珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

日記

親しくしてくれている相互フォローのAさん(東京在住)がこの連休関西に来てて西成の酒場で知らんおっさんたちと酒飲んでるというツイートをしていたので、私も仲間に入れて!って図々しくもDMしたら快くOKいただいたので、娘を塾に送迎(文字通り「送」と「迎」両方やった。毎週欠かさずやってる)し終えてから動物園前方面に向かった。

 

途中JR福知山線に乗りながら、ちなみに移動してくれて全然構わないので、現在の最寄駅はどこかとDMすると「いまは新今宮」とのことだったので、地下鉄に乗り換えようとしていたルートを変更し、大阪駅環状線内回り1番乗り場大和路線に乗る。

新今宮に到着しAさんに連絡したら、南海改札で待っていてくれたという。難波から乗るようなややこしい書き方をしたことを侘びつつ、南海方面西出口に私も向かう。


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Aさんとは会うのは3度目なので、お顔は覚えていたのだが、なぜかここで彼の姿を見逃してしまいどうやら目の前を素通りしていたことに気づいて、なんやかんやでやっと会えた。

 

私はまず、突然お声掛けして時間をいただいたことにごめんなさいとありがとうを伝えた。Aさんはとんでもないです嬉しかった、と言ってくれた。

 

そのあと、西成区方面か浪速区方面どっちに歩きますかということになり、にぎやかな通天閣の方に行きましょうと私が提案した。これはべつに動物園前の方に行くと治安が悪いとかそんなことを今更気にして言い出したことではなく、そもそも西成の治安がどうのこうのそんなことを気にするような人間は夜にわざわざ宝塚からミナミへ向かわないのであり、ただ私は、気軽に入れる飲み屋の数が多い方を提案したまでであった。

スパワールドの方まで歩きながら、早速共通の知人のBさんの話になった。


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そういえばBさん、お子さん産まれたそうなんです、とAさんは言った。

5月にAさんと梅田で会った時もBさんの話をしたし、よく考えたら初めて東京で会った時もBさんの話が出た。必ず出る。というのもAさんとBさんはものすごく仲が良いのだ。そして私もBさんとは何度も二人で散策したり飲みに行ったことがあるので、それは当然Bさんの話にならないほうが不自然なのであった。

しかし私はBさんにお子さんが産まれたことは知らなかった。というか、一応知っていたが、それは昨年1月末に会った時Bさんが「来年には子供ができていると思います」と言ってたから。それを聞いて「ああっ、そうなのですね?!」という私の少々大袈裟な反応を見たBさんは「いや、まだなんですけど、来年にはそうなっているということです」というような、少し生々しいやりとりをした。大阪のステンドグラスが有名な喫茶店での会話だった。


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Aさんとは他にも近況などぼちぼち話しながら、適当な店に入った。串カツが食べたいというAさんに、関西人のくせに特に良い店も知らない私は「この辺りはどの店もきっと美味しいはずです」と言って押し切ったのだが、下調べすればよかった。お店ではラストオーダー時間が近かったこともあり、生中一杯ずつと牛カツ、だしまき、その他の串2種ぐらいしか頼まなかったけれど、いろんな話をして楽しかった。毎度のことであるが、Twitterの愚痴みたいなものから始まり、政治的な話題にも枝分かれしつつ、ふたたびBさんの話に戻り、Aさんが最近撮影した写真なども見せてもらったりした。

お会計を終えて店を出ると、あまりにもベタなザ・大阪という景色が広がっていたので、その場にいた外国人たちと共に私も写真を撮った。


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そしてまた、ぼちぼちと新今宮に向かった。

Aさんは、最近見た廃墟で亡くなったとされる「孤独な天才」の話をする際に、またもBさんの話を持ち出した。確かにBさんは紛れもない天才でありエリートで、私も本人には何度か「リアル出木杉くんですよね」と言ったことがある。Aさんは、本日何度めかのBさんへの賞賛と、ちょっと照れ隠しの悪口も交えつつ、とにかくBさんが大好きであるというのが伝わる口ぶりで彼のことを私に話した。まあ共通の友人だということが前提にあるのだが、それにしてもAさんとBさんはなかよしなのである。ガマ君とカエル君である。AさんはBさんの自宅にも何度もお呼ばれしているということ(これは私も双方から聞いている)で、Bさんの奥さんのこともよく知っていた。Aさんが私に「ぱるさんもBさんのおうちに行くことあるかもしれませんね」などと言ったので、それはないだろうな、と思った。

