14%増量しても明日は来る

「お月様が、普段より増量中なんよ、14%も!」

私がそう言うと、彼は、へえ、凄いやん、と軽く笑った。

そして、ディズニー映画の王子様がするような、とても健全な口づけをして、先に寝るわと寝室へ行ってしまった。

 

いつの頃からか、彼が私にしてくれるキスと、娘にするそれの、境目が無くなっていた。

とても優しくて、愛情深いキス。家族のキス。テレビでお茶の間に流れても気まずくならないような。

 

私は、パジャマのうえにローゲージのロングニットカーデを羽織り、更にその上からフォックスファー付のダウンを着こんだ。

 

今から、月を見に行くんだ。

 

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今日は日中はポカポカしていて、娘なんか半袖姿だったものだが、夜はとても肌寒かった。

外に一歩出て、ダウンコートをまだクリーニングに出してなくて良かったと心底思った。裏起毛のパジャマを着ていたのも正解だった。

 

今日、政府が緊急事態宣言を出した。

 

そんなん東京の話やろ、思ってたら、夕方スーパーで何故かパンの棚だけごっそり空になっているのを見て、途端に焦りが出てきてしまった。

せっかく外に出たんだから、コンビニに寄ってパンを買おうか。

そう思ってファミマに行ってみると、何のことはない、普通に菓子パンが陳列されていた。

それを見てすっかり安心した私は、結局なにも買わず店をあとにした。

 

せっかく、月が14%大きく見える夜なんだ。つまんねえパンなんか、買ってられるかよ。

 

とはいえ、昼頃までスーパームーンの話など知らなかった私。「お月様は、どっちに(どの方角)見えるん?」

そんな質問を友人にしてしまい、地球の自転や太陽の位置関係など、いちから丁寧に説明してもらった。友人は、バカな質問をした私をバカにするでもなく、わかりやすく教えてくれた。

 

私は小さい頃、この本が好きで、かなり読み込んでいたものだった。


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なのに、月がどこから現れてどこへ消えていくのか、さっぱり頭に入っていなかったのだった。

私がこの本で何度も読み返したページは、星座に纏わる神話や寓話のところだった。

挿し絵がものすごく古くさいな。
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今も頭に入っているのは、全くもって非科学的な、例えばオリオン座と蠍座は何故同じ季節の空にいないのかとか、そういう知識だけだ。

いつもより、大きく輝く月を見て、娘の将来や、自分のことを考えながら少し散歩した。

そして、少し前、こうして夜中に家を飛び出して人に会いに行ったことを思い出したりした。

その人が私についた一番の嘘は

「明日なんか、来ないから」

だったと思う。

 

明日仕事があるから、今からは…ちょっと難しいです、そう言った私へ放たれた、最大級の誘惑であり、偽りだった。

明日は、結局来てしまったのだから。

明日は来る。嫌でも来る。

 

自粛していても

スーパーの棚にパンがなくなっても

保菌していても発症してもしなくても、とにかく明日は、来てしまう。

だから私は、まず娘の明日を考えなくてはいけない。そして私の。

子供を持つことは、嫌でも、未来について考えることを一生放棄できないことを意味する。

愛情もなにもかも、色々形が変わるから、不安になるけれど、明日も、あしたのあしたも、笑っていられたらなと思う。
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携帯のカメラ、クソいなあ~

 

 

 

 

 

 

 

花粉症の、せいなのだけど、涙が止まらない。ベランダで洗濯物を干していたら涙が溢れてきて、まだ乾いていないバスタオルで顔を覆った。湿った布からは洗剤の香りがした。部屋に戻るまでに感情を整理しないと。笑顔に戻らないと。家族が寝静まるまで、1人で泣くことも許されない。私は、お母さんだからいつも笑顔でいなくては。

はやく花粉の季節が、過ぎ去ればいい。季節が、もっと、早く過ぎ去って、色んなことを終わらせてくれればいい。

ささやかな「生活」

夫の育った街は、山の上のニュータウンf:id:mikimiyamiki:20200107084808j:image

この看板に描かれたのはこの街の未来
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活気ある街

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子供達はタンクに閉じ込められました
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私は海辺の小さな街で育ったf:id:mikimiyamiki:20200107085336j:image


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ここで一生、2人で石を探すだけの生活をして、死んでいきたいね、という話をした。

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海の水は透明で澄んでいた。平安時代なら私も和歌など詠んでいただろうと思うぐらい美しかった。


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人間誰しも、突然消えたくなることはある。

アカウントは、すぐに消してしまえる。

でも生活は続く。

 

私は小さな会社でデザイナーの真似事のような仕事をしている。

10年以上前働いていた新聞社で記者仕事の傍ら教え込まれたAdobe

illustratorの知識だけで、何の専門学校も出ていないのに、長期のブランクを経ていきなりこの仕事をやることになってしまった。

 

私のデザインは、ダサいと思う。

技術も未熟だ。知識はほぼない。

 

