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少女雑誌りぼん、そのグロテスクで残酷な世界

 桐野作品が大好きだ。

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

 うんこちんこまんこばっかり原文の発想がそもそも凄まじいが、その古事記の世界をこんなふうに桐野色に書き変えられるなんてすごい。

 

一番好きなのは、実際に起こった東電OL殺人事件をモチーフに書かれた、この作品「グロテスク」。

 

グロテスク

グロテスク

 

  もう、どれだけこの作品が好きかというと、好きすぎて、下手に感想文を書きたくないぐらい好き。

 

 だから、たまに他の誰かがこの本について感想を述べているのを読んだりすると、すごく嫉妬するのだ、私の方が、グロテスクを愛しているのに、先をこされた!ムキー、ぐやじい、じたばた!!と。

 だったら書けば良いのだが、もうどこからどう褒めていいかわからないぐらいの、傑作なのだもの、そう簡単にこの想いをアウトプットできない。

 そんなんだから、半端な感想文や、的外れな評を読むと、書き手に殺意すらわく。

よって、精神衛生の為にも、桐野作品について書かれたブログ等は読まないことにしている。それぐらい、私は、この小説そして桐野ワールドが大好きだ。

 

 大好き、なんだが。
「ハピネス」に関しては、全然期待していた物語とは違っていた。

 

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 多分これは、桐野先生ご自身が、一流作家になってしまっていて、(いやもうとっくの昔から一流でいらっしゃるのは重々承知しておりますが)普通の主婦としての感覚をもう失いつつあるからではないかな、と思った。
 
 具体的にどこがどう、とかじゃなく。ママ友同士の人間関係構築に対する考えそのものが、根本的に実際のそれとはズレているなと。ママ同士の繋がりが、あまりにもあっさりしているのである。
 
 あくまでも、私に限った話かもしれないが、もっと専業主婦ママ同士の繋がりは、良くも悪くも、濃い。
 
 だって、私達にはそれしか人間関係が無いのだから。
それしかないわけではないが、少なくともこのハピネスに出てくる母親達は、常に四人だけで行動している。まあこれはこれで、一般的なママ友関係に比べると極端に狭い輪であると言えるが。
 
 とにかくそんな狭くて濃くて、世間から閉ざされたママ同士の感情のもつれ合いは、桐野先生にはもう遠い昔のことであり、その生々しい感情はもう産まれないのだろう。
 
 それでも小説としては大変面白かったし、離婚をめぐる義実家とのやりとりでは泣かされるシーンも多かった。また、お互いの子供の知能や能力の違いを感じて焦る気持ちも、よくわかる。
 
さて。
 
 グロテスクの感想を書き始めたのだが、4000字ほど書いて、また全部消したりを繰り返している。
どうにも、思い入れが強すぎて、まとまらないのである。しかも感想ってったって、あなた、私がこれを読んだのって、結婚前、もう十数年以上も前なんですから。そんな昔の感想、覚えてないでしょって、普通はそうである。
 
 でも、成績優秀で、有名インフラ企業に見事入社したエリートであるにもかかわらず、“顔が美しくない”ばかりに、どんなに努力しても認められない苦悩。美しくない女から見た世界の歪み、その表現が、私の胸には、グサグサと突き刺さったまま、今も抜けていないのだった。
 
 私は、結婚相手を顔で選んだ。
 
 もちろん性格も合うし、一緒にいて楽しい。
でも、一番の決め手は彼の、その顔であった。
たまたま彼の実家が芦屋のお金持ちだったことは、本当にラッキーだったし、彼自身それなりに稼ぎの良いお仕事に就いてくれているのも大変有り難い。しかし、そんなことは全くもって二の次であった。とにかく、結婚相手に望む最重要事項は顔、だった。
 
 いや、イケメンだったとか、好みだとかそういう話ではない。
 
 もし彼が父親になった時、産まれてくる女の子は、絶対に可愛くなる。
 そう確信出来る顔だったのだ。
一切骨張っていないあどけない丸顔、色白の肌、蒙古襞のない大きな瞳、各パーツの配置バランス。完璧だ。女の子としては。
 
 一般的に女の子の顔、特に長女の顔は、父親に似ることが多い。
じゃあ息子が生まれたらどうすんだ、という話だが、私は超色黒の面長くっきり濃いパーツの男顔。体は痩せ形長身で、女としては残念なこの身体的特徴は、男の子に遺伝すればまあそこそこプラスにはなると思ったのだ。 
 
 
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 ここで唐突に少女雑誌りぼんの話をする。
81年うまれの私が、親に初めて漫画雑誌を買ってもらったのは「りぼん」で、その表紙はちびまる子ちゃんだった。

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 当時のりぼんは、ジャンプよりほんの少し早く黄金期に入っていたように思う。一条ゆかり先生がボスって感じで矢沢あい吉住渉池野恋水沢めぐみなんかが一番人気を競い、今や大御所のさくらももこはまだそこまでの地位はなかった。
 岡田あーみんと同枠の面白漫画家、という位置付けであったが、今二人がどれだけのレジェントになっているかを思うと当時のあーみん&ももこ合作企画なんかも感慨深い。ほかにも一人一人漫画家の名前を挙げたらきりがないほど、一冊のりぼんにこれだけの作家が集まっていたのか、という程に豪華な面子だった。
 
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 りぼんを読み始めた頃、「おおきくなったらすてきなおとこのこと、こいをするのだ、そしてさいごはちゅーするのだ」と思った。
 
 それが当然であり、お姉さんになれば、そうだな、小6ぐらいになれば、全員に、もれなくそんな機会が訪れると思っていた。
私の知る『お姉さんの世界』は、りぼんだけであり、りぼんに描かれたことが全てだったから。
 
 でも、女の子達は、だんだん気づいていく。自分の立ち位置というものに。
 
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 私の背は、いつだってどの男子よりも高く、また、同級生がどんどん女らしい丸みを帯びてゆくなか、私はガリガリに痩せていた。そしてとにかく色黒だった。りぼんに出てくる女の子の要素が、ひとつもなかったのだ。長々書いたが二文字で済む、つまり、ブス、だ。
 
