探し物は何ですか見つけにくい物ですか

昨日は祝日だけどいつもと同じ六時に目が覚めた。

 

起きてしまった瞬間、絶望が押し寄せてきた。なんだ夢かと。

夢の中では、私の母親は「手術がうまくいった」と言いながらスタスタと歩き、「とても元気になった、もう心配ない」と言って私が止めるのに家事をこなしていた。


その前々日父からかかってきた電話は暗かった。開口一番

「手術したからって、万々歳なんてことはないんや。五時間も、かかったけど、全部取りきられへんかった」
と言われた。目の前が、真っ暗になった。父は疲れきっていた。
今まで当たり前だと思っていたことが、もう当たり前じゃなくなるかもしれない、そんな思いが胸を去来して、やるせなくなった。

 

怖い夢を見たのなら、醒めた後の現実に救われるだろう。

私が見たのはとても幸せすぎる夢だった。

だからこそ、ベッドの中で目を開けてしまった時、さっきまで見ていた映像が余りに重く私の体にのしかかり、もう戻らないかもしれない日々を思って涙が止まらなくて起き上がれなかった。夢のせいであんなに泣いたのは初めてだった。

ずっと見ていたいと思うような幸せな夢は、どんな悪夢より残酷だと思った。

 

フラスコ飯店冊子で書いたもの

以下の文章はフラスコ飯店さんhttp://frasco-htn.com/about/

の発行する冊子で書かせて頂いたものです。タイトルは「Another One Bites the Dust」


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***

昭和平成、と来て。時は令和だ。

今、あなたの住む街をざっと見渡してみて、何かこう、その風景の中に異質なものは混じっていないだろうか。例えば、やたら急勾配の滑り台がある公園だとか、尋常ではない雰囲気の個人商店だとか、そういうノイズのようなものが。

……そうか、無いのか。もう、この時代には残っていはいないのか。

今、世の中はとてもクリーンになってきていると、日常のいろんなシーンで私は実感する。運動場の危険な遊具は全て取り払われた。コンビニからはエロ本が消えた。弱いものを傷つけるとされるもののほとんどが、特にこの数年で姿を消した。

そして私は、ふと追憶の中にある古い映画館を思い出す。通っていた河西中学校のはす向かいにあった、そこそこ大きな映画館「松栄」を。

松栄は、成人映画館であった。ピンク映画館が、よりにもよって、地元の公立中学の徒歩1分圏内に存在していたのである。一体お前はどんなスラムで育ったのかと思われるかもしれない。
私が育ったのは、特に治安が悪い地域でもなく、ごく普通の住宅街だった。和歌山の青い海に面した巨大な工業地帯。日本でも有数のS金属鉄工所があり、そのお膝元であった小さな街には、かつては鉄工所に勤める独身男性も多く住んでいた。それらの若者の、娯楽であったという松栄映画館。

それはもう、私が物心ついた昭和の終わり頃には、既にとんでもない街の異物だった。本来隠されるべきものが、あるべきではない場所に堂々と存在していた。
上映作品の扇情的なポスターは、実写バージョンと職人さんの手描き劇画バージョンの二種類あるのをご存じだろうか。観客を誘う謳い文句も毎回凄まじかった。痴漢電車乱れ咲き!とか、不倫人妻熱い夜!だとか、朱色の墨で書きなぐられていて、なかなかの迫力であった。未亡人、喪服、ストッキング……わかりやすい乳房以外にそういったアイコンが性的なものになりうるという知識は、独特の活字フォントと共に脳裏に日々蓄積されていった。

若い男性労働者の娯楽とは言ったものの、それは家庭用ビデオデッキが普及する以前の話であろう。プライベートな空間での視聴環境を多くの人間が手に入れることが既に可能になってしまっていた90年代、なぜ人々はそこでわざわざそのような恥ずかしいものを見るのか、私にはわからなかったし、今もわからない。

あの入り口の奥に、いったいどんな世界が広がっていたのだろう。建物の横を通るとき、いつも顔を背けて見ていないふりをしていた。その壁の向こうは何があったのだろう。
大人たちは、そこにその卑猥な建物があることを、まる何も無いかのように過ごしていたし、子供たちもまた、同じようにそうした。低学年の男子はたまに「おっぱい!」などと叫んでいたが、やがて年齢が上がると皆一様にそれらを視界に入れないよう、意識をとられないよう努めた。