それでも、こんな私が今の会社で作ってきた印刷物や看板は、もうすでにこの街にいくつも出回るようになってしまった。

 

illustratorさえ使えたら誰でもデザイナーを名乗れるんですよね」

 

とてもセンスの良いデザイナーの男の子がこんなことを言っていた。自分のことを言われたわけではないけれど、胸がちくりとした。



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私が私を消して、数週間経つ。

今日は、成人式だった。

駅前で、何人もの、晴れやかな姿をした若者とすれ違った。

 

きらびやかな振り袖を誇らしげに着る女の子。スーツに着られているような、まだあどけない男の子。

 

今年、あの子ら全員のもとに届いた『成人式ハガキ』を、市から依頼されて作ったのは、この私だ。

 

地味で、何の華やかさもオシャレさも独創性もないデザイン。

しかし、市内全域、全ての20歳の若者全員に配布されるお祝いのカードでもあり、絶対にミスは許されない。何度も校正し、Tホテルの道順なんか書かなくても市民全員知ってるわと思いながらも細部まで丁寧に地図を作成した。

 

尊敬するデザイナーであり、子育て中のママとしては同志である、友人が昔こんなことを言っていた。

 

「○○さん(私のこと)が作ってるのは『生活』なんだね。それはとても大切なこと。」

 

彼女はミリオンセラーを叩き出した某ミュージシャンのCDジャケットをデザインした人である。まぶしくて仕方ない彼女の言葉を、私は心の中の額縁に入れている。

 

市の印刷物や、公立学校の卒業証書。

変な字間とフォント選び。そんなの、わかっている。

 

でもそれには何らかのクライアントの想いやこだわりが詰まっていて、それはとてもカッコ悪くて、ダサくて、でもそれを受けとる子らの人生の門出をそっと支えているのだ。

 

明日作るのはハローワークのポスターと税務署のチラシ、それから母子予防接種手帳表紙。

 

その他、何度もダメ出しをしてくるオバサンの服屋ショップカード。ガスホースについている施工責任者の銀色シール。自転車屋さん番号シール、和菓子の賞味期限が書かれた小さな紙切れ…

 

誰が作ってるのだろう、なんて、誰も考えたことのないようなものを、作る人間がいる。

 

誇りに思うなんてことを口にするのさえ、おこがましいと思う、そんな些細な仕事。

 

でも私は今日、この街の新成人達の姿を見て、今まで、誰かの「生活」を確かに作ってきたのだと思えた。

 

それが、とても、嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

お母さんあのね

《家族ってなんだろう?展 パンフレット寄稿原稿》

 

 実家の母が、最近、携帯電話をスマートフォンに変えた。
 『ばあばのスマホ、イコール、あたしのスマホ』な私の娘こはる(8歳)は、さっそく母のスマホを私物化していた。

 こはるは、ばあばの携帯に保存されたいくつかのデータの中から、ひとつの動画を見つけた。
 そこには、母の母、つまり私の祖母が映っていた。

 祖母は、痴ほうの状態である。私を私だと認識してくれなくなって、もう随分経つ。
 そしてそれは、母に対しても同じで、母のことをもう、自分の娘だとは、分かっていない様子なのだった。

 私がこの状況で、救いであると感じているのは、祖母の呆け方に、一切の邪気がないことである。
 痴ほうと一言で言ってもその症状は様々で、人によっては、とても暴力的な人格になってしまうことがあるという。
 その点、私の祖母は、ただひたすらに無垢だった。
 「きょうは、あさから校長せんせいのお話を聞いた」と言っていたこともあった。この特別養護老人ホームにいる祖母は、一人の可愛らしい少女に戻っていた。祖母に会うと、小さな女の子と話しているような気持になった。
 そして、娘である私の母のことを「とてもしんせつな、やさしい、どこかのおばさん」と思っているようだった(母が自分でそう言っていた)。

 母は毎週、和歌山から奈良の特養(特別養護老人ホームの略)まで片道2時間かけて祖母の身の回りの世話などをしに行く。実は別の場所に祖父も入院しており、また、空き家状態の実家の手入れをしたりしなくてはならず、更に和歌山の家には足の不自由な父方祖母の介護があり、私の母一人が抱える負担の大きさを考えると、何故母ばかりがいつもこんなにしんどい思いをしているんだろうと思うし、本当に、少しでも私が何か力になれたら、と願うのだったが、母は私にも妹にも一切の手助けを求めないのだった。

