珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

神戸の女子高生のスカート丈は長いんやで!17年前の私へ。

  私は90年代田舎の私立女子高に通っていてhttp://mikimiyamiki.hatenablog.com/entry/2015/11/18/191635、その頃はコギャルブームでミニスカルーズソックス全盛期だったというのに、こちとら校則がきつくて長ったらしいスカートの制服を着ていた。そもそもデザイン自体が当時の価値観ではダサかった。

  あの制服着用時、私の行きたかった第一志望の公立高校に通う女子高生に会うと、惨めさは5割増だった。しかも共学で男子とイチャイチャ楽しそう。
長いスカートなんて。3ツ折ソックスなんて。屈辱の証でしかなかった。

  そう思っていた、いたんですが!!

  オシャレな街の代名詞とされる神戸(いやまあ神戸って言うてもめちゃくちゃ広いし、北区とかあれはもう三田やろ……この話長くなるからまた今度書こう、ここでは「神戸」は西宮、宝塚、芦屋なんかも入れてます)、その神戸の女子高生達の制服姿を見て私、凄いびっくりしたのだ。
  西宮と芦屋方面に住んで8年ほどになるが、今まで見てきた女子高生を平均化したらこんな感じ
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  しょっぼい絵だなあオイ。まあ、とにかく、スカートが長い!この一言につきる。
  膝上丈のスカートはいてる女の子なんて、ほぼ見ない。髪色も落ち着いており、全体的に幼い印象。
  かなりイメージと近いのが、乃木坂46の衣装みたいな。あれでさえスカート短いけどね、膝が見えてるから。公立のブレザー着てる子達は、ワンピース勢より更に長いスカート丈が特徴。

 そして、なんと言っても神戸っ子達と切り離せないのが神戸に本社を構える老舗子供服ブランドfamiliar(ファミリア)である。

  この地域の子供は、こぞってファミリアを着せられて育つ。私が今住むのはファミリア狂の街である。親から半ば押し付けられたファミリアマインドは、女子高生になって尚彼女らの中に深く根差す。そうして皆一様に持つのが、こちらの手提げかばんである。


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  多分、女子高生が持つには幼すぎるデザインであると思う。素材も単なる布(たまに合皮もあり)で、いかにも良い意味でママの手作りっぽい品なのだが、これがバカ高い。というかファミリアは全部高い。

  ちなみに私の故郷の友達が神戸の女子高生を見たとき、何故皆あのださいデニムのかばんを持っているのか、何故スカートが長いのか理解に苦しんだという。そう、今現在も私がかつて女子高生時代を過ごした田舎では、同じ関西というのに、まだまだミニスカート全盛なのだ。
  あのださいデニムかばんは、実は9720円もするんだよ、と教えてあげたい。

  とにかく、だ。少なくとも関西のオシャレを牽引する神戸という土地の女子高生が、こんなにも長いスカートを履いてるのだ。
  その事実は、私に勇気と感動をくれた。

  みよ、この清楚な姿を。
  田舎の髪パサパサの、きったねー女子高生どもよ。これが正しい制服のあり方なのだよ!!と、私はまた、勝手に対抗心を燃やして鼻息を荒くしている。
  そして相変わらず悪目立ちする制服を着て卑屈になってるわが母校の後輩女子たちよ。しいてはかつての私よ。あなた達は流行の先端にいるのだよ、と伝えたい。

  あと、阪神地域の女子高の制服で気になること2つ。ひとつは、夏服に白いワンピースやスカートが多いこと、あれ、すごく綺麗で涼やかに見えるんだけど生理の時は大変だろうなあと思う。もうひとつ、王子公園駅付近でよく見かける制服、綾波レイそのものなんだけど、あれどこの子達だろう?ジャンバースカートのうしろ、背中のクロスしたとこを留めてるピンまで皆familiarだった。綾波はfamiliar持たないだろうな。
いやもう神戸の女子高生みんな可愛い最高。

自分の後頭部を自分で編む女

30歳も過ぎれば、人間何か新しく技能を得ること、ゼロから何かを成し遂げられるようになることなんて、もうないと思っていた。

ちなみに私の人生で、天地がひっくり返るぐらいの衝撃で『やった!私できた!!』ってな達成感を得られた出来事といえば、小1のとき自転車に乗れるようになったことが、最初で最後な気がする。