そしていま、現在。世界はどんどんクリーンになる。得体のしれないもの、いかがわしくて汚いものは根こそぎ駆除される。
かつての鉄工所は、徐々に国際的な競争力をなくし、煤煙で曇っていた空は青さを取り戻した。労働者は街から消えてしまった。
そうして、松栄映画館もまた、取り壊され更地になった。日常のすぐ隣にあった非日常は、跡形もなく消えた。
仕方ないのだ。あの映画館は「悪」だった。正義の味方がやってきて、全部消し去ってくれたんだ。あの映画館がなくなって街に秩序が戻り女達は不倫をしなくなり男たちは痴漢をしなくなった。世界はとても清らかになり正しいものだけが残り、いずれ戦争もなくなるのだろう、きっとそうなるはずなんだ。

なあアンタ、次にあの街から姿を消すのはなんだと思う?

***

 

 

 

おやすみ

朝、会社に出かけるまえに少し時間が空いたので、駅前の喫茶店でモーニングを食べながら村上春樹の短編集を読むことにした。

その日は無性にトーストが食べたかった。
しかし家には娘が好むワッフルやドーナツなど、甘くフワフワしたものしかなく、その日の私はそういうものを食したい気分ではなかったのだ。凝ったパンじゃなくていい。安いペラペラのパサパサの6枚ぎりくらいの食パンに、これまた上等のバタではなくマーガリンを塗ったやつを食べたかったのだ。
話が逸れるが、私はバターを「バタ」と表記する女の自意識が苦手である。というか嫌いだ。何、わからない?まあ「バタ」でググって出てくる女のSNSを見たら「あー、これ系か」となる。わかる人にわかれば良い。
しかし私もそういう女のネットリとした性質に憧れないわけではなくいやむしろそうなりたいが故の僻みなのかも知れなくて、今「バタ」という表現をあえて使ってみた。いかがだろう、バタ。

話を戻す。
案内されたテーブルには椅子が2脚あり、私の座る場所の向かいの椅子には「この席の使用はご遠慮ください」という札と共にクマのぬいぐるみが置かれていた。
 

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ソーシャルディスタンスというやつだ。ほんの少し前まではそんな言葉はこの世に存在すらしなかったのに、今ではこうして、しれっと私の目の前にクマのぬいぐるみが置かれているという有様である。
ぬいぐるみの奥の席は完全に封鎖されており、その向こうのガラス窓には阪急バスと青い空が見えていた。
さて、読もうか。しかしわざわざこんな所に来て、村上春樹を読むという行為がなんだかわざとらしく、少し恥ずかしく思えた。
誰に言い訳するでもなく「違うんです、そういうのじゃないんです」と心の中でその場にいる何者かに弁明するように本を膝の上に隠すようにして開いた。
そして読み始めて3ページ目で早速セックスが始まったので、「よっ!ハルキ!!」と思った。
まだトーストも来ていないのである。やれやれ。
そうこうしているとすぐにお目当てのペラペラトースト、そしてコーヒーと、サラダと、茹で卵が運ばれてきた。茹で卵は自分で剥くタイプだった。アジシオの容器がテーブルに置かれていた。私は、パンの粉が落ちないように一旦本を鞄にしまった。
 
人が、セックスをする理由には、3ページも要しないのかもしれないと思いながら、硬いトーストをバリバリ齧った。そこに至るまでに、そんな大層な文脈なんて、いらないのだと。
 
そしていつしかの朝を思い出していた。アホみたいに早い時間、唐突に来たメッセージには「イエーい、今暇?」と書かれていた。ふざけている。
その後急に電話が鳴り、「今から寝かしつけてほしい」といわれたのだった。
アホか。アホだ。誰が?私が。
 
結局私はその日「寝かしつけ」に家を飛び出した。こんな下らない関係があるかと思う、それはよくわかっていた。部屋についてインターホンを鳴らすまで数分逡巡した。扉を開けたその男は半裸だった。「アホやと思ってるでしょう」私がそう言うと「まあ、アホですよね」と言われた。
 