そのあと駅に向かう途中、というかほとんど新今宮の駅に着いたと同時に黙っていようかと思っていたことをポロっと話した。Aさんは綺麗な顔で「なるほど」と笑った。Aさんにこのことを話したところで、彼の中の何かが揺らいだり、壊れたりすることなどないとわかっていた。だから話した。Aさんはこういう話が嫌いだというのを知っていたから、話さないでおこうかと思ったけど、最後にきいた廃墟の話で、なんとなく言いたくなってしまった。

ふと、Aさんが「待って、あれすごいです」と言うから、目線の先を見ると、60代ぐらいのハゲちらかしたジジイと若い…?多分若い女性、いや、若くないのか?女性なのか?そんな2人が新今宮駅構内でものすごいディープキスをしていた。私は思わず「うおっ!?」と言って、ニッコニコになってしまった。凄い迫力で、少なくとも私達が居る間は2人の唇は離れることはなかった。もうなにもかもが愉快だった。Aさんに、また会ってくれますか、と問うと、もちろんです、と返してくれた。

 

書かずにいられないレベルで

今日なんかしらんけど顔の調子がめちゃくちゃ良い。近年稀に見る仕上がり。ここ数ヶ月で間違いなく一番肌つるつる、目もウルウルぱっちりしてる。なのに、何の予定もない。ものすごく勿体ない。ここぞというパワーを出すところを間違えるなよ私の体。

スマホに見慣れない通知がありGoogleが『誕生日が待ち遠しいですね』などとほざいていた。何が待ち遠しいものか。もう1秒たりとも私は老いたくないし、さもなくば、今すぐ幕を閉じたいぐらいなのに。

でも誕生日ぐらいは、と、少し早いけれど自分用プレゼントにシングルモルトウイスキーが届いた。箱には青く深い海が描かれていた。小さなグラスに、ゆっくりと注ぐ琥珀色の液体。トプトプトプ、と、その音だけで気持ちが高まる。そしてこの香り。頭のなかが痺れる。

普段は油性ペンみたいな匂いの安い酒を飲んでいるので、たまにはこれぐらい贅沢してもいいだろう。わたしは今年もよくがんばった。もうええでしょ、と心の中のピエール瀧も言ってる。もうええでしょ、いろんなこと。もう何も望みたくない、足掻きたくない、諦めたい、囚われたくない。

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どうせこんな日記誰も見てないだろう。だから昨日みたいな悪口も書けるのだ。この部屋は憂鬱を満たしたコップのようだ。そこで1人ソファーに転がる私は、ティーパックから紅茶が溶け出すみたいにモヤモヤを放出している。やがてわたしのどんよりとした気持ちが憂鬱と混ざって部屋に充満する。窓からは柔らかな秋の光。ふと天井を見ると蜘蛛がいた

 

なにもかもうまくいかない気がする。気がするだけ。実際はわりと順調だ。でも目に入れなくて良い情報をわざわざ見に行って落ち込んでいる。小説だって、落ちたらどうしようと思っている、いや落ちることなんか慣れているし、そうそう受からないことはもう今まで嫌というほど理解している。なのに怖いし辛くなる。天井の蜘蛛はいつの間にか消えていた。

サンポーでお世話になっているヤスノリさんがこの連休和歌山雑賀崎旅に来るということで、お時間をいただいて初日に天下茶屋でお茶することになった。ちなみに人様の病気をこんな風に言ってごめんなさいという文言を必ずつけるようにしているのだが、ヤスノリさんの書く入院日記は2年前の前回も今回もめちゃくちゃ面白い。声出して笑う。オタクが大げさに言ってるんじゃなくて本当に声が出る。そんぐらい面白い文章を書く人。そしてとても優しい。

 

