珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

理由は、だいたい100個

 やさぐれた女が、コンビニに白ワインを買いにいき、そこで出会ったばかりの名も知らぬ男と寝る映画を見た。

 最初から最後まで、主人公の女の気持ちがさっぱり理解できない映画だったのに、鑑賞後、嫌な気持にはならなかった。

 とにかく、私には全てが理解不能だったというのに。

 

 まず、私は、素性の知らぬ男とそういうことが出来ない。出会ったばかりのトラック運転手と、車内でそういうことは絶対に出来ない。

 それは、私が今、人妻で倫理的にどうとか、そういうことではない。私だって、好きな人が現れたら竹林や、たい肥小屋で密会をするのかもしれない。そういう道徳の教科書みたいなことを言っているのではない。私はもともと貞淑で清廉な人間ではない。

 私にブレーキをかけるものは、単純に恐怖感だけである。

 それは見知らぬ男の素性への恐れであり、病気やら、様々なリスク、そしてなにより今の幸せを壊す恐ろしさに他ならない。

 ならば、恐怖感がなく、今結婚もしていなかったら、コンビニで気に入った男に尻を触られたら、私はこの主人公のようにそのトラックへ乗り込むのかといえばやはりそれも想像しがたいのであった。想像の中ですら、私はそういうことに対して臆病なのである。

 そういえば、買い物をしている最中に痴漢に遭ったことは、何度かある。

 その犯人の顔などいちいち覚えてなどいないが、断言できるのは、どんなにきちんとした身なりの、整った顔立ちの男であっても、いきなり尻や胸を掴んでくる人物に、私はまず死ぬほど驚き、そして声も出さずその場を逃げ去ることしかできないということ。自分からその相手に近づくなんて、考えられない。

 いや、あの映画の男は痴漢をしたわけではなかった。どちらかといえばナンパに近いか。

 女が男を「食べたい(映画の中の表現)」と思いながら送った熱い視線に気づいたからこそ、そのようなジャブを打って出たのだ。

 ナンパだとしても、これも私は昔からナンパをされても、そのたびに痴漢された時と同じような驚きのリアクションしかできず、無言で立ち去る経験しかないのであった。

 特に、相手が車から声をかけてくるパターンは、その後どこへ連れ去られるかわからないし、いや、そこまで恐ろしいことのほうが世の中珍しいのかもしれないけれど、最悪殺されて山に埋められるんちゃうか、などと考えてしまうのだった。

 それで、こういう成り行きで突発的に男と女が惹かれあう、なにかそこに「理由」が書かれるのだろう、それをずっと期待しながら、私は見ていた。見ていたのだが。

 

 なにも、最後まで納得できる説明も、描写もなかったのだった。

 

 私は、なんやねん、と思った。

 思ったけれど、良い映画だったな、とは思った。トラックで色んな道を走る映像がよかった。行く先々の、国道沿いの萎びた食堂でメシを食うシーンも良かった。そして運転手同士の無線のやりとりはロマンがあった。

 だから「理由」は、読者、視聴者に、丸投げで良いのだ。

 私は、何をするにも、しないにも、怖いから、納得したくて、他の創作物に答えを求めたりすることもあり、だからこそ、作品全てに主人公の行動のわけ、特に道徳に反するようなことならば猶更それを理詰めで求めたりしてしまうのだけど、そんなもの、見た人間が勝手に考えてろよってなもんなのである。説明できないことなんて、この世には山ほどあるではないか。

 

 

P●Aってなんですか

競馬場にいってきた。


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ゲートでチケットを見せたら、もぎりのお姉さんに

「みきちゃん、今日来ると思たで」

と、声をかけられた。

私はレースの常連客なので顔を覚えられているのだ。

 

せやねん、わし、今日のレースに人生かけとるんや、ほな一発当ててくるわ~!」

 

……とは言ってないし、競馬の常連客なのも嘘だ。

けれど、チケットもぎりのお姉さんが私に声をかけてきたのは事実だ。

なぜなら、阪神競馬場窓口で赤い帽子のコスチュームを着ている女性のうち2人は、私のママ友なのである。

 