それぐらい、チャリに乗れるようになるまでは努力したし様々な恐怖を体験して、またそれを克服した初めての瞬間、夏の日の夕方、家の前で母親が見守るなか猛スピードで駆け抜けた(スピードを出さないと転けてしまう)あの道、あの空気の湿り気をいまだに私は覚えている。

ちょっと待ってよ自転車以外に何か他にあるでしょと言われても、その後の人生で悲しいことに私があれほど何かをゼロから頑張ったと胸を張れることは無いのだった。

妊娠出産、あれは娘が頑張って出て来てくれただけのことだし。あいあむガッチャーイルこの腐敗した、みたいな - 陰毛に枝毛を見つけた日に

ところが、一昨年のことであるが、私はずっと昔から憧れていたけど出来なかった髪型、あの三つ編み込みヘアーを、自分で、自分の後頭部に、鏡も見ずに施せるようになったのである。もう何十年も叶えられずにいた夢。何度も雑誌やwebページ、YouTubeのへアセット動画などを見た。

髪の束がA、B、Cと初めに三つあり、サイドのDを真ん中のBに足して更に反対側のEをなんたらかんたらチンプンカンプン、文章やわかりやすく毛束の色を変えた図解も何度も見た。何年も。しかし、出来なかった三つ編み込み。

が、しかし、ある時ふいに、なんの前触れもなくその日は来たのだった。

いや、きっかけはあった。そのきっかけとは、裏編み込みと表編み込みの違いを知ったことなのだ。たったそれだけのことで。

自分がやりたいと思っていた編み込みは、裏編みであり、今まで図解通りにやったつもりになっていたのは、表編みだったのだ。つまり、初めに知識として「編み込みは二種類裏と表がある」これを知っていたならば、私はもっと早くに問題を解決出来ていたのである。

巷にあふれる編み込み指南書は、その辺の言葉の定義をもっと明確にしてほしかった。

後々気づいた事実として私は、表編みはもうすでに昔から出来ていたのだが、それが自分の描く編み込み像、つまり裏編みと違うので、おかしいおかしい出来ない、と悩んでいたのだった。表も裏も、Aの毛束のうんぬんという理論上は同じやりかたなので、ややこしいのである。

世の中、こんなふうに、何事も出来る人からみたら「え?そこ?そんなとこから説明しとけば良かったの?」みたいなことが省かれていて、それが原因でややこしくなっていることが他にもあるのかもしれないと思った。

何はともあれ、私はそれから鏡を見ずに後頭部に複雑な編み込みを自分で施すようになる。何度も本や動画で見た知識と、裏編み込みという概念が結び付いたのだ。

しかし、その後ヘソ下まで伸ばした髪を50センチほど切ってしまい、今となっては編み込みする毛がないのであった。

そんなわけで、私の人生34年間で頑張って結果出したこと、それは自転車と編み込みヘアーのれんしゅうです。以上二点のみ、他には何もござんせん。  
※今回の日記は、太字を使うこと、リンクを埋め込むことを練習してみました。

アニメだいすき! が、だいすき!


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私は、冬が好きである。
夏と比べれば、断然冬が好きである。好きな人の手を右ポケットにお招きするための理由ができるとか、嬉しそうにビールを飲む横顔がいいとか、歩道に重なる白がつぶやきを消すからだとか、きっと君はこないからだとか、それはもうだいたい100個ぐらい理由があるけれど、まず冬に街で流れる歌が好きなのだ。

私の通っていた中高一貫の女子校彼女にあって彼女にないもの - 陰毛に枝毛を見つけた日には、カトリック系の学校だったので、毎朝かったるい讃美歌を歌う。しかし12月に歌う曲目は、巷でクリスマスソングとして定着しているものばかりで、校則の厳しい学校生活の中『シュッワッキッマッセッリー、シュッワッキッマッセッリー』と声高らかに叫ぶ時だけは、なんだかシュに感謝したくなったものである。

とにかくこの季節は、定番曲が多い。マライアキャリー、山下達郎から聖歌まで。

そんななか、ド定番Wham!ラストクリスマスだ。この曲、本当に好き。

何故かというと、このラストクリスマスと必ずセットになって呼び起こされる私の中の懐かしい記憶があるから。

かつての恋人とデートした冬の日……とか、言うと思いました?いやいやいや。そんなしょーもない。

くそつまらん恋人たちのクリスマス話じゃなく、私がこの曲で思い出すのは、あの伝説のよみうりテレビ制作番組『アニメだいすき!』の記憶ですがな!
アニメだいすき!
『アニメだいすき!』は、読売テレビが1987年から1995年にかけて春休み・夏休み・冬休みの学休期間中にOVAやアニメーション映画を中心に放送していた特番枠。             

