珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

よくわからないことで怒る人の週末

ツイッターであほみたいな数のいいねが付いた。1000をこえたぐらいで通知を切ったのでその後はあまり追えていないが何が起こったかざっくり書くと、1.9万をこえたあたりでアラビア語のリプがきた。友達が教えてくれた。


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そのあと、変な詩人がリプ欄に現れた。


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そして、なぜか知らん人に引用で「死ね」と書かれた。

知らない界隈のフォロワーが増えた。これは良かった。私はそもそも「界隈」という言葉が苦手である。

 

この土日、フォロワーさんと会った。去年JALのセールの時に飛行機だけ押さえておいたのだけど、直前まで実際行くかどうか迷っていた。子供のこともあり、なかなかそう簡単に私だけで泊まりがけのお出かけなんてできないのである。東京でお会いしたのは、私の本を買ってくれたかたで、以前からDMではやりとりがあった人達だ。

土曜日は東京、日曜日は横須賀へ。歩きながら、喫茶店で、沢山お話をした。でもまだ話足りないぐらいだ。


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その中で「ツイッターには“怒りのポイント”がよくわからない人が多い」という話題になった。

土曜日一緒に歩いたAさんは、もともと廃墟の写真を撮っていた人で(その廃墟の写真を撮るのも、Aさんは不法侵入にならないようにきちんと管理者を調べて連絡を取るなどしている)、そのうち街歩き界隈というところとも交流するようになったという。

私は多分この“街歩き界隈”というところに属する写真をよくツイートしているが、実は相互にその界隈の人が少ない。たまに相互アカウントのリプでのやりとりがTLに流れてくるのだが、会話の相手側にブロックされていることがある。あまりフォローバックしないので、そのことについて空リプで揶揄されたこともある。そこまで私なんかのフォロワー数とか誰にフォローされてるか、気になるんだ!と驚いた。私自身でさえあまり把握していないことなのに、そんなに赤の他人がやきもきするとは。暇なんやろな。

そもそも私の「ぱる」というアカウントは、性別もまったく別の私になって、短歌や散文を中心に呟く用で始めたものである。そのころフォローしてくださった文芸系の人はだいたいフォローバックした。元来喫茶店は好きなので、文章だけでなく次第にコーヒーの写真も増えた。喫茶店の写真は安易にいいいねがもらえるので正直嬉しかった。よく歩くので街並みも載せるようになった。そうして界隈でよく見るアカウントにフォローされ始めたが、全然フォロバしなかったら何人かはフォローをはずされていた。それでいいと思う。というか、私もまったく悪意もなくて、ましてお高くとまるつもりなど毛頭無く、でもそんなにたくさんの人たちをフォローしないのは、私の性格に由来する。

昔から、学校の教室でも、5人以上のグループになるのが苦手だった。運用しきれなくなる。誰に向かって話せばいいのかわからなくなる。人見知りではないのだが、大人数が苦手なのだ。ツイッターもおなじである。

 

だけど私は好きな人たちには話しかけたいし、あなたの話も沢山聞きたいし、私の話を聞いてほしい。だから心の内も赤裸々に吐露することは多い。心は露出狂。しかし内面を文字にするとどうしても女性らしさがでる。そういうちぐはぐさも気持ち悪いと感じる人もいるんだと思う。

ただ、冒頭の話に戻るがやはり「なぜそのことにそこまで怒るのか」みたいな出来事はツイッターには多い。そして“界隈”ごとにその怒りのポイントがある、というのもこの前Aさんと話してて再認識した。

Aさんの印象を書くと、まずツイッターに載せている写真がどれも素敵で儚げでもありながら自然の力強さも感じられる。そしてそこに添えられる言葉の美しさは毎回目を見張る。他にあんなクオリティを保持したまま言葉を綴れる人はなかなか居ないと思う。激しい言葉を使わないで、詩的な表現をする人。攻撃的なことを書いている場面は見たことがなく、いつも穏やか。この人はどこまでも温和だなと思っていた。けれど実際お会いすると実は毒も吐くのだというのを目の当たりにして、だからこそ普段出力される言葉の優しさの凄みがわかった。この人は毒がないのではなく、飲み込んでいるだけなのだ。