 そんな母のスマホには、動画が保存されていた。
 おそらく誰にも見せることを想定していなかった、短い動画。
 こはるが、何のためらいもなく再生ボタンを押す。そこには、車いすに座る祖母が映し出されていた。
 「お母さん、きょうは、いい天気やね」
 姿は見えないが、撮影者である母の声が流れ出した。祖母の視線の焦点は、定まらない。
 「お母さん、きょうのご飯、美味しかったね」
 祖母は、その声に答えることもなく、カメラを見るということがそもそも理解できず、ずっとどこかを見ていた。
 「お母さん、あのね、わたし」
 母の、おそらく相手には届いていないメッセージの、一つ一つが、私の心を突き刺して、最後はまともに見ることが、出来なかった。
 知らず知らずに私は泣いていて、それを、こはるに見られて「ママどうして泣いてるん」と心配させてしまった。
 どうしてだろう、なぜか、泣いてしまったのだけど、でも、これは、不幸なことではないんだ、と私もわかっているのだ。
 祖母がいて、母が産まれ、だから私が存在し、そして私は、こはるを産んだ。私もこはるも、祖母と母からいっぱい愛された。
 いまこうして祖母は私たちを誰だか、いや自分を誰なのかすらわからなくなっているのかもしれないけれど、この状況は、きっと悲しいことではない、と思いたい。きっと、これは正しい老い方なんだ、人生の終え方なんだ、と思いたい。

 いずれ私の母も、私を娘とわからなくなる日が来るのかもしれない。そしてまた、私自身が、こはるのことを、わからなくなる時が来るのかもしれない。 けれどそれは、きっと悲劇ではないと私は思う。今まで積み重ねた愛と時間が確かなものならば、それが母と娘を繋ぐと思う。

 

*****


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という文章を、今年はじめの京都文フリで販売した「かぞくってなんだろう展パンフレット」に寄稿させていただきました。

 

まず「かぞくってなんだろう展」というのはなんぞやと言うと、こういう写真展で。

https://kazokuten.wordpress.com/

 

私は、ここで、キャプションデザインを担当しました。

 

その後、色々ありまして、goldheadさんの「薄い本」デザインをやらせていただくことになり、同じ京都文フリで二冊、これらの本のレイアウトとデザインを担当したのでした。

その時、かぞく展のほうには、文章も書かせていただきました。


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で、最近またその文章を改めてほめられたりして、まあ、平たく言うと、調子に乗ったので。転載しました。読んでください。イエイ。

 

 

 

 

平民金子さんのトークショーに行ってきた。

4月6日土曜日。神戸市垂水区の塩屋で行われた、平民金子さんと安田謙一さんによるトークイベントにいってきた。

 

ちなみに塩屋へは、昨年「かぞくってなんだろう?」展の取材で2度訪れたことがあるのだが、そのとき山陽本線のから見える海の美しさに心を完全に奪われてしまった。

 

特に須磨~塩屋間の眺めは絶景で、これをみるために絶対私は今回も進行方向左手の車窓に注目して乗車しよう、と心に決めていた。海に至るまでの町並み、アパートなんかの佇まいも素敵なのだ。

 

いたのだが、扉のところにしばらく立っていると、ちょうど目線のところに大きなシールで、制汗スプレーの宣伝だと思うのだが、デカデカと「ワキ汗!」という文字が書かれたそのステッカーが、どうにも目に飛び込んできて、目障りで仕方なかったので、途中からこの席に座った。

 

この眺めを妨げる宣伝は、神経を逆なでるので逆効果であると、企業広報には申し上げておきたい。
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塩屋駅からの眺め。

ここから、会場までの道順がわりとややこしいので、たどり着けるか心配だったのだが、平民金子さんの一連のツイートのおかげで迷うことなく会場に到着できた。

ご自身は「この執拗なまでの道中描写が本人の異常性を表しているようだ」などと仰っていたが、このツイートに助けられたお客さんは大勢いたと思った。

 

塩屋の町並みは、とても良い。

 会場のジャンクションカフェ。


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カフェの横には、これまた渋いたたずまいのアパートがあった。

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「ソルトインハイツ」という名前で、塩屋だからだろうけど、なんか、面白かった。しょっぱそう。

 

トークショーよりだいぶ早く着いたので、先に展示を拝見した。

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トークのとき「あれ完全に、ホラー映画のラストシーンで、主人公が最後扉開けて『ヒっ』てなるタイプの写真の貼り方した部屋ですよね」って安田さんが表現した部屋。

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今回、お二人のトークの間、私は授業を受ける予備校生のごとくずっとノートをとっていたので、はた目から見たらきもいことこの上なかったと思う。

いや、私もはじめはのんびりコーヒーとトークを楽しもう、とおもっていたのだけど、内容が、いちいち良すぎて、刺さってくるんだもん。

しかも私、すぐ忘れるから、これもう書いとかなしゃあないやん、と思って。

ほんでこうして今、1年数か月ぶりにブログを引っ張り出したのも、その内容を記録しておきたかったから。

とはいえもう1週間経って、またノートの私の字が汚くて、これほんま仕事用のボイスレコーダー起動したらよかったと思っている。

以下、汚いメモと記憶を辿ってトークの項目をかいつまんで書いていく

 

