珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

サーカスと喉の小骨

  春休みサーカスに行ってきた。うちの親が孫のために張り切って、一番前の席、ど真ん中のチケットを取ったという。

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私は、サーカスには特に興味がなくて、いやどちらかといえばマイナスイメージがあった。

マイナスイメージの要因のひとつになっていたのは、以前動物愛護団体が駅で配っていたチラシである。

そのチラシの主旨は、世に出回る毛皮製品やダウンコートの羽毛が、いかに残酷な手順工程で作られているか、という内容だった。
その他、フォアグラをはじめとする食肉への批判と共に、サーカス等でショーに出される動物の訓練自体も虐待にあたる、という記述がされていた。

そのチラシを見て以来、私は昔買った毛皮の襟巻きを使うことが出来なくなってしまった。なんとなく後ろめたさみたいなものを感じてしまって。

「私が大好きなアニメを見れなくなった理由」まとめ - Togetterまとめ

どっかで目にした誰かの否定的な物言いが、急に思い出されて喉に刺さった魚の小骨みたいに感じることはある。

2016/03/02 12:03

どっかで目にした誰かの否定的な物言いが、急に思い出されて喉に刺さった魚の小骨みたいに感じることはある。 - goldhead のコメント / はてなブックマーク

まさに動物愛護団体のチラシは、私の喉の小骨になったのだ。

せっかく一生懸命ブラック企業で働いて、貧乏OLが思いきって買った毛皮の襟巻き。
そもそも、襟巻きになってる時点でその動物は殺されているので、実際製品を使わないと、ミンクも浮かばれないかもしれないのだが。

ちなみにサーカスが苦手なもうひとつの理由は、祖父の姉の死因だ。

祖父の姉が幼い頃サーカスを見に行ったのだが、その際空中ブランコの役者が演目中に落下。直撃された祖父の姉は、そこで負った脳の障害が原因でてんかんになり、後に幼くして亡くなったという。

いやいやいや。
怖すぎやろ、戦前の日本無茶苦茶やな。

祖父は「あの時代やからなあ」で済ましていた。私はそのエピソードが強烈すぎて、サーカスこええ、昔の日本こええ、と震えるばかりだった。

さらに余談ではあるが、祖父の妹は、和歌山の磯ノ浦で海水浴中に溺れて亡くなった。祖父の母は、戦時中の混乱の中で癌になり、まともに病院にも行けず亡くなった。

「あの時代」を生きた人達にとって、死というものは、今と比べてあまりにも身近だったのだ。

さて、そんな私が、今回サーカスに行くことになってしまった。

動物達に関しては「きっと団員に愛されて訓練されてるんだ、きっとそうだ、ショーが終われば皆うんと愛されてるんだ。サーカスの動物がみんな可哀想だと決まってないはず」などと、自分で自分を何度も納得させた。

そして、平成の、戦後の空中ブランコは、絶対に落ちてこない。これを信じるしかなかった。
で、実際どうだったかというと。


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落ちてこなかった。当たり前である。

でさ、なんていうかさ、サーカスってエロいのです。本当に。


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いや、こんなふうにお尻がぷりっとしてる衣装だから言ってるんじゃなくて。


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例えばこういうさ、ボディラインピチピチのレオタードを着て、男女が身体を密着させてるの。
見つめあって、抱き寄せて。演目の最後にチューするの。

サーカスは、全国各地を旅している。同じメンバーで、ずっと一緒に。

若くて健康な、美男美女がずっと一緒に。テラスハウスどころじゃない。絶対、恋するよ。やってるよ。
そしていつか別れも来るかもしれない。それでも、ショーの間は毎日、身体を寄せあって相手を見つめるという