アニメだいすき! - Wikipedia

パトレイバーも、高橋留美子の短編OVAも、この番組で知った。そして、そのスタイリッシュなこと、子供心に感動であった。藤子F不二雄の短編作品なんて、 今テレビの地上波で流してくれる局は無いと思う。『みどりの守り神』はVHSに録画した。

Google先生によって初めて教えられたが、この番組は関西ローカルだったそうで、ほんと端くれとはいえ一応関西蜜柑の国うまれで良かったとひしひし思う。

そして、Wham!ラストクリスマスを、初めてこの番組で聴いたのだった。いや初めてではないな、多分。でも、ちゃんと聴いたのが初めてだった。小学生の私は、歌詞が何を言ってるかわからなかったけど、ラースクリスマスだけは聞き取れた。とても甘い曲だと思った。

アニメだいすき!のオープニングとエンディングは独特の手法をとっており、必ずキャッチーな洋楽ナンバーがBGMに流れる。それらは80、90年代の王道ポップスばかりで、今セットリストを見ても、コンプリートアルバムが出そうな、既に出てそうな感じのチョイスである。

放映時期は必ず夏休み、冬休み、春休み期間中であったこと。

これがまた、様々な思い出と重なる。あの頃は、おじいちゃんお婆ちゃん、そして地元の商店街も、まだ元気で生きていて、そこのご飯屋から出前してもらったうどんを食べてから『ミノタウロスの皿』見たなあ、とか。ある年の冬休みは、風邪を引いてフラフラになりながら『炎トリッパー』見た、とか。

アニメだいすき!は、アニメの記憶というより、そこで聞いた洋楽と、夏休み冬休みのノスタルジックな記憶と結び付いている。学校のない、ゆるやかな時間。おじいちゃん家で、いつもの休みより更にゴロゴロしてる幸せなひととき。

だから、私にとってはWham!ラストクリスマスは、しいていえば、古い家の火鉢のにおいとか、おばあちゃんがお節料理の棒だらを炊いてる姿とか、藤子F不二雄とか、そういうノスタルジーがつまった曲なのだった。

でなんで冬が好きかって話だけどああそう、冬の曲が好きで、まあそう、だいたい100個ぐらい理由があって、いちいち脱線するからちゃんと書けないわ、すいません。


神様が人間を救ってくれる存在だなんていつから錯覚していた?

桐野夏生「女神記」を読んだ。古事記をベースにした物語で、日本の国土をはじめ色々な神、自然現象を産んだ男神イザナキと女神イザナミの物語。
平たく言うと、神様同士の壮絶壮大な夫婦喧嘩のおはなし。
あとはまあ、要約すると神様産まれすぎワロタって感じで。

そんな国生み、神生みといわれる古事記の章に、小さな島の巫女の物語が絡み、物語に更なる深みを持たせている。

美しい姉カミクゥは陽の巫女、対して貧相な妹ナミマは陰の巫女。過酷な運命を背負う姉妹、特に醜い方の葛藤を書かせたらもうさすが桐野先生。

「グロテスク」の東電OLがモデルとなった主人公のときもそうだったけど、桐野夏生はご自分があれだけ美しいのに、どうしてこうも醜女のあがきを表現するのが上手なのか。

読んでいて、ヒリヒリと、自分の中の嫉妬や恨み、妬みといった泥沼の部分が刺激される。生理前に読むと、PMSとあいまってどんより気分も5割増し。だが、それが良い。

ナミマは、とても不幸な女で、心底愛した男に殺される。さらに、その男は自分との間に産まれた実の娘を生け贄にし、美しい姉と再婚する。よりによって、姉と。
何重にも裏切られ、娘まで不幸にされたナミマの悲しみ、怒り、憎しみたるや。
で、黄泉の国でイザナミが毎日千人の命を奪う仕事をしてるその役目を、私もやる、と言い出すわけだ。
でも、出来なかった。
なぜなら、肉体はなくともナミマは人間だったから。ちっぽけな人間。