 ブスのくせにそれに気付かず無邪気に可愛い女の子の振る舞いに憧れていた幼い私と、選ばれない女の子もいるのだ、自分はそっちの女の子だと気づいてしまった幼い私。
 
 どちらもかわいそうだけど、勘違いをしていた頃の、無邪気な自分の方を、一層今は哀れに思う。小学生の頃は、三つ編みをほどくと髪がフワフワになって、それがお姫様みたいだ、と自分では思っていたのだ、かわいそうな、真っ黒なかりんとうみたいな女の子。
 
 そんな私の顔をさらにブスにしていたのは、父親からの私に対する罵声とか存在を否定するような言葉や態度の数々だったと思う。もともとの表情に、内側からの卑屈さとか、自信のなさが加わり、だんだんと暗い顔だちになっていった。
 
 そして、具体的な疾患名は控えるが、かなり珍しい類いの皮膚疾患を、小学3、4年ごろ後天的に発症した。痣のようなものと想像してもらえればいい。少し前、海外のアパレルブランドモデルに、その病気の人が採用されて話題になった。紫外線の照射など、幾つかの治療法はあるものの、現在でもまだ、完治するまでの薬や医療機器は開発されていない。ファンデーションや、化粧でなんとか隠せるとか、そういうレベルのものではなかった。
 かなり珍しい病気なので、治療に関する需要が少なく、研究も進んでいないのではないかと思っている。(今までこの皮膚病を持った人と実生活で会ったことはないのだが、もし不用意に詳細な疾患名を書いて嫌な思いをする人がいたらいけないので、あえてそれは書かない。)
 
 「それ」は服で隠せない頬下半分から顎の広範囲に現れ、幼い同級生は、悪意無く「なんでそこだけそんなんなってるん」「変やね、キリンみたい」と言った。
子供は残酷な生き物だ。
 高学年になるとかなりその部分は大きくなり目立った。さすがに直接そのことについて話題にする友人もいなくなったが。
 
 外に出るとあからさまに私を見てくる人が増えた。人の視線が本気で怖くなった時期である。
 
 今も忘れられないが、電車に乗っているあいだじゅう、10数分、ずっと私のほうを、身体を捩ってまで、じっくりと観察してくるお婆さんがいた。
 
 珍しい生き物でも見るように、まじまじと、嫌な視線がずっと私に絡まりついて、それに囚われた私の身体はこわばり、動けなかった。そんな目に気づかない平気なふりをするのに、精一杯だった。耐えているのを悟られたくなかった。
 
 今なら思う。その場で泣けば良かったのに、と。
 
 泣き叫びながら、これがそんなに珍しいか、そんなに見たいか、と、ばばあを責め立てれば良かった。
 
 でも少女だった私は辛くて、家に帰って一人泣くことしかできなかった。母親に心配をかけないように注意しながら。
 
 可愛い女の子、フワフワして色白で丸くて、背が小さくてお人形みたいな子は、りぼんの主人公になれる。女の子の外見は、男の子のそれより、圧倒的な力を持つ。良い方向にも、また悪い方にも。桐野夏生のいう、ヒエラルキーをも飛び越える力。
 
 りぼんの主人公じゃない側に生まれた私は、それだけでも心を歪ませるに十分な素地が整っていた。そこへ、あの痣が心にもべたっと張り付いて、誰にも自分を見られたくなくて、本当に下を向いてばかりの数年間だった。比喩ではなく、物理的に、下を向けばなんとか少しは隠す事ができたから。もしそんなときでも親が私を否定するようなことばかり言わなかったら、もう少し上を向いて生きられたのだろうか。それは、わからない。
 
 不思議なのは、高校在学中に、その皮膚疾患の部分が、薄く小さくなったことである。とはいえ、今もそれが完全に消えたわけではないし、下ばかり向いてしまう癖も抜けないし、対面した人の視線が一瞬でも顎にいくともう逃げ出したくなるし、なるべく1年中タートルネックを着る生活はずっと何十年も変わらない。
 
 だからこそ思ってしまう、こういう考え方は健全ではないと知りながらも、女は外見なのだ、と。ルッキズムの呪いに、雁字絡めになっている。
 
 私は、母親としては本当に未熟で、子ども達を東大の理Ⅲへ入学させられるだけの度量もないし根性も無い。本当に、ダメな母だと自覚してそれでも毎日精一杯の愛情を娘に与えながら、もがくように必死に子育てをしている。

 

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 こんな不器用な母親ではあるが、ただ、ひとつ私が娘に与えられた財産。
 それは陶器のような白いなめらかな肌、そして誰もが可愛い、可愛いと口々に言ってくれるような顔立ちに生んだ事、つまり、私の要素ゼロの外見に産み落としたことだけは、彼女にとってこれから大きな生きる糧になるだろうと思っているのだ。とても歪んだ考えだとは思う。
 しかし、私の母としての仕事はもう、それで終わったようなものだと、思う事にしている。そうすれば、母親の負うべき責任と重圧を思う時、いくらか心は楽になるのであった。
 うちの子は、きっと「りぼん」も「なかよし」も、ずっと主人公の気持ちで読む事ができるだろう。お人形のように愛らしい我が子のきらきらした未来を思うと、自分のことにように嬉しく思う。
 私は、なんてグロテスクな、母親なのだろう。
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 

短歌かいたんか、書いたんや。

公園の 小さき花を 手にとって

「可愛い」と言う

きみがかわいい




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ニコイチで 包装された飴みたいに

甘く交じって 溶けて消えたい


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キスしてもいいですか?

なんて聞かないで

黙って奪って 欲しかったあの日

 

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育児に悩むママ必見! 読んだら確実に鬱になる本ベスト3だよ☆


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 育児、それはゴールの見えぬ戦いのような日々。

その戦いのなかで、どんだけズタボロになるか、個人差はかなりある。子どもの性格、親の性格。私個人の話をすれば、特に乳幼児の頃は、心と身体が我が子によってボッロボロにされた。子どもを産み落としたその日から、私は大切にされる妊婦という姫状態から、一気に母親という重要かつ地味、それでいてしんどい役割を負う事となった。

ブチブチッと切開された性器の傷は一ヶ月経っても完治しなかった。結果的に3年続いた夜中授乳による睡眠不足、乳腺炎の激痛と高熱、抜け毛。色々あるが、まず乳首。

「これ、もう戻らへんの?」

と、いまも夫には聞かれる。

うん、戻らないだろうね。うちの子が吸いやすいように、びろんびろんにカスタマイズされた乳首。

「ちょっと貸し出したら、えらいことなって返ってきたで。これ僕のんやのに……」

とか言われても。知らんがな、あんたの子やで。あとな、泣きたいのはこっちやでほんまに。

 

