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奴隷じゃなくて、ミシンになりたいんだ

 

 

 

村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

 

 

 

 

 

P163 この本をかいているあいだに、かの女ができた。三年ぶりだ。まだつきあいたてということもあって、ひたすら愛欲にふけっている。好きで、好きで、どうしようもないほど。セックスだ。もちろん性衝動もおおきいのだが、とはいえそればかりではない。心も体もマジでぶつかればぶつかるほど、わかってくるのは、ひとつになっても、ひとつになれないよ、自分とはまったくの別人であるということだ

 ぎょえーっ!

 いやこれ「村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝」のあとがきなんやけど、一行目からもう、ぎょえーって、昭和のギャグ漫画みたいなリアクションなったわ、私。目ぇ飛び出したで、びよーんて。せやかて、こんなん、普通、大学の先生が、真面目な本に書く?

 えーと、これ書いてんの誰やったかいな、ってうしろのページの肩書き思わず確認したで。いや、ちゃんとした大学の非常勤講師したはる人やわ。“早稲田大学院博士後期課程満期退学”ってなんのこっちゃ私みたいなもんにはようわからん最終学歴やけども、ほんで教授か助教授か講師か非常勤かとか、その違いもあるんか知らんけども、なんせごっつ頭ええんやろ。頭ええ人が書いた、むかしのえらいひとの話なんやろ。

 せやけどな、この本はそんな堅苦しいもんやなかった。栗原さんの文章は、軽妙で爽快やった。腹わって話してる感じや。あとがき見たらわかるやろ。そして、何より、伊藤野枝という今から100年も前を生きたその女性の思想と人生に、私、ものすごい大切なことをおしえてもろた……いや、そんな生優しいもんちゃうな、頭かち割られたような気分になってん。

 結婚ってなんやろ、ほんまは誰のための制度?とか。子育てって、みんなでもっと協力するもんなんや、とか。なんでカネ、カネなんやとか、ああ、それって、うちの父親の育て方と、めっちゃ関係してるわって。あれ、あれ?てことは私、間違ってたのかなもしかしてって。

 なんか、いっかい全部ぐちゃぐちゃにされてん、この本に。今までの一生かけて信じて来て、積み上げたもんを、いっきにバラバラーってされてん、伊藤野枝というひとに。 

 

 ここで少し、私自身の話になる(急に口調変わる)。私は、名門奴隷養成所で製造、育成された、エリート奴隷である。

 そう、うちには今時珍しい奴隷がいたのだ。それはつまり、母のことなのだが。母は現在進行形で我が実家の奴隷である。父は成績優秀で旧帝大卒、銀行員であった。奈良の旧家出身の母はおとなしく、従順で、父にそして嫁いだ家にどこまでも尽くした。女はそうしなければいけないと、下市(奈良県南部の町)の武家育ちの母方祖母が、厳しく私の母をしつけたのだ。

 母は身体が弱く、安静にしなければいけない時も多々あったが、しんどくて寝ている母には容赦なく父と、同居している祖母の叱責が飛んだ。何を寝ているのだ、掃除は飯はまだか、なまけもの、要領が悪い。

 私の母の家事は完璧に近かった。料理は丁寧に出汁をとり、季節の野菜と地元の魚をうまく使う。とにかく品数、しかもメイン以外の副菜が多いのは、自分が主婦をするようになり、いかに大変か実感した。裁縫もそつなくこなし、毎年夏になると私は母のあつらえた浴衣を、冬は手編みのセーターを着た。

   しかしどこまで尽くしても、家族から感謝はされなかった。祖父は母の料理を度々けなした。父は高給取りだったが、母に何かプレゼントをしたり、綺麗な格好をさせてあげるのをみたことがない。父の給料は、いつも定期的に買い替える高級車に消えた。それは、母にとって女として当然の生き方だし、わたしもまた、女はそうしなければいけないのだと思うようになった。

