珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

さよならだけが人生だ

一昨日、祖母が亡くなった。

昨夜はお通夜で、今日は葬式だった。二親等以内の家族の葬儀がこの1ヶ月間で、実に二度目である。

亡くなる前日、和歌山市の病院で祖母に会えたのは幸いだった。看護師がさらりと「最期にお孫さんきてくれましたよ」と言ってのけたので、すこしショックを受けつつ、本当にそうなのだ、このご時世、面会はそう何度も許されない。会えるのはもう「その時」が目前に迫っている時だけなのだ。おばあちゃん、私やで、来たよ。話しかけたら、すこし視線に反応があった。もう自分からは話せなくなっていたけれど、それでも私と娘の呼びかけ(というか泣き声というか)に反応してくれて、うっすらと、涙を浮かべていた。

 

まともに会話が出来たのは、昨年のお正月が最後だった。

その日も私と妹、そして私の娘との久しぶりの再会を楽しみに待っていた祖母は、面会の日にちと時間が書かれた紙の切れ端をずっと握っていた。何日もまえから私達に会えるのをずっと待っていたという。

コロナ禍になってから、面会もままならなくなった私達。

祖母のことも日常の忙しさで片隅に追いやられ、正直忘れながら日々をすごしていた。

でもおばあちゃんは私達に会うのをずっと楽しみにしてくれていたんだなあ、と、その握りしめた紙切れをみて切なくなって泣いてしまったのを今も覚えている。

祖母はとても元気な人で、とにかくよく食べるのだ。食欲が凄まじい人だった。今日藤沢から来たいとこ達とそんな思い出話をした。

私達親族はとても仲が良いと思う。

 

でもそれは、かげで私の母が沢山いろんなことを耐えたからだというのも知っている。

 

祖母はとても明るく元気で素直な人だったけど、私の母の苦労も私は一番近くで見てきたと思う。

 

母は泣いていた。そして、誰より祖母を好きだった父の心の内を案じているのだというのもわかった。

 

亡くなる前日、私と娘を祖母に会わせたときも、あの日、とにかく私達を避けて部屋に一人で居た父が、部屋でどうしていたのかは、私も母もよくわかっていた。

 

私の親が死ぬときはどんなんだろう。私が死ぬときは。何年後だろう。娘はどうしているだろう。みんな幸せだといいな。

月が今日も綺麗だけど、冬のお葬式は寂しいからもう嫌だよ。