珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

あなたの生きる世界が幸せでありますように

何から説明しよう。そうだ、ティンクルちゃん。私は小学校一年生の時、ティンクルちゃんの文房具セットを学校に持って行っていた。おそらくそれは親戚の誰かから入学祝にもらった様々な文具の中の一つだ。

ティンクルちゃんというキャラクターは、あまり世の中に知られていないと思うが、ある世代の女性が見たら「懐かしい」と心がときめく人も多いと思う。

明らかにサンリオのキキララを意識したであろう星をモチーフにしたデザインだが、80年代特有のファンシーさと、サンリオのように洗練されていない、どこかもっさりした感じが逆に魅力的なキャラであった。

 

私の親は平均より多くの給料を稼ぐ職種だった。だからといって経済的に甘やかされた覚えもないのだが、それでも色々なものを常識の範囲内で買い与えてくれたし、祖父母や親戚も当たり前のようにお小遣いをくれた。私はティンクルちゃんの文具だけでなくキティちゃんや他にも可愛い文具類を持っていたしそういう生活は子供にとって当たり前だとその時も今もずっと思っていた。

 

私は、一人の女の子のことを、すっかり記憶から忘れていた。消していた。

ヤマモトユウコちゃん(仮名)。小学校一年生の時に同じクラスだった。出席番号が私の一個前で、隣の席に座っていたユウコちゃん。

彼女は、ピカピカの一年生なのに、入学式の日からランドセルがびっくりするほどボロボロだった。6年間使ったとしても、あんなにボロボロにはならないだろうというほど、赤いランドセルの表面には深い横皺が無数に刻まれ、革がささくれて黄土色の粉を吹いていた。出席番号が隣だったものだから、アルバムで入学式の写真を見返しても、必ずあの子が写り込んでいる。1年生でそんなランドセルを持っていたのはあの子だけだったかもしれない。

でも私がそのランドセル以上に衝撃を受けたのは、ユウコちゃんの体臭だった。体臭、ではなかったのかもしれない。

単純に、彼女はお風呂に入れてもらっていなかったのだ、今思えば。髪も何もかも汚れていて、臭かった。そんな子が隣の席なのが、とても嫌だと思っていた。

 

さらに私を悩ませたのは、ユウコちゃんが私の文房具を片っ端から盗んでいったことだ。ティンクルちゃんの消しゴムも、鉛筆も、全部ユウコちゃんに盗まれた。うちの親が持ち物に一つずつ名前を書いていたので、ユウコちゃんの筆箱に収められたそれらが私のものだと一目瞭然だったし、先生はユウコちゃんを何度も叱ったと思うが、彼女はそれでもしつこく私の持ち物を盗もうとした。

 

その後、ユウコちゃんとはクラスが離れた。でも、不潔で、言動のおかしなところがある彼女は、ずっとイジメやからかいの対象だった。友達はいなかったと思う。かわいそうだと思うこともあったが、私は自分に被害が及ばなくなったので、もうユウコちゃんのことをそんなに気に留めることもなくなった。そして中学を卒業してすぐの頃、同級生から「ユウコちゃん、子供産んでんて!!」という話を聞かされて、心底驚いたのだった。子供を産んだ、ってことは、セックスしたってこと!というのが、16、7の私には一番の関心と驚きなのであった。それも、あんな子がねえ、と。

「あんな子」と、私は思っていた。

その話も、そこそこ衝撃的ではあったが、それすらもすぐにどうでも良くなり、ユウコちゃんのことなど今日まですっかり忘れて暮らしていたのだ。

 

そういえばその後一度だけ、ユウコちゃんの話をうちの母親から聞いたことがあった。私は大学生か社会人になっていた頃だと思う。その時町内会の役員をしていた私の母親は、自治会夏祭りの日、役員用の炊き出しを作る係をしていた。オニギリや豚汁などは、役員達にだけ無料で振舞われる食事であった。そこへ、あのユウコちゃんがやってきたというのだ、子供を何人か連れて。そして、役員でもないユウコちゃんは(いやそれどころかこの街に住んでいたのかさえ定かではないが)何度も子供たちと食事をお代わりしに来て、誰も咎めはしなかったが皆あっけにとられていた、というような話であった。

 

そんな子が、同級生にいたこと。ずっと忘れていた。急に、思い出した。そして、とてつもなく胸が苦しくなった。

あの子がお風呂にも入れてもらえず、鉛筆も消しゴムも他人の物を盗むしかなかったのに、先生も誰も助けなかったこと。体が臭くて人のものを盗んで、嫌だなあと思っていた当時の私。あの子は、どういういきさつで妊娠出産したのだろうか、まだ殆どの同級生が高校へ進学する中で、あの子は、恋とか、したのだろうか。友達はできただろうか。なにもわからない、わからない。

けれど、今の世の中の出来事なら、もっと何とかなったかもしれないとも思う。あの頃は、今よりずっと、子供の人権が蔑ろにされていた。

彼女のお子さん達は、もう成人しているだろう。彼女は今、どうしているだろう。せめてどこかで、幸せでいて欲しい。

 

そういえば今朝こんなニュースを見た。

www.jiji.com

大変結構なことではあると思う。でも、これだけではいけないのだ、いろんな子供が、皆、守られないといけないのだ。突出した能力のある子供がいれば、またその逆の場合もある。本人の努力ではどうしようもない生まれて来た環境、親の人間性、経済力、それらで不幸になる子供がいる世の中は間違っている。

私は毎年、初詣のたびに「全ての子供たちが幸せでありますように」と願う。それは、自分の子供が生きる世界が、そうあってほしいからだ。つまり、結局全ては自分の子供の幸せのためだ。でも我が子だけが恵まれて、教育を満足に受けて、お腹も満たされて愛されて温かい布団で眠って……それではいけないのだ。全ての子供が幸せでなくては。全て子供達のの幸せを、いつも願っている。願っている。