 罵声を浴びせられたのは母だけでなく、私もまた同じだった。祖父と父ともに頭脳明晰な旧帝大出身者だった為、親族の期待を一身に背負った初孫だった。でもこのありさま。とにかく、「お前はなんて無能なのだ、私たちを失望させた」という意味の事をあらゆる酷い表現で言われ続け育った。

 母だけは、とても優しかったし私をいつも慰めてくれたけれど、最後の最後は、あの家では、父と祖父が一番偉いのだ。男にはさからえない。だいたい、専業主婦など最も下等な労働。一銭にもならないのだから発言権などあるはずないだろう。父はもちろん、母自身もそう信じていた。きっと、今も。

 ちなみに父親には感謝するところもあって、それはお金にたいする知識と、考え方を幼い頃から指導されていたこと、そして、やはり悔しいけれどお金の面では私学にずっと通わせてもらえたのは父親のおかげであるのだった。

 父は、「ええか、家族のつぎに大事なんはな、お金や。お金さえあったら、世の中のだいたいのことは解決するようになってる。でもな、学校で教えてくれへんやろ、それどころかお金が大事っていうたら、なんや悪者みたいに扱われる。でも違う。そうやない、生きる為に、家族幸せにするために、お金と、その知識を身につけるんは絶対必要やねん。貧乏で、一家心中するニュースるやろ、あれ見たら、お父さんほんま悲しい気持ちになる。例えば、事自己破産手続きと、それによって失う権利(のしょぼさ)などを知っていたら、知識として持っていさえすれば、そんな不幸はおこらんかったはずや。せやからな、お前はお金のこと、もっとべんきょうせえよ。」父はよくこんな話をした。

 父の銀行だけの月給は額面でおよそ60万ほど、そこへ毎月株式投資と、金融商品の運用で貯蓄を着実に増やして行った。しかし、家族を幸せにするためのお金は、増えて行く様子はあっても、あまり使われることはなかった。収入は平均以上であったのは確かだけど、全く贅沢を許さない父だった。服だって、全然おしゃれさせてくれなかった。本と勉強道具だけは、惜しみ無く買ってくれた。

 でもとにかく、人生において、お金がすごく大事で、それを稼ぐ人間が一番家では偉くて、それを守り増やす事は悪ではないのだ、ということは幼い頃から強く心に刻まれたのだった。(しかし、この考え方もまた、資本家に踊らされているというか、そもそもカネなんかじゃ幸せになれねえぜ、カネが諸悪の根源なんだぜって大杉栄伊藤野枝を知ったら思えて来て、ああもう、ここらへん、あとで書く)

 母は、私が嫁に行く時、あなたはもう○○家の人になるんよ、うちの子ちゃうからね、と言った。母は、その覚悟で嫁いだのだろう。

 そして私も、○○家の人間になった。それまで働いていた新聞社は、結婚を機に辞めた。あまりにも、仕事がきつかった。記者採用なのに、営業も広告制作もやった。逃げたかった。純粋に、夫を好きな気持ちのなかに、どこか仕事から逃げたい気持ちがあったことは、認める。だって、働きたくないもん、あたし(これも、実は資本家のおもうつぼ、結婚制度が資本家有利で奴隷制度助長してるんだよね、野枝さん。女の労働はあくまでも補助。だから給料あがんない。100年前とかわんない。ここらへん、あとで書く)。

 ○○家は、私の実家とはまったく違っていた。まず何より、夫がとても優しい。義理父母もまた、良い人たちだった。私は、自分の実家と母を思い出し、それらといちいち比べては、ここは天国だ、とおもったのだった。

 まわりの友人にも驚かれるのだが、私は、夫に今までほとんど腹をたてたことがない人間だ。だから喧嘩もしない。

 だって、全部自分の父親よりマシだから。

 脱ぎ散らした服を拾い集めるのも、トイレを尿はねで汚されても、夫が結婚してから一度も家事を手伝わないことも、彼が外で稼ぎ、このような暮らしをしているのだから当然だと思っている。