和歌山に行くのは3日ということだったので、2日は宿泊先とその前の予定の場所に近い天下茶屋を散策しましょうと私から提案した。とはいえ、あんまり詳しくもなかった。まあでもなんとかなるやろと思っていた。ただ、2日は日本列島全国的にどえらい雨が降った。まず、新幹線が動いてなかった。そしてJR宝塚線も止まりやがった。おまけに、阪急宝塚線まで人身事故で止まって、それでも今津線という手段のある宝塚駅前民の私は、大阪方面に西宮北口経由でなんとかたどり着くことができた。

そして、おたがいに想定外の時間はかかったものの、天下茶屋で無事落ち合うことができたのだった。

 

天下茶屋に着いてまず、スマホの地図の見方を間違えていた私は、画面を上下左右ひっくり返して、あっちですね、と言いながら自信満々に反対方向に歩こうとしていた。まじで私って無能の鷹っぽいよな、と思う。

 

あと、雨は止んだけど荒天だったので外が思いのほか暗く、あんまりおもしろい所を案内出来ないかも、と申し訳なく思った。でも、夜のアーケードの光も、それなりに良かった。


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そして、歩いていたらめっちゃ良い感じの喫茶店をみつけた。天下茶屋の飲食店をググった時になんとなく名前を憶えてたのだが、この方向音痴の私がその位置までを覚えていたはずもなく、ただ商店街の先の暗い路地を歩いていたらパッと現れた感じだった。で、ここに入りましょうか、ということになった。


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そのあとは色んなお話をした。ヤスノリさんには、今月応募した小説2作品のうち一つを読んでもらっており、感想をいただいたりした。とてもありがたかった。

 

そして何気ない会話の中で

 

「ししゃもさんは、以前よく喫茶店めぐりしてましたよね」と言われた。

 

何故か私はそれが「恥ずかしい」と、思ってしまったのだ。

 

多分それは、ここ最近私が勝手に「街歩き界隈」というものに抱いている違和感に由来するものだと思った。あくまでも、勝手に私だけが感じているだけの感情である。

 

ただ、何度か呟いたこともあるが「するためにする」ことに対する拒否感が、近頃はめっきり自分の中で強くなっているのは確かだった。

例えば私は合コンって行ったこと無くて、恋は気付いたら落ちてるもので、するためにするものじゃないと思ってるしそういうのドキドキとかときめきがないから嫌なのです。

茶店に行ったことを呟くために、喫茶店に行く。呟くために写真を撮って、マスターやママとコミュニケーションする。全部あとでみんなに向けて発信するため。

勿論そういう人がいてもいいし好きにやればいい。むしろそれに対して変な自意識をこじらせている私のほうが痛いとさえ思う。思うのだが。なんかもう、最近そういうの、しんどいな、って思うようになった。

写真を誰にも見せなくても、本当にその場所に行きたいと思えるかどうか、ときめきとか、めぐりあわせ。それを基準にしたほうが真人間のような気がして。で、喫茶店巡り。してた。初めは珈琲が好きで。でも途中から誰かに見せることを意識し始めた。それがとても嫌だった。その私の不純さを見抜かれたみたいな気がして勝手にまた恥ずかしくなっていた。

と、ここまで書いてもう徹頭徹尾自意識過剰だと思う。気にしすぎ。そう。

 

ただ、今回ヤスノリさんもまた同じようなことを言ってたのだった。街歩きについて、「昔は写真を撮って、これにはこういう文言を添えよう、って思ったりしていたのです。でもそれって、最近、なんか不純な気がしてきたのです」

というようなことを言われた。それをきいて、あーおんなじだ、と思ったのだった。

ここらへんの感覚が、同じ人は、ヤスノリさんだけじゃなくて他にも友達にいるのだけど、みんな総じてSNSの更新頻度が減って、意識して内向きなことを呟くようになった。

 

ただこれはあくまで私と私の仲良しの数人だけの話で、世間では今日もまた私はこんなすごい場所に行きましたという投稿が溢れているしそういうのを否定するつもりはない。

 

