珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

内臓飛び散るオフ

私は“春が嫌い”な人と、恋に落ちることが多い。

 

さきほど、ものすごーく、綺麗で、可愛い若い女性と会ってきた。その興奮冷めらやぬうちに、これを書いている。

 

可愛くて、スラッとしていて顔が小さくて、肌が白くて、人目を惹く、モデルさんみたいな女の子だった。

 

会って話すのは、今日が初めて。

でも、知っていたのは多分2014、5年ぐらいから。ブログというか、ダイアリーというか、それを通じての知り合いというかなんというか。そんなんである。

 

彼女は、「ミキさんが確か初めてコメントしてくれたの、あれ確か“春が嫌い”とかそんな話で。私も春は嫌いなんですけど、なんか怖かったです(笑)」

と、言った。ああ、確かに書いたかもしれない、それが初めてのコメントだったとは覚えていなかったが、確かに春は人の心を狂わせるとか、そんなことは書いた覚えがある。

 

初めて会う人だけど、もう既にお互いの、というか主に私の(彼女はあまり最近日記を書いていない)恥部は晒してしまっている。恥部であり、汚くて暗い部分。

普通は隠す所、まして初対面の人には。 

 

しかしブログを通じて知り合ってしまった私達は、幸か不幸か、お互いに興味を持った要因がそもそも、通常なら人には隠すべきところだったのだ。というか汚いところダダ漏れなのは主に私だけやけど。

 

で、高校生の頃から(!)長年はてなで書いている、割りと硬派な彼女は、芸術家であり、とある分野の表現者であり、それもすごく素敵だなあと思っていた。

そうしていたら、たまたま偶然、今週うちの近くに来る用事があるということを知り、今日は思いきってデートを申し込んでみたという次第である。

 

とても楽しくて、そして不思議な時間だった。

だって不思議やん、こんなふうに人と人が繋がることがあるなんて。新幹線の距離に住む人間同士。年齢も立場も違う。

 

そして、私は帰り道、かなり大きな独り言を呟いていた。

「腹、割りすぎたなあ……」

二時間たらずのお喋りだったけれど、楽しくて、正直、腹を割りすぎた。割って割って、ドロドロの内臓まで見せてしまった。

 

私には少ないけれど、大切な友人も居て、そして、何でも話してきた妹がいる。

しかし、先程は、その、親友にも妹にさえも、話したことのない話をしてしまった。

 

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

このブログ自体がそもそも、ほぼ表の私とは違うもので成り立っているので、秘密といえば秘密なのだけれど、さらに言うつもりもなかったことに触れてしまった。

恥ずかしいLINEのiDも教えてしまった(LINEのIDは、後々変えられないらしいので皆様におかれましては是非気を付けて頂きたい)。

 

会ったばかりなのに。彼女もまた、少しプライベートな話を打ち明けてくれた。

 

普段属する組織の人間同士が打ち解けるには、とても時間がかかったり、なかなかわかり合えないことが多いが、何気なく旅先で出会った一期一会的なひとには、何故か心を開けてしまうことがある……という意味の文章をよんだことがある。松本清張だったかな、かなりうろ覚え。

 

今日の彼女は、一期一会とも、また違う。

画面の中ではもうずっと前から繋がっていた。コミュニケーションをするでもないけれど、誰にともなく発信する言葉を、お互い目にしてきた。きっとこれからも、そうなんだろう。

 

誰にともなく?いや多分私は彼女を意識していた。これからは一層意識してしまうだろう、何せ、飛び散る内臓を見せてしまったのだから。

 

 

 

ようこそ、夏休み!!

ようこそ!

……などと景気付けに書いてはみたものの、カラ元気である。大人になり、いや母になり、夏休みというものが、いかに面倒かというのをこの数年身にしみて感じている。

特にうちの娘はまだ低学年なので、公園へ行くにも、道路の車が危なかったりと、どこへいくにもまだ私が付き添ってやらなければならず、昨今の異常なまでの夏の暑さに、朝から参りっぱなしでへとへとになる40日間となっている。ようこそ、どころか「来たな、夏休みめ!」ってなもんである。

 

f:id:mikimiyamiki:20170701104413j:plain

 

けれど、私がこんな不機嫌なオカンになるずっと前。

あの頃、夏休みは、特別だった。

「早よ、起きんかい!」と布団をひっぺがし宿題をせかす今でも、あの特別な感覚だけは、心の片隅にあるのだ。

そして時々、その心の中に残っている夏休みの匂いが、ふいに何かのきっかけで覚まされることもある。

 

f:id:mikimiyamiki:20170701104450j:plain

高岡ヨシさんのこの話を読んだときも、そうだった。

http://yoshitakaoka.hatenablog.com/entry/2017/06/08/215526

 

