夫の育った街は、山の上のニュータウン
この看板に描かれたのはこの街の未来
活気ある街
子供達はタンクに閉じ込められました
私は海辺の小さな街で育った
ここで一生、2人で石を探すだけの生活をして、死んでいきたいね、という話をした。
海の水は透明で澄んでいた。平安時代なら私も和歌など詠んでいただろうと思うぐらい美しかった。
人間誰しも、突然消えたくなることはある。
アカウントは、すぐに消してしまえる。
でも生活は続く。
私は小さな会社でデザイナーの真似事のような仕事をしている。
10年以上前働いていた新聞社で記者仕事の傍ら教え込まれたAdobe
illustratorの知識だけで、何の専門学校も出ていないのに、長期のブランクを経ていきなりこの仕事をやることになってしまった。
私のデザインは、ダサいと思う。
技術も未熟だ。知識はほぼない。
それでも、こんな私が今の会社で作ってきた印刷物や看板は、もうすでにこの街にいくつも出回るようになってしまった。
「illustratorさえ使えたら誰でもデザイナーを名乗れるんですよね」
とてもセンスの良いデザイナーの男の子がこんなことを言っていた。自分のことを言われたわけではないけれど、胸がちくりとした。
私が私を消して、数週間経つ。
今日は、成人式だった。
駅前で、何人もの、晴れやかな姿をした若者とすれ違った。
きらびやかな振り袖を誇らしげに着る女の子。スーツに着られているような、まだあどけない男の子。
今年、あの子ら全員のもとに届いた『成人式ハガキ』を、市から依頼されて作ったのは、この私だ。
地味で、何の華やかさもオシャレさも独創性もないデザイン。
しかし、市内全域、全ての20歳の若者全員に配布されるお祝いのカードでもあり、絶対にミスは許されない。何度も校正し、Tホテルの道順なんか書かなくても市民全員知ってるわと思いながらも細部まで丁寧に地図を作成した。
尊敬するデザイナーであり、子育て中のママとしては同志である、友人が昔こんなことを言っていた。
「○○さん(私のこと)が作ってるのは『生活』なんだね。それはとても大切なこと。」
彼女はミリオンセラーを叩き出した某ミュージシャンのCDジャケットをデザインした人である。まぶしくて仕方ない彼女の言葉を、私は心の中の額縁に入れている。
市の印刷物や、公立学校の卒業証書。
変な字間とフォント選び。そんなの、わかっている。
でもそれには何らかのクライアントの想いやこだわりが詰まっていて、それはとてもカッコ悪くて、ダサくて、でもそれを受けとる子らの人生の門出をそっと支えているのだ。
明日作るのはハローワークのポスターと税務署のチラシ、それから母子予防接種手帳表紙。
その他、何度もダメ出しをしてくるオバサンの服屋ショップカード。ガスホースについている施工責任者の銀色シール。自転車屋さん番号シール、和菓子の賞味期限が書かれた小さな紙切れ…
誰が作ってるのだろう、なんて、誰も考えたことのないようなものを、作る人間がいる。
誇りに思うなんてことを口にするのさえ、おこがましいと思う、そんな些細な仕事。
でも私は今日、この街の新成人達の姿を見て、今まで、誰かの「生活」を確かに作ってきたのだと思えた。
それが、とても、嬉しかった。