何百回と歩いたことのある梅田の道で、大きな事故があった。昨日は、普段見もしない報道ステーションに冒頭からチャンネルを合わせる。
有名人気取りでイイ気になっているバカブロガーに死を……ってテレビで言ってたよ
ヒガンバナ〜警視庁捜査七課〜というドラマの録画を先ほど見た。
年末のダウンタウンガキの使い笑ってはいけない探偵で、堀北真希ちゃんが役柄で登場していたあの作品である。
あの、笑ってはいけない探偵のときにチラっとそのコンセプトとあらすじを見ただけでも「うっわ、おもんなさそ。絶対面白んないわ、これ」と誰もが思ったであろうあのドラマ。
その第3話を録画していたので初めて見た。そんなにおもんなさそうなものを、何故わざわざ見るのか。答えは簡単、わたくし暇だから。
あとはまあ、こういう本気で見る気のないドラマは家事をするときにダラダラ流しておくにはピッタリなので。
そして、掃除をしながら適当に見始めたドラマを、1時間見終わる頃には私は号泣してしまっていた。
そう、なかなか良かったのである、少なくともこの第3話に関しては。
しかし、プロットがかなり良いと感心すると同時に、この設定はいらんなあ〜と残念に思う部分もかなりあった。以下に詳しく記したい。
まず、第3話のあらすじ。冒頭、頭から血を流した安藤玉恵がフラフラと街を歩くシーンから始まる。そこから場面は一転し、カリスマブロガー主婦紺野まひるのサイン会会場。そこに響く悲鳴。何者かが、血文字のような脅迫文をサイン本に仕込んでいたのだ。そこにはこう書かれていた。
『有名人気取りでイイ気になっているバカ女に死を』
その後、同じ内容の脅迫文が、複数のブログに書き込まれている事が判明。ブロガーは全員セレブ妻達であった、そう、1人を除いては。
そしてその主婦ブロガーは、何者かに殺害されていた。こうして、カリスマブロガー主婦を狙った殺人事件の捜査が始まる。
この間、色々なトラップも有り、脅迫文を送りつけた男が逮捕されるのだが、その男は殺人の真犯人ではない。
最もこの話の肝になるのが、殺された人気セレブ妻ブロガーは、実はワープアの一人暮らし派遣社員の地味な女性だったという事実。
ブログには、子供との幸せそうな生活を綴り、キャラ弁当などをアップしていた彼女。しかしその生活は全て虚構だったのだ。
その事実を面白おかしく書くゴシップ記者。その記事が元で、被害者のブログは「嘘乙www」「ボロいアパートに住んでるくせに」など罵詈雑言が並び、炎上することになる。
で、まあ色々あって、ネタばらしをすると、真犯人は紺野まひるだったわけ。過失だったんだけどね。
有名カリスマ主婦ブロガーの紺野は、夜遅くまで、毎日テレビの仕事にひっぱりだこで、家でほとんど食事を作っていなかった。息子はお腹をすかせて公園でいつも遊んでいた。そこに、偶然出会って仲良くなる安藤玉恵と息子ちゃん。
そして、ある時から安藤玉恵は紺野まひるの息子ちゃんに、キャラ弁を作って公園に持って行ってあげるようになる(そのキャラ弁をブログにアップしていた)。ママの誕生日までに、自転車を一人で乗れるようになりたいという息子ちゃんと、秘密の自転車特訓をする彼女。そのとき二人とも体に痣や傷を作る事が有るのだが、これがまた架空のDV男がいるのかも、とか子供が虐待されてる?などの色々推理を撹乱させる要素になっていて面白い。
あるとき、自分の息子が見知らぬ女のキャラ弁を嬉しそうに公園で食べるのを見つけてしまう紺野。