今までいろんな男の寝顔を見てきたと思う。
いつだって誰といたって、私は眠れなかった。そして「寝かしつけ」てあげていた。
私は眠る男たちの皮膚や顔立ち、寝息を立てる姿をいつもよく観察して、なんて綺麗なのだろうと、誰に対しても思っていた。
中でもまつ毛がびっくりするほど長く、蒙古襞のない上瞼が美しい寝顔の人は、私の夫になった。
妙な場所に黒子がある人もいたし、変な位置にピアスを開けていたり、青白い皮膚に彫り物がある人もいた。起きているときには触りづらかったそれらを私は指の腹で撫でてみたりした。
 
彼等のゆりかごは十三のラブホの時もあれば、阪神沿線にある男の実家で両親がいない時でもあったし、赤い絨毯が素敵な神戸の高級ホテルの時もあった。それぞれの皆一様に無防備に眠っていた。
ある時は、眠る男の横で私は本を読んでいた。それは静かな夜で、ページをめくる微かな音だけが部屋に響いていた。その男に薦められて買った小説自体は、まるで面白くなかったと記憶している。
その人はよく、ひどいお母さんに育てられたという話をした。私も、ひどいお父さんに育てられてこうなってしまった、という話をした。
とても私を大切にしてくれた人だった。
あの人は、本当は、私から生まれたかったのかもしれない、と思った。
 
ある時は、ラブホの有線をきいていた。その時のチャンネルは夢みたいに心地よく、彼が寝て間も無く私も入眠した。後からチャンネル名を調べたら「ドリイミーガールチャンネル」という選曲の番号で、なるほど確かにドリーミーだとかんしんしたものである。
 
またある時は本当に男が深く眠るのを確かめてから、そっと部屋を出た事もあった。
あの時はまるで、赤ん坊だった頃の娘が乳を吸った後、起きないようにそっと乳首を離した時のような、母親の私そのものだった。細心の注意を払いながら、体を最後まで密着させて、そーっと、そうっと、皮膚を離し体重を浮かせ、眠らせる。私がいなくなったことを気付かせてはだめ。大きな声で泣いてしまうから。
 
 
今はもう誰かを寝かしつけることもなくなった。ふと思う。私はあと何年女で「いられる」のだろうかと。
あと何年で、女で「いなくてはいけない」状況から、解放されるのかと。
ドーナツやワッフルみたいに甘くフワフワした私の娘は、4歳近くまで毎夜私の乳房を吸っていたが、流石に今は一人で眠るようになった。
いつかこの子も誰かの寝顔を見る日が来るのかしら、そう思いながら、私は眠る我が子の髪を撫でた。
 
 
 
 
 
 
 

 

14%増量しても明日は来る

「お月様が、普段より増量中なんよ、14%も!」

私がそう言うと、彼は、へえ、凄いやん、と軽く笑った。

そして、ディズニー映画の王子様がするような、とても健全な口づけをして、先に寝るわと寝室へ行ってしまった。

 

いつの頃からか、彼が私にしてくれるキスと、娘にするそれの、境目が無くなっていた。

とても優しくて、愛情深いキス。家族のキス。テレビでお茶の間に流れても気まずくならないような。

 

私は、パジャマのうえにローゲージのロングニットカーデを羽織り、更にその上からフォックスファー付のダウンを着こんだ。

 

今から、月を見に行くんだ。

 

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今日は日中はポカポカしていて、娘なんか半袖姿だったものだが、夜はとても肌寒かった。

外に一歩出て、ダウンコートをまだクリーニングに出してなくて良かったと心底思った。裏起毛のパジャマを着ていたのも正解だった。

 

今日、政府が緊急事態宣言を出した。

 

そんなん東京の話やろ、思ってたら、夕方スーパーで何故かパンの棚だけごっそり空になっているのを見て、途端に焦りが出てきてしまった。

せっかく外に出たんだから、コンビニに寄ってパンを買おうか。

そう思ってファミマに行ってみると、何のことはない、普通に菓子パンが陳列されていた。

それを見てすっかり安心した私は、結局なにも買わず店をあとにした。

 

せっかく、月が14%大きく見える夜なんだ。つまんねえパンなんか、買ってられるかよ。

 

とはいえ、昼頃までスーパームーンの話など知らなかった私。「お月様は、どっちに(どの方角)見えるん?」

そんな質問を友人にしてしまい、地球の自転や太陽の位置関係など、いちから丁寧に説明してもらった。友人は、バカな質問をした私をバカにするでもなく、わかりやすく教えてくれた。

 