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とても綺麗な人だったけれど、幼少期から大変な苦労をされているお話をきいて、それでも世界を恨まずにいる、決して世界への呪詛を吐かない強さに畏敬の念を抱いた。ただ、ある人の話になった時、私なりに反論?があったのだけど、それをうまく伝えられなかった。あなたみたいに辛さを経験した人に向かって私が言えることはないのかもしれない、と口をつぐんでしまった。でもこれはよく考えたら失礼な理由だったかもしれない。

色々ぼかしすぎてわかりにくい話になってしまった。

 

で、冷静ぶってる私はといえば、これまた結局わけのわからないことで怒ってる人だと思う。何を見ても腹が立つ時もある。例えばフォントじゃないものをフォントという人、もうこれはデザイナーじゃないんだから、私はモリサワを毎日仕事で使う人間だけど、一般の人はそんなもんだよ仕方ないよと思うのだけど、その間違ったフォントへの認識のまま“#️⃣フォント”というタグまでつけているのを見た時は心の中で「それはフォントじゃねえ〜!」と叫んでしまう。心にだけ、その絶叫をとどめる。だからお願いだ、せめてそのタグをやめてくれ。

あと自分の主張を強くするために、実在するのかどうかさえわからない発言を用意し、「見えない何かと戦って」「勝手に他方を下げる」表現をする人が本当に嫌だ。


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2日目は横須賀を歩いた。ここでも私の本を買ってくれたかたとお会いした。馬堀から豊川稲荷、ドブ板通り、コースカ、汐入、三笠、遊郭跡、三崎街道を通って横須賀中央に戻った。ここを案内してくれたYさんは昔はツイートをしていたけれど今は殆どやらなくなった人で、そのSNSをやらなくなった理由もとてもよくわかるものだった。それは「インターネットになりたくないから」というものだった。SNSに支配されると、SNSに載せるための行動をするようになってしまう、それが嫌だということだった。Yさんは「バズ狙いというのはこの世でもっとも卑しい行為だ」と言った。

自分自身ではあまり呟かなくなったけれど、街歩き界隈の投稿などをよく見ている人だったので「ここは多分まだほとんど誰もTwitterに載せてなかったと思う」という場所に連れて行ってくれた。それが冒頭のあほみたいにいいねされた写真のビルである。


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私はなんだか申し訳なくなった。せっかく良いスポットを教えてくれたのに、それはとても楽しい時間だったのに、よくわからない人にまでその投稿が届き、挙句死ねとまで言われたことが。Yさんは笑いながら「バズり散らかしたね」と言ってくれたけれど。

でもこの日の思い出はそれだけじゃなくて、indigo la Endのロケ地にも行けたし、横須賀では他に2軒「撮影禁止」のお店に行ったのだ。そのお店の内装、食器、コーヒーの味…どれだけ素敵だったか。夢みたいなお時間だった。あの場所での出来事は、思い出の中だけにある。

 

あーそれでまた思い出したのが(なんだせっかく良い感じの話だったのにまた怒り始めたぞ私)、喫茶店SNSに載せるときに店名を載せるかとかそもそも写真を撮るかとかそういう話を東京でAさんとしたのだった。というのも、私が和歌山に住んでいる時から家族で何度か訪れている喫茶店についてある人が「店主のお爺さんはSNSの影響でお客さんが増えたら経営が大変だから、私は思慮深いので店名を敢えて載せずにいたのに店名を書く人がいる」と文句言うてるのを見たのよ。いやその店のじいさん、もうずっと昔からそんなんやしいつ開くかどうか地元民でもわからんような喫茶店やねんて。てかお前の店かよと。ほんでな、Aさんとも話したんやけど、東京の人でさえもうすでに名前も知ってる名建築の喫茶の名を今更隠してどうなるのだと。あとお前も写真は載せとるがな。ほんだらあんたは、店の爺さんに直接写真撮ってTwitterに載せてええか訊いてへんのかい。無許可で写真撮って載せてるのか。そこで許可を得たならその文句は見当違いやし、もしおじいが自ら「店に客がようけ来たらさばかれへんから載せんとってくれ」言うてるんやったら載せたらあかんと思うんよ。横須賀の店はそうやったから。ということで、最後ようわからんことで怒ったまま、終わります。こんなことでイライラしたりできるの、暇なんやろな。