ただ一つ、私個人的にとても嫌だなと思ったのは、ある人が旅を通じて感じた能登への愛をえらく大げさに語りながら(その人のポストを「能登」で検索したら、めっちゃでてきた)、能登の豪雨災害の時一切その地を気遣う言葉が出なかったことである。彼は普段から能登の人々の「生活」に敬意を感じ、能登に愛情をもっているから旅するのだ、と講釈を垂れ流していた。しかしその何気ない人たちの「生活」が、地震のみならず豪雨でとどめをさされ、酷い有様というとき、そのひとずーっと自分のことばかり呟いていた。なんか資格試験でアカウント消すとか。父もその資格とってたけどそんな騒いでなかったよ…まあいいや。

 

なぜわたしがここまで能登のことで熱くなってしまったかというと、自分の勤め先の社長が私財を削って能登に様々な援助をしていることを知ったからだ。ちなみにガサツで体育会系の社長は旅愁溢れる能登愛をSNSで語ったりもしていないしそもそも関西の人間なのでそこまで能登という土地と付き合いもない。だけど、この度重なる災害には、行動を起こさずにいられなかった人だ。

 

もしかしたら私がしらないところで、件のSNSの男性も能登に募金ぐらいはしているのかもしれない、が、違うのだ。募金しろとかじゃなくてね。「言葉」よ。

あんたらが旅の美しさを説くその時まさに「生活」さえもままならなくなっている人が、かつてあんたが尊いと絶賛したその地で、その日常さえなくして必死で生きている人がいて、出てくる言葉がそれかよ?ってなったのです。一言も心配とかないし、配慮してたらそんな自分の話ばっかりするもんなん?普段の土地への敬意とかって、嘘やん、と思って。結局自分のいいねのためだけに他人の住んでるところ撮って公開してるやん。めっちゃしょうもないなって思った、私は。

他人とは違った自分をお手軽に演出できるのが鄙びた商店街や木造旅館、チェーン店ではない飲食店、人々の生活を感じる古い町並み……まあええと思う、ええねんけど、もはやその楽しみ方、あなたらがさんざん馬鹿にしてるインスタ女子と変わりませんやん。変わらんくせに自分のこと高尚な趣味人やと思ってる。そういうの思い始めたら、もう無理ってなった。

 

ほんでも、ええ写真とるなあ、この人の写真すきやなという人はおるし、私自身やっぱり古い旅館や風景も好き。そもそも子供の頃から写ルンですで御所の町並みのホーロー看板を撮り集めていたぐらい、そういう嗜好は大いにある。それにまだ見ぬ美しい日本の景色をこの目で見たい気持ちも大いにある。とはいえその出力の仕方は、少なくとも自分の中では誰かに恥じないものにしたいなと思った。こんなん書いてて、私自身だってどっかの誰かになんかの投稿が理由でえらい嫌われてるんやろなとも思う。

終の棲家

今週のお題 #ペットを飼うこと 

 

今から3年前、10月だというのにまだ暑い日が続いていた時期に、和歌山市で起こった大規模な断水騒動を、殆どの人はもう覚えていないだろう。というかそもそも当時リアルタイムでさえ、そのニュースはそこまで大きく報道もされていなっかったと記憶している。

 それは2021年10月3日のことである。和歌山市内を流れる紀の川に架かる六十谷水管橋が崩落し、約六万世帯、おそよ13万8000人もの人々が、約一週間断水を余儀なくされた。
 なんだ6、7日間程度で済んで良かったじゃないか、そう思う人もいるかもしれないし、実際当時は地元の人以外このことに関心を持っている人は少なかった。
 ツイッターを見ても、断水を心配する他府県の人々の声は殆ど無かった。なにせ、そこまで詳細な報道もされていなかったからだ。世間の反応は「へえ、水がでないのね気の毒ね」ぐらいのものだった。両親が和歌山市のまさに断水地域で暮らしていたので、私はそれが歯がゆかったが、仕方ないとも思った。現地の人がどれほどの苦悩の中にいるかは、知る機会が無い・情報が少ないことには誰にも意識されないのだ。


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 結果的に断水期間は地域差があるものの7日間であったが、当初は全く復旧の目処が立たず、和歌山市紀ノ川北部の住民達は出口の見えない絶望的な日々を過ごしていた。
 水が出ない、ということは、単に飲み水が無いというだけの話にはとどまらない。トイレ風呂もそうだし、普段意識はしていないが、我々は生活する中で必ず何度も手を洗うし細々と水道を使う。そういうちょっとした当たり前の行動全てが、突如何の予告も無く絶たれた、そんな出来事だった。