私は小さい頃、この本が好きで、かなり読み込んでいたものだった。


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なのに、月がどこから現れてどこへ消えていくのか、さっぱり頭に入っていなかったのだった。

私がこの本で何度も読み返したページは、星座に纏わる神話や寓話のところだった。

挿し絵がものすごく古くさいな。
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今も頭に入っているのは、全くもって非科学的な、例えばオリオン座と蠍座は何故同じ季節の空にいないのかとか、そういう知識だけだ。

いつもより、大きく輝く月を見て、娘の将来や、自分のことを考えながら少し散歩した。

そして、少し前、こうして夜中に家を飛び出して人に会いに行ったことを思い出したりした。

その人が私についた一番の嘘は

「明日なんか、来ないから」

だったと思う。

 

明日仕事があるから、今からは…ちょっと難しいです、そう言った私へ放たれた、最大級の誘惑であり、偽りだった。

明日は、結局来てしまったのだから。

明日は来る。嫌でも来る。

 

自粛していても

スーパーの棚にパンがなくなっても

保菌していても発症してもしなくても、とにかく明日は、来てしまう。

だから私は、まず娘の明日を考えなくてはいけない。そして私の。

子供を持つことは、嫌でも、未来について考えることを一生放棄できないことを意味する。

愛情もなにもかも、色々形が変わるから、不安になるけれど、明日も、あしたのあしたも、笑っていられたらなと思う。
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携帯のカメラ、クソいなあ~

 

 

 

 

 

 

 

花粉症の、せいなのだけど、涙が止まらない。ベランダで洗濯物を干していたら涙が溢れてきて、まだ乾いていないバスタオルで顔を覆った。湿った布からは洗剤の香りがした。部屋に戻るまでに感情を整理しないと。笑顔に戻らないと。家族が寝静まるまで、1人で泣くことも許されない。私は、お母さんだからいつも笑顔でいなくては。

はやく花粉の季節が、過ぎ去ればいい。季節が、もっと、早く過ぎ去って、色んなことを終わらせてくれればいい。

ささやかな「生活」

夫の育った街は、山の上のニュータウンf:id:mikimiyamiki:20200107084808j:image

この看板に描かれたのはこの街の未来
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活気ある街

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子供達はタンクに閉じ込められました
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私は海辺の小さな街で育ったf:id:mikimiyamiki:20200107085336j:image


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ここで一生、2人で石を探すだけの生活をして、死んでいきたいね、という話をした。

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海の水は透明で澄んでいた。平安時代なら私も和歌など詠んでいただろうと思うぐらい美しかった。


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人間誰しも、突然消えたくなることはある。

アカウントは、すぐに消してしまえる。

でも生活は続く。

 

私は小さな会社でデザイナーの真似事のような仕事をしている。

10年以上前働いていた新聞社で記者仕事の傍ら教え込まれたAdobe

illustratorの知識だけで、何の専門学校も出ていないのに、長期のブランクを経ていきなりこの仕事をやることになってしまった。

 

私のデザインは、ダサいと思う。

技術も未熟だ。知識はほぼない。

 

それでも、こんな私が今の会社で作ってきた印刷物や看板は、もうすでにこの街にいくつも出回るようになってしまった。

 

illustratorさえ使えたら誰でもデザイナーを名乗れるんですよね」

 

とてもセンスの良いデザイナーの男の子がこんなことを言っていた。自分のことを言われたわけではないけれど、胸がちくりとした。



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私が私を消して、数週間経つ。

今日は、成人式だった。

駅前で、何人もの、晴れやかな姿をした若者とすれ違った。

 

きらびやかな振り袖を誇らしげに着る女の子。スーツに着られているような、まだあどけない男の子。

 

今年、あの子ら全員のもとに届いた『成人式ハガキ』を、市から依頼されて作ったのは、この私だ。

 

地味で、何の華やかさもオシャレさも独創性もないデザイン。

しかし、市内全域、全ての20歳の若者全員に配布されるお祝いのカードでもあり、絶対にミスは許されない。何度も校正し、Tホテルの道順なんか書かなくても市民全員知ってるわと思いながらも細部まで丁寧に地図を作成した。

 

尊敬するデザイナーであり、子育て中のママとしては同志である、友人が昔こんなことを言っていた。

 

「○○さん(私のこと)が作ってるのは『生活』なんだね。それはとても大切なこと。」

 