街歩きの文章執筆において心得ることは3つ

街歩きの文章で、平民金子さんが考える3つの柱は

  • 文体
  • 引き出し
  • 歴史

この3つなのだそうだ。

この話が、やはり元々地方新聞社で街歩き記事を担当し、今も時々お散歩記事のwebライティング

sanpoo.jp

をする身として、とても勉強になるというか、わかるなあ、と思った。

いや、私なんて、「わかるー」とか書けるほどのものではないし、平民金子さんと同じところに我が身を置くのは大変おこがましいこと重々承知ですが、ここはわからせてくださいよ、ほんとにわかったんだもん。

 

話を金子さんの街歩きに戻す。以下少し書き起こし

 

「自分がその街について書くにあたり、書き手がまずぶちあたる壁。それは、世の中のたいていの街のことは、もう書き尽くされているということ。

となると「なにを書くか、ではなくどう書くか」これが重要になってくる。そして、自分と、その対象になる街との歴史(関係性)も浅かったりすると、「文体」と「引き出し」で勝負することになる。そんななか「子供と散歩する」という方法を編み出した。これを「子連れ狼作戦」と呼ぶ。

子供と一緒に散歩すると、出来ないことも多いけど、出来ることも増える。

たとえば、子供をその空間に立たせると絶対どこでも写真を撮れる。職務質問されることもない。独身の頃は、一人でいるだけで当然のように職質された。オウムと間違えられて通報されたこともある。」

 

子連れ狼作戦と、金子さんは仰っていたが、私が「ごろごろ神戸」で一番好きな文章は、このページなのである。ツイッターにものせた。

 ぜひリンク先の新聞記事写真を読んでほしい。

子育て経験したひとは、泣いてしまうとおもう。

 

金子さんの子育て観というか子供に関して紡ぎだされる言葉って、イクメンとは一線を画していて、つまりそれは「母親の葛藤そのもの」やなあって、それを言語化してくれてるなあ、って私は思ったのだ。育児に積極的なパパ、というより、その目線は、育児にもがき苦しみながら、それでも子供をめっちゃ愛してる母親っていうか。

私の、自分の「母親」という立場にたいする考えとか苦しみはここにも書いたことがあるのだけど、

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

 

こういう、どっぷり育児に浸かってる感覚って、パパにはあまりなくて。それが悪いとか言ってるんじゃないし、世の中の忙しいパパが育児に参加できないのは個人の責任ではないからどうこうそれをいうつもりはないんだけど。

とにかく、金子さんのこの文章は、しびれたんだ、私。で、その子供という「引き出し」と「文体」で神戸という街を語るその手法、すごいと思って。

 

取材をしてしまうと、書けない

あとは、お店を書くときの、ライターの姿勢・スタンスについて。これも共感した。所謂「店に言うのか?言わないのか?問題」。いちいち共感してすいません、共感させてくださいよ。

 

神戸市広報「ごろごろ神戸」には、たくさんのお店が登場するんだけど、金子さんは、そのどれにも取材アポをとって「さあ、いまから取材しますよ」という書き方をしていないそうだ。

私も新聞を書いていた時には取材許可を得て書くのが普通だったのでわかるのだけど「取材をすると、書けないことがでてくる(金子さん)」のだ。そして、最もうなずいたのは「取材せずに書くことでその店との関係を『生活のなかに位置づけて書くことができる』」という金子さんの考え方。このニュアンスの違いは私も経験がある。

手前味噌だが、私がこの記事を書いた時、

sanpoo.jp

私は先方に取材しますよ、とは言わなかった。散歩の延長にふらっと立ち寄った感覚のまま、文章にしたかったのだ。

ただ、金子さんは取材をがっつりすることを悪いと言っているわけでは決してない。

 

それぞれのライターの、それぞれのスタンスがあるよね、というお話。

対象をリスペクトし、失礼なことを書かないというのは、どの立場でも同じなのあると仰っていた。

それから、常連のお客さんとその店がひっそり織りなしてきた空気を絶対壊さないようにしたいから、書かなかったお店もたくさんあるとのこと。

このへんの、金子さんの目線もすきやなあ、と思った。土足でずかずか入らないかんじの。

 

その他心に残った話の断片(カッコ内は私のひとりごと)

 

  • 我々が何かをネットに書くとき、その対象が古いものであると特に、「昔からここ好きやった」という人が、必ず現れる。気をつけろ。(おるおる、わかる!お前絶対すきちゃうかったやろ、ていう)

 

  • 甲南女子大の側道に挟まっていた男性。彼が捕まったときに言った「道になりたい」というのは名言だった。ザ・ブームが歌にしてそう(それ風になりたい、やん。しかしあの事件はすごかったな。側道に挟まってたら見つけられてもにげられへんし、変質者にしても女性にあまり害がないので、なんかこう、応援したくなる男性だった。道になりたい男)。

 

  • 神戸には「味のないカレー」を出す店がある。思えば昔のカレーはなんかこう、味がいまひとつ足りなくて、ソースをかけて完成、ということがあった。最近はカレールーも進化してしまって美味しくなったから、あの「味のないカレー」に遭遇することもめったになくなった。昨今めずらしくなった、そういう「味のない店」だけを集めた特集を書きたい(あったなあ、そういえば。私の子供のころもおばあちゃん家で食べるカレーは味がなかったわ)