だいぶエロいと思う。

なんだか凄いものを見せつけられた気持ちになった。

で、肝心のうちの娘の反応だが、とにかく気が小さくて心優しい子なので、ピエロが不当に怒られて会場の笑いを誘うというシーンですっかり気分を沈めてしまった彼女。

人が怒られたり、争うシーンが嫌いなのでプリキュアアンパンマンも見れないこの子にも、サーカスは少々刺激が強かったようである。
そして、あれほど心配していた動物達が、なんとこのサーカスでは一匹もでて来なかったのだった。それはそれで、ガッカリしたような、ほっとしたような。

ああ写真が横だな、まあいいか。

GACKTはソロプレイしたことないらしい。

世間的には、乙武さんの妻が謝罪「させられた」けしからん!ということになっている。

 
あの謝罪文を読んで、乙武さんの妻可哀想、乙武さいてー、ってなる素直な人が世の中には多いみたいで、案外この世は平和でハートフルじゃないかと私は思った。
 
どう見ても、私にはあれは妻の復讐にしか見えない。

はらわたを煮えたぎらせ、真っ赤な顔で書いた文章だと思う。

一時間毎に母乳を欲しがり泣く赤子にパンパンに張った乳を吸わせたり、上の子の学校と幼稚園のプリントで持ち物と行事をチェックし、再び泣く赤子のオムツを替えたりウンチを拭いたりして、その他の家事等をする合間に、旦那にとどめを刺すつもりで真っ赤な顔で書いた文章だと思う。
 
今回の件で、妻は一生旦那の精神的優位に立てるだろう。そして時々泣いてやれば良い。あの時は傷付いた、でも私が悪いのよね、と。
 
本当はこれっぽっちも傷付いてないし、自分が悪いなんて思ってなくても。夫に不倫された妻の涙は、全てを覆す正義になる。独裁スイッチになる。
 
また、あの謝罪文と今回の騒動でキィーっとなってるのは本妻以外の50人の名前の無い女達だろう。
 
乙武さんの不倫とダウンタウン浜ちゃんの不倫の違い - 四条通り週末.com

浮気相手の女の自意識としては「浜ちゃんに選ばれた、アタシ凄い!」ってのと「乙武さんを敢えて選んだ、アタシ凄い!」って違いがあるような気がする。

2016/03/24 21:50

b.hatena.ne.jp

このブックマークコメントにも書いたが、愛人達の多くは、乙武さんの愛人であることに、少なからず自分の価値を見出だしていたのではないだろうか。
 
有名人で、頭がよくてユーモアがあって。
 
そして五体不満足な彼。
 
五体でもなんでも、頭が良いけどどこかが「不満足」な男の愛人になる女は、敢えてその男を選んだ自分に、「人とは違うアタシ」というブランドを強く意識している……と、私は思う。
 
そんな特別なアタシ、って思ってたのにオイこらアタシの他に50人かよ、ってテレビの前でハンカチ噛んでたんじゃないのかにゃ?←江川紹子風に。
 
もしくは、五体不満足で、聖人のような彼が、アタシのほかに浮気なんかするわけない、これは真実の愛!なんて信じて……いや、見下していたんじゃないか。

んで、これも私の勝手な想像だけど、愛人50人ズの女達は、EXILEとか三代目とか、ああいうわかりやすい風貌の男子及びその彼女を小バカにしていたと思う。

愛人達は良くも悪くも「そこそこ」の美人で、そこそこの美人は美人だけどそこそこでしかなくて、一番の美人の前には越えちゃいけないライン……じゃなくて越えられない壁があって。

アタシの選んだ彼は、そこらの男と違う。あんな下半身が脳ミソみたいなヤリチン野郎と違って、知性があって、そしてとても可哀想な人。だから、アタシは、クラスで一番美人じゃなかったけど、一番美人のあの女に勝ったのだ。男を選び放題だった女には顔で負けたけど、この完璧で不完全な男を選んだアタシは、あの女には勝ったのだ……

