おやすみ

朝、会社に出かけるまえに少し時間が空いたので、駅前の喫茶店でモーニングを食べながら村上春樹の短編集を読むことにした。

その日は無性にトーストが食べたかった。
しかし家には娘が好むワッフルやドーナツなど、甘くフワフワしたものしかなく、その日の私はそういうものを食したい気分ではなかったのだ。凝ったパンじゃなくていい。安いペラペラのパサパサの6枚ぎりくらいの食パンに、これまた上等のバタではなくマーガリンを塗ったやつを食べたかったのだ。
話が逸れるが、私はバターを「バタ」と表記する女の自意識が苦手である。というか嫌いだ。何、わからない?まあ「バタ」でググって出てくる女のSNSを見たら「あー、これ系か」となる。わかる人にわかれば良い。
しかし私もそういう女のネットリとした性質に憧れないわけではなくいやむしろそうなりたいが故の僻みなのかも知れなくて、今「バタ」という表現をあえて使ってみた。いかがだろう、バタ。

話を戻す。
案内されたテーブルには椅子が2脚あり、私の座る場所の向かいの椅子には「この席の使用はご遠慮ください」という札と共にクマのぬいぐるみが置かれていた。
 

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ソーシャルディスタンスというやつだ。ほんの少し前まではそんな言葉はこの世に存在すらしなかったのに、今ではこうして、しれっと私の目の前にクマのぬいぐるみが置かれているという有様である。
ぬいぐるみの奥の席は完全に封鎖されており、その向こうのガラス窓には阪急バスと青い空が見えていた。
さて、読もうか。しかしわざわざこんな所に来て、村上春樹を読むという行為がなんだかわざとらしく、少し恥ずかしく思えた。
誰に言い訳するでもなく「違うんです、そういうのじゃないんです」と心の中でその場にいる何者かに弁明するように本を膝の上に隠すようにして開いた。
そして読み始めて3ページ目で早速セックスが始まったので、「よっ!ハルキ!!」と思った。
まだトーストも来ていないのである。やれやれ。
そうこうしているとすぐにお目当てのペラペラトースト、そしてコーヒーと、サラダと、茹で卵が運ばれてきた。茹で卵は自分で剥くタイプだった。アジシオの容器がテーブルに置かれていた。私は、パンの粉が落ちないように一旦本を鞄にしまった。
 
人が、セックスをする理由には、3ページも要しないのかもしれないと思いながら、硬いトーストをバリバリ齧った。そこに至るまでに、そんな大層な文脈なんて、いらないのだと。
 
そしていつしかの朝を思い出していた。アホみたいに早い時間、唐突に来たメッセージには「イエーい、今暇?」と書かれていた。ふざけている。
その後急に電話が鳴り、「今から寝かしつけてほしい」といわれたのだった。
アホか。アホだ。誰が?私が。
 
結局私はその日「寝かしつけ」に家を飛び出した。こんな下らない関係があるかと思う、それはよくわかっていた。部屋についてインターホンを鳴らすまで数分逡巡した。扉を開けたその男は半裸だった。「アホやと思ってるでしょう」私がそう言うと「まあ、アホですよね」と言われた。
 
今までいろんな男の寝顔を見てきたと思う。
いつだって誰といたって、私は眠れなかった。そして「寝かしつけ」てあげていた。
私は眠る男たちの皮膚や顔立ち、寝息を立てる姿をいつもよく観察して、なんて綺麗なのだろうと、誰に対しても思っていた。
中でもまつ毛がびっくりするほど長く、蒙古襞のない上瞼が美しい寝顔の人は、私の夫になった。
妙な場所に黒子がある人もいたし、変な位置にピアスを開けていたり、青白い皮膚に彫り物がある人もいた。起きているときには触りづらかったそれらを私は指の腹で撫でてみたりした。
 
彼等のゆりかごは十三のラブホの時もあれば、阪神沿線にある男の実家で両親がいない時でもあったし、赤い絨毯が素敵な神戸の高級ホテルの時もあった。それぞれの皆一様に無防備に眠っていた。
ある時は、眠る男の横で私は本を読んでいた。それは静かな夜で、ページをめくる微かな音だけが部屋に響いていた。その男に薦められて買った小説自体は、まるで面白くなかったと記憶している。
その人はよく、ひどいお母さんに育てられたという話をした。私も、ひどいお父さんに育てられてこうなってしまった、という話をした。
とても私を大切にしてくれた人だった。
あの人は、本当は、私から生まれたかったのかもしれない、と思った。
 
ある時は、ラブホの有線をきいていた。その時のチャンネルは夢みたいに心地よく、彼が寝て間も無く私も入眠した。後からチャンネル名を調べたら「ドリイミーガールチャンネル」という選曲の番号で、なるほど確かにドリーミーだとかんしんしたものである。
 
またある時は本当に男が深く眠るのを確かめてから、そっと部屋を出た事もあった。
あの時はまるで、赤ん坊だった頃の娘が乳を吸った後、起きないようにそっと乳首を離した時のような、母親の私そのものだった。細心の注意を払いながら、体を最後まで密着させて、そーっと、そうっと、皮膚を離し体重を浮かせ、眠らせる。私がいなくなったことを気付かせてはだめ。大きな声で泣いてしまうから。
 
 
今はもう誰かを寝かしつけることもなくなった。ふと思う。私はあと何年女で「いられる」のだろうかと。
あと何年で、女で「いなくてはいけない」状況から、解放されるのかと。
ドーナツやワッフルみたいに甘くフワフワした私の娘は、4歳近くまで毎夜私の乳房を吸っていたが、流石に今は一人で眠るようになった。
いつかこの子も誰かの寝顔を見る日が来るのかしら、そう思いながら、私は眠る我が子の髪を撫でた。