心を突き刺して、最後はまともに見ることが、出来なかった。
知らず知らずに私は泣いていて、それを、こはるに見られて「ママどうして泣いてるん」と心配させてしまった。
どうしてだろう、なぜか、泣いてしまったのだけど、でも、これは、不幸なことではないんだ、と私もわかっているのだ。
祖母がいて、母が産まれ、だから私が存在し、そして私は、こはるを産んだ。私もこはるも、祖母と母からいっぱい愛された。
いまこうして祖母は私たちを誰だか、いや自分を誰なのかすらわからなくなっているのかもしれないけれど、この状況は、きっと悲しいことではない、と思いたい。きっと、これは正しい老い方なんだ、人生の終え方なんだ、と思いたい。
いずれ私の母も、私を娘とわからなくなる日が来るのかもしれない。そしてまた、私自身が、こはるのことを、わからなくなる時が来るのかもしれない。 けれどそれは、きっと悲劇ではないと私は思う。今まで積み重ねた愛と時間が確かなものならば、それが母と娘を繋ぐと思う。
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という文章を、今年はじめの京都文フリで販売した「かぞくってなんだろう展パンフレット」に寄稿させていただきました。
まず「かぞくってなんだろう展」というのはなんぞやと言うと、こういう写真展で。
https://kazokuten.wordpress.com/
私は、ここで、キャプションデザインを担当しました。
その後、色々ありまして、goldheadさんの「薄い本」デザインをやらせていただくことになり、同じ京都文フリで二冊、これらの本のレイアウトとデザインを担当したのでした。
その時、かぞく展のほうには、文章も書かせていただきました。
で、最近またその文章を改めてほめられたりして、まあ、平たく言うと、調子に乗ったので。転載しました。読んでください。イエイ。