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競馬場はとても明るく綺麗な、ファミリー向けの施設だ。

結婚して兵庫県民になるまで、競馬場に行ったことはなかった。

実際に行く前は、もっとこういうオッサンしか居ないと思ってたのだけれど。
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JRAで売っている赤いペンを耳にさし、競馬新聞片手にぼやいてるっていう。
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確かに、こういうオッサンもいるんだけど、阪神競馬場には芝生や大きな公園もあって、とにかく清潔で授乳室まであり、つまり子連れにもじゅうぶん楽しめる施設なのだ。
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そして何より馬がいる。

パドックを悠々と歩く馬は、とても美しい。初めて目の前で馬を見たとき、実際に見もしないで、競馬に悪いイメージを持っていてごめんなさい、と思った。

艶やかな毛並み、隆々とした筋肉の馬が躍動する姿を見られるだけで、競馬場に行く価値はある。

動物園の動物達は、全力では走れないから。

だったら馬の写真撮れよって話なんだけどね。
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今日の私の目的は、関西蚤の市、これなのだった。(写真横になっちゃった、ごめんなさい、首を傾けてご覧下さい)

私、お料理好きの、食器好きなのである。

「今日来ると思ったで」の理由は、そういうわけだ。


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会場マップ貼っておきますね、ひっくり返っててごめんなさい、どうせ終了したイベントのマップだからいいでしょう。

かなり広範囲にたくさんのお店が出店されていることさえ伝われば。(前々からアップロードした写真が横向いたりひっくり返ることが多くて、なんやねんこの現象腹立つ。)


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なんか掘り出し物あればいいなあ、って、思ってたのです。

……が、数分後、手にした皿の値段を見た私がこちら↓
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いや、普段300円ぐらいの食器買う人間が行くとこちゃうわ。
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なんしか、全体的にオシャレ空間で、びっくりした。一眼レフを持った女子がわんさかいた。確かにインスタ映えは、間違いないと思った。

なめてました、完全に蚤の市なめてた。

まず、どこから沸いてきたのかわからんぐらいオシャレな、意識高そうな親子を大量に見た。

こんなん。

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この日は温かかったので、カーディガンを羽織るだけの人も多かったのだが、その中でもこのロングカーデ&ガウチョパンツ、そしてベレー帽ってコーデ、何億回見たか。

ちなみに私個人は、大人でもトイレで難儀するガウチョを、低学年以下の女の子に履かせるつもりはない。

ぜーーーーーーーーーーーったい、トイレの床に裾をこすりつけてくるの、わかりきってるもん。ノロウイルスとか貰ってくるの、目に見えてるから。

 

あとな、アンティーク、言うたら中古の食器やん、衛生的にも強度もどうなん?とか、そんなん言い出したらキリないし、もっとお手頃やと思ってて。もちろん新品も売ってるんやけどね、もうね、端的に言って、正直私には高かった。


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帰る頃には金銭感覚が完全に麻痺していて、二千円の皿が安いな、と思えるようになっていた。
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もちろん安いのもたくさんあったよ
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まあ、目の保養には十分だった。食器も客層も、オシャレで見ていて楽しかった。

 
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だいたいさ、使い古しの「取っ手」売ってるのを見たの、私、これ西成のドロボウ市場以来やで。なんつーか、すごいテンション上がった!

 

同じ物を売っているのに、新世界や西成と全然違って見えることに、テンション上がった。

これな。
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「オラアアアア!差せ、そこじゃああああ、差せえええええ!!!!」

 

とか怒鳴って叫んでいるオッサンが、このアンティーク食器の値段見たら、なんて言うんやろとか思った。
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「差せー!」の横の広場でこんなオシャレな、ヨーロッパのストリートみたいな。
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叫ぶオッサン達のゾーンは、ちなみに上の写真奥の建物の前あたり、ゴールのド真ん前。ここらへん↓
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そこから少し離れただけで、このオシャレな古書
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ちなみにこの日、競馬場で買った大スポの記事一部。
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……あのさあ。

つい先日、私も来年度のPTA三役選挙行ってきたんやけどさあ……。やめてくれるかなこういうの。ほんま何でもエロの世界になるねんな。

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↑くちなおしに、インスタばえしそうな画像貼っておきますね。
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結局私、この日何にも買わなかった。