イザナミ様は、『人間の命など何とも思わないのが神だ。お前は人間だから、臆したのだろう。神と人間とは違う。私の苦しみは、お前の苦しみとは違うのだ』と、いとも簡単に言ってのける。

このイザナミの言葉に、そうかなるほどと思った。神が人間を救うなんて、何を贅沢なことほざいてるのだ私達。

1日に千五百の人命を産むのも神なら、千の人の命を奪うのも神。
そんな大仕事を毎日何万年何億年繰り返す、それが神の運命であり。
いちいち命に意味を持たせていては、身が持たないだろう。しんどすぎる。そうだ、偉大な神にとって人間なんてその程度のものだと皆気づくべきである。私達に救いなんて無い。

最後に、イザナミに赦しを乞うため、もう一度黄泉の国に来たイザナキの魂。よもつ醜女に追われ殺されかけ、あれだけ恐ろしい目にあって、元妻がどんだけ怒ってるか重々承知で。それでも覚悟をきめて謝りに来たイザナキ。なせか。心底惚れた人間の女を救うために。

うわぁ。
めっちゃ、恐かったやろこれ。そしていよいよクライマックス、元嫁さんイザナミは、よそで色んな女に子供を産ませまくってきた元旦那イザナキをゆるすのか……?!

結論は最後の頁。『これからも怨んで憎んで殺し尽くすのだ』  
そうよね、これでこそ「女」神、だわ。
古事記ではなく、女神記。

日本の伝統芸能「椅子落ち」について

PTAが選ぶ子供に見せたくない番組、といえば毎年「ロンハー」がワーストなわけだが、私の中ではぶっちぎりで新婚さんいらっしゃいが一位である。
娘が年頃になったとき、あの時間に6チャンネルをつける勇気が私にはない。

日曜の昼下がり、家族がまったり過ごす時間帯に敢えて放送されているところがまず罠である。

赤裸々に明かされる新婚夫婦の生々しい性生活のエピソード。素人で、ふだんはそのへんで真面目に会社員なり何なりしてる、普通の人達が語る初夜の話などは、エロい格好をしたグラドルの下ネタよりもずっと恥ずかしい。

そもそも、新婚さんっていうのは誰もあからさまに言わないが、それだけでじつに性的な存在であると思うのだ。あー、この人とこの人がヤるんやな、というのがダイレクトに想像出来てしまうというか。

しかもイエスノー枕ときたもんだ。何がイエスノーなのか知らずに見ていた乙女の頃の私の清らかさよ。

とはいえ、私は新婚さんいらっしゃいが流れる日曜の昼下がりが好きだ。

土曜はちょっとアクティブに過ごしたので、次の日はのんびりしよう、そんなアフタヌーンに、桂文枝が「ブー」といいながら椅子から転げ落ちる様(通称「椅子落ち」)を見ると、非常に心が安らぐ。あー、私日曜休んでる~感がすごい出る。

なので、あの番組はこれからもずっと続いてほしいし、文枝師匠と山瀬まみさんには末永く元気でと願う。

そしてあそこに出演する新婚夫婦、そういう人達は今後多分減り続けると考えるのだが、ぜひとも世の中の新婚さんには出演オーディションにチャレンジしていただきたい。だけどうちの娘が将来出たいとか言い出したら、うーん。

まあ多分、うちの子は無理だな。あの番組に出てくる新婚さん達、鉄の心臓だもの。

今日の嫁さんは、処女喪失のエピソードや、風呂に旦那と一緒に入っていても自分が浴槽の中でオシッコする癖をやめられないと満面の笑みで語っていた。すごい。


自転車なんか乗れなくて良いという私の優しさは優しさじゃないのか

ほんまは自転車乗りたかった


藤山直美主演、映画『顔』の、このセリフ。このセリフに、ショックを受けた。

主人公の正子(藤山直美)は、35歳引きこもり独身。幼い頃から外見的にハンデのある女でおまけに少し知恵遅れで運動神経も悪い苛められっこだった。
そんな正子を常々可哀想だと思っていた父親は、幼い彼女にこう言う。

「おまえは、自転車も乗れんでええし、泳げんでええ」

やがて父親は、愛人とどこかへ逃げてしまい、正子は、取り残された母親と二人暮らしをしていたのだが、母親が急死する。そして口論の末長年不仲だった美人の妹(牧瀬里穂)を殺害してしまう。物語は、そんな正子の逃亡生活を中心に進む。