彼女はミリオンセラーを叩き出した某ミュージシャンのCDジャケットをデザインした人である。まぶしくて仕方ない彼女の言葉を、私は心の中の額縁に入れている。

 

市の印刷物や、公立学校の卒業証書。

変な字間とフォント選び。そんなの、わかっている。

 

でもそれには何らかのクライアントの想いやこだわりが詰まっていて、それはとてもカッコ悪くて、ダサくて、でもそれを受けとる子らの人生の門出をそっと支えているのだ。

 

明日作るのはハローワークのポスターと税務署のチラシ、それから母子予防接種手帳表紙。

 

その他、何度もダメ出しをしてくるオバサンの服屋ショップカード。ガスホースについている施工責任者の銀色シール。自転車屋さん番号シール、和菓子の賞味期限が書かれた小さな紙切れ…

 

誰が作ってるのだろう、なんて、誰も考えたことのないようなものを、作る人間がいる。

 

誇りに思うなんてことを口にするのさえ、おこがましいと思う、そんな些細な仕事。

 

でも私は今日、この街の新成人達の姿を見て、今まで、誰かの「生活」を確かに作ってきたのだと思えた。

 

それが、とても、嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

平民金子さんのトークショーに行ってきた。

4月6日土曜日。神戸市垂水区の塩屋で行われた、平民金子さんと安田謙一さんによるトークイベントにいってきた。

 

ちなみに塩屋へは、昨年「かぞくってなんだろう?」展の取材で2度訪れたことがあるのだが、そのとき山陽本線のから見える海の美しさに心を完全に奪われてしまった。

 

特に須磨~塩屋間の眺めは絶景で、これをみるために絶対私は今回も進行方向左手の車窓に注目して乗車しよう、と心に決めていた。海に至るまでの町並み、アパートなんかの佇まいも素敵なのだ。

 

いたのだが、扉のところにしばらく立っていると、ちょうど目線のところに大きなシールで、制汗スプレーの宣伝だと思うのだが、デカデカと「ワキ汗!」という文字が書かれたそのステッカーが、どうにも目に飛び込んできて、目障りで仕方なかったので、途中からこの席に座った。

 

この眺めを妨げる宣伝は、神経を逆なでるので逆効果であると、企業広報には申し上げておきたい。
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塩屋駅からの眺め。

ここから、会場までの道順がわりとややこしいので、たどり着けるか心配だったのだが、平民金子さんの一連のツイートのおかげで迷うことなく会場に到着できた。

ご自身は「この執拗なまでの道中描写が本人の異常性を表しているようだ」などと仰っていたが、このツイートに助けられたお客さんは大勢いたと思った。

 

塩屋の町並みは、とても良い。

 会場のジャンクションカフェ。


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カフェの横には、これまた渋いたたずまいのアパートがあった。

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「ソルトインハイツ」という名前で、塩屋だからだろうけど、なんか、面白かった。しょっぱそう。

 

トークショーよりだいぶ早く着いたので、先に展示を拝見した。

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トークのとき「あれ完全に、ホラー映画のラストシーンで、主人公が最後扉開けて『ヒっ』てなるタイプの写真の貼り方した部屋ですよね」って安田さんが表現した部屋。

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今回、お二人のトークの間、私は授業を受ける予備校生のごとくずっとノートをとっていたので、はた目から見たらきもいことこの上なかったと思う。

いや、私もはじめはのんびりコーヒーとトークを楽しもう、とおもっていたのだけど、内容が、いちいち良すぎて、刺さってくるんだもん。

しかも私、すぐ忘れるから、これもう書いとかなしゃあないやん、と思って。

ほんでこうして今、1年数か月ぶりにブログを引っ張り出したのも、その内容を記録しておきたかったから。

とはいえもう1週間経って、またノートの私の字が汚くて、これほんま仕事用のボイスレコーダー起動したらよかったと思っている。

以下、汚いメモと記憶を辿ってトークの項目をかいつまんで書いていく

 

街歩きの文章執筆において心得ることは3つ

街歩きの文章で、平民金子さんが考える3つの柱は

  • 文体
  • 引き出し
  • 歴史

この3つなのだそうだ。

この話が、やはり元々地方新聞社で街歩き記事を担当し、今も時々お散歩記事のwebライティング

sanpoo.jp

をする身として、とても勉強になるというか、わかるなあ、と思った。

いや、私なんて、「わかるー」とか書けるほどのものではないし、平民金子さんと同じところに我が身を置くのは大変おこがましいこと重々承知ですが、ここはわからせてくださいよ、ほんとにわかったんだもん。