 とはいえ、結婚後数年は私も非正規のフルタイムで広告会社に勤めており、共働きだったわけだが、そのときでも一度も夫は家事をしていない。そして、そのことも私は当然だと思っている。そのときの彼の給料は、私の倍以上あったからだ。稼いだカネが、すべてに優劣をつけるのだ。私の実家ではそうだったもの。

 子を授かり、今の土地にマンションを買って首もすわらぬ乳飲み子と新生活が始まり、外出するすべも無く、ずっと家の中にいた。夫は仕事や友人との付き合いが忙しくて、週3日ほどしか帰れない。ずっと、ことばの通じぬ、泣くばかりの赤ん坊と二人きり。

 乳腺炎で、乳房が何度も腫れてかちこちになり、高熱がでた。死ぬほど痛くて苦しいけれど、ひとりで、話し相手もおらぬ部屋で耐えた。子は三時間おきに授乳。子が寝てる間に家事。オムツをかえ、抱っこして、ゆっくり休むことも出来なかった。母の作ったおかゆが食べたくて、一人で泣いたりしたけど、夫は外で働いてるのだ、そこに助けをもとめてはいけないと思った。

 それにわたしはもう働きたくない。会社で働くより、可愛い赤ちゃんをそだてるほうが、ずっといいにきまっている、そう思っていた。

 壁に、カレンダーを貼ろうと思った。夫に、お伺いをたてた。ダメだといわれた。新居の壁なのだから、もっと大切に。和室に、ソファを置きたいと私は言った。畳が傷むからダメだといわれた。子どものオムツや服が増えたので、棚を買いたいといった。ダメだといわれた。収納用品ばかり増やすのは頭が悪いひとのやりかただと。全部強く否定されたわけじゃないにこやかに柔らかい物腰で、けれどはっきりと拒否された。

 この美しい城を買い、日々その資金を稼いでいる張本人がダメだというのだから、そうなのだ。

 壁に画鋲ひとつ刺すのも、夫の許可を得なければ成り立たない生活。でも、私はそれを幸せだと信じて疑わなかった。私は、彼を自分の王子様だと思っていたからだ、というか思っている。あの暴君が支配する家から、そして低賃金の過酷な労働から、私をこの別世界へ連れ出してくれた王子様。私の力では手に入らなかった住環境、美しいものだけの世界。私は、強がっているわけではなくこの幸せは本物であると確信している。

 「アタシな、絶対働きたないねん。もう絶対働くの嫌やねん。だから、ちょっとぐらい、いやなことも我慢や。絶対旦那とは離婚せえへんよ、うふふっ」

 半分笑いを交えながら、こんなことを言うアキちゃん。そしてその場に居る全員が、私も含め、うんうん、と大いに頷く。

 同じ町内のママ友達とのランチ会。旦那様の職業は、パイロット、医者、コンサル、外資系金融マン、などなど。

 皆、ここにいる全員がわかっている。自分が、この先、身一つでどんなに頑張っても、それだけの収入を得られないことを。こんなランチを楽しむ生活ができないことを。夫の稼いだカネで子どもを塾に行かせる。好きな服を、靴を、買う。海外旅行にいく。その「役割」を演じる事の、どこが不幸なのだろう。そんなおもいも、ある。あるにはある。

 しかし、その「役割」があること自体がおかしいと野枝さんはいうのだ。なぜ?こんなに、私たち、幸せよ。

 P42 私のすべては唯屈従です。人は私をおとなしいとほめてくれます。やさしいとほめてくれます。私がどんなに苦しんでいるかも知らないでね。私はそれを聞くといやな気持ちです。ですけど不思議にも私はますますおとなしくならざるを得ません。やさしくならずにはいられません。

  これは、自殺したかつての担任になりきって野枝が創作した遺書である。この遺書の言葉に、すごいショックを受けたのだ、私。ずっと、女はこうあるべきだ、口ごたえするな無能。どんなに家族の為に身を粉にしても報われない、労われない、感謝されない、それが当然、そんな家で育った。そしてそのようにするべきだと、それが良い事なのだと思っていた私。遺書はこう続く