さて、今日は、そんな育児に翻弄されるママが、決して手にしてはいけない禁断の書をご紹介していきたい。まずはこちら。

 

マザーズ (新潮文庫)

マザーズ (新潮文庫)

 

 

金原ひとみの、ナチュラルにセレブママなのだなという普段の子育てぶりも読み取れて、面白い。それはもう嫌みとかでは本当になくて、この人はそういう環境で子育てしているのだろうし、有名作家なのだから当然のことだ。

 私がグサグサきた文章は以下。

 

201ページ

私は今日も一弥と離れられない。地獄という特権を与えられて喜べといわれている。涙も出ない。

 

205 自由を手に入れる自由を、私は出産したその瞬間に失ってしまったのかもしれない。

 

妊娠出産、それはおめでたいこと。

でも、喜べ喜べと言われるその特権は、実際“地獄”そのものなのである。

世の中の母親がその地獄を乗り越えるための、唯一の手段は「愛すること」のみである。

 

あとは、この小説で私が感情移入せずにはいられなかったのが、以下に登場する弥生ちゃんという女の子とその母親の描写。

 

 弥生は私と公園に行くといつも他の子どもを見ている。羨ましそうに見ている。いつも何をするにも私の判断を仰ごうと私の顔を盗み見て、自分から友達を作ろうとはしない。いつだったか、他の子どもたちが楽しそうに走り回るのを弥生がじっと立ち尽くして見つめ続けている後ろ姿を見た時、発狂しそうになった。あまりに痛々しくて、あまりに苛立たしくて、あまりに悲しくて、そういう弥生をあまりに受け入れがたくて、「ママとあそぼう」という一言すら口に出来ず強烈な憤慨に混乱し目をそらした。人見知りしない子に、無邪気な子に、活発な子になってもらいたいと思って赤ん坊の頃から色々なところに連れ回し、色々な人に会わせてきた。(中略)なぜ弥生だけが、「行動する」前に「考える」子になってしまったのか。(中略)弥生は私が幼かった頃にそっくりだ。(中略)自分がそうだったからこそよけいに、弥生の弱さが堪え難いのだろう。

 

 

わ、か、るー!!

そう、まさに、私の娘はこの弥生ちゃんにそっくりの、内気でおとなしい気の弱い女子だ。

よって、大声をだして公共施設で暴れ走り回る、他人様に迷惑をかけるなどの苦労を、私はしたことがない。

しかし、その反面、我が子の内気すぎる精神面に現在進行形で大変不安を抱えているのも事実であり、何より辛いのは、その気弱なおとなしい性格に、私自身を見ることなのだ。

はっきりいってうちの娘は私に外見は全然似ていない。どちらかといえば美少女な方だと思っている。親の欲目もある。けれど、子どもというのは、月齢の小さい頃は無条件に「可愛い」と言われるものだが、6歳もすぎると、残酷にもその回数は本来の容姿に左右されてくる。

そんななか、まちなかで見知らぬ人からいまだにかなりの頻度で「お人形みたいなぱっちりおめめだねえ」と褒められる我が子は、客観的に見てもきっと悪くない容姿なのだと思っている。

このように、外見こそ違う娘だが、内面は、特に私自身がコンプレックスに感じている気の弱いところなどがそっくりで、それを日常生活のふとした時に感じたりすると、我が子に過剰な自己投影をすることが危険だとわかりつつも、いたたまれない悲しみを感じることがあるのだ。

そう、本文を借りると発狂しそうなほどに、母として辛い。

 

そして、多くの親には読むのが苦しくなるであろう描写が、冒頭に書き写したもう一人の赤ちゃん一弥くんのエピソードである。

 

軽くネタバレすると、一弥くんは、まだ小さな小さな0歳児にして、母親から徐々に酷い虐待を受けるようになっていく。

ここらへんの、ごく普通の、子どもを愛していたはずの母親が、0歳児に翻弄され、疲弊し、どんどん自我が崩壊、あるときぶわあっと赤ちゃんにその凶行が向かうという心理描写は、一度でも赤ん坊を育て、苦しんだ事のある者なら、恐ろしくて仕方ないのではないだろうか。

確かに、自分は虐待しなかった。じゃあ、そのギリギリを踏ん張れた私たちの中にあったものって、一体?そう、自分を見つめ直し、ほんとうに紙一重なのかもな、と思ってしまった私は、自分自身にヒヤリとしたものだった。

 

娘が特に小さい頃は、まるで、世界一可愛いヤクザに、自分の生活と心と体をむちゃくちゃにされている、そんな日々だった。

 

 

母性 (新潮文庫)

母性 (新潮文庫)

 

つづいて、こちら。大好き湊かなえ先生。来月サイン会いくねん〜。     

 

栄養に気を気を配り、休養をしっかり取る。適度に散歩をし、クラシック音楽を聴いたり、詩を朗読したりする。リルケの詩を暗唱できるよううになるごとに、情緒豊かな感性を送り込んでいるような気分になり、お腹の中の生き物を大切に育てるという行為は、絵を描いたり、花を育てたりすることに似ていると思いました。

 

 

リルケの詩を愛し、美しい庭にはバラが咲く。

妻が、「お前の魂に私の魂が触れないように 私はそれをどう支えあう?」

とつぶやけば、庭でカンバスに向かい絵を描く夫は

「ああ 私はそれを暗闇の なにか失われたものの側にしまって置きたい お前の深い心がゆらいでも ゆるがない 或る見知らぬ 静かな場所に」

と、あとに続く。絵と詩とギターを愛する、嘘みたいに麗しい両親の思い出。

 こんな絵画のような家庭。だけど潔癖で完璧すぎる母親の子育ては、相当歪んでいた……。

 

そして、途中出てくる以下の文章、これにがーんとやられる母親、多いんじゃないだろうか。いや、違うな。母親だけじゃなくて、全人類、勘違いしてるんだよ、母性ってやつを。

 