 

 おいおい、ちょっと待て。


 断水が苦しかったのはわかったが、おまえはさっきから何を語っているのだ?
 ここはペットについての激カワエピソードを披露すべき場所ではないか、という声が聞こえてきた。まあ焦らないで欲しい。もうすぐ実家の犬が出てくる。とびきり可愛いビーグルが。

 断水が始まり2日目、各自治体には和歌山市や周辺自治体から給水車が派遣されることとなる。人々は、タンクを持って、水をもらうために並んだ。

 

 その給水車がスタンバイする地点は、私の父親がいつも、実家で飼っているビーグルの「ビー」をを散歩させるコースにあった。
 ビーグルだからビー。なんて安直な名前。でもこの安直さが、のちに小さな奇跡を生むこととなった。
 
 断水から4日目の10月7日。
 その日も父がいつものようにビーを散歩させていると、見知らぬ夫婦がずっとこちらを見ているのに気がついた。

 どうしたんだろうな、と父が思っていると、ビーのほうも夫婦が気になったようで、彼等に向かって尻尾を振りながら擦り寄っていく。

 ビーはこういう時本当に勘が良い。自分を可愛いと言って愛でてくれる人間を即座に見抜いて、とぼけた顔でナデナデシテーと近寄るのだ。

 

 ビーが駆け寄るのを待ちわびたように、女性のほうが手を差し出した。
「この子、ほんまに人なつこいですね」

と、女性は嬉しそうに笑いながらビーの頭を撫でる。
「実は私たち夫婦も、長い間ビーグルを飼っていたのです。でも、15歳の誕生日の前日に、亡くなってしまいました。」男性のほうが、そう言った。
「そうだったのですね、それは寂しかったでしょう……」
 父はこう言いながら、いずれ来るビーとの別れがこの時胸をよぎったのかもしれない。

 

 実は、ビーが実家に来たのは、もう随分大きくなってからのこと。だいたい人間で言えば40代後半になったぐらいの成犬の時だ。中年のオッサンである。うちにくるまで、事情があり2度、違う飼い主の家を渡り歩いた。

 

 ビーグルの子犬は、それはそれは、狂おしいほど可愛い。
 生きたぬいぐるみのようである。しかし、うちの両親はその頃を知らない。
 知らないまま、ビーと暮らすと決めた。

 

私は、母親が
「ここの家をな、必ず、ビーの終の棲家にするねん。もうこれ以上、寂しい思いをさせへん」
そう力強く言ったことが、ずっと心に残っている。

 

 終の棲家に。それは、ペットという愛らしい家族を、愛玩するだけの存在ではなく、本当に最期まで一生をともにするという覚悟が滲んだ言葉だった。

 そして初めからオッサン犬だったビーの、まだ先とはいえ必ず訪れるその時を、この給水所の夫婦の話を聞いて、父が想像したとしても、なんら不思議はなかった。

 ビーのことを嬉しそうに撫でる奥さんを眺めながら、男性はこう続けた。
「それで、この給水所の近くで、ビーグルを散歩させてる男性がいると聞いて、K地区から、こちらのM地区に何度か来ていたのです。ビーグルを連れている人は少ないので……。」

 そうだったのですね、わざわざK地区から。それはそれは。うちのビーグルも老犬ですからね、面影も似ているかもしれないですね。
 父はそんな相づちをうちながら、何気なく
「そやな、ビー」と、満足そうに撫でられている愛犬の名前を呼んだ。

 

 その瞬間、夫婦は、一瞬はっと息をのんだ。それから二人で目を合わせると、泣き出してしまったのだ。
 驚く父に、男性は
「うちの子と、同じ名前なんです……!」と言った。
 ビーは、相変わらずとぼけた顔でナデナデシテシテと愛想を振りまいていた。

 10月なのに、暑い日だった。和歌山の給水所で起きた、小さな出来事。きっと都会の人は誰も覚えていない、片田舎の断水騒ぎの中で起きた、小さな小さな出会いの話。

 