 

 

  • 市からもらった原稿料はすべてお店への出費で消えてしまう。経費にはしないし、「税金をもらってるくせに」とかいう揶揄が一番嫌だったから、あえてそうした。(市の広報でここまで攻めた文章を書き続けたの、ほんとすごいなあと思う。まあ、批判する人もおるのかもな…そいつつまんねえ奴だな。)

 

  • これからも、「神戸」に飽きずにいられるか。いつまでも新鮮な気持ちで街を歩く書き手でいたい

 

こんな感じ。

会場にはお子さんが来ていて、金子さんが話す2時間近くの間もそのへんを歩いたりして、トークが終わるとパパにギュッと抱きついたりしていた。


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「ごろごろ神戸B面」に、サインをしていただいた。このB面がね、また、良いのよ。どれもこれも、ああ、読ませてくれて、ありがとうございます、と思う感じ。

天海祐希宝塚音楽学校を受験したとき、試験の担当教師が天海祐希の母親に向かって「お母さん、この子を産んでくださってありがとうございます」と言ったとか言わなかったとかやけど、私も思ったよ、B面読んで。金子さん、この文章を読ませてくださって、ありがとうございます、と。

神戸市の広報書いてる人が、アンパンマンミュージアムの話を大阪ミナミののぞき部屋に繋げていくなんて、思えへんやん。「あちらがわ」の話とか、センシティブなところもちゃんと、えぐくなく書いてて、ええなあ、この人、と思った。

 

 

この日購入した書籍のなかの「なnD6」という本に金子さんへのインタビューが掲載されているのだが、檀上遼さんが金子さんの現在を「ブログドリームを達成した男」と言っていた。

 

ほんとにそう、すごい成功者なんだとおもう。ブログを書いていて、公式に神戸市から声がかかって、本も出て、展覧会にトークショー。なんて華々しいのだ。ファビュラス。

でも、その記事の中でも、そして今回のトークのなかでも、金子さんは「ただの生活やからね」と言っていた。生活、そうそれは生活なのである。

 

私は宝塚歌劇が好きなのだが、生きることは、間抜けだなあ、美しくないなあ、と時々思う。例えばエリザベートという演目はどういうストーリーかというと、王妃エリザベートが、美しい死の化身トートに惹かれ、命を落とす悲劇である。死を美しく書くことは、簡単なのだ。醜いものが全部消えてくれるから。

いっぽう生とか、更に生活はどうだ。

全然美しくない。物語にならない。地味で汚くて面白くないことの連続である。死の化身トートなら銀色の長髪で歌うことも許されるが、「生活」の化身は歌っている暇などない。今日の献立、子供の学校の用意、検尿、通勤電車……生活のあらゆる要素が、美しく歌うことを許さない。

 

でも、それでも、そんな「生活」を、とことん書ける表現者がいるとしたら、それは本当に魅力的なことだと思ったのだ。そしてつまらないとおもっている日常で、私が見落としたなにか面白いもの、美しくないけど案外悪くもないなにかを、拾って言葉にしてくれる書き手、それが金子さんだと思った。

 

それでまあ、私は常々勝手に言ってるのだが「西の平民金子、東の黄金頭」だと思っていて、この東のほうのひともすごく良いと思うしトポフィリアにあふれているとおもうので、横浜市の誰か、黄金頭さんに声かけたらどうか。

 

今日は子供が昼までに帰ってくるので、デザインの仕事が繁忙期にも関わらず休みをとったのでこうして午前中はブログを書くことにした。

最近はまったく文章を書いていなかった。昨年はいくつかの媒体でライターをやってみて、少ししんどくなっていた。はてなブログ自体も、しんどくなっていた。また、ぼちぼち、やっていこうと思った。

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愛も無いのに触れないで。(でも愛があるなら、許して。 )

 世の中には、迂闊に語ってはいけない話題が幾つかあるとして、それは何だと思う? 

 

 まずよく言われるのは政治、そして宗教。政治に関しては、少しでも勉強不足であったり、また畑違いの人が語ろうものならば「浅い知識で政治を議論するな」「お前はそんなキャラではない」と揶揄されることがある。

 私は、誰にでも語るだけの権利はあると思うので、そういった批判は好きではない。知識のある者しか政治を語れない世の中は、健全ではないと思う。

 また、宗教について、これは政治とは異なる理由でタブーとされる。信仰の問題は、多くの差別ともつながるデリケートな話題である。

 

 ただ、政治と宗教は慎重に扱われるのに、その他の話題については、あまりにもザルなのではないか、と私は感じるのだ。

 

 例えば映画、音楽、美術……。それらを扱うブログは無数にある。そして、多くのブログ主がその対象になる作品に並々ならぬ愛をつづっている。それは良い。素晴らしい。

 

 しかし、だ。中には、映画評、美術展評と称しながら、愛の欠片も感じられない、例えば美術館のホームページを見ればわかるような、しょうもないオフィシャルな情報しか載せていないアフィリエイトブログとか、本当にちゃんと作品を理解して楽しんでいるの?と疑いたくなるような、そんなものもネット上には散見される。