なぜなら、夫にも言われたのだけど

「奈良のおじいちゃんの家の蔵、あそこにいっぱい同じような食器とか古い本あるよなあ」って思ったから。

例えば上で4,000円で売られているカメラもつい最近実家の物置で見つけたし、奈良の蔵にはそれこそ古い食器や本がわんさかあるのだ。

 

 

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この黒い箱と上の皿は、江戸時代のもの。箱は祝いの菓子を入れていたもので、皿は魚料理用だったと祖父から聞いた。このカメラは、いらんから、どなたかに差し上げようと思っている。4千円で売れるとも思えない。


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この本は昔の辞書らしい。あとほかにも似たようなのが数巻ある。

まったく商売するつもりはないので、誰か本当に欲しい人に無料でさしあげたいのだが、なかなかそういう場所がない。

蚤の市は、なんか、そういうアンティーク的なものの敷居を無駄に上げてるんじゃないの、と思ってしまった。

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この2つの世界の中間ぐらいの蚤の市、希望。



 

テレビ画面を写真に撮るバカってどう思いますか


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 ああちょいと、そこのきみ。

 きみ、写真を撮るのは好きかね。そうか、好きか。どんな写真を?なるほど、心のままに風景を切り取る……よし、わかった。きみは大林宣彦監督の映画を見るべきだ。

 

 普段写真を撮る人なら、大林作品を鑑賞すると、必ずその一場面ごとの美しさに心を奪われてしまうだろう。そして、こう強く思うはずだ。

 「この世界に入り込んで、シャッターを切りたい…!」と。

 

16㎜カメラが記録する私小説「廃市」

  まずはこちら「廃市」。古い歴史を持った小さな運河の町が舞台。

 

  もうね、いきなり美麗、綺麗。いきなり写真とりたい。撮りまくりたい。

 作品が始まって、のっけからそこに描かれる世界の美しさに、あほみたいにテレビ画面の写真を撮っていた。

 表題の「バカ」とは、まぎれもない私のことである。だが一度この映画を見た人なら、観客は「バカ」になってしまうおそれがある。それほどこの作品は柳川の魅力を情緒たっぷりに、これでもかというほど映し出している。……魅力?ちょっと違うな、終わりゆく、ゆるやかに廃れ行く街の儚い輝き、というか。

 私は最近兵庫県立美術館小磯良平の絵画を見たのだが、その構図や光の加減がどこかこの映画に似ていると思った。流れる川の音、水の煌めき、夏の空気を感じてほしい一作。

  

 1983年、大林のスタッフ全員が偶然二週間の夏休みが取れ、その期間を使い小さな16mmカメラ柳川に持ち込み、スタッフも小規模の編成で、 大林念願の福永作品を撮影した[1]。設定は架空の街であるが、撮影は福岡県柳川市で全編オールロケされている[2]。原作の持つ私小説的な雰囲気を出すために16mmカメラで撮影した。

廃市 - Wikipedia

 

 制作経緯も、素敵だなあ、と思う。

 

 続いてご紹介したいのは、こちら

これぞ “本物” のアイドル映画「HOUSE」

HOUSE ハウス[東宝DVD名作セレクション]

HOUSE ハウス[東宝DVD名作セレクション]

 

  こちら「HOUSE」は、廃市とは打って変わったホラーコメディ。小磯良平感はゼロ。しかし、この作品もまた、アート。絵になるのだ。


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まず女優陣が美しい。白髪の南田洋子。怪しげな洋館の主。

 

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ヒロインは池上季実子。か、かわいい。めちゃくちゃかわいい。

 
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そうそう、妖艶で可憐な鰐淵晴子さんも忘れてはならない。こちらのシーンは蜷川実花のフォトグラフのような極彩色のあでやかさである。 


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 そして、なんといってもHouseで最もキュートなのはこの人神保美喜

 カンフーの使い手という謎設定により、常にホットパンツ姿で、ややムチッとしたおみ足を挙げながら、事あるごとに回し蹴りをかましまくる。

 健康的な色気をふりまく愛すべきキャラクターで第二の主役といっても過言ではないのだが、ラストのこのシーンで、首がちょん切れて飛んでゆく。←は?