みたいな、そういう心理あったんじゃないかなってこれ誰の話よ。いや想像やで、知らんけど。知らんけどて、やすよともこのネタな。
 
このゴシップで思い出した。昔GACKTが、俺はオナ ニーしたことない、何故なら、したいときは必ず女とヤるから、みたいなことを吹かしてたこと。GACKTのは絶対嘘だ。でも、今回のは、つまりそういうことなんだろう。
 
とても、切実なことだと思う。女の私にはわからないが、実際尿とか便が溜まったら出さないと苦しいという現象と同列に語れる苦しみなのだと思う。だから、あまり茶化せないし、素直にそれは気の毒だと思った。

毛糸が無いなら、荷造り紐を編めばいいじゃない


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ふだんは毛糸で編み編みしてます。でも毛糸って高いんですよ。なんとかコストダウンできないか。そこで、KOKUYOの荷造り紐ならどうなるかとやってみました。

硬いです、やっぱり硬い。優雅な編み物タイムは、昔話のじいさまが藁草履を編むような、地味にしんどい作業になりました。

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でもまあ、なかなか可愛いのが完成。

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ほんまにワラジ作ったわ。エスパドリーユ風のルームシューズです。

相対的な幸せじゃなくて絶対的な幸せを求めなくては

何百回と歩いたことのある梅田の道で、大きな事故があった。昨日は、普段見もしない報道ステーションに冒頭からチャンネルを合わせる

 
絶対あのニュース一番やから、ほらね
ああ、この道な、ほんまや毎日歩くとこやん◯◯くん。
怖いなあ、ほんま。
こんなん防ぎようないわな。
 
そんな会話をさらっとして、その後は幼稚園の生活発表会に話題は変わった。
 
うちの娘に意地悪をする女の子のパパの髪型がエグザイルみたいで、芦屋には似つかわしくないと思う、という話をした(私が一方体に喋った)。
 
教室に飾られた意地悪な女の子の絵は、とても上手だった。うちの子のは、かなり下手くそだった。
 
うちの子よりも、下手な絵をさがす自分に気づいて、本当に自分自身が嫌になった。
そんなことで何を安心したいのだ。
 
家で一生懸命、下手くそだけど私の絵を描いてくれるときは、心から幸せで、嬉しくて、そんなかけがえのないものをいっぱい私にくれる娘の絵を、少しでも恥じた私の心の醜さ。
 
意地悪な女の子のことも、うちの娘は全然悪く言わなくて、私ひとりモヤモヤして、その子のパパまでムカついて偏見に満ちた目で髪型を茶化したりしてる。
 
自分よりさらに不幸な人の事故のニュースを興味本意で見たがる。わざわざテレビであの事故現場を見て、何を確かめたいのだ?私は。
何を確かめたいのだ。
自分が、幸せだ、ということを、か。
 
どうしてこんな醜女から、こんな可愛い天使みたいな娘が産まれたのだろう。汚してしまうのが恐い。この子から可能性を奪うのが恐い、そう思う金曜の夜。


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ちなみにこの子役ちゃん、娘にすごく似てる。
 

有名人気取りでイイ気になっているバカブロガーに死を……ってテレビで言ってたよ

 ヒガンバナ〜警視庁捜査七課〜というドラマの録画を先ほど見た。

 年末のダウンタウンガキの使い笑ってはいけない探偵で、堀北真希ちゃんが役柄で登場していたあの作品である。

 あの、笑ってはいけない探偵のときにチラっとそのコンセプトとあらすじを見ただけでも「うっわ、おもんなさそ。絶対面白んないわ、これ」と誰もが思ったであろうあのドラマ。 

 その第3話を録画していたので初めて見た。そんなにおもんなさそうなものを、何故わざわざ見るのか。答えは簡単、わたくし暇だから。

 あとはまあ、こういう本気で見る気のないドラマは家事をするときにダラダラ流しておくにはピッタリなので。

 

 そして、掃除をしながら適当に見始めたドラマを、1時間見終わる頃には私は号泣してしまっていた。

 そう、なかなか良かったのである、少なくともこの第3話に関しては。

 しかし、プロットがかなり良いと感心すると同時に、この設定はいらんなあ〜と残念に思う部分もかなりあった。以下に詳しく記したい。

 

