珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

せんせいあのね

村田先生(仮名)、お元気ですか。

私があの女子校を卒業して、もう20年以上経ちます。今思い返しても、あの学校で過ごした日々は、あまりにも特殊でした。だって、女の子しか、その場所に存在しなかったのだから。細々したルールばかりで縛り付けられてとても窮屈で、和歌山で一番ダサいと評判だった制服は苦痛でしかなく、校風は古いし、全部最悪だったのに、毎日不思議なほど楽しかった記憶しかありません。

ルルドの泉のレプリカも、毎朝歌う聖歌312番も、そして先生のことも好きでした。

和歌山市の中心部に学校があったために運動場が狭く、体育の時は和歌山城まで行って動物園の中などでマラソンをするのも面白かったです。女の子たちは誰も真面目に走っておらず、ツキノワグマの檻などを見たりしながら行う授業は大変平和でした。新緑の5月、緑の葉っぱってこんなに綺麗なのだなと、目の前に広がる景色を見てふいに感動してしまったのも体育の授業中です。

まさか数百年後の女子高生達がここの場所でスクワットや50メートル走をするとは徳川吉宗も想像していなかったでしょう。

キリスト教系でとにかく校則が厳しく、制服は可愛くなくて、抑圧的で閉鎖的な空間。でも私たちの心は自由でした。

それは、あの場には私たちの外見を上から下までジロジロ見てジャッジしたり、暴力的に振る舞う男子が皆無だったから。女が時に残酷になったり邪悪な存在に豹変するのは、そのうしろに大抵の場合男が糸を引いてることが多いのです。全部男が悪いとか言いたいのではありません。ある一定の女は「男の目があるところで急に底意地が悪くなる」のです。

ともかく、表面上は清い学校でした。頭は良くはないけれど、育ちの良い女の子が多かった。私も卒業するまで処女でしたし、高一の時の合宿で夜寝る前に彼氏の話になった時も、経験済みだった子は2人しかいませんでした。もっとも、自己申告なので、実際はどうかはわかりませんが。

当時のクラスメイトで非処女だった2人のうちの一人は、ものすごく小柄でかわいらしい小学生みたいな子でした。私は合宿から帰って彼女がもうすでに彼氏とそいうことをしたらしい、というのを母親に報告しました。母は「あの!Tちゃんが?!」と心底驚いていました。

Tちゃんが教えてくれた初体験の話は私には衝撃でした。というのも当時はスマホもパソコンもない時代。性の知識を普通のちゃんとした女の子が得る機会は学校の保健体育の授業だけでした。なので、保健体育で習った知識はありました。二次性徴があり、男性器を女性器にいれるんやろ、それで精子がでてきて受精するんやろ。そのぐらいしってるわ、と思っていました。でもTちゃんによると、男の人は挿入したら中で動かすというのです。しかも、何十分もそんなことが続いたと。

私はほんとうにびっくりして、その話を聞いた時大笑いしたのです。長すぎやろ、と。

だって、入れたらピュってでて終わりやと思ってたから。そんなあほな、って、いやいや。学校の授業では男性のピストン運動について教えてくれないじゃないですか。なので、挿れたらおわり、5分もかからないものだと思っていたのです。Tちゃんの話を、ホラ吹きだと言わんばかりに私はゲラゲラ笑っていましたし、その場のみんなも笑いましたが、ひょっとしたら何も知らない私のことを嗤っていた子もいたかもしれません。そのぐらい私は、清らかで阿呆でした。

なので、卒業してから、Nちゃんに村田先生のその後のお話を聞いた時とても……とても、興奮しました。

先生は、校内のシスターと、不倫をしていたんですよね。

神に仕える純潔な存在であるはずのシスター。校内には何人かの修道女がいましたが、一番美人だったあの人と、先生が、そうう関係だったというのを、あとになって私たちは知りました。Nちゃんは、裏切られた、穢らわしいと不快感を露にしてその話を教えてくれました。私はそれでも村田先生が好きで、むしろもっと好きだとさえ思えてしまったことは彼女には言えませんでした。

その後私は10歳年下の妹が当時飼っていたオスのカブトムシの虫籠に、新しく買い足したメスを入れてみたら、オスのカブトムシがものすごい勃起をしてしまったことにショックをうけるという、その程度の性の知識を更新できないまま高校三年生になっていました。

そこから時は流れて、私ももう、あの時の私と違わない年齢の女の子を育てるお母さんになりました。りっぱなおばさんです。先生はずっと素敵なままなのかな。私、先生のしたことがそんなに悪いことなのか、わからないです。

そして私のしたことが、悪いことだとも、思えないのです。