 なんという滅茶苦茶な展開、そしてこの背景の顔びっしりイラスト、唐突に何?!なんなん、こわい。怖いけど何故かお洒落なのだ。

 その他ピアノの蓋に挟まれた指が切断されたり、どこからか噴き出した血の海に流されたり、枚挙に暇がないほどグロいといえばそうなのだが、常にどこか笑えてしまう不思議な演出と、ポップでキュートな女の子たち。そうそう、大場久美子さんも出てた、もちろん可愛い。

 

いずれの女優さんも2017年現在、尚も美しさを湛え続ける美熟女女優である。

 

追記:この古い汚いカメラ、誰かいりませんか
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何色でもいい、私たちは繋がってる。 ~糸にまつわるJポップ~

 その人の日記は、決まったメンバーにだけ公開される限定記事である。

 そして、私は、その人の日記を読ませてもらうことのできる読者のひとりだ。その日記には数名の読者がいて、いつもコメント欄には同じアイコンが並ぶ。

 私は勝手にその人たちを友のように思っていて、いやきっと皆さんそう感じているのではないか、という、不思議な感情をもって、その方の日記を読んでいる。

 

 今日更新のあった内容で、その人は、私たちは「青い糸」でつながる関係だ、と書かれていた。青い糸とは、Wi-Fiの登場する前、インターネットと端末をつなぐ青いLANケーブルのこと。とても、面白くて、素敵な表現だなあと思った。

 

 その方は、運命とか、赤い糸という表現をあえて今まで使ってこなかったとも書かれていた。たしかに、言葉にするとなんだか仰々しい。

 例えば「運命の人」という表現、これはいかにも恋愛真っ最中ハッピー、といったニュアンスを含むことが多い。

 しかし、ある時、なに気なく見ていた女性誌星占いのページにこんなことが書かれていたのを私は思い出した。

『運命の人というのは、白馬に乗った王子様ではなく、あなたが気づけばいつも心に描き、あなたの日常の行動を変えてしまう人を言うのです。つまり、その人の存在で行動が決まる、イコール、未来と運命も変わってくるということ。それは必ずしも結ばれる相手とは限りません。しかし、あなたの行動の動機付けと未来を変える力のある人を、運命の人というのです』

みたいな、内容。

 正直、星占いなんて、余多記事である。片手間に読む暇つぶし。

 でも、私はこの「運命の人」の定義に、とても感銘をうけたのだった。誰かを思って行動する、それこそが運命を決めていることに違いないのだと。

 
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 ふたたび話を赤い糸、青い糸に戻す。

 先日、私がその人の日記コメントで紹介したのが手嶌葵の「赤い糸」だった。他にも、人と人とをつなぐ糸を表現する好きな歌がいくつかある。スピッツの「夜を駆ける」もそう。

 この歌は、イントロのピアノからしてもう、しびれるので、まずイントロだけでも聴いてもらいたい。そして私がすごく好きな歌詞の部分が

 

「似てない僕らは細い糸で繋がっている よくある赤いやつじゃなく」

という表現。

 

 よくある赤いやつじゃなく。

 しかも、『似てない』僕ら。

 


spitz - 夜を驅ける (live)...

 

 何もかもすごく儚い感じがする。とても切ない、でも、二人の強い結びつきを思わせる一曲で、聞いていて胸がしめつけられるような思いがする。

 

 ただ、世の中は色んな人間関係があって、赤い糸、太くしっかり結びついたものばかりじゃない。

 

 絡まったりもするし、浅く遠い結び付きが、逆に心地よかったり。それでも、繋がれたことが、すべて奇跡で運命だと私は思いたい。

 女性シンガーAimerの「蝶々結び」の歌詞、https://sp.uta-net.com/song/212623/

二人は「結ばれたんじゃなく結んだんだ」というのも私は好きだ。受動的ではない関係性の強さを感じる。

 最後は、やはりこの歌で締めくくるとしよう。http://j-lyric.net/artist/a000701/l0000fa.html

 

VIさんの思い出の曲であり、私の大好きな中島みゆきの「糸」。

 