 まず、第3話のあらすじ。冒頭、頭から血を流した安藤玉恵がフラフラと街を歩くシーンから始まる。そこから場面は一転し、カリスマブロガー主婦紺野まひるのサイン会会場。そこに響く悲鳴。何者かが、血文字のような脅迫文をサイン本に仕込んでいたのだ。そこにはこう書かれていた。

 

『有名人気取りでイイ気になっているバカ女に死を』

 

 その後、同じ内容の脅迫文が、複数のブログに書き込まれている事が判明。ブロガーは全員セレブ妻達であった、そう、1人を除いては。

 そしてその主婦ブロガーは、何者かに殺害されていた。こうして、カリスマブロガー主婦を狙った殺人事件の捜査が始まる。

 この間、色々なトラップも有り、脅迫文を送りつけた男が逮捕されるのだが、その男は殺人の真犯人ではない。

 最もこの話の肝になるのが、殺された人気セレブ妻ブロガーは、実はワープアの一人暮らし派遣社員の地味な女性だったという事実。

 ブログには、子供との幸せそうな生活を綴り、キャラ弁当などをアップしていた彼女。しかしその生活は全て虚構だったのだ。

  その事実を面白おかしく書くゴシップ記者。その記事が元で、被害者のブログは「嘘乙www」「ボロいアパートに住んでるくせに」など罵詈雑言が並び、炎上することになる。

  で、まあ色々あって、ネタばらしをすると、真犯人は紺野まひるだったわけ。過失だったんだけどね。

 有名カリスマ主婦ブロガーの紺野は、夜遅くまで、毎日テレビの仕事にひっぱりだこで、家でほとんど食事を作っていなかった。息子はお腹をすかせて公園でいつも遊んでいた。そこに、偶然出会って仲良くなる安藤玉恵と息子ちゃん。

 そして、ある時から安藤玉恵紺野まひるの息子ちゃんに、キャラ弁を作って公園に持って行ってあげるようになる(そのキャラ弁をブログにアップしていた)。ママの誕生日までに、自転車を一人で乗れるようになりたいという息子ちゃんと、秘密の自転車特訓をする彼女。そのとき二人とも体に痣や傷を作る事が有るのだが、これがまた架空のDV男がいるのかも、とか子供が虐待されてる?などの色々推理を撹乱させる要素になっていて面白い。 

 あるとき、自分の息子が見知らぬ女のキャラ弁を嬉しそうに公園で食べるのを見つけてしまう紺野。

 で、激高→つきとばす→安藤こける、頭ぶつける、みたいな。でもそこで、すぐに死ななかったのよ彼女。なんとか、流血しながら自力で家路につき(これが冒頭のシーンの真相)、自宅で息絶えた。紺野と、その息子に嫌疑がかからぬように。

   流産を経験し、結婚が破談になり貧しい生活を送る安藤にとって、紺野の息子と公園ですごすひとときは、本当に幸せだったのだ。小さな子供が、母の犯した罪に苦悩しながらも、彼なりに母への愛情を示すシーンも、涙無しでは見れなかった。

 

 ネット上ではキラキラ輝いてみえる、二人のカリスマ主婦ブロガーの、心の闇。

この第3話の筋書きだけでドラマやったほうが、絶対、ぜったい、ぜーったい、面白いと思うんだけど、どうですか??あと湊かなえさんの小説でも読んでみたい題材。

 さらに『有名人気取りでイイ気になっているバカ女(ブロガー)に死を』なんて、ブログやってる人には、すげー心惹かれるフレーズなんじゃないですか?そうでもないですか、そうですか。

 でも、ブログやSNSがほとんどの人たちの日常に身近になった昨今、人気ブロガーが殺され、その犯人も人気ブロガーで、実は華やかなブログの裏に心の闇があって……って、このテーマで殺人事件とか、興味を持つ人かなり多いと思った。