 あとは、『これは地元民しか知らないレアな情報です!』などど謳いながら、その実、今日初めて関空に上陸シマシタヨ!という外国人でさえ知っているようなド定番スポットを、ツウの紹介する地元情報、として掲げている記事などにも同じようなわだかまりを感じる。

 

 お前がその程度のペラい知識と軽い気持ちで、金儲けブログのために語ろうとする映画とか、美術とか、小説、そして土地の情報なんかが、他の誰かにとっては、かけがえのない大切な「政治」であり「宗教」であることもあるのだよ、と思う

 

  それでも、その御堂筋線西田辺駅(※)より底の浅い愛情と、日本製のコンドームのごとく薄い知識で、対象を語りたいなら語るがよい。それも自由だ。

   だが、謙虚にいこう、そう思うのである。間違っても『地元民しか知らない激レア情報満載♪』などど看板を掲げないで欲しい。

 話はずれるが、平民金子さんが神戸市ホームページと普段のツイッターで紹介する神戸情報は本当に厚みがある。そして地元純度100%の素晴らしいものなので、神戸観光の際は、ぜひ金子さんのツイッターなどを参考にして欲しい。 

 えー。

 それでまあ、前置きというか、さんざん語ったのは自分への保険でして。

 

 あの、そろそろ「宝塚歌劇」について書かせていただいても、よろしいでしょうか……?

宝塚観劇には、腕が6本必要

 宝塚。オオ、TAKARAZUKA、我が憧れの美の郷。フォーエバー宝塚。これもまた、確実に、誰かにとっての宗教であり心の拠り所であることは間違いなく、生半可な想い、知識では語れない世界だと百も承知、そして私はまだまだヅカファンのペーペーであり、出直してこいと言われる内容になること必至なのですが、若輩者の自覚はございますので何卒穏便に……

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 言うても、阪急のホームページ見てわかるようなことは書かへん。みんながだいたい知ってるような基本的な宝塚とは?みたいなのも、もうええやろ。
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 私が宝塚を説明するとしたら、それは「少女漫画に出てきた憧れの王子様がいる世界」と表現する。小さい頃読んだ少女漫画、キラキラで、バラを背負て登場する、線の細い王子様達。

 おとなになるにつれ、そんな男性がいないことを思い知るのだが。そうい、いないと思っていた、あの美しい人たちが、ここにはいたのだ。
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  宝塚が2次元の実写化に強い所以はこのあたりにあるとおもう。

 存在自体が2.5次元的なのだ。
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 男役だけでなく、娘役たちの美しさにも、同じ女性としてウットリ見とれてしまう。

 その華やかさ、可憐さを初めて目の前で見たとき私は

「妖精って、この世に存在したのですね……」

と思ったものだった。近くで見た白くきめ細かい肌には、薄青く血管が透けていた。細く長い手足も、キチンと結われた髪も、うなじも、何ていうかお人形のようで、心臓がドキドキした。

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 私が今まで見たのはロミオとジュリエット、スカーレットピンパーネル、ベルサイユのばらエリザベート、相棒、ミー&マイガール、そして先日千秋楽を迎えたポーの一族、である。かなり王道、基本は一応抑えたかなというラインナップ。

 この中で個人的に一番楽曲が好きなのはベルばらとエリザベート。得に「ばらベルサイユ」と「闇が広がる」は歌詞を見ずに歌える。カラオケでも歌う。

 「やみがぁ広がぁる、この世のー、終わりがぁ近い」

と、ドへたくそな歌声で情感たっぷりに歌う私の姿は、他人が見たら恐怖映像で、それこそ見たものの心に闇が広がると思う。

 あとさらっと書いたけど相棒、これはあの右京さんが出てくるテレ朝相棒で、真飛聖さんが右京役でやってらしたのだけど、意外と相棒のあの曲って、歌劇に合っちゃうんですこれが。ダンディな右京さんのキャラも歌劇向きやし、おなじみ捜査一課の伊丹さんなんかもかっこいいの。「すっぎさっき、うきょうがああ♪」とかそんな歌詞もあって、文字にするとえー、なにそれ、だけど、見たらかっこいの。

 ストーリー的に、一番泣けるのはやっぱりベルばらかなあ私は。泣きポイントもいくつかあるのだけど、「アンドレ、お前、目がみえていないのか?!」のところ、毎回泣く。ちなみにベルばらは、宝塚大劇場で3回見ています。スカイステージの録画を入れると何回見たかわかんない。

全部の作品について語りたくなってきた、やめとこ。

 

やっと説明するよ 腕が6本いる理由

腕その1 オペラグラスを持つ手

オペラグラス、これは観劇の必需品である。この座席表をみてほしい。


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S席でも2階の場合が多々あり、そうなるとやはり肉眼だけでは物足りなく感じる。是非ともオペラグラス持参で。ちなみに先日ポーの一族を観劇した際に、実家の母が持ってきたのがこれ。