 

話を金子さんの街歩きに戻す。以下少し書き起こし

 

「自分がその街について書くにあたり、書き手がまずぶちあたる壁。それは、世の中のたいていの街のことは、もう書き尽くされているということ。

となると「なにを書くか、ではなくどう書くか」これが重要になってくる。そして、自分と、その対象になる街との歴史(関係性)も浅かったりすると、「文体」と「引き出し」で勝負することになる。そんななか「子供と散歩する」という方法を編み出した。これを「子連れ狼作戦」と呼ぶ。

子供と一緒に散歩すると、出来ないことも多いけど、出来ることも増える。

たとえば、子供をその空間に立たせると絶対どこでも写真を撮れる。職務質問されることもない。独身の頃は、一人でいるだけで当然のように職質された。オウムと間違えられて通報されたこともある。」

 

子連れ狼作戦と、金子さんは仰っていたが、私が「ごろごろ神戸」で一番好きな文章は、このページなのである。ツイッターにものせた。

 ぜひリンク先の新聞記事写真を読んでほしい。

子育て経験したひとは、泣いてしまうとおもう。

 

金子さんの子育て観というか子供に関して紡ぎだされる言葉って、イクメンとは一線を画していて、つまりそれは「母親の葛藤そのもの」やなあって、それを言語化してくれてるなあ、って私は思ったのだ。育児に積極的なパパ、というより、その目線は、育児にもがき苦しみながら、それでも子供をめっちゃ愛してる母親っていうか。

私の、自分の「母親」という立場にたいする考えとか苦しみはここにも書いたことがあるのだけど、

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

 

こういう、どっぷり育児に浸かってる感覚って、パパにはあまりなくて。それが悪いとか言ってるんじゃないし、世の中の忙しいパパが育児に参加できないのは個人の責任ではないからどうこうそれをいうつもりはないんだけど。

とにかく、金子さんのこの文章は、しびれたんだ、私。で、その子供という「引き出し」と「文体」で神戸という街を語るその手法、すごいと思って。

 

取材をしてしまうと、書けない

あとは、お店を書くときの、ライターの姿勢・スタンスについて。これも共感した。所謂「店に言うのか?言わないのか?問題」。いちいち共感してすいません、共感させてくださいよ。

 

神戸市広報「ごろごろ神戸」には、たくさんのお店が登場するんだけど、金子さんは、そのどれにも取材アポをとって「さあ、いまから取材しますよ」という書き方をしていないそうだ。

私も新聞を書いていた時には取材許可を得て書くのが普通だったのでわかるのだけど「取材をすると、書けないことがでてくる(金子さん)」のだ。そして、最もうなずいたのは「取材せずに書くことでその店との関係を『生活のなかに位置づけて書くことができる』」という金子さんの考え方。このニュアンスの違いは私も経験がある。

手前味噌だが、私がこの記事を書いた時、

sanpoo.jp

私は先方に取材しますよ、とは言わなかった。散歩の延長にふらっと立ち寄った感覚のまま、文章にしたかったのだ。

ただ、金子さんは取材をがっつりすることを悪いと言っているわけでは決してない。

 

それぞれのライターの、それぞれのスタンスがあるよね、というお話。

対象をリスペクトし、失礼なことを書かないというのは、どの立場でも同じなのあると仰っていた。

それから、常連のお客さんとその店がひっそり織りなしてきた空気を絶対壊さないようにしたいから、書かなかったお店もたくさんあるとのこと。

このへんの、金子さんの目線もすきやなあ、と思った。土足でずかずか入らないかんじの。

 

その他心に残った話の断片(カッコ内は私のひとりごと)

 

  • 我々が何かをネットに書くとき、その対象が古いものであると特に、「昔からここ好きやった」という人が、必ず現れる。気をつけろ。(おるおる、わかる!お前絶対すきちゃうかったやろ、ていう)

 

  • 甲南女子大の側道に挟まっていた男性。彼が捕まったときに言った「道になりたい」というのは名言だった。ザ・ブームが歌にしてそう(それ風になりたい、やん。しかしあの事件はすごかったな。側道に挟まってたら見つけられてもにげられへんし、変質者にしても女性にあまり害がないので、なんかこう、応援したくなる男性だった。道になりたい男)。