 

 じゃあ、このドラマ何があかんのか。いらんかったのか。

それはね……大変申し上げにくいんだけど、主役の堀北真希ちゃんをはじめとする、レギュラーの方々、ですかね、うん。

 

 上記のように、ブロガー殺人事件とか、設定がすごく面白くて(1話完結なのでこの回だけだが)トラップもあって、見入ってしまう脚本だった。

 

 ただね、謎解きしてる刑事がね。いや真希ちゃん本当に可愛いし、壇れいさんも美しくてほんとうに超お気に入りな女優さん達なんだけどね。

 いかんせん、推理シーンで急になんやCG始まって、なんや主人公が目えつぶってトランス状態入って、みたいなこの特殊能力の設定、こういう既視感ありありの展開……いります?

 ほんで、キメッキメでこう言うんですわ真希ちゃんが。

 

「シンクロしました」

 

 えー、これ要るー?

物語の根幹に関わるの分かってるけど、これ要るー?(^^;

 

 もっと言うと、DAIGOも出てるんだけど、彼も要るー?DAIGO語を封印してクールぶった役柄なんだけど、いまいち封印しきれてないんよ。なんか、今にもウぃッシュ!って言い出しそうな、口の端がムズムズそう言いたそうな。

 

 「おさむちゃんですっ!!」を封印されて発作が出そうになってぷるぷる震えるぼんちおさむ師匠を見てるみたいな、そんな息苦しさを感じて、ダイゴが出てくると急にドラマへの集中力が途切れるのは私だけなのか。

 

「シンクロしました」で、一番良かったのはやはり年末のガキ使で、笑いをこらえてシンクロしながら浜ちゃんに「ゴリラゴリラゴリラ」と言ったあのシーンじゃないだろうか。あれが一番の真希ちゃんのシンクロだったんじゃないだろうか、そう思えてならない。

 でも私、来週も絶対見ると思う。暇だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女文士に、おれは、なる!!! (ドン)


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少し前、新歌舞伎座にて林芙美子放浪記を見て来た。演劇内でも朗読され、小説放浪記の中でも有名な詩の一部を書き写す。

男は下宿だし

私がいれば宿料がかさむし

私は豚のように臭みをかぎながら

カフエーからカフエーを歩きまはつた。

 

愛情とか肉親とか世間とか夫とか

脳のくさりかけた私には

縁遠いやうな気がします。

(中略)

 

金だかねだ

金は天下のまはりものだって云ふけれど

私は働いても働いてもまはつてこない。

(中略)

そして結局は薄情者になり

ボロカス女になり

死ぬまでカフエーだの女中だの女工だのボロカス女になり

私は働き死にしなければならないのか!

病にひがんだ男は

お前は赤い豚だと云ひます。

矢でも鉄砲でも飛んでこい

胸くその悪い男や女の前に

芙美子さんの腸(はらわた)を見せてやりたい

とにかく、言葉が激しい。林芙美子の言葉は、激しいのだ。貧相な木賃宿に吹くすきま風の冷たさに、思わず身を縮ませたくなる。これを私が書いてるのは床暖房とエアコンの効いたタワーマンションの部屋なのだけど。

劇中の男性詩人(名前を失念した)の曰く

林芙美子の詩は、ゴミ箱の中身をこう、ぶわあーっと床にばらまいて、それでこう、見てください、みたいなね、そんな救いのなさがあるからね、僕はどうも好きになれない」

みたいなことを言ってたが、確かにそのようなところがあると思った。 

これは、貧困女子の叫びだ。

林芙美子という人は、貧しい行商夫婦の間に産まれ、幼い頃から各地を放浪する生活であった。この物語は、そんな彼女が、ろくでもない男に貢いだりしながら地を這うような想像を絶するド貧乏生活からなんとか這い上がろうとする様を描かれている。