***

 犬といると、こんなふうに色んな出会いが生まれるのだというのを、父を見ていると実感する。母は大きな病気をしたので、犬を連れて歩行するのが難しく、毎日の散歩は父の仕事だ。
 この散歩の中で、父は実に様々な人脈を広げた。所謂「いぬとも」というやつだ。
 父はビーとの散歩で、今日は●●さんのところのシュナイザーの●ちゃんに会って、とか、コーギーの△ちゃんがどうのとか、散歩途中に前を通るTさん宅が、家族そろってビーのことを可愛がってくれて、とか、相手が犬だったり人間だったり、とにかく交友関係が広がり、すごく楽しそうにしていることが増えた。LINEの内容ももっぱらビーと「いぬとも」の話。

 ビーの面白いところは、散歩中にどれだけ他の凶暴な犬に絡まれても、まっっっったく、微塵も動じないところ。うるせえなあ、とすら思っていない気の抜けた顔面で、まるで相手が見えていないような態度で平然としている。


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チワワなどの小型犬は結構な頻度で色んな相手にキャンキャン吠えまくるのだが、ビーはその存在を完全に無視する。この姿勢、スルースキルは人間の私も是非見習いたいと唸らされてしまう。

 ただ、自分への好意は見逃さない。この人はぼくのことナデナデしてくれる!と思ったら一直線、である。この嗅覚もまた、見習いたいなあと思う次第である。
 そうしてビーは持ち前の愛嬌で、気前の良いオッサン犬として、ご近所の人気者になっていった。


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 全然知らないどこかの家族連れが、道端で父に会うと「ビーちゃんのお父さん、こんにちは」と声を掛けてくれる。

 どこかの中学生が、遠くから大声でビーの名前を叫びながら笑顔で近寄ってくる。

 自宅から離れた道ですれ違った郵便屋さんに「今ビーちゃんのお散歩中ってことは、家は留守ですか?書留が一件あるんですけど」と話しかけられたこともある。

 父はもう、完全にあの街で、犬とセットで認識されており、気さくなビーグル爺さんになっていた。

 何度かブログに書いたことがあるのだが、私は長い間父との確執を感じてきたし、父は冷たい人間だと思わされることが多かった。私の生きづらさの根源は父の教育の失敗にある、と恨んだりもしていた。だから、今ここまで父が色んな人とビーを通じて仲良くなっているのには内心驚いていた。
 最近は、実家近所に住む私の同級生のNちゃんが、3歳の息子のゆうくんを連れてうちによく遊びに来ているという。ゆうくんのお目当てはもちろんビーである。
 Nちゃんとは同級生で家も近いから小学生までは仲良しだったが、中学校に入るとなんとなく疎遠になり、Nちゃんは私とは遊ばなくなった。そのNちゃんが、いまは私よりも頻繁に我が実家に来ては子供とビーと遊んでいる。父だけでなく、かくいう私もビーのおかげでまたNちゃんと話すようにもなった。ビーはいつも、嬉しそうに皆に愛嬌をふりまく。そこにいるだけで、人と人をつないでしまう。


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 人間はそう簡単には変われない、そんなことはわかっている。

 父は短期間で変わったわけではない。私が、今まで見えていなかった父の一面があったのかもしれないとも思う。それを気づかせてくれたのも、ビーなのだ。

 実家から帰る電車の窓から、見送りに来てくれた父とビーの姿を見た。人間のジジイと、犬のジジイのコンビである。

 父はこんなに小さかっただろうか。随分と年をとって見えた。終の棲家に。母の言葉を思い出し、少し泣きそうになりながら、私は手を振った。

 

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ハモニカ兎

 小川洋子の小説を読んだ。この世には面白い小説は数多あるし、次の展開が読めないとか、思わぬどんでん返しがあるとか、泣けるとか笑えるとか私もそういう刺激的な物語に胸が高鳴り、心が震えた経験は何度もある。
 さながら更級日記の少女がごとく、嬉しくいみじくて、夜昼これを見るよりうち始め、ドキドキしながら読書する楽しみ。早く先を知りたいのに、読み終わるのが勿体ないようなもどかしさ。