母性、とは何なのだろう。隣の席の国語教師に辞書を借りて引いてみる。女性が、自分の生んだ子を守り育てようとする、母親としての本能的性質。食事もろくに与えず、子どもから金を奪ってパチンコに通う女にも、この性質が備わっているのだろうか。世間一般には、女、メスには、母性が備わっているのが当然のような扱いをされているが、本当にそうなのだろうか。そうではなく、母性など本来は存在せず、女を家庭に縛り付けるために、男が勝手に作り出し、神聖化させたまやかしの性質を表す言葉にすぎないのではないか。そのため、社会の中で生きて行くにあたり、体裁を取り繕おうとする人間は母性を意識して身につけようとし、取り繕おうとしない人間はそんな言葉の存在すら無視をする。母性は人間の性質として、生まれつき備わっているものではなく、学習によりあとから形成されていくものなのかもしれない。なのに、大多数の人たちが、最初から備わっているものと勘違いしているため、母性が無いと他者から指摘された母親は、学習能力ではなく人格を否定されたような錯覚に陥り、自分はそんな不完全な人間ではなく、間違いなく母性を持ち合わせているのだと証明するために必死になり、言葉で繕おうとする。

 

ストーリーも最高に面白くて、そして、最後は一応ハッピー?エンドなのだけれど、ものすごい暗い気持ちになる。主人公は、救われたのだろうか、いやこれからもずっと、親子の模索は続くのだろうな、そんな感じの終わり方。

 

母性って、結局なんよ?

 

余談ですが湊かなえさんって、あんなにスーパーベストセラー作家なのに淡路島に住んで、ママ友と子連れUSJ行きながらアトラクション待ち時間に文章を書いちゃうようなエピソードのある方で、なんか同じ兵庫県民ママとしても勝手に、ほんま勝手に、親近感覚えてしまっています。

 

 

でもね、色々あるなかで、これらと比べ物にならないほど、育児ノイローゼの業火へ、ガソリンをジャブジャブ注ぐような、危険な書物が世の中にはあるのですよ。

そんなに恐ろしい悪魔の本が、普通に書店で売られているのですよ……。皆様も見つけたら気を付けた方が良いです‼

 

それがこちら。

 

 

 出ましたドン、ひよこクラブ。

もう、私、子供が0~2歳ごろまでこれ講読していたけれど、ほんと、何度書いている内容に呪いをかけられたかわからない、辛い思い出しかない本なのだ。

 

で、ある日、付録の別冊含めば全部で20冊以上あったのかな、それらを、一気に捨てたのだった。

どかーんと。すごくスッキリした。

 

もう手元に一冊もないし、2017年版は読んだ事も無いので最新情報はわからないが、内容としては、離乳食のおすすめレシピ(いちいち人参なんか型抜きしてさ、そんな余裕ないし)、予防注射情報、産後ママのファッションやおすすめおむつ収納など。

そして、0ヶ月〜13ヶ月ぐらいまでの、各月齢ごとのモデル赤ちゃんの生活例が24時間スケジュールで毎号かなりのページ数をさいて細かく載せられている。これに、思い出しても涙がでそうなほど、私は追いつめられた。

 

だって、うちの子、何をするのも誰よりも遅かったのだもの。

 

例えば、はじめてのあんよ。これ、ひよこクラブではだいたい8ヶ月から1歳ぐらいの間に、みんな歩き始めると書いてあって(まあこれはひよこクラブだけが言ってるわけではなくて母子手帳にも書いてあるあくまで平均の話なんですが)それがうちの子は、1歳半まで全く歩かず。1歳を過ぎた頃、保健所から毎月呼び出され、子どもの発達チェックを受けた。

あんよの前には、おすわりも平均より数ヶ月も遅れており、もっというと、言葉も遅かった。本当に何もかもがゆっくりペースで。

で、この本は、そういうちょっと遅れている子の例が載っていないのだ。当然である、一般的ではないのだから。

しかし、そのことに私は打ちのめされた。毎月、毎月。

また、ここに書かれているような生活が出来なかった、と。母乳もなかなかやめられず(結果幼稚園入園してもしばらくおっぱい吸ってるようなおっぱい星人になったわけですが、そのおかげか笑えるほど健康な我が子、そのせいで私の乳首は以下略)でもおっぱいを早々と切り上げる親子の話は掲載されているし。思い返せば、わざわざ私のほうも、不安になるような記事ばかり選んで読んでいたとは思う。

 

どうしよう、私たち親子、どんどん取り残される……。毎日が、そんな焦りと後悔の日々。

 

そして出る結論は、いつも「ごめんね、私って、なんてダメなママだろうね。」

 

あなたがおすわりもあんよも遅くて、いつも泣いてばかりなのは、全部ママが、育て方、産み方が悪いんだよね、ごめんね。

こんなふうに私はいつも自分ばかりを責めていた。

 

これ、自分が小さいときに「お前が悪いお前があほやからや」と父親に毎日言われたことも原因として大きいかも知れない。

 

でも、私、子どもにどんだけ大声で泣きわめかれて毎晩寝られなくて、トイレさえもまともに行く時間もなく、乳房は何度も激痛を伴う乳腺炎になり高熱が出て、それでも寝ることもできず、日中は牛乳こぼされたりむちゃくちゃやられても、一切、怒りや苛立が子どもに向いた事が無かったのだ。

 
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これは育児日記。「ぼ」マークは母乳をあげた印。

今でもよくママ友に「ミキちゃん、ほんま優しいよなあ」っていわれるけれど、まだ子どもが小さいうちは、たいていの責任が母親にあると思っていて。

だから全然子どもには怒りをぶつけた事は無かった。もちろん夫にも。

 

そして、削られる睡眠時間、子どもの泣き声(ほんとよく泣く子だった。今もか)、体調不良、それらに追いつめられた私の極限のストレスは、全部自分へ向いた。

 

どうなったかというと、自分で自分の毛を抜き始めた。主に眉毛、あと頭髪も。授乳中、ずっと無心で、自分の毛を抜いている私の姿は、とても怖かっただろう。なので一時期は頭頂部薄くて眉の無い顔面をしていました。その他、変わった方法で自分の体をいためつけた時期があった。

 

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それぐらい、私が自分を追い込んでしまったのは、その理由は一つで、それは、我が子が、可愛くて愛おしすぎたから。

過去形ではない、愛おしすぎるから、だ。

 

私、まだ娘が6歳なのに、好きすぎて大切で、逆に子育てがしんどいのだ。もういっぱいいっぱいなのだ。

あと何年、私はこの愛に苦しまないといけないんだろう。

 

こんなに愛してしまうなんて、私は母親に向いていないと思う。

 