初めの潜伏先は、古いラブホテルで、そこで働くことになる正子。岸辺一徳さん演じるホテル支配人が彼女の世話をする。細かなやりとりは忘れたが、正子の自転車の練習に付き合うことになる支配人。その後支配人は自殺するので、多分最後に願いをきくような意味があったのかもしれない。

タイトルのセリフは、川原で自転車の練習をしているとき、ぽつりぽつりと正子が話した言葉だ。

ほんまは、自転車に乗りたかった。
ほんまは、泳げるようになりたかった。

彼女は、何度も転んで泥だらけになった顔でそう言った。

私は、常日頃から、娘には「頑張らなくて良いよ、嫌ならやらなくて良いよ」そんなスタンスで接してきた。

何故なら、私自身は完璧主義な父親に頑張れ頑張れとかなり厳しく育てられ、その結果過剰になんでも全力投球でがんばる人間になってしまったと思っているからだ。

素直にどんなことも一生懸命取り組む人間は、ブラック企業の格好の獲物になった。「やりがい搾取」という言葉がまだなかったあの頃、私は記者もやりながら、『営業もさせてあげる、広告デザインもさせてあげる、撮影もさせてあげる、残業させてあげる、電話も全部とらせてあげる、頑張れ頑張れ頑張れ!』ともはや自分が何屋なのかわからず、それでも自分の想いをカタチに出来る幸せな職場にいるんだから、上司の期待に沿えるようにがんばらなくちゃ、と働いていた。

「頑張ること」は、そんなに大切だろうか。努力は報われるのだろうか。世の中で、成功しなかった人は全て頑張らなくて、努力が足りなかったのだろうか。

ただひたすらに、汗水たらすことのみが美徳と教育するのは大変危険だと私は思っている。少なくとも、娘には、私みたいな職場では働いて欲しくない。すぐにそんな所からは逃げる無責任な子になってほしいのだ。

私の大切なこの子には、将来辛い思いをしてほしくないから、がむしゃらにひた走る子に育てたくないのだ。
 
自転車も、水泳も、出来なくたって死なないし。いいよ、やりたくないなら、やらなくて良い。そう思っていた。

そこへ、藤山直美のこのセリフである。
ショックだった。

とはいえこれはフィクションである。自分の子供が35歳引きこもりになるかどうかは、わからない。自転車に乗れなくても、他の幸せを見つけるかもしれない。

ただ、最近うすうす思うのは、例えば甲子園など大きなスポーツの大会に出るほどの実力があったり頑張れる子供は、その他勉強に関してや、社会に出てもそれなりにうまいことやるよね、ってことで。

運動神経は今のところ無さそうな娘。頭のほうも、これもあまり期待は出来ないと思っている。
ただとても健康だ。そして顔が可愛い。結局またその話になるが、娘は顔が可愛い。それで良いではないか、と思った。

ちなみに正子は、逃亡の中で自転車に乗れるようになる。恋をし、ラストには海を泳いで警察の手から逃れるシーンで終わる。

彼女にあって彼女にないもの

私が大学に入ってすぐの頃だから多分15年ほど前。
テレビ番組で、ロンブーが司会のやつ。
グラビアアイドルの卵みたいな女の子達がビキニ姿で出てきて、お互いの悪口を相手がヘッドフォンつけてる間に言い合う、そんな下品な番組があって。

私は巨乳を見るのが好きだし、女同士のドロドロとかも好物な性悪だからその番組はちょいちょいチェックしていた。
で、ある日チャンネルを合わせたとき、ヘッドフォンをして酷い悪口を浴びせられまくっていた、黒いビキニの子。その子。
同じ高校の同級生だった。
 
私の通っていた中高一貫女子校の生徒は、悪い意味で、処女っぽい子ばかりだった。清純と言えば聞こえは良いが、もっさりして暗くておとなしくて、まあ平たく言えばブスで男の子に相手にされないような。
いや、よくみるとかなり可愛い子がゴロゴロ居たんだよ。私も可愛いかった。おい。
けれど、ルーズソックス、コギャル全盛の90年代。化粧禁止、髪は絶対むすぶこと。そして何より当時の価値観でいう「ダサい」をそのまま固めて形にしたような有り得ないデザインの制服は、少女らの自信をこてんぱんに砕いた。
地元で一番歴史があり、偏差値が高い公立高校を出て旧帝大を卒業した父に「レベルの低い学校にはレベルの低いやつが集まるから、校則をきつくしないといけない。自分の母校は自由だった」などと嫌味を言われたりした。
とにかくルックス競争においては他校とかなり苦戦を強いられていたのは確かだ。その結果、全員処女に見えたし本当に処女が多かった。はず。

