珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

あいあむガッチャーイルこの腐敗した、みたいな

あの子を産むとき、こんな最悪の世の中に引きずり出してごめん、辛いことばかりの世界なのに、ごめん。でも、これだけは約束する。ママは全力で守るから、怖いことから絶対に守るから、だから出ておいで!
そう心で叫んでいた。最後のひとふんばり。彼女は産声をあげた。
聞こえるのは悲しいニュースだらけだし、私の人生も他人のそれも、きついことばかりだった。だから、産みながら既にごめん、と謝るほどに私はこの世にある程度失望して、失望しながら希望のかたまりみたいなあの子をズルンッと産んだ。あの幸せの瞬間に、ここまで後ろ向きなことを考えているのも珍しいと思う。とにかくあたたかい腹のなかからこんなクソみたいな世界にごめん、って謝る気持ちしかなかった。
そうして五年経った。あの子の暮らすこの世界はやはり辛く苦しく。震災もあった。取り敢えず、この先生きていても辛いことばかりであることは、全員同じ条件だと言えそうである。
そんな世界で、なんとかうまくやっていけるちからを与えるのが親の仕事であり。それは公文にいかせることなのかもしれない。はたまたバレエを習わせることなのかも?
しかしその前に、私が与えることが出来なくて既に失望してしまってるものであり、この世を生き抜くのに最も必用なちから、それがコミュニケーション能力であると思っている。これについては、もう、ほんと私がこんなんだから、ごめんね。
ただし、ひとつ大きな財産を娘にはあたえられたと自負している。それは、標準以上に可愛らしい、整った顔面である。女に産まれた限り、他にどんな才能や、ぎゃくに能力の欠如があろうとも、すべての条件を難なく突破する条件、それが女子の容姿である。
桐野夏生の「グロテスク」にも書かれていたテーマだが、美人な女はすべての階級を越えるのだ。
何が言いたいかと言うと、うちの子超絶美少女マジ天使ってことです。