 実は小川洋子の小説は、私にとってはそういう「面白い」文章ではなかった。
 ただ、今まで読んだ文章の中で、一番綺麗だと思った。

 ずっとこの人の文字列の世界に浸っていたい、織りなされる言葉を追っていたい、ひたすらに心地良い文章を夢中で読んだ。
 サラサラと澄んだ水で、淀んだ脳みそを洗われているような感覚。こんな読書体験は初めてだった。

 例えば「冷めない紅茶」という作品。これは、中学生の少年が図書室の司書である年上の女性に恋心を抱き、やがてふたりは結婚し、その二人が当時を思い出しながら聞き手の主人公になれそめを語るシーン。

“「(中略)だから僕は彼女に近寄って、肩に手を触れたんだ。彼女を掌のなかで確かめたかったんだ」
「彼が触れてくれたとき、ことん、って鍵がはずれるような感じがしたわ。」
彼女は小さな声で言った。
あらかじめ用意され、磨き上げられたような会話だった。手作りのデザートがあり、紅茶の香りがあり、そして恋の始まりを記憶する鮮明な言葉がある、無傷な午後だった。”

 作中の言葉で表すと、儚い水彩画のような淡い色合いの恋。なんて清らかな表現だろう。自然と脳内の情景も、そのような映像が浮かぶ仕組みになっている、巧みな表現だなあと感嘆してしまうのだった。
 
 「完璧な紅茶」と「ダイヴィング・プール」についての感想はツイッターに書いたのでここでは省くが、完璧な~は、死と生の境目についての表現が白眉だった。ダイヴィング~は、私が苦手な話(子供が虐待される)なのにそれでも目が離せない、読みたくなってしまう恐ろしい作品だった。

 「帯同馬」は、読みながら神戸のポートライナーを思い浮かべた。同じところを行ったり来たりする生活をこんな風に“二つの行き止まりに守られた軌跡"というの、ため息が出た、ほんまに。美しすぎて。

 

 そして「ハモニカ兎」。
この話を喜劇と捉えるか、悲劇か。ほんまに人それぞれ違う感想を持つと思う、ここまで解釈の幅を感じさせる物語がまず凄いよ、凄すぎる。
 それで、私はこれとんでもないホラーだと感じたわけです、ラストの二頁ね、こわすぎやろ。
 あと、小説って、設定をなにもかも説明しなくて良いんよな、って小川洋子を読んでいて思う。
 この物語は「オリンピックまであと●日』っていう始まり方やから、読み始めは先の東京オリンピックのことかな、なんて思ってたけど読み進めるとどうも違う気がしてくる。その確証もない。どこの国の何時代の話なのか。
 書かれているのはオリンピック種目というが、なんだこの謎のスポーツは。私は、その競技の解説を読むうちに、全体の雰囲気がすこぶる不気味に思えてしまった。ただ、可笑しくもある。そもそも、ハモニカ兎ってなによ、って話なのよ。もはや地球の話ですらないのかもしれないし、優れた作品にはそんな解説は不要なのだ。優れた作品にだけ許されるふるまいなのかもしれない。これぞ、ゼロから有を産む才能か、と感嘆した。

 

 前まえからそうだっったとはいえ、ここ最近のツイッターは、目に入れると腐りそうなものが多く流れてくるようになった。前もおかしな人はいたけれど、体感で目にする頻度が変わった気がする。
 なんやろ、やっぱイーロンのせいなのかな、違う気もする。今までは小川洋子みたいな才能のある人だけに許されていた、物を書いて他人から反応を貰える、という特別な行いを、だれでも出来てしまうようになったことがあかんのやと思う。
 前にもツイートしたけど、SNSの一番の罪は「こんな(しょうもない)ことで怒るのか」という人を可視化したこと。それによって「こんな(程度の)(くだらない)ことで怒れば仲間達から評価される、不快さや怒りを表明することで報酬を得られる、と歪んだ学習をした人が大勢いる。
 だったらそれを見に行かなければいいのに見てしまう自分もあほだ。脳みそがどんどん鈍く濁っていく。そういう時、先ほど書いたように、小川洋子の文章を読むと、サラサラの水で私の饐えて酸敗した脳が生き返るきがする。