舞の海を知らない子供たち

 だいたいこの辺で子供が髪を切るとなると西宮北口のこことか

尼崎つかしんのここ
あとは神戸アンパンマンミュージアムの床屋なんか子供が喜ぶ
 
 週末のお泊まり会に向け(髪が長いと一人で拭けないから)、散髪にいかせる予定が、子供や私の体調が崩れ、気づけばもう時間がない。
 
 とにかく今日中に、髪を切るのだ。
 
 しかも午後から雨が降る予報。夫は出張中。足は電動自転車のみ。数時間で決着をつけなくては。どうする私。

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 まず初めに行った私の行き付けの美容室では、予約で満席だと断られた。
子供の頭のことなんだし、1000円カットでもどこでも良いのだが、それが近所にはない。
 
 そして自転車でウロウロしていたら、目に飛び込んできたのがこのレトロな床屋さんであった。

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 こういう椅子の床屋さん、何十年ぶりかに見た。
 
 ハサミのケース、顔そり用ブラシの陳列、丸いライト、アイパーの張り紙。
 子供のカット、やってますか?と聞いてみた。最近切ってないけど、ええよ、とのこと。
 
 すんごいモジャモジャ腕毛の、コワモテ床屋さん登場。
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「おじょうちゃん、何歳?(おっちゃん真顔で聞く)」
「………5さい。(娘めっちゃ小声。おびえてる。)」
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なあ、ママ、ちょっとこわいねんけど……。消え入りそうな声で私の方を見つめ、つぶやく。

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「大丈夫(そのおっちゃん、全然ニコニコしてくれへんけど、腕の毛ぇもっじゃもじゃやけど、おっちゃんも久々の小さいお客さんに、ちょっとだけ戸惑ってはるだけやから)」括弧内を目で伝える。
 娘に伝わってるのかは知らん。
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(ほら、見てみ。こんな昭和チックな、普段使ってなさそうなケープを、店の奥からわざわざ探しだして来てくれたやん)
括弧内を目で伝える私。
 娘に伝わってるのかは知らん。

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  長い沈黙。気まずいその空気をなんとか打破したかったのは、おっちゃんとて同じだった。
 
 何か、共通の話題は無いものか。5歳の幼女と、60代(推定)のおっちゃんの、共通話題……。おっちゃん、テレビに目をやりながら、一生懸命考えた。そして捻りだした答えは
 
「おじょうちゃん、舞の海って、知ってるか」
 
どーん。
 
娘「(えっ……)……しらん。」
 
おっちゃん「そうか……」チョキチョキ。
 
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 おっちゃん、そら、知らんで。5歳児、舞の海しらんで。なんぼテレビでたまたま流れてたからって、それはないで、と思いながらも、おっちゃんなりに最大限5歳女性に気を遣いながら髪を切ってくれているのがよくわかったし、なんだか申し訳ないような、でもおもろいな、と思った。そんな夏の日。


 
 

こんな日記じゃなくてブラタモリを見よう

 

2017年8月19日。

この日記は、せっかく高野山に行ったのに、何らポイントを押さえた説明も為されていない、写真もモアレだらけの非常に残念な世界遺産の記録である。
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これ、私の戸籍。本籍、世界遺産
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弘法大師さまが、1200年前に開創し、いまも生き続ける場所。

天皇家を筆頭に、織田信長豊臣秀頼などなどそうそうたる歴史上の有名人達が眠る墓地、まるで墓界のビバリーヒルズ。その比喩どうなんやろ。まあええわ、ここに、うちの先祖の墓もある。

 

ちなみに、ご先祖様は全くの一般庶民、たまたま昔ここに住んでいたってだけ。


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企業墓碑も多い。うちの墓、この“しろありよやすらかに眠れ”の近くにある、ちっさいやつ。

見逃しそうなぐらい小さいから、いつも墓参りのときは、この『しろあり』を目印にしている。

企業の墓は、個性的。このUCCの墓は、石の中がちゃんとコーヒー色のブラウンになっている。


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パワハラ飲み会で話題の、キリンの墓。ビールの形にしたら良かったのにね。あ、よく見たら左側に麒麟さんがいた。
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最近、10年使っているiMacがいよいよ寿命を迎えそうで、パソコンからブログを更新出来なくなった。

 

そのため、携帯でアップしているのだが、何故かそうすると、写真が、とんでもなく汚くなる。ザラザラになる。まあもともと携帯で適当に撮っているわけだが。

 

本当は、凄く綺麗だったのに。

 

例えるなら、この世の終わりみたいに、綺麗だった。全然伝わらないな。

 