で、激高→つきとばす→安藤こける、頭ぶつける、みたいな。でもそこで、すぐに死ななかったのよ彼女。なんとか、流血しながら自力で家路につき(これが冒頭のシーンの真相)、自宅で息絶えた。紺野と、その息子に嫌疑がかからぬように。
流産を経験し、結婚が破談になり貧しい生活を送る安藤にとって、紺野の息子と公園ですごすひとときは、本当に幸せだったのだ。小さな子供が、母の犯した罪に苦悩しながらも、彼なりに母への愛情を示すシーンも、涙無しでは見れなかった。
ネット上ではキラキラ輝いてみえる、二人のカリスマ主婦ブロガーの、心の闇。
この第3話の筋書きだけでドラマやったほうが、絶対、ぜったい、ぜーったい、面白いと思うんだけど、どうですか??あと湊かなえさんの小説でも読んでみたい題材。
さらに『有名人気取りでイイ気になっているバカ女(ブロガー)に死を』なんて、ブログやってる人には、すげー心惹かれるフレーズなんじゃないですか?そうでもないですか、そうですか。
でも、ブログやSNSがほとんどの人たちの日常に身近になった昨今、人気ブロガーが殺され、その犯人も人気ブロガーで、実は華やかなブログの裏に心の闇があって……って、このテーマで殺人事件とか、興味を持つ人かなり多いと思った。
じゃあ、このドラマ何があかんのか。いらんかったのか。
それはね……大変申し上げにくいんだけど、主役の堀北真希ちゃんをはじめとする、レギュラーの方々、ですかね、うん。
上記のように、ブロガー殺人事件とか、設定がすごく面白くて(1話完結なのでこの回だけだが)トラップもあって、見入ってしまう脚本だった。
ただね、謎解きしてる刑事がね。いや真希ちゃん本当に可愛いし、壇れいさんも美しくてほんとうに超お気に入りな女優さん達なんだけどね。
いかんせん、推理シーンで急になんやCG始まって、なんや主人公が目えつぶってトランス状態入って、みたいなこの特殊能力の設定、こういう既視感ありありの展開……いります?
ほんで、キメッキメでこう言うんですわ真希ちゃんが。
「シンクロしました」
えー、これ要るー?
物語の根幹に関わるの分かってるけど、これ要るー?(^^;
もっと言うと、DAIGOも出てるんだけど、彼も要るー?DAIGO語を封印してクールぶった役柄なんだけど、いまいち封印しきれてないんよ。なんか、今にもウぃッシュ!って言い出しそうな、口の端がムズムズそう言いたそうな。
「おさむちゃんですっ!!」を封印されて発作が出そうになってぷるぷる震えるぼんちおさむ師匠を見てるみたいな、そんな息苦しさを感じて、ダイゴが出てくると急にドラマへの集中力が途切れるのは私だけなのか。
「シンクロしました」で、一番良かったのはやはり年末のガキ使で、笑いをこらえてシンクロしながら浜ちゃんに「ゴリラゴリラゴリラ」と言ったあのシーンじゃないだろうか。あれが一番の真希ちゃんのシンクロだったんじゃないだろうか、そう思えてならない。
でも私、来週も絶対見ると思う。暇だから。
女文士に、おれは、なる!!! (ドン)
少し前、新歌舞伎座にて林芙美子放浪記を見て来た。演劇内でも朗読され、小説放浪記の中でも有名な詩の一部を書き写す。
男は下宿だし
私がいれば宿料がかさむし
私は豚のように臭みをかぎながら
カフエーからカフエーを歩きまはつた。
愛情とか肉親とか世間とか夫とか
脳のくさりかけた私には
縁遠いやうな気がします。
(中略)
金だかねだ
金は天下のまはりものだって云ふけれど
私は働いても働いてもまはつてこない。
(中略)
そして結局は薄情者になり
ボロカス女になり
私は働き死にしなければならないのか!