子どもなんてほんまはきっと勝手に育つのだ。もっと片手間に効率よく育成できるはずなんだ。

 

なのに、私は愛おしすぎて自分のすべてを捧げてしまい投げ出してしまう。トイレだって行きたきゃいけばよかったのに。幼い娘が泣くと、可哀想で、放っておけなくて、ずっと抱っこしていた。だって可愛いんだもの。

 

いまも毎日私は娘を撫で回し、キスをし、全身のにおいをかぎ、「ああ、可愛いよ、可愛いフンガフンガ」と恍惚の表情を浮かべたあと、好きよ、と言う。最低20回は好きだと言ってる。そしてこれも毎日の事なのだが

「ねえ、○○ちゃんは、どうしてそんなに可愛いの?誰の子どもなの?」

と聞く。ええ私です、うん、知ってるよアホやろ。でも、毎日確認したい。するとあきれながら娘は

「またその話かいな、ママが産んだんやろ、忘れたん?」

と、完全に残念な人間を見る目つきで私に言うのだ。そして私は

「あーそっかー、こんな天使を産んだのってママなんやねー、ママってすごおい!あははっ」と、親ばかというか完全にただのバカ発言をさんざっぱらやっている。狂気の沙汰である。毎日、毎日、飽きもせず。いや、リアル知人の前では絶対秘密だ、こんな醜態。

 

ただもう、私は子育てから逃げたい。この大切な我が子から、逃げたくなるのだ。私の生きる場所がここだけって思うと、苦しくて。

 

自分の命よりずっと大切な存在が出来ることって、凄く幸せだけど、ある意味めちゃめちゃ苦しくてこわいことなのだ。

私はもう、この子がいるかぎり、どんな問題からも、それは小さな子ども同士の人間関係の悩みから、年金問題、果ては地球環境への懸念まで、広範囲に渡る様々な目を背けたくなる事柄から、逃げられないのだ。

子供を持つということ、自分よりずっと大切な存在ができるということは、いちいち子どもに関わる事に傷ついて心を乱されながら、自分も泣きたい気持ちでいっぱいになりながら、生きること何だと思う。子供が幸せそうにしていないと、そのときの親の苦しみって強烈なもので。

 

笑顔も、悲しみも、全部倍以上のパワーでこちらに跳ね返ってくる。

この子を守るのは私の責任、それが私にできるのか。

もう少し、肩の力を抜いて、子どもを愛せたら良いのに。

 

でも、ですよ。私、母性って何?っていう湊かなえ先生の問い、あれには、わたしなりの、答えがあるのだ。

 

というのも、日々のちょっとした出来事から、娘の行動の細部に、他者への優しさと愛情を垣間見ることがあり、それは私から彼女に伝えたものであると、確信し、それこそを母性というのではないか?と思うのである。

 

例えば、娘には毎晩寝る前はおもちゃを全て片付けなさい、と指示している。しかし、娘は

「お人形達は箱に入れると窮屈だからここに寝かせてあげて良いでしょう」

と、机やらソファの上にお布団(タオル)を敷いて、ひとつひとつ、もとい、一人一人をきちんと寝かし付けてから自分も寝るのだ。

正直、こうされると部屋が片付かないし邪魔なのだが、全ての人形に布団をかけて寝かせられているそれらを、私は箱にしまう気にはなれないのである。

そして、そんな娘の優しさこそが、私自身の愛情が伝染した母性であると、考える。

 
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なーんて、自意識過剰だろうか。

私なんかが育てるより、よその賢いお母さんに育てられたほうが、よっぽど利口な子になるかもしれないな、とは、常に思っていることではある。

私にはあのママみたいに、この子を東大理Ⅲに入学させてやる根性と知恵は無い。

 

ただ、人間の子供がそこに寝ているだけなのに、めちゃくちゃ愛しくて可愛くて最高に幸せな気持ちにさせてくれるなんてことが、世の中にはあるのだ。我が子の寝顔がもたらす、この不思議な説明のつかない感覚、それは母性なのかな、と思った。 

 

最後に、いつもグズグズ泣いてばかりの乳幼児だった我が子に対してノイローゼ気味だった私を、更なる地獄の底まで突き落とした、実際言われた恐ろしい呪文をここに記しておきます。もちろん同じ文脈の言葉がひよこクラブにも書かれていた。それは

 

「ママが笑顔なら、赤ちゃんも笑顔になるはずだから」

 

私にはこの言葉が、「おまえが辛気くせえツラしてっからガキがギャンギャン泣きわめくんだろが、もっと楽しそうにしろや」に脳内で変換されて、「笑顔のないママでごめんな……」といつも思っていた。私の顔が暗いのは地顔なんですよっと。

 

ママ、こんな暗い顔やけど、あなたといると幸せやから、辛いことあってもいっしょうけんめい頑張るね。だから、明日も、嫌やろうけどキスさせてね、おやすみ。

 

※愛のままにわがままに、夜中の変なウルトラソウルテンションの勢いで日記を書いてしまったので、重複表現や表記のブレだらけ。

 

 

 

 

心の汚れた私よ、明日は水曜やで!


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「貴様がそう見えるなら、そうなのだろうな。しかしその答えは、お前の内なる精神が導きだしたもの。自分自身の心としっかり向き合え。一点の汚れもないと言えるか?」

 

NHKさんは、いつまでこのような問いを若いママ達に突き付け続けるのだろう、そう思っていた矢先。 

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news.yahoo.co.jp

だいすけお兄さんの引退もとい卒業。

それは、「かぞえてんぐ」さんの卒業を意味する。

かぞえてんぐさんについては、もうここでいちいち説明しない。知らない人は、とりあえずググってほしい。

Eテレおかあさんといっしょ」の中でも、それがどんなに狂ったコーナーで、ママ達の脳裏に、毎週鼻の先から何かを出しながらレフトハンドで昇天するかぞえてんぐさんが、どれほど衝撃的に印象付けられたかが、おわかり頂けると思う。

これが変な意味に見えていた私は、私の心が汚れていたからなのかもしれない。

世の中の、たいていのことは、自分の中で既に答えが用意されていて、その答えに合ったエビデンスだけを敢えて無意識に採用したりするものだ。

 