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でかいわ。

飛行機の管制官か。スナイパーか。

日本野鳥の会かよ…と思わず会場で待ち合わせた母の姿を見て言ってしまった。重いから、置いて帰るわ、と言ってその後押し付けられた。

腕その2 ハンカチを持つ手

 これは、作品に寄るかもしれない。絶対に泣ける作品と、始終痛快、楽しいストーリーなどもあり、様々ではある。しかし女の涙の理由は一つではない。あこがれの王子様と会えた感動で涙が駄々洩れることも十分予想される。観劇中のハンカチ、用意して損はないだろう。

腕その3と4 拍手する両手

 歌劇が始まると様々な場面で拍手をすることがある。スターが登場した時、歌が終わったとき、ショーのフィナーレ。手を叩きたいときはどんどん拍手しよう。

腕その5と6 祈る両手

 これが意外と観劇中一番いる腕になる。

 説明が難しいのだが、王子様を見たとき、両方の手の指を組み、自然と女子の腕はこの体制になっている。

要は手を祈りのポーズにしたいのだ。

 なぜ?しらん。知らんけどさ、憧れの美しい世界に見とれているとき、自然と気が付いたら腕はこうなってんのよ。神を崇める気持ちがあらわれるとき、人間は自然とこのポーズになるようにできているのかもしれない。

だが実際使える腕は限られている 

そう、そうなんよ。せやからもう、大変やねん、観劇やし感激やし涙拭かなあかんしオペラグラス見たいし拍手したいし祈りたいしあーもう、大変。そんなんです。

 
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 だいたい、世の中にこんなバラに囲まれて絵になる人類って、そうそう居ない。そんな人、おる?

  つまりここは非日常、この世であってこの世でない。別世界夢の国。日常につかれた方は、腕6本持って、覗いてみてはいかがでしょう。ちなみに立ち見の当日券は2000円からあります、意外と敷居低い!すぐ売り切れるけどな!

あと最後トイレの個室の数見て。
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何ヵ所かある女子トイレのこのズラッと並んだ便器の数よ。そりゃ混まないよね、スムーズに人が流れるよね、さすが。

 

 ちなみにこのブログ、初めは「超初心者による宝塚観劇ガイド」にしようかとおもたんやけど、やっぱ怖くなってやめました。そんな大それたこと、書けないや。浅っさーーい知識でドヤ顔できる度胸が私もほしいよー。

御堂筋線西田辺駅は、大阪市営地下鉄の駅の中で最も地表から浅い駅です。

今も彷徨う歩兵第五連隊の君へ

 チャンネルNecoで放送されていたドキュメンタリー八甲田山を見た。

 

 

 1977年の映画八甲田山は、私の祖父が好きで、VHSが実家にあったと思う。

 こちらの作品は、ドキュメンタリーなので、実際の生存者である小原忠三郎伍長ご本人の肉声録音や、銅像にもなった後藤伍長のご子息後藤信一さんへのインタビュー、地理、気候や人間工学など様々な観点の科学的な検証もふまえ、映画としての見せ場も多い傑作となっている。

 

 八甲田山雪中行軍遭難事件とは八甲田雪中行軍遭難事件 - Wikipedia世界最大級の山岳遭難事故でである。

 

 「こんな天候で登山したとかバカじゃねーの?雪山なめんな(笑)」

とか

 「指揮官が無能の一言だよ、判断力なさすぎ。初めの吹雪で引き返せよ」

 なんて声も多数ある。

 

 しかし、私はこれを無鉄砲な、単なる愚かな軍隊の失敗とは思えなかった。

 

引き返さなかった山口少佐は悪なのか

 この事件を語る時に、キーパーソンとなる人物それが山口少佐である。
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 もう一人、神成大尉という人物もこの兵を指揮する立場ではあったのだが、実質第五連隊の総責任者は山口だった。東京育ちで、雪山についての知識と経験は素人。

 そして彼が、この「賽の河原」(嫌な名前の河原である)で下した「訓練続行」の決断が、のちに199人の命を奪う遭難事故の引き金となるのだ。それは確かなことである。

 

 だったらやはり、山口少佐が悪いのではないか?そう思われるかもしれない

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  そのまま、引き返していたらどうなっていたか。

 おそらく吹雪にはあうものの、確実に199人もの死者をだすことはなかっただろう。

 賽の河原で初めの吹雪にあったとき、山口は少し迷った(という描写がある)。しかし、隊員の中にも続行を希望した者は多かった。

 

 「ここまできて、我々軍隊のメンツが立ちません」

 「こんなところで引き返したら、帝国ロシアと戦えるのでしょうか」

 「笑いものになるのはいやです」

 「困難を克服することこそが美徳」

そんな部下の声や、心の中のプレッシャーが山口にはのしかかった。

 