正直まったく興味はなかったのだが、夫の母が誘ってくれたので上本町の新歌舞伎座まで観劇に行ったのだった。

そして思った。新歌舞伎座で毛皮なんかまといながら暢気に芝居見物をきめているオバ様方よりも、もっと世の中には芙美子の言葉が突き刺さる若い女性がそこらじゅうにはずである、と。

1910年代、芙美子の働いていたカフエーというものの描写は、私の中の大正ロマン竹久夢二の絵、レトロな着物に洋風エプロンがステキ……みたいなカフエーへの幻想を見事に打ち砕いてくれた。

この時代のカフエーというのは、おしゃれな店内に小野リサのボサノバが流れているようなそんな空間ではなく、元締めが女達を安月給で働かせ、狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めにして集団で住まわせ、ことあるごとに給料を天引きして行くような場所であった。

接客内容は、飲食の給仕だけではなく、主に男性客を楽しませることを重要視され、女給とはすなわちセクハラとパワハラにまみれた不当労働を強いられる職業なのであった。

カフエーではないけれど、今現代も、酷い労働環境で心と身体を病みながら働く女性(男性もだけど)は大勢いる。ツイッターにはそんな人々の呪詛があふれる。 


ここで芙美子のつぶやきをいくつか拾ってみる。

  • ハロワの窓口で女性相談員に学歴を馬鹿にされる芙美子

おたんちん!ひょっとこ!馬鹿野郎!何と冷たいコウマンチキな女だらう。(中略)「月給参捨円位ヘッヘへ・・・」受付女史はかうつぶやくと、私の体を見て、まづせせら笑って云つた。「女中ぢゃあいけないの。事務員なんて、学校出がウヨウヨしているんだから。」

わかる。事務員やりたいよねえ。あこがれの事務職。

寝ても覚めても、結局死んでしまひたい事に落ちるが、 なにくそ!たまには米の五升も買ひたいものだ

  • 工場バイト芙美子のつぶやき

なぜ?なぜ?

私たちはいつまでもこんな馬鹿な生き方をしなければならないのか!いつまでたっても(中略)地虫のやうに、太陽から隔離されて、歪んだ工場の中で、コツコツ無駄に長い時間を青春と健康を搾取されている 

100年経っても工場バイトはそんなかんじですよ

 

  •  あとこの表現も好き

地球よパンパンとまつぷたつに割れてしまへ!

と、怒鳴ったところで私は一匹のからす猫、世間様は横目でお静かにお静かにとおつしゃる 

 

  • とにかく毒を吐く芙美子

世界は星と人とより成る。

 

嘘付け!エミイルヴェルハアレンの世界と云ふ詩を読んでいるとこんなくだらない事が書いてある。(中略) この小心者の詩人をケイベツしてやろう。

  •  そうかと思えば褒める芙美子

実につまらない詩だが、才子と見えて、実に巧い言葉を知っている。

金の駿馬をせめたてよか・・・。 

  •  こんなのも

からつぽな女は私でございます。・・・生きてゆく才もなければ、生きてゆく富もなければ、生きてゆく美しさもない。

さて残つたのは血の多い体ばかり。 

 

  • そしてこれ

獄中にある人々にとっては涙は日常経験の一部分である。ひとが獄中にあって泣かない日は、その人の心が堅くなっている日で、その人の心が幸福である日ではない。

夜夜の私の心はこんな文字を見ると、まことに痛んでしまふ。 

 

とまあこんな感じで、力強く“ゴミ箱の中身みたいな”言葉を武器に、芙美子は「私は女文士になるんだよっ!」と宣言し、放浪記で見事大ヒットを当てるのである。

この女文士って表現が、何度か出てくるんだけどすげーかっこいいと思った。

女流作家、とかじゃない。もっと勇ましくて、覚悟を感じる。最近は「文士」って誰も使わなくなったのかな。

ならば、私が目指したい!