先日、平田オリザ原作の映画「さようなら」を見た。

sayonara-movie.com

阪大のマッドサイエンティストにしてgoldheadさんいわく「三大石黒の一人」石黒教授監修、本物のアンドロイドを使った話題作である。

人間とそっくりなロボット、レオナ。レオナは機械である。しかし、ここまで外見が人間に近く、しかもコミュニケーションをとることができる「機械」を相手に、私はどこまでレオナを機械とわりきることが出来るだろうか、と思いながら映画を見ていた。

 

例えば、主人公の外国人女性ターニャが、恋人とセックスをするときにレオナに別の部屋へ行って欲しいと指示するシーンがある。これはもう、ターニャがレオナを単なる機械以上に感じてしまっているという表れであると思ったし、もし私が同じ立場でも、そうしただろう。

「何か元気になれる詩を読んで」ターニャが頼めば、様々な知識のストックの中から、谷川俊太郎若山牧水、カールブッセの詩や短歌をレオナは優しく呟く。恋人が急に出て行ってしまったとき「彼、怒ったのかな」と聞くと「わかりません」という。レオナに何かを問えば、答えは返ってくる。

でもあるとき、ターニャとの会話の中で「私は自分の意思というものはありません。私が答えることは、すべてあなた(ターニャ)とのコミュニケーションのなかで蓄積されたものです」という。

それを聞いて、愕然とするターニャ。「ばかみたい。私、自分と喋っていただけじゃない」と。

 

答えはすでに用意されていたのだ、いつも、どんなときも、自分の心の中に。

 

それでも、人間は自分でも気付かなかった自分の考えに学んだり、励まされる事も多いにあるだろうとは思った。

そして、アンドロイドは、機械であり、決して心を持たない。持たないけれど、ラストのあのシーンに、どうしても意味を持たせたくなるのが人間という生き物であり、もしかしたら、本当に、ロボットが自分の意志で、心で、ああいう行動に出ることも、あるのかも知れないと思った。 あればいいな、と私は思った。

 

人は物から何か汲み出しているのではなく、自分の中から汲み出しているのだ。あるものに触発されて、自分の中で応じるものを自分で見出しているのだ。

ニーチェ/悦ばしき知識 より

 

あ、明日水曜やん、かぞえてんぐさんの出てくる日やで。朝はだいたい8時15分頃登場すんねんな。あれどうみてもチン

丸投げた物を拾ってもう一度丁寧に投げつけてみる。

id:cj3029412様とid:nyaaat

昨日は、不躾にも「丸投げ」を、えいやっと乱暴に丸投げてしまい、誠に申し訳ございませんでした。唐突にもほどがある丸投げっぷりであると我が身を反省しております。あのままでは、選考するにしてもid:goldheadさんのどの文章を選べば良いのか、困惑させてしまったことと存じます。

 

なので、goldheadさんの記事をストーカーのごとく読み続けて約四年、過去13年分ほぼ全部読んでいる私なりに、好きなエントリーを、以下に選んでみました。

d.hatena.ne.jp

 

まずこちら。goldheadさんの日記には、たくさんの魅力的なノラ猫の写真や、ご実家で飼われている猫の話がでてきます。お酒の名前がつけられたノラちゃんの写真は美人猫ちゃんでしたよー。

そんななか、めずらしく犬について書かれているのがこのエピソード。タイトルの通り、結末は誰も救われません。とても悲しいです。なんで私一発目にこれまたわざわざ引っ張り出してきてしまったのだろう。そのせいで、またgoldheadさん暗い気持ちになってしまうかもしれないのに……。

でも、読むと辛くなるけど、好きなんです。自転車から見る景色の描写、次第に緊迫する状況、そしてラストの、この、どうしようもない感じ。辛い。好き。

 

続いてこちらです。

goldhead.hatenablog.com

 このブコメにも私書いたんですけど、goldheadさんて空っぽだから、綺麗で澄んだ言葉を書けるのかなと思って。文章の中に邪がないのは、あきらめなのか空っぽなのか優しさなのか達観なのか。

 

 

d.hatena.ne.jp

 

やっぱりあきらめなのかな。でも、goldheadさんって、世の中に絶望して胸に希死念慮を抱いてそれでも恨みや呪詛が他人に向かなくて全部自分に向かってかかえ込んでいるんですよ。ネットって、それこそ他人への攻撃、呪いだらけだと私は思っていて。余談ですけど、妊娠中は、胎教に悪いから私一切パソコン見ませんでしたもん。とにかく、そういう暗いドロドロの感情渦巻くネットの中で、ご自身が苦しみの中にいながら、吐き出す言葉が汚くないのがすごいなと。すごいけど、痛々しくもあります。そういう優しさみたいなものの「せいで」って言うとあかんかもしれないけど、優しいからこそ、生きづらいんだろうな、というのは色んなエントリーから伺い知れます。

 

 

d.hatena.ne.jp

 

少し私の嗜好がペシミスティックに走りましたので、 皆さん大好きなライフハック記事のおすすめを。

さすがプロブロガーgoldheadさんっす、まじぱねえっす、ブログセミナーとブログサロンで収益アップPVアップのあっっぷあっぷでうはうはザブーンっすね、そんな記事です。嘘です。

これからの季節、暖かくなってサイクリングで泥ネギを運びたい人、多いですよね。……多いですよ、ね? そこのニューヨーカーのあなた、参考にしてみて下さい。ところでブログセミナーって何やるんですか?よく知らないんですが、もしgoldheadさんがセミナーだかサロンだかやったら、けっこうな人数が集まると思います。みんな高野豆腐持参で。

 

d.hatena.ne.jp

これは、読む人によっては、もうこの上ない悲劇なのかもしれないし、私なんかは声だして笑いましたけど、ペロンとされた男性にしたら辛い出来事だったかも知れないし、私がひたすらgoldheadさんの文章は誰も傷つけないとか言ってもやっぱ傷つく人もいるかもしれないし、島倉千代子も「笑い話に涙がいっぱい」とか歌ってたし、もうなんか、人生いろいろですね。

 

d.hatena.ne.jp

 

最後に、これを選んでおきます。前の推薦文で、goldheadさんの死にたいという言葉が世の中の死にたい人たちの心にどれだけの救いをもたらすか、みたいなことを書きました。それぐらい、この方の文章といえばどちらかというと暗い方がそれらしかったりもするのかもしれません。でも、何気ない日常の、普通のファミレスでの一コマなんかを書いたとき、才能のある人の紡ぐ文章というのは、他の人には書けないような世界を表現することができるんだな、と思ったのがこの日記です。あの単なる緑色の不健康な液体を、ここまでポップな文体で書ききるところが、素直に感心してしまいます。