 P42 私には一日だって、今日こそが自分の日だと思って、幸福を感じた日は一日もありません。私は私のかぶっている殻をいやだいやだと思いながらそれにかじりついて、それにいじめられながら死ぬのです。私にはその殻がつきまといます。それに身動きができないのです。

 

 

  こうした女の生き方、そして結婚制度そのものに、野枝さんは異を唱えるのだ。そもそも、愛する者同士がこんなきゅうくつに暮らすの、おかしいと。

 

 P123 うつべし、うつべし。姦通罪、もちろんいらない。貞操観念、もちろんいらない。結婚制度、もちろんいらない。好きな人と好きなようにセックスをして、好きなように暮らすのだ。はじめに行為ありき。女性の心から、奴隷根性をひっこぬこう。

 

 

 ここらへんがまた、ぐさぐさっとくるわけだ。

 ただ、私は、夫以外の人とセックスするのはやっぱりあかんと思う。だって、それって絶対旦那さん悲しむし、傷つくやん。好きな人の悲しむ事、傷つく事したらあかんやん、そういう理由。

  でも、純粋に旦那さんのこと好きやからっていう気持ち以外に、「こんな良い家に住まわせてもらって、良い生活さしてもろてるし、外で仕事頑張って稼いでくれてるんやから」って気持ちもそこにはあって、それってつまり奴隷根性ってやつだと言われたらそうなのかとも思って。だってさ、私そういう模範奴隷に育てられたんだもん。

 私のご主人様なんて、母に比べればよっぽど、よっっぽどマシってか、父親と比べたら仏レベルで奴隷想い。だからこそ、父の母に対する暴力や支配を見て育ったのが根底にあって、今がどんだけかけがえなくて幸せかって思って。

 でももしかしたら、その満たされた状況自体が判断を狂わせてるのかもしれない。旦那さんの事、純粋に好きっていいながら、純粋な「好き」のなかに、よく見たらいろんな不純物が紛れてるのかもしれない、私。

  じゃあどうやって、奴隷根性をひっこぬけばいいのだろう。そもそも、人と人が愛し合うことってどうすることが正解?野枝のこたえはこう。

 

 

 P123 ある男と女が、愛し合うまでには、双方とも有る程度まで理解し合うのが普通でしょうが、愛し合うと同時に、二人の人間が、どこまでも同化して、一つの生活を営もうと努力するのが、現在の普通の状態のように思います。

私は、こんなものが真の恋愛だと信ずることはできません。こんなものに破滅がくるのは少しも不思議なことではないと思います。

 

 

 P125 それから夫婦関係です。(中略)お互いの生活を『理解』するという口実のもとに、お互いに、どれほどその生活に自分の意志を注ぎ込もうとしていることでしょう。そしてある人々は『理解』では満足せずに『同化を強います。(中略)その歩の悪い役回りをつとめるのは女なんです。そしてその自分の生活をなくしたことを『同化』したといってお互いによろこんでいます。(中略)とんだ間違いなのですね。

 

 

  つまり、これを筆者は「ひとつになっても、ひとつになれないよ」と表現する。なんかJポップの歌詞みたい。この栗原さんの所々に出てくる表現、すきやわー。行くぜ東京!とか、ヤギ、マジ最高、とか。おもろい。でもこの文体、やっぱりかなり批判あるみたいで、アマゾンでも酷評されていました。しゅん。

   で、話戻すと、家庭に同化され、良き妻の役割を演じる。そんなのおかしいと。

 おかしいのか?私は、本気でこの役割を気に入っていたんだが。

P126 『おっとの仕事に理解を持つことのできる聡明な妻』という因習的な自負

 

 

