珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

サンポーでお世話になっているヤスノリさんがこの連休和歌山雑賀崎旅に来るということで、お時間をいただいて初日に天下茶屋でお茶することになった。ちなみに人様の病気をこんな風に言ってごめんなさいという文言を必ずつけるようにしているのだが、ヤスノリさんの書く入院日記は2年前の前回も今回もめちゃくちゃ面白い。声出して笑う。オタクが大げさに言ってるんじゃなくて本当に声が出る。そんぐらい面白い文章を書く人。そしてとても優しい。

 

和歌山に行くのは3日ということだったので、2日は宿泊先とその前の予定の場所に近い天下茶屋を散策しましょうと私から提案した。とはいえ、あんまり詳しくもなかった。まあでもなんとかなるやろと思っていた。ただ、2日は日本列島全国的にどえらい雨が降った。まず、新幹線が動いてなかった。そしてJR宝塚線も止まりやがった。おまけに、阪急宝塚線まで人身事故で止まって、それでも今津線という手段のある宝塚駅前民の私は、大阪方面に西宮北口経由でなんとかたどり着くことができた。

そして、おたがいに想定外の時間はかかったものの、天下茶屋で無事落ち合うことができたのだった。

 

天下茶屋に着いてまず、スマホの地図の見方を間違えていた私は、画面を上下左右ひっくり返して、あっちですね、と言いながら自信満々に反対方向に歩こうとしていた。まじで私って無能の鷹っぽいよな、と思う。

 

あと、雨は止んだけど荒天だったので外が思いのほか暗く、あんまりおもしろい所を案内出来ないかも、と申し訳なく思った。でも、夜のアーケードの光も、それなりに良かった。


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そして、歩いていたらめっちゃ良い感じの喫茶店をみつけた。天下茶屋の飲食店をググった時になんとなく名前を憶えてたのだが、この方向音痴の私がその位置までを覚えていたはずもなく、ただ商店街の先の暗い路地を歩いていたらパッと現れた感じだった。で、ここに入りましょうか、ということになった。


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そのあとは色んなお話をした。ヤスノリさんには、今月応募した小説2作品のうち一つを読んでもらっており、感想をいただいたりした。とてもありがたかった。

 

そして何気ない会話の中で

 

「ししゃもさんは、以前よく喫茶店めぐりしてましたよね」と言われた。

 

何故か私はそれが「恥ずかしい」と、思ってしまったのだ。

 

多分それは、ここ最近私が勝手に「街歩き界隈」というものに抱いている違和感に由来するものだと思った。あくまでも、勝手に私だけが感じているだけの感情である。

 

ただ、何度か呟いたこともあるが「するためにする」ことに対する拒否感が、近頃はめっきり自分の中で強くなっているのは確かだった。

例えば私は合コンって行ったこと無くて、恋は気付いたら落ちてるもので、するためにするものじゃないと思ってるしそういうのドキドキとかときめきがないから嫌なのです。

茶店に行ったことを呟くために、喫茶店に行く。呟くために写真を撮って、マスターやママとコミュニケーションする。全部あとでみんなに向けて発信するため。

勿論そういう人がいてもいいし好きにやればいい。むしろそれに対して変な自意識をこじらせている私のほうが痛いとさえ思う。思うのだが。なんかもう、最近そういうの、しんどいな、って思うようになった。

写真を誰にも見せなくても、本当にその場所に行きたいと思えるかどうか、ときめきとか、めぐりあわせ。それを基準にしたほうが真人間のような気がして。で、喫茶店巡り。してた。初めは珈琲が好きで。でも途中から誰かに見せることを意識し始めた。それがとても嫌だった。その私の不純さを見抜かれたみたいな気がして勝手にまた恥ずかしくなっていた。

と、ここまで書いてもう徹頭徹尾自意識過剰だと思う。気にしすぎ。そう。

 

ただ、今回ヤスノリさんもまた同じようなことを言ってたのだった。街歩きについて、「昔は写真を撮って、これにはこういう文言を添えよう、って思ったりしていたのです。でもそれって、最近、なんか不純な気がしてきたのです」

というようなことを言われた。それをきいて、あーおんなじだ、と思ったのだった。

ここらへんの感覚が、同じ人は、ヤスノリさんだけじゃなくて他にも友達にいるのだけど、みんな総じてSNSの更新頻度が減って、意識して内向きなことを呟くようになった。

 

ただこれはあくまで私と私の仲良しの数人だけの話で、世間では今日もまた私はこんなすごい場所に行きましたという投稿が溢れているしそういうのを否定するつもりはない。

 

ただ一つ、私個人的にとても嫌だなと思ったのは、ある人が旅を通じて感じた能登への愛をえらく大げさに語りながら(その人のポストを「能登」で検索したら、めっちゃでてきた)、能登の豪雨災害の時一切その地を気遣う言葉が出なかったことである。彼は普段から能登の人々の「生活」に敬意を感じ、能登に愛情をもっているから旅するのだ、と講釈を垂れ流していた。しかしその何気ない人たちの「生活」が、地震のみならず豪雨でとどめをさされ、酷い有様というとき、そのひとずーっと自分のことばかり呟いていた。なんか資格試験でアカウント消すとか。父もその資格とってたけどそんな騒いでなかったよ…まあいいや。

 

なぜわたしがここまで能登のことで熱くなってしまったかというと、自分の勤め先の社長が私財を削って能登に様々な援助をしていることを知ったからだ。ちなみにガサツで体育会系の社長は旅愁溢れる能登愛をSNSで語ったりもしていないしそもそも関西の人間なのでそこまで能登という土地と付き合いもない。だけど、この度重なる災害には、行動を起こさずにいられなかった人だ。

 

もしかしたら私がしらないところで、件のSNSの男性も能登に募金ぐらいはしているのかもしれない、が、違うのだ。募金しろとかじゃなくてね。「言葉」よ。

あんたらが旅の美しさを説くその時まさに「生活」さえもままならなくなっている人が、かつてあんたが尊いと絶賛したその地で、その日常さえなくして必死で生きている人がいて、出てくる言葉がそれかよ?ってなったのです。一言も心配とかないし、配慮してたらそんな自分の話ばっかりするもんなん?普段の土地への敬意とかって、嘘やん、と思って。結局自分のいいねのためだけに他人の住んでるところ撮って公開してるやん。めっちゃしょうもないなって思った、私は。

他人とは違った自分をお手軽に演出できるのが鄙びた商店街や木造旅館、チェーン店ではない飲食店、人々の生活を感じる古い町並み……まあええと思う、ええねんけど、もはやその楽しみ方、あなたらがさんざん馬鹿にしてるインスタ女子と変わりませんやん。変わらんくせに自分のこと高尚な趣味人やと思ってる。そういうの思い始めたら、もう無理ってなった。

 

ほんでも、ええ写真とるなあ、この人の写真すきやなという人はおるし、私自身やっぱり古い旅館や風景も好き。そもそも子供の頃から写ルンですで御所の町並みのホーロー看板を撮り集めていたぐらい、そういう嗜好は大いにある。それにまだ見ぬ美しい日本の景色をこの目で見たい気持ちも大いにある。とはいえその出力の仕方は、少なくとも自分の中では誰かに恥じないものにしたいなと思った。こんなん書いてて、私自身だってどっかの誰かになんかの投稿が理由でえらい嫌われてるんやろなとも思う。