 日本男児なら、死を恐れるな。

 まだちょんまげ頭の侍社会から35年しか経っていないこの時代に、こう決断してしまうのが、そんなにおかしいことだろうか。非難されることなのだろうか。
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 実は、1902年のこの日の天候は、日本の観測史上いまだやぶられることのない、数世紀に一度の寒波が列島を襲った日でもあった。

 

 しかし、そんなことは、百数十年経たなければわからなかったことなのだ。

 もともと、この訓練は、気候の良い時なら半日でたどり着けるコースを歩くもので、最終目標も決して山頂などではなく、青山市街地から峠を越えた先にある田代温泉だったのだ。こんな近場で、おめおめと引き返して、恥をかくわけにはいかない……。猶更そう思ってしまうのも大いにうなずける。

 

 あの日がどれほど地獄だったのか、それは結局のところ、大勢が死ななくてはわかりえなかったことなのだ。

 

 

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  彼らは結果的に、その半日で行けそうな距離を、三日かけて歩き続けることになる。

 

 そのほとんどを、同じところをグルグルとまわり続けるていただけであったのは、なんと残酷なことか。

 隣に居る者の姿すら、完全に真っ白く塗りつぶされ何も見えない猛吹雪。顔を、皮膚を切り刻むように吹き付ける雪のつぶ。

 視覚感覚が失われた時、全ての人間が例外なくリングワンダリングという行動をとってしまうという実験結果がある。同じところを、ぐるぐる回る軌道を描くそうだ。

 

 そして寒さは人間の判断力を奪う。体温の低下は、たった2度で精神をむしばむ。


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  体感温度マイナス54度。この環境で、山口少佐も神成大尉も、意識障害が起こりかけていた。

 

「天は我々を見放した。先に死んだ者とともに我々もいこう…!」

 

 神成大尉のこの言葉で、ほぼ全員が絶望に崩れ落ちてゆくシーン。

 小原伍長の肉声とともに再現されるこの場面が、もっとも印象に残っている。
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 僅かに残っていた心の中の希望を絶たれた時、気力だけで立っていたその足は、力をなくすのだと思った。
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  そして彼らは救護班の幻覚を見る。援軍へ、ラッパを吹く。そのときのことを、小原さんはこう振り返る。
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いやな音。
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 もし、あなたがこの先、マイナス何十度の極寒のなか、ラッパを吹く機会があるとしたら、絶対に吹いてはいけない。

 

 金属製のラッパに息を吹き込んだ瞬間、唇が張り裂け、激痛にさいなまれる。このラッパを吹いていた兵士は、唇が凍傷になり、その後、亡くなるのだ。

 

 ここまでの地獄絵図を見て、まだ山口少佐が悪かったと思う人もいるのかもしれない。でも私は、到底そんな言葉を投げつけることができない。

 

 確かに彼の判断が多くの人々の死に結びついてしまった。しかし、彼が戻っていたところで、彼の悲劇は変わらなかったことも我々は容易に想像がつくのであった。

 

 責任者とは、本来、こういうものなのである。今回の件に関しては、本当に不運で気の毒なことであるが、山口少佐だけに焦点を絞ってみてみると、行くも地獄帰るも地獄であることは、もう初めから決まっていたのである。

 

「引き返した山口少佐」という英雄について考える

 私は、この映画を見て、この世にはきっと、無数の名もなき「引き返した英雄」があふれていたのだろうな、と気づいたのだった。

 つまり、賽の河原で計画中止の決断をした指揮官が、きっといるのだろうな、ということ。

 その英雄は、名を残すどころか、「腰抜け」だの「あの人が怖じ気づいたせいで、メンツがたたないよ」だの今も部下から言われているのかもしれない。誉められるよりも、その可能性のほうが高い。

 

 しかしそのひとが「前に進まない」「挑戦しない」というそれも一つの大きな勇気ある決断をしてくれたおかげで、助けられた何人もの人生、繋げられた多くの命があるのではないか、と思ったのだ。

 

 それは雪山だけでなく、会社組織かもしれないし、政治の場でも起こっているのかもしれない。どうか責任者以外の本当に名もない者は、その党首の勇気ある決断に泥を塗るようなことをしないで欲しいと思った。

 

 そして今もこの国のどこかで、日本男児らしく花と散ることを美徳とし、大事故へ突き進もうとする第五連隊もまた、いるんだろうなとも思った。

 

 何度も書くが、引き返さなかった山口少佐を私は貶めたいのではない。若干24,5歳の彼の苦悩を、誰が責められよう。なんとか助けられたその次の日、謎の死を遂げた彼のことを。

 彼がもし賽の河原を越えなかったとしても、部下の中には少佐の判断をあざ笑うものが出てきただろう。サムライとしての誇りはないのかと、責める者も出ただろう。

 

 頑張ることが大切。耐え忍ぶことが美しい。結果はどうあれ挑戦、努力することに意味がある、やる気さえあればなんとかなる……

 

 あの当時、あのとき、山口少佐の心を本当に追い詰めたものは、今現在もこの国に根深く残っていると、私は思っている。