 

  • 神戸には「味のないカレー」を出す店がある。思えば昔のカレーはなんかこう、味がいまひとつ足りなくて、ソースをかけて完成、ということがあった。最近はカレールーも進化してしまって美味しくなったから、あの「味のないカレー」に遭遇することもめったになくなった。昨今めずらしくなった、そういう「味のない店」だけを集めた特集を書きたい(あったなあ、そういえば。私の子供のころもおばあちゃん家で食べるカレーは味がなかったわ)

 

 

  • 市からもらった原稿料はすべてお店への出費で消えてしまう。経費にはしないし、「税金をもらってるくせに」とかいう揶揄が一番嫌だったから、あえてそうした。(市の広報でここまで攻めた文章を書き続けたの、ほんとすごいなあと思う。まあ、批判する人もおるのかもな…そいつつまんねえ奴だな。)

 

  • これからも、「神戸」に飽きずにいられるか。いつまでも新鮮な気持ちで街を歩く書き手でいたい

 

こんな感じ。

会場にはお子さんが来ていて、金子さんが話す2時間近くの間もそのへんを歩いたりして、トークが終わるとパパにギュッと抱きついたりしていた。


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「ごろごろ神戸B面」に、サインをしていただいた。このB面がね、また、良いのよ。どれもこれも、ああ、読ませてくれて、ありがとうございます、と思う感じ。

天海祐希宝塚音楽学校を受験したとき、試験の担当教師が天海祐希の母親に向かって「お母さん、この子を産んでくださってありがとうございます」と言ったとか言わなかったとかやけど、私も思ったよ、B面読んで。金子さん、この文章を読ませてくださって、ありがとうございます、と。

神戸市の広報書いてる人が、アンパンマンミュージアムの話を大阪ミナミののぞき部屋に繋げていくなんて、思えへんやん。「あちらがわ」の話とか、センシティブなところもちゃんと、えぐくなく書いてて、ええなあ、この人、と思った。

 

 

この日購入した書籍のなかの「なnD6」という本に金子さんへのインタビューが掲載されているのだが、檀上遼さんが金子さんの現在を「ブログドリームを達成した男」と言っていた。

 

ほんとにそう、すごい成功者なんだとおもう。ブログを書いていて、公式に神戸市から声がかかって、本も出て、展覧会にトークショー。なんて華々しいのだ。ファビュラス。

でも、その記事の中でも、そして今回のトークのなかでも、金子さんは「ただの生活やからね」と言っていた。生活、そうそれは生活なのである。

 

私は宝塚歌劇が好きなのだが、生きることは、間抜けだなあ、美しくないなあ、と時々思う。例えばエリザベートという演目はどういうストーリーかというと、王妃エリザベートが、美しい死の化身トートに惹かれ、命を落とす悲劇である。死を美しく書くことは、簡単なのだ。醜いものが全部消えてくれるから。

いっぽう生とか、更に生活はどうだ。

全然美しくない。物語にならない。地味で汚くて面白くないことの連続である。死の化身トートなら銀色の長髪で歌うことも許されるが、「生活」の化身は歌っている暇などない。今日の献立、子供の学校の用意、検尿、通勤電車……生活のあらゆる要素が、美しく歌うことを許さない。

 

でも、それでも、そんな「生活」を、とことん書ける表現者がいるとしたら、それは本当に魅力的なことだと思ったのだ。そしてつまらないとおもっている日常で、私が見落としたなにか面白いもの、美しくないけど案外悪くもないなにかを、拾って言葉にしてくれる書き手、それが金子さんだと思った。

 

それでまあ、私は常々勝手に言ってるのだが「西の平民金子、東の黄金頭」だと思っていて、この東のほうのひともすごく良いと思うしトポフィリアにあふれているとおもうので、横浜市の誰か、黄金頭さんに声かけたらどうか。

 

今日は子供が昼までに帰ってくるので、デザインの仕事が繁忙期にも関わらず休みをとったのでこうして午前中はブログを書くことにした。

最近はまったく文章を書いていなかった。昨年はいくつかの媒体でライターをやってみて、少ししんどくなっていた。はてなブログ自体も、しんどくなっていた。また、ぼちぼち、やっていこうと思った。

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