病にひがんだ男は
お前は赤い豚だと云ひます。
矢でも鉄砲でも飛んでこい
胸くその悪い男や女の前に
芙美子さんの腸(はらわた)を見せてやりたい
とにかく、言葉が激しい。林芙美子の言葉は、激しいのだ。貧相な木賃宿に吹くすきま風の冷たさに、思わず身を縮ませたくなる。これを私が書いてるのは床暖房とエアコンの効いたタワーマンションの部屋なのだけど。
劇中の男性詩人(名前を失念した)の曰く
「林芙美子の詩は、ゴミ箱の中身をこう、ぶわあーっと床にばらまいて、それでこう、見てください、みたいなね、そんな救いのなさがあるからね、僕はどうも好きになれない」
みたいなことを言ってたが、確かにそのようなところがあると思った。
これは、貧困女子の叫びだ。
林芙美子という人は、貧しい行商夫婦の間に産まれ、幼い頃から各地を放浪する生活であった。この物語は、そんな彼女が、ろくでもない男に貢いだりしながら地を這うような想像を絶するド貧乏生活からなんとか這い上がろうとする様を描かれている。
正直まったく興味はなかったのだが、夫の母が誘ってくれたので上本町の新歌舞伎座まで観劇に行ったのだった。
そして思った。新歌舞伎座で毛皮なんかまといながら暢気に芝居見物をきめているオバ様方よりも、もっと世の中には芙美子の言葉が突き刺さる若い女性がそこらじゅうにはずである、と。
1910年代、芙美子の働いていたカフエーというものの描写は、私の中の大正ロマン、竹久夢二の絵、レトロな着物に洋風エプロンがステキ……みたいなカフエーへの幻想を見事に打ち砕いてくれた。
この時代のカフエーというのは、おしゃれな店内に小野リサのボサノバが流れているようなそんな空間ではなく、元締めが女達を安月給で働かせ、狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めにして集団で住まわせ、ことあるごとに給料を天引きして行くような場所であった。
接客内容は、飲食の給仕だけではなく、主に男性客を楽しませることを重要視され、女給とはすなわちセクハラとパワハラにまみれた不当労働を強いられる職業なのであった。
カフエーではないけれど、今現代も、酷い労働環境で心と身体を病みながら働く女性(男性もだけど)は大勢いる。ツイッターにはそんな人々の呪詛があふれる。
ここで芙美子のつぶやきをいくつか拾ってみる。
- ハロワの窓口で女性相談員に学歴を馬鹿にされる芙美子
おたんちん!ひょっとこ!馬鹿野郎!何と冷たいコウマンチキな女だらう。(中略)「月給参捨円位ヘッヘへ・・・」受付女史はかうつぶやくと、私の体を見て、まづせせら笑って云つた。「女中ぢゃあいけないの。事務員なんて、学校出がウヨウヨしているんだから。」
わかる。事務員やりたいよねえ。あこがれの事務職。
寝ても覚めても、結局死んでしまひたい事に落ちるが、 なにくそ!たまには米の五升も買ひたいものだ
- 工場バイト芙美子のつぶやき
なぜ?なぜ?
私たちはいつまでもこんな馬鹿な生き方をしなければならないのか!いつまでたっても(中略)地虫のやうに、太陽から隔離されて、歪んだ工場の中で、コツコツ無駄に長い時間を青春と健康を搾取されている
100年経っても工場バイトはそんなかんじですよ
- あとこの表現も好き
地球よパンパンとまつぷたつに割れてしまへ!
と、怒鳴ったところで私は一匹のからす猫、世間様は横目でお静かにお静かにとおつしゃる
- とにかく毒を吐く芙美子
世界は星と人とより成る。
嘘付け!エミイルヴェルハアレンの世界と云ふ詩を読んでいるとこんなくだらない事が書いてある。(中略) この小心者の詩人をケイベツしてやろう。
- そうかと思えば褒める芙美子
実につまらない詩だが、才子と見えて、実に巧い言葉を知っている。
金の駿馬をせめたてよか・・・。
- こんなのも
からつぽな女は私でございます。・・・生きてゆく才もなければ、生きてゆく富もなければ、生きてゆく美しさもない。
さて残つたのは血の多い体ばかり。
- そしてこれ
獄中にある人々にとっては涙は日常経験の一部分である。ひとが獄中にあって泣かない日は、その人の心が堅くなっている日で、その人の心が幸福である日ではない。
夜夜の私の心はこんな文字を見ると、まことに痛んでしまふ。
とまあこんな感じで、力強く“ゴミ箱の中身みたいな”言葉を武器に、芙美子は「私は女文士になるんだよっ!」と宣言し、放浪記で見事大ヒットを当てるのである。
この女文士って表現が、何度か出てくるんだけどすげーかっこいいと思った。
女流作家、とかじゃない。もっと勇ましくて、覚悟を感じる。最近は「文士」って誰も使わなくなったのかな。
ならば、私が目指したい!