……なんてね。私じゃだめだ。生きる世界がぬるすぎる。

そもそも、『放浪記は森光子さんのときも2回みてるのよ、ウフフ』と屈託なく笑ううちの姑さんは、いかにも芦屋育ちのお嬢で、ものすごく性格は良いが果たして彼女に林芙美子の良さがわかるのだろうか。どこまで本気で面白いと思って観劇してるんだろうか。おそらく、宝塚歌劇とか、歌舞伎とか、とりあえず見とこかー、みたいな人だから特に内容は深く考えていないのだろう。

そしてそんな家に嫁ぎ、夫と夫の両親にも大切にされ、可愛い娘とぬくぬく暮らす私には、そこまで血を吐くような思いで書きたいものが、ない。

私なんぞせいぜいツイッターで「バルス」とかつぶやくのが関の山なのだった。


※今回初めてパソコンを立ち上げて日記を書いてみた。スマホだとかなり長文が書き辛いと思った。ドン

まんこうしょうてんのおもいで


さて、帰るか - 関内関外日記(内)

この方の紹介されたサマーヌードという曲を聞いて、色々思い出したので。


私の故郷には、人形供養で有名な神社がある。

他府県の人が境内に入ると、まず目に飛び込んでくる人形群に圧倒されるらしい。地元の人間からすればこれも見慣れたもので、何か霊的な恐ろしい場所扱いをした余所者が、面白半分にこの神社のあること無いことをネットなどに書いてるのを見ると、なんだか悲しくなるしイラっとしてしまうのだった。お人形さんは、怖くないよ。呪われたとか思う人は心に疚しいところがあるんじゃないかと思う。

この神社には、他にも色んな物が祀られているのだが、本殿に向かって左手奥に進むと、女性の下着や、男性器を模した木彫りの御神体みたいなのが複数ある。 

これもまたいかがわしい噂をあれこれ言う輩が出る一因でもあるんだが、そういう信仰が各地であるのは珍しいことではないだろう。
 
私は、この神社から見える海がとても好きだ。妊娠した時は、戌の日詣りもここでお願いした。

心霊スポット呼ばわりされているここの神様が守ってくれたおかげで、私はとても可愛らしい女の子を無事出産し、育てている。
そして今、故郷を思い出すことも少なくなった。というか、殆んど忘れて暮らしている。

そんな時、この文章を読んだ。そしてリンクされているサマーヌードアドレセンスという歌を聞いたとき、故郷と遠い夏の恋を、海辺の匂いを、思い出したのだった。

件の神社の参道には、『満幸商店』という食堂兼土産物屋がある。口に出して言いづらい店名ではある。

その満幸商店で、昔彼氏に撮ってもらった写真を、この前古い荷物の片隅から娘が見つけ出したのだった。

「これママー?かわいいねえ」

その1枚を見せられた時、ドキリとした。何もきわどい写真ではない。普通のスナップ写真。
きわどいのは店の名前だけだ。

そこには、しらす丼を前にニッコリと微笑む私が写っていた。

娘の知らない男に向けられた、私の屈託無い笑顔。

その写真を撮ったあと、二人で何をしたかも覚えている。そんな写真。それ自体は何でもない1枚、だけど、とてつもなく後ろめたいのはなぜだろう。夫には絶対見せたくないと思った。

その時の彼氏は、とてもカメラが好きで、フィルム式の一眼レフでたくさんの私を切りとってくれたけど、私が持っているのはその1枚だけである。

「ねえママ、かわいいねえ、ここどこ?」

そうだね、若いよね、特にこの写真可愛く見えるね。これ以上この写真について喋ると、誰に撮られたのかとか、クリティカルな質問が飛んできそうだったので、早々に娘の手から奪ってゴミ箱に棄てた。……棄てたのだが、やっぱりちょっと可愛く写ってるのもあり、惜しくなってまた拾って、押し入れの天袋の箱に入れておいた。

と、そんなことがちょっと前にあって。

色々思い出したけど、また、忘れてしまうだろうな。