珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

イカナゴ狂の国から

○○家に嫁に来て、まず辟易してしまったのが関係者への挨拶回りである。

 
本家の大きな和室。床の間には、叔父が授与された菊の紋の勲章が飾られてある。
 
私は、日本には何かしらエライ人には何かしらの勲章を与えるというシステムがあることを、漠然としか知らないし、菊の紋ときいたらまず肛門を思い浮かべてしまうような人間だが、そんな私でもその勲章がどれだけ凄いのかはなんとなくわかった。
 
その広いお邸で親戚一同に紹介されるぐらいは覚悟のうちであった。
しかし、お義母様の習い事の先生方にまで、菓子折片手に挨拶まわりせにゃならないとは。
 
それにしても、坪単価百万というこの土地に、大きな日本家屋を構え、年に数回親戚が集まるためだけの部屋に20畳も費やす本家は凄いというより大変だなと思った。
そして、親戚への菓子折を、大人用だけでなく小さな子供四人分個別(可愛いキャラクターのもの)用意していたお義母さんの機転にも、恐れ入ったのだった。私にも、このような心配りがこの先要求されるのだろうか。
 
「お花とお茶は、これからミキちゃんが習いたかったら習えばエエのよ。
あとレース手芸教室とポーセラーツは、いま私が通ってるんだけどとっても楽しいから。ミキちゃんにもおすすめするわね。
それからね、ミキちゃんとは歌舞伎も行きたいし、せっかく近くにあるんやから宝塚へ観劇にもいきましょうね。ウフフ」
 
楽しそうなお義母さん。私は、張り付いた笑顔を作るのがしんどくて、口元が痙攣しそうだ。
 
最後に訪問したポーセラーツ講師をしているナツコさんは、個性的なオレンジ色の髪の毛で、いかにも芸術肌というか、曲者といったおばさんだった。
 
お義母さんのお菓子をぞんざいに受け取ると、今度ポーセラーツの発表会があるから今忙しくってごめんなさいね、と言った。
 
ポーセラーツというのは、市販されている様々な模様のシートを陶磁器に貼り焼き、オリジナルの食器などを作るハンドクラフトである。
 
私は、自分で言うのもなんだがわりと手芸が達者で、毛糸でセーターも編めるし、ミシンでコートなんかも作れる。粘土細工なども得意だし、木工にステンシルも図案から考えて施せる。
 
そんな私から見て、ハンドクラフトの中でもポーセラーツはあまり面白さがわからなかった。
云わば、既製品のシートを既製品の陶磁器に貼るだけなのだ。自分で絵を描くわけでもない。
 
そんなポーセラーツに対するあまり良くないイメージが、この日この講師に会ったことでより一層固まったのだった。ポーセラーツの発表会て何だよ。何発表すんだよ?
 
「こちらミキさん。この春からうちの□□とと夙川のマンションに住むことになったの。日用品のお買い物とかで、オススメのお店あるかしら?」お義母さんが、ナツコさんに聞いた。
 
「そうやねえ。うちは、食料品は全部阪急で買うて配達してもろてるわ、やっぱり阪急が一番やね。え?▲▲スーパー?あそこはダーメ。品質がね、ぜーんぜんよ。」
 
何の参考にもならない意見をもらった。
 
阪急百貨店の食料品が美味しくて高品質なことぐらい誰でも知っている。しかし、毎日阪急の食料品売り場で日々の日用品を買うなんて。しかも配達まで。そんなバカげた買い物情報があるだろうか。
 
こちとら尼崎で3年暮らしたのだ。アマではピーコックでも高級スーパー扱いだったというのに。まさかスーパー玉出が夙川にあるとは思わないが、激安のサンディは無いのかサンディは。
 
しかしこのオレンジ髪おばさんの意見は決して金持ちアピールの嫌みだったわけでもなく、夙川の人々の日常であったことを、後に痛感するのだった。
 
この地域に住む人にとっては、日々のおかずを阪急百貨店で買うことは全く贅沢のうちには入らなかったのである。
 
私は、夙川に住みながら、心はいつも故郷の海を思っている。
 
夙川は私の故郷より、ハッキリ言ってずっと素晴らしい所で、少なくとも私の住んでいた田舎は田舎といっても大きな工業地帯のお膝元だったから、空はいつも煤煙で濁っていたし、山や川といった自然なら芦屋の方がずっと豊かなのだった。
 
おまけにこの高級マンションにはコンシェルジュがいて、ゴミ捨てや玄関の掃除もやってくれる。部屋からの眺めは最高だ。
 
娘の通う私立幼稚園のママ友達は皆素敵な人ばかりで、メディアが騒ぐようなママカーストによるイジメなどもない。毎日が平和で、穏やかに過ぎてゆく。
 
あんなに嫌っていたポーセラーツにも通いだした。昔は難波のとらやで激安の布を買って裁縫していたのに、今では芦屋川のチェック&ストライプで娘のワンピース用にリバティの布を買う。朝はブランジェリーアンのクロワッサン。
 
それでも自分は、芦屋の人間ではない、旅行気分でここにこうしている。
そう思うことで、救われているのだ。そう思うことで、ここの人達とうまく距離をとっているのだ。
 
同じ世界の住人だと思うと、とたんに色々なものを比べて、色々なものが欲しくてたまらなくなるから。漫画みたいな、意地悪なお金持ちは一人もいなかった。でも、彼女らの持ち物が、欲しくてたまらなくなる時がある。
 
そして、この場所からは、あまりにも海が遠いのだった。
 
実家のすぐ近くには、海がある。とても綺麗な海が。空は住友金属鉄工所の煤煙で曇っていて、海風は金属を容赦なく錆びさせるけれど、海は本当に美しかった。
 
今住む場所からは、一番近い須磨までも結構距離があるし、あの海岸はちょっとオシャレすぎるというか、人工的だ。故郷の海には、飾らない美しさがあった。
 
今年3月、兵庫県に嫁に来て、9度目の春がきた。

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兵庫県民が最もざわつく季節であると言っても過言ではないだろう、そう、「イカナゴの解禁」。
すなわち兵庫県民が狂ったように大量のイカナゴくぎ煮を贈り合う季節の到来である。
 
こっちに住みだしてびっくりしたのが、くぎ煮をよそへ配る為だけの特別便がヤマトと郵便局でそれぞれ用意されていること。
この時期のみ郵便局では、小分けの弁当箱や冷凍容器もなに食わぬ顔で販売される。郵便局にタッパーですよ奥さん。
もちろんスーパーや百貨店では、イカナゴイカナゴとにかくイカナゴ&関連商品責め。
嫁に来て9年目の春だが、まだ私はこの空気感に馴染めないでいる。
 
最も私が疑問に思う点が、親戚縁者等に、特別便を使ってまで大量に送りつけるという、そのマインドである。
何故、その楽しみを自分の家だけで完結しようと思わないのか。何故、デフォルトのくぎ煮容器はあんなに大きいのか。
 
今年のイカナゴ漁解禁は、2月26日だったそうで。
でも正直私は、イカナゴ漁が一年のうち数ヶ月間禁止されていたことも嫁に来るまでは知らなかったし、「いよいよ解禁っ!」て言われても、オ、オウ…みたいな。そこまでイカナゴを心待ちにはしていない。
 
そもそも、生態系保護の為に乱獲を防ぐ目的でイカナゴ漁を規制し、ある時期に解禁するのであれば、まず、まず真っ先に、バカでかい容器にくぎ煮を入れて送りまくる習慣を無くしたら、生態系は守れるんじゃないか。
 
そして私は、今年もまだイカナゴを好きになれないでいる。多分これからも、ずっと。