 

と、いくつか選んでみました。

他のgoldheadさんファンの方、延いてはご本人から、なんでそのチョイスにしたんだ、と怒られてしまうかもしれません。本当は、もっともっとたくさん推したい良い記事もあるのですが、ぱっと思い浮かんだのがこの6つでした。あまり考え込んでいては、id:cj3029412様とid:nyaaat様への丸投げ2投目が遅くなってしまってはいけないと思い、この辺にしておくことにしました。よろしければ、ベストエッセイ選考のご参考にしていただければ、と存じます。

そしてgoldheadさん、勝手にあーだこうだ言ってすいません。

 

 

ぼくのすいせんするさいきょうのぶろがー

id:cj3029412様。

dk4130523.hatenablog.com

この記事に関して、id:goldhead様を推薦させて頂きます。

 

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

以下は、上記ブログの続きであり、この新潮社R18文学賞云々は、goldheadさんを推す長ったらしい前振りであります。

 

 

ネットには、悪意、とにかく負の感情、人間の心に沈殿した澱のような、ヘドロみたいな部分だけが渦巻いていて、画面の向こうに漂う言葉は概ね醜いと私は思っている。


そんな淀んだ世界で、ただひたすら、淡々と、悪意なく、でも救いもない、そんなgoldheadさんのブログに、見沢知廉のネット記事を読みあさっていた4年前出合ったのだった。

ちなみに私がはてなブックマークツイッターを使い始めたのはごく最近で、以前はgoldheadさんのツイッターやブログのページをブラウザにひとつずつブックマークしていた。 


植物の話がたくさん出てきた。対象になる草花や虫などの生き物に対するひっそりとした愛情を感じとれた。 


だけど、こんなに優しい目線で自然界を切り取っておきながら、身も蓋もない、突き放すようなことを、goldheadさんは意地悪じゃなくてさらっと言ってしまうのだった。 悪意もないけど救いもなくて。でも愛と優しさも感じられる。
根底には底抜けの絶望と諦めがあるからこその、達観なのかもしれない。


今日の私を癒してくれるのは、何年前のgoldheadさんの言葉だろう。いつもそんな気持ちでブログを読んでいた。

1光年離れた星が1年前の輝きを現在の私に届けてくれるように、数年前にgoldheadさんから放たれた光は、今の私にいくつもの光をくれた。
バクーニン、ブランキ、クロポトキンブコウスキー大杉栄田村隆一空海……。他にも、私はgoldheadさんの文章を通して、様々な思想に出合えた。


それらは、明日を生きる英知に満ちた考察で、goldheadさんの視点を通して、私を励ました。

こんなにも力強い言葉を、偉人達の思想を噛み砕き、私のような小っさい脳ミソの者にもわかるように提供してくるのに、それなのに、当の本人であるgoldheadさんは、どうして自分の書いた言葉に救われてくれないんだろう?


ずっと、こぼれ落ちそうな希死念慮を抱き続けているgoldhadさんに、私は、歯がゆくなることもあった。

この世界はどうしてこんな優秀な、素敵な人が、こんなことを考えなくては生きていけないのか、普通に皆しあわせになれないのか?と思うことしか出来ず。

 

goldheadさんは、研ぎ澄まされた感性で、ものすごく絶望的なことを呟いたり日記に書いたりしていて、夢も希望もないのに透明感があるというか、その言葉の破壊力たるや。

私は、心配と同時に感心したり、感動したりもして、でも、やっぱり、出来たらそういうことはなるべく考えない生活であってほしいと願うばかりで。goldheadさんをこんな気持ちにさせるのは誰が悪いんや、政治家か、世間か、なんや責任者出てこい思ったり。

goldheadさんがこんな考え方に至るまでに、一体いままでどんな出来事があって、どんだけ傷ついたらこんな悲しいことを言う人になるのかと、とても辛くなった。

えらそうな事言うた私自身そもそも、たいがい毎日しんどくて、次に生まれ変わるなら心と脳みそと痛点の無い生き物が良いと常々思っていて、植物はすぐ枯らすし、なのに人間をひとり育てようとしていて、この我が娘がもう、誰に似たのか可愛くて狂おしいほど大切な存在だからもう人生から逃げることも出来なくて、いっぱいいっぱいで生きている。心配事のない世界はないのだろう、生きている限り。

それで、推薦しておいて何なのだが、もうgoldhadさんの書く絶望の言葉はできれば読まずにいられたら、とも、ひそかに願っている。

たとえその言葉が、この世に生きる他の絶望の中に居る人たちをどんなに勇気づけるものであったとしても、もうそんな文章をgoldheadさんが書かずにすめばいいのに、と願ってしまっているのも事実なのである。

 

id:cj3029412様、こんなかんじです。

そもそもgoldheadさんって2004年からずっとはてなで書いてはる、今更私が言及するまでもない有名人ですし、cj3029412様もよくご存知であると思います。

ほんで、そんだけ周知されるほど長い期間書き続けてんのに、全然ボロが出てないところがすごいなって思ってるんです。

 

ボロっていうのは、人を不快にさせたり、傷つけたりする文章を書いていない、ということです。

 

しかも、そんな飛び道具がないのに笑わせてくる。これって、テクニックとしてはすごいことです。

私もついついやりがちなのですが、どうしても人を面白がらせたいが為に、毒を多めに入れてしまう事があるんですよね。そういうのを積み重ねると、すごいいやなキャラクターが出来上がると思うのです。そういう「オモシロミ」と「イヤミ」な感じって紙一重で。

あと、13年間日記を書き続けて、ほぼ誰とも絡まない孤高の存在であり、なのに誰からもヘイトされず、それでいてしっかりと存在の礎を築いてはるとこも、さすがやなー思って。

goldheadさん、色々心配な事があって心を病まれてしまってのかもしれへんけど、多分、私思うんですけど、はてなでgoldheadファンに色々よびかけたら、案外色々どうにかなるんちゃうの、とかも思います。はい、余計なお世話ですよね、すいません。でもそれぐらいの存在感のある人だと思います。

 