苔むした岩に、木漏れ日が差し込むところなんか、もう何千年前、何千年後の、人が居なくなった地球ってこんなんかなあ、と思わせるような。

高野山は、本当に不便な所にある。

それゆえ、世界遺産だが、あまり簡単には観光出来ないという点から、人の出入りが少ない。

同じ和歌山県内にあるのに、県民が鉄道で高野山に行く場合は、いったん大阪の難波に出ないといけないというのも、わけがわからない。(本数の少ないJR和歌山線で橋本まで行き、南海に乗り換えという手段も一応あるが)とにかく、人を寄せ付けない霊場なのだ。
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きっとこの場所なら、お大師さまが、今も生きているかもしれない、そう思わせる不思議な場所。

奥の院を始め、撮影禁止の場所が多い。
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神聖なところだから。
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この日は、金剛峯寺で、いつもお世話になっているお坊さんのトモくんに、スイカをご馳走していただいた。
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こちらの釜は、なんと現役。今も、この釜で毎日のご飯を作っている。
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この天井の彫刻も、本当に美しかったのだけど、カメラマンの腕が悪くて解像度も低いという最悪の条件が重なった為に、全然伝わらない(;_;)
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壇上伽藍。高野山は、夜の六時ぐらいには殆どの街の機能がストップするので、日帰りの旅行客は日が暮れると根こそぎ消える。

夜は少しの宿泊客と、地元民だけのもの。こんなに美しくライトアップされた壇上伽藍

にも、全く人がいない。

 

次の日は、濱田屋さんの指導のもと、娘とごま豆腐作りを体験してきた。その他高野山大学内の重要文化財を見せて頂いたり、盛りだくさんな2日間であった。


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このチベット語訳の経典は、とても珍しく価値のある本なんだそうな。

8月でも涼しい高野山は、紫陽花が咲いていた。
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次は10月にまた行く。

今度こそ、ええカメラ持っていこ。

 

ブラタモリ高野山編の放送は、今夜9時だそうです。http://www.nhk.or.jp/buratamori/yokoku.html#koyasan

三週連続高野山

逃げるとか逃げないとかそういうの

私はヘタレだ、私は滅茶苦茶弱いんだ。

 

だから、自分が怒られたり苛められるだけじゃなくて、全く関係のない他人がそうなっているだけで、それをもう、見ているだけで、いや目の前に居もしないのに、そういうニュースを聞くだけでも、しんどくなるんだ。

 

どこかの中学生が、大勢の前で往復ビンタをくらった、だとか。

そういう話を、知ってしまっただけで気持ちが暗くなるんだ。

そして、そのネット記事に対して、悪いガキは殴られて当然だとか、“教育熱心な”コメントが並ぶのをみると、もう、陰鬱たる思いにかられて、この世に絶望して、生きるのが嫌になる。

 

殴ることが教育だと、本気で信じている人達は、そういう人達で集まって、殴り合いながら、どこか違う宇宙で仲良く暮らせば良い。

 

私は、目立たない生徒だった。

先生に殴られるどころか、真面目で、遅刻も居眠りもしたことがない。

悪くもなく、かといって賢いわけでもなく、つまらない生徒だった。

だから殴り合いながら暮らす民族の中でも、きっと目立たず殴られずに暮らせるんだろう。

 

だけど、嫌だ。私は、その宇宙には行きたくない。

 

同じく、大人しい私の娘も。誰に怒られたり困らせることをしない我が子ではあるが、出来るだけ、誰かが殴られるのを見せずに、育てたい。

 

少なくとも、音楽を演奏する場では、人が傷ついたりするのを見せたくない。

私は、ヘタレだと思う。

 

そして私は、いつも、娘に「逃げて良いよ」と言ってきた。


自転車なんか乗れなくて良いという私の優しさは優しさじゃないのか - 珍獣ヒネモスの枝毛

 



けれど、娘は、自転車に乗れるようになった。

 

一人でペダルをこぎながら、時折こちらに目配せする彼女は、とても誇らしげで、楽しそうなのだった。

 

逃げずに頑張った先に見える景色が、輝いているのも事実だ。

 

ママはヘタレで弱虫すぎて、何が優しさか、よくわからなくなるんだ、ごめんね。