偏差値をどんどん上げて実績を作らないとと、生徒集めに必死な学校側に勉強浸けにされ、校則に抗う気力も奪われたのだろうか、全体的におとなしい子ばかりにまとまっていた。
そんな、ひたすら地味なおさげ髪の女子ばかりの集う空間で、グラビアの彼女はやはり少し目立った存在であった。制服で抑えつけられながらも、彼女の美しさは端々から滲み出ており、クッキリとした意思の強そうな瞳が、私は少し怖かった。髪も明るい色で、本人はクォーターだからだと言っていたが根元の毛が暗かったから染めていたのだろう。そんな彼女は、行動もやや不良寄りで、「昨日よー、ノーヘルで原チャニケツしてたらよー、ポリ公においかけられてよー」などと言う事を聞いたのを今でも覚えてる。
なぜ今もそのことをしつこく覚えてるかと言うと、私が人生で「ポリ公」という言葉を初めて聞いて学習したのがその時だったからだ。尚、「よー、よー」と語尾が汚いのは彼女が不良だからではなく、私の故郷では普通に皆が使う方言であり、田舎臭いことこの上ないので私は大学時代でそれを封印した。よー。

で、画面の中にいたのが、そのポリ公クォーター彼女だったのだ。少しばかり破天荒な子だったが、まさかこういうイロモノな道に進んだとは。その後は、中居正広の番組の後ろで赤い服を着ている女の人の団体の中にいたの確認して最後、ぱったり彼女を見ることがなくなったのであった。

それからまた長い月日がながれ、ふと最近あの子どうしてるやろ、と思い出したのだ。AV女優にでもなってるんちゃうん……そんな悪趣味なことを考えながら、彼女のフルネームをGoogleで検索してみた。すると。出てきた、ブログが。

そのブログには、全然彼女らしくない真面目な、子供たちの未来がどうとかこうとか、世界平和のためにだとか、説教みたいなことがグダグダ書かれていた。宗教にでもはまったのかな?と私は思った。
が、違った。
彼女は、ビキニ姿の彼女は!
数年前某都市の(故郷なんか足元にも及ばない東の方の大都会)、某政党議員に当選していたのだった。
予想外の転身に、心底驚いた。そしてその行動力に感服した。すごい、すごいよ○○さん。なんでも2015年現在は議員を引退しているものの、華麗なる経歴と人脈を利用し華々しく政財界で活躍中のようである。少し前にはお金持ちと結婚し、式の挨拶には有名政治家が駆けつけ、余興は大物歌手の某氏が歌声を披露してくれたと綴られていた。林真理子先生もびっくり、彼女は野心の権化だった。

政治家なんて、国民の税金をちょろまかして、嘘とカネにまみれた汚い奴らだと皆思っている。あんなゲスい奴ら、と。政務調査費をちょろまかして、号泣する呆れた連中ばかりだと。
だったら、文句を言うなら、なれは良いのだ政治家に。
なれるものなら、なればいい。ただし立候補したって、当選する確証なんてないし、落選した者にも莫大な経費がのしかかる。
だいたい、私は自分の写真があの、選挙ポスター掲示板に貼られてしまうという、小学生なんかに揶揄されて、そんなつまらないことすら怖いのだ。
その世界に踏み入れた、一歩を踏み出そうと決心できたことが、既に尊敬に値するのである。

時代もまた良かった。今じゃ番組のキャプチャ映像がネットに残っていたかもしれないし、そうなれば政界入りも難しかっただろう。グラドルとして成功しなかったことも功を奏したと言える。

彼女を見て、「度胸」ってやつは、人間にとって財産であるとつくづく思った。
彼女の生き方に、私は惜しみ無い賞賛を送る以外言葉はない。

芸能界で思うように仕事がもらえず、果てはコカインパーティーに堕ちるグラビアアイドルのニュースを聞いて、彼女との違いを色々考えたが、心が弱いか強いか、それぐらいしかわからなかった。