なんか私、めちゃくちゃ褒めてますよね、これ恋ちゃうの、とか思われそうなので、そこは、はっきり、違うと申し上げておきます。こんなん言うたらあれですけど、私自身はめちゃくちゃリア充です。優しい夫と可愛い娘との幸せな暮らしが有り、それをみすみす手放す気はございません。

ただ、だからこそ私の想いは純粋です。下心無しでgoldheadさんの文章が好きだと言えるんです。最後の方、関西弁まじりで読みづろうてえらいすんまへん。こんな推薦文、書いてもええんやろかとビクビクしてもいます。それでは、ぜひともcj3029412様のお力で、孤高の天才をなんかこう、ええかんじにして、なんかこう、楽しい毎日を送れるように、なんかこう、なんしか、こう、やってください。最後丸投げ。それでは。

 

 

 

 

 

 

 

新潮社R18文学賞で最終候補手前まで残った話

私は、今も昔も、何のとりえもなくそれどころか頭も要領も器量も悪く父親から罵られ続け自己肯定感は地に落ち、とにかくどうしようもない人間であるが、文章を書くことだけは、好きだった。 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

結婚前は地元の新聞社で記者をしていた。

待遇面は良いとは言い難いところも多かったが、自分の署名付きで書いたものが17万部(2006年前後の発行部数)発行されるというのは、それだけで感動的なところはあった。

とはいえ、働いていた頃は毎日が「ミスをしているかも?誤字はないだろうか?」という恐怖に心が支配されており、印刷所から刷り上がったばかりの初稿が届いたときには、常に胃の痛みと緊張から来る吐き気を感じながら紙面をチェックしていた(実際1度すごい致命的な誤植をやらかしたからこそ、余計以後の仕事への恐怖は増した) 。

その他、地方の小さな新聞社なのでとにかく一人何役もこなさなければならない苦労や、あとはちょっと前に炎上していた“食べても無いのに食べた体で記事を書く”あれとか(ネットライターが猛批判されていたけど、紙媒体でもそういう手法は大昔からありますね)、そもそも車の運転がド下手なのに、取材はいつも車で、しかも初めて走る道に行くから、ハンドル握りながら真冬でも脇汗すごかったとか、諸々書き出したら止まらないほど色んなしんどさを味わったものだった。

しんどいばかりで、どうせこんな記事書いても誰も読んでないわ、という思いもあった。ミスは大問題になるけどそつなくこなす記事は話題にもならない。そう思っていた矢先に私を名指しで記事クレームが入ったときは、怖いとかいう思いより「私の文章をそんな隅々まで読んでくれてたんや!!」という嬉しさが凄くて、結果その電話をしてきたおっさんと最終的に仲良くなってしまったこともあった。あの電話はクレーム対応としては100点だったと思っているし、またそれは後日別の日記にでも書こう。

 

ただ、私は記者の仕事にもやりがいは感じていたが、本当はずっと、あの、その、小声になりますけど、その、小説家になりたい……みたいな夢がありまして。

 

そう、もう言ってしまうが、ずっと私は小説家になりたいという夢を持っていた。

でも、ちょっと文章で仕事をしたぐらいのぺーぺーが、そう易々と小説家になれるほど世の中が甘くないことも、よくわかっていた。ちょっと仕事をしたからこそ、わかっていたというべきか、自分の伸びしろ、天井を。

私には、小説家になるには文章力も経験も知識も教養も発想力も、すべて足りていなかった。わかってはいた、しかしわかってはいても、夢はずっと私の心の中でくすぶり続けていたのだった。

 

もう、はよ、あきらめよ。

 

2009年のある日、私は決心をする。

夢をあきらめるために、地に足をつけた生き方をするために、自分の才能の無さと一度本気でぶつかってみよう。

こてんぱんにされて、うちのめされて、実力が無いことを自分自身に叩き付けて、それからすぱっとあきらめよう、と。

当時私のお腹には赤ちゃんがいた。出産を控え、私は子どもを産む前にひとつの小説を産み落としておくことにしたのだった。

 

それがこの小説であった。 

kakuyomu.jp

 

ピアスの穴をあけること、車の免許をとること、処女を失うこと。それらは、初めてその行為に及ぶに当たって、それなりの覚悟や勇気、努力がいる。しかしながら、多くの人間は普通にそのことを経験し、自らがその経験を得る過程で味わった、小さなドラマをいつしか忘れてしまう。
 そんなごく当たり前の事実を、尚美は時々我に返って妙に感心してしまうのだ。今日も多くの人間が処女膜や耳たぶに穴をあけ、またある人は、とったばかりのクルマの免許でドキドキの初ドライブを楽しんでいることであろう。そしていつかその「初めて」の感動も、恐怖も、忘れ去るのである。
 尚美が「初めてのセックス」を知ることは、最後まで無かったわけだが。
 パンツ丸出しで幕を閉じた自分の人生って、一体何だったのだろう。尚美は思った。(本文より)

 

 

今見ると、設定そのものに甘さを感じる。唐突に始まる性描写は、狙ったのがR18文学賞であったからであるが、自分でもかなりいまいちだと思う。今ならセックスについてはもう少し表現できるかもしれない。それに、当時は30歳で処女の女性なんてそ相当奥手なおとなしいタイプに決まっていると偏見を持っていたのだったが、今は30歳で処女なんてごく普通の、いやむしろ容姿の整った女性やリア充なキラキラ女子でもありうることなのだろうとはわかっている。

とにかく、ここですっぱり夢物語をあきらめるつもりだったのが、1次予選通過の知らせが届く事になる。さらに2次予選通過。

新潮社のホームページには作品タイトルと編集者の方からコメントをのせていただいた。めちゃくちゃ嬉しくて、新聞社の上司にも連絡した。

次はとうとう最終候補作品、というところで、はい、終了〜。であった。ちーん。

 

なんか……。

なんかこれ、あきらめきられへんやないかい!

ってな感じが残ってしまったのである。

そうこうしているうちに、出産、育児に翻弄される日々が始まり、長らく文章を書く事から遠ざかっていた私が、再びはてなブログでひっそりと日記を書くようになったのは、2005年に小説家の見沢知廉氏が自殺していたというニュースを知ったことがきっかけである。この作家は、最後まで文学に生き、文学に死んだという感じの人であった。

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

そして私は、「見沢知廉」という言葉を検索エンジンに入力したある日、id:goldhead氏の文章と出合うことになるのだった。

 

つづく

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