……なんてね。私じゃだめだ。生きる世界がぬるすぎる。
そもそも、『放浪記は森光子さんのときも2回みてるのよ、ウフフ』と屈託なく笑ううちの姑さんは、いかにも芦屋育ちのお嬢で、ものすごく性格は良いが果たして彼女に林芙美子の良さがわかるのだろうか。どこまで本気で面白いと思って観劇してるんだろうか。おそらく、宝塚歌劇とか、歌舞伎とか、とりあえず見とこかー、みたいな人だから特に内容は深く考えていないのだろう。
そしてそんな家に嫁ぎ、夫と夫の両親にも大切にされ、可愛い娘とぬくぬく暮らす私には、そこまで血を吐くような思いで書きたいものが、ない。
私なんぞせいぜいツイッターで「バルス」とかつぶやくのが関の山なのだった。
※今回初めてパソコンを立ち上げて日記を書いてみた。スマホだとかなり長文が書き辛いと思った。ドン
まんこうしょうてんのおもいで
さて、帰るか - 関内関外日記(内)
神戸の女子高生のスカート丈は長いんやで!17年前の私へ。
自分の後頭部を自分で編む女
アニメだいすき! が、だいすき!
私は、冬が好きである。
アニメだいすき!
『アニメだいすき!』は、読売テレビが1987年から1995年にかけて春休み・夏休み・冬休みの学休期間中にOVAやアニメーション映画を中心に放送していた特番枠。
パトレイバーも、高橋留美子の短編OVAも、この番組で知った。そして、そのスタイリッシュなこと、子供心に感動であった。藤子F不二雄の短編作品なんて、 今テレビの地上波で流してくれる局は無いと思う。『みどりの守り神』はVHSに録画した。
Google先生によって初めて教えられたが、この番組は関西ローカルだったそうで、ほんと端くれとはいえ一応関西蜜柑の国うまれで良かったとひしひし思う。
そして、Wham!のラストクリスマスを、初めてこの番組で聴いたのだった。いや初めてではないな、多分。でも、ちゃんと聴いたのが初めてだった。小学生の私は、歌詞が何を言ってるかわからなかったけど、ラースクリスマスだけは聞き取れた。とても甘い曲だと思った。
アニメだいすき!のオープニングとエンディングは独特の手法をとっており、必ずキャッチーな洋楽ナンバーがBGMに流れる。それらは80、90年代の王道ポップスばかりで、今セットリストを見ても、コンプリートアルバムが出そうな、既に出てそうな感じのチョイスである。
放映時期は必ず夏休み、冬休み、春休み期間中であったこと。
これがまた、様々な思い出と重なる。あの頃は、おじいちゃんお婆ちゃん、そして地元の商店街も、まだ元気で生きていて、そこのご飯屋から出前してもらったうどんを食べてから『ミノタウロスの皿』見たなあ、とか。ある年の冬休みは、風邪を引いてフラフラになりながら『炎トリッパー』見た、とか。
アニメだいすき!は、アニメの記憶というより、そこで聞いた洋楽と、夏休み冬休みのノスタルジックな記憶と結び付いている。学校のない、ゆるやかな時間。おじいちゃん家で、いつもの休みより更にゴロゴロしてる幸せなひととき。
だから、私にとってはWham!のラストクリスマスは、しいていえば、古い家の火鉢のにおいとか、おばあちゃんがお節料理の棒だらを炊いてる姿とか、藤子F不二雄とか、そういうノスタルジーがつまった曲なのだった。
でなんで冬が好きかって話だけどああそう、冬の曲が好きで、まあそう、だいたい100個ぐらい理由があって、いちいち脱線するからちゃんと書けないわ、すいません。