  と表現されている。

 私は、まさにこれだ。今おもうと、ちょっとおかしなことだったのかもしれない。

   もともとの性格もあって、極端に自分の意見は圧し殺してきた。ハイパーエリート奴隷で、完璧に洗脳されてた。うちの母親に比べたら、私なんてまだまだ恵まれている。暴力も、暴言もないじゃないか。それだけで、私は天国にいるほど幸せだ、と思えるように。そして、聡明で従順な私であることに、誇りをもつように。

 P127 じゃあ、家庭にとらわれない男女関係というのは、いったいなんなのか。その根底にあるものをいったいなんとよべばよいのだろうか。野枝は、こんなふうにいっている。

 “私は、親密な男女間をつなぐ第一のものが、決して、『性の差別』ではなくて、人と人との間に生ずる最も深い感激をもった『フレンドシップ』だということを固く信ずるようになりました。”

 

 

 

友情とは中心のない機械である_そろそろ、人間をやめてミシンになるときがきたようだ

 

 ここで、野枝さんのミシン宣言ですよ。互いの個性を尊重し合える友情こそが、だいじなのだ。夫、妻という役割をもつのではなく、互いのちからをたかめあい、愛情をはぐくもう、つまりそれって友情だよねっていう。友達には主従関係も、契約も必要ないと。

     うん、素敵やとおもう!

  だけどさあ、野枝さん。現代の結婚制度に乗った以上、私は妻であるし、夫を愛しているし。そしてこの「友情」というものだって、当然二人のあいだにはあると言い切れる。げんに、ほかの夫婦よりもずっと会話も多いし、笑いのツボも一緒で(これめっちゃ重要)、とにかく仲良しだから。

   でも、私が幼い頃から植え付けられた、父という家長の支配を家で当然とする考え方、そしてこれも父が植え付けた「カネ」というものの重要さが、私を不必要に卑屈にさせていたのかもしれない。

 私が、子どもが産まれてから専業主婦として担って来た子育てと家事全般は、決して完璧でもなかったが、かといってここまで自分を卑下するものでもなかったかもしれない。すなわち、一銭にもなっていないという負い目。そんなものは、感じなくてもよかったのだ。

 私のために、ここ、アンダーラインひいといたよ。私も主婦としてこの家を支える以上、もっと夫と対等に物をいうてええのやと。それが、本当の夫婦だと思ったし、きっとあの人なら、私を怒鳴ったりしない。どんなことも、話し合える、分かり合えるとおもうのだ、彼となら。それで「うるせえ、お前も働けよ」ってなったら、もう観念してそのときは働くほうが良いのだろう、私も。

 野枝さんとはちがうけど、でも、最後は前向きに自分たち夫婦のありかた、私のあり方を考えるきっかけになった。 

 P129 複雑な機械をいじっていますと、私は、複雑である微妙を要するほど、特に『中心』というものが必要だという理屈は通らないのが本当のように思われます。みんな、それぞれの部分が一つ一つ個性をもち、使命をもって働いています。(中略)お互いの正直な働きの連絡が、ある完全な働きになって現れてくるのです。

 

 

 

 野枝がここでイメージする機械とはミシンの事。機械は、複雑であればあるほど、全てが末端の、必要な部品。それぞれの個性が独自に重要。

 これが野枝の恋愛論であり、友情論、運動論であると筆者は解釈する。大杉が「自由連合」というかたいことばで説明する理論。主人と奴隷の関係からぬけだしたいとおもうなら、中心の無い機械に、ミシンになろう。

   さて私はミシンになれるのか、なりたいのか。模範奴隷でいたいのか。どうなのか。こんだけ書いて、実はまだ結論は出ていない。結局、夫と同じだけ稼がないと、やっぱり対等じゃないという思いが強い。私の家事育児がゼロじゃないにしても、だ。じゃあ今から働いて夫と同じだけ働けるか?同じだけ給料をもらえるか?そんなこと、実現するはずない、いまこの国で。

 

    あとは、子育ての仕方や、労働環境とくに女性の労働、そしてミシンについて色々思うところがあるので、またそれも次に書きたいと思う。