珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

終戦記念日

実家に帰って、祖父母のアルバムを見ている。祖父は4年前亡くなっている。

 
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見慣れぬ四文字熟語の掲げられた神社での集合写真。

暮しの手帖』の花森安治は、戦時中の国策広告コピーライターだったらしいから、この四文字もそうなのかな、とか思ったが、これは元々ある言葉であった。

武運長久

国威宣揚

どちらも、今では使うことのない言葉。

 
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写真を眺めていると、お祖母ちゃんが横に来た。

「あ、その写真。私のお父さんやわ。夜勤やった時に、会社に焼夷弾来てしもてな。責任感の強い人でな、最後まで逃げんと、他の社員逃がして、焼け死んだわ。死体もなんも残らんほど、焼け焦げた。私ら(他の家族)は紀の川へ飛び込んだから、助かったけどな。和歌山も、ようけ人死んだ。」

この人は。

お祖母ちゃんは、悲惨な話をする雰囲気でなく、淡々と、ただ淡々とそんな話をする。

 

あの時代を生きた人の「死」に対する肝の座りかたを、たびたび目の当たりにして、私は、畏れを感じるときがある。

 

戦争っていうのがどういうものだったのかを、今の自分には想像できないぐらい軽々と「死」の話をする祖母から読み取る。

 

空襲で死んだ祖母の父の話より、私が、この時代の人には違う世界が見えてるんだ、と思い知ったのが、昔聞いた祖母の初めての出産の話だった。

 

私の父には、姉がいた。死産だった。産まれて、一声泣いて、すぐに亡くなったという。

 

「産まれたてやのにな、その子、髪の毛の濃い子やってなあ。それが、忘れられへん」

お祖母ちゃんは、この話も、表情ひとつ変えず、普段のトーンでただ独り言を言うように、話していた。

 

私も、子を産んだことがある。妊娠すると、約280日間、小さな細胞だった受精卵がどんどん身体の中で育ち、動き、臨月も近くなれば、もう一人前の人間がそこに宿っていることをずっしりと全身で感じる。

早く会いたい、赤ちゃんに。10ヶ月も待っているのだ。出産自体は、それはそれはとても痛くて、陣痛などは痛みが激しくて気を失いそうになるけれど、それも赤ちゃんを抱いた、泣き声を聞いた瞬間にすべて忘れてしまうぐらい、大きな未来を感じて苦しみはそのとたんにどうでもよくなる。

 

だけど、その子が亡くなったら。長いこと待って、死ぬほど痛い出産を経てやっと会えた子が、しかも数分で、とか、そんな、そんな事、たえられへんやん普通。

髪の毛、長かったんやで、さっきまでお腹の中で生きててんで。一声しか聞かれへんて、そんなん。なんで、この人は、こんなに、今も平気な顔で生きてられるんやろ。

 

それで、私が思った結論が、先程も書いたように、つまり、戦争を経験した世代の人達の死生観って、もう、全然ちゃうなと。

この人達の生きた時代は、もっとこう、「死」が、そこらじゅうにゴロゴロしていたんやな、と。そう思った。

 

戦争でも、大勢の人が目の前で亡くなったと思う。でも、それ以外にも、時代がそもそも杜撰というか。祖父は祖父で、自分の母親を10代の頃に癌で亡くしている。通院はリヤカーの荷台に母親を乗せて、紀の川を渡って遠い隣町の病院まで通っていたが、戦時中の混乱で、あまり良い医療が受けられず亡くなったらしい。

祖父の姉は、前にも書いたようにサーカスを見に行って、空中ブランコの人が上から落ちてきて、脳に障害を負った後に死んでいる。もう一人の祖父の姉は、近所で海水浴をしているときに溺死した。


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とにかく、祖父母の話を聞くと、ばったばった人が死ぬのだ。

 

そして最後は「あの時代やからねえ」と、事も無げに言う。

 

その価値観は、今の私には絶対わからないものだ。 

 

終戦記念日を8月15日とするかどうかは、諸説あり、そもそも降伏文書に調印したのは9月2日であり、諸外国では第二次世界大戦の終戦は9月3日とするとかいろいろあるらしいが、やはり私は日本人だし、8月15日がそういう日だと、小さい頃からずっと認識してきた。祖父母が玉音放送を聞いた、暑い暑いこの8月の15日。

 

ちなみに、祖母とて、死を軽く見ているわけではない。ただ、身近に死というものがあった人達なのだ。

4年前亡くなった祖父の誕生日には、いまもケーキを買う。仏壇に供えたそのケーキを、しばらくして妹が取り下げにいったら「ちょっと、まだ早すぎるわ。まだおじいちゃん全部食べられてないやん、もう少し置いといたげて」

と言われたことがあるという。

今日の盆踊り、たくさんの提灯の中から、「一発でおじいちゃんのやつ見つけたわ!今日あそこに来てたんやな、見つけて欲しかったんやでな、私に!」

と心底誇らしげに言うお祖母ちゃんは、死者を悼み、今も愛しているんだと思った。


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なお、私の祖父は色白で、なかなか男前であった。
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祖母は、笑ってしまうほどゴツい身体で、全然美人ではない。


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そして、うちの家系で美形になるかどうかは、この祖父の血が何割入っているかによるところがかなり大きく、私ら姉妹は祖母の血9割、ゴツくて肌が黒いよ、ということだけ記しておわりにする。