いつも、素敵な文章を書くお方である。

そのid:yoshitakaokaさんの電子書籍「五厘クラブ」。

 

こちらのブログにも感想を書かせていただいた。http://yoshitakaoka.hatenablog.com/entry/2017/06/23/180645

 

主人公の生き方はもちろん、個人的には、先の感想にも書いたように彼のお姉さんも男前だと思った。さらに追記すると、アイカという女性もまたかっこいい。

 

私の話になるが、大学生の頃付き合っていた先輩が、海外の企業にインターンで行くことになった。とても優秀な人だった。

 

恋にハードルはつきものとはいえ、私は、生まれて初めての遠距離恋愛、それも遠く離れた海外と日本という難易度高めのハードルにぶち当たった。

 

つまり高岡ヨシさんの小説のアイカと同じ立場に立たされたのだった。

 

ただ、アイカは強かった。むしろ海外留学を躊躇する主人公の背中を笑顔で押すことができる人だった(後半それでも精神的に辛くなるのは当然だと思うけど、それに対する主人公の行動もまた素晴らしかった)。

 

私は、当時の彼氏に海外インターン決まったよ!と聞かされたとき、とてもショックだった。

TOEICTOEFLも高得点、てかほぼ満点という人。彼の今後の就職などを考えても是非選択すべき道であり、私もそれを褒め称えたい気持ちはもちろん十分あった。

 

ちなみに私のTOEICの点数は最低の時で300ぐらいしかなく、マークシートでその点数ということは「確率をも超えるバカ」なのだろう。※いや、初めての時は時間配分間違えて白紙だったんですよ後半。

 

ただ、わかってはいても、それでも寂しくて仕方なかった。だから笑顔で行ってこいなんて、言えなかった。たかが彼女の立場で反対なんてする権利がないし、海外に行くのを止めて欲しいわけでもなかった。

 

けど、あなたは良いよね、これから輝かしい海外生活。目に見える全てが新しくて、刺激になる、そんな世界で、やりたいことをやれるんだから。

私は、違うんよ。

あなたがいた日常に、取り残されて、いつもと同じ学校に通って、いつもと同じ時間を過ごすんよ。だけど、いつもと同じやのに、そこには、あなたが居ないんよ。一人ぼっち。私のこと、置いていくねんな……。

 

f:id:mikimiyamiki:20170701104522j:plain

 

いやあ、陰気やわ私。

じとーっと、怖い、うらめしや、な気持ちを隠さなかった。面倒くさい女だった。

 

でも遠距離恋愛、意外と普通に乗り切れた。お互いに浮気することもなく。

 

あんな困難なハードルを私達は乗り越えられたのに、全然違う角度でその数年後私が心変わりして、その彼氏を振って、後輩である今の旦那さんと結婚するんだから、世の中わからんもんであるが。

 

話が相当ズレたけれど、この「五厘クラブ」は、私が長々語った恋愛ものではなく、メインで描かれるのは少年達の友情である。

 

良いじゃないか、少年と夏休み。

私は、もしもう一人産むなら、男の子も育ててみたいと思う。娘は、とても可愛い。

でも男の子もまた違う可愛さがあるのだ。

男の子は、はたからみて、凄まじくバカなのだ。

 

先日私が見た光景なのだが、女子が

「修学旅行どんな服きていく?」

と話している横で男子が話している内容は

「ウンコとチョコレートが戦ったらどっち勝つと思う??」

「ちんちんぶらぶらソーセージ~」

 

だった。力が抜けるか思った。

しかもわりと真剣にウンコ対チョコレートの議論をしていた。なんてバカなんだ、男子は。

そしてなんて可愛いんだ、男子。

 

私は、「夏休み」という不思議な時間、そこに起こるドラマチックな現象との相性は、女子より絶対に男子に合うと思っているのだった。明確な理由はない。ただ、感覚である。

  

あとは、夏休みといえば、大好きな映画がこれ。

 

 

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? [DVD]

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? [DVD]

 

 

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?

 

傑作中の傑作。この主人公は、81年産まれという設定。つまり、私と同い年。

それは要するに、ここに描かれる6年生達の夏休みは、そのまま私の過ごした夏休みのそれと重なる。

 

スーファミの電子音、Jリーグが始まり、夏休みにだけ見られる朝のポンキッキ

 

この作品は多くの人に語り尽くされた名作であり、いまさら私が解説することもないが、それでも言いたいのは、とにかく神々しいまでに美しい奥菜恵を見てくれ頼むから、ということ。

 

人生のうちの一瞬、子供と大人の間この時の輝きを、このような最高の形で映像に残してもらえた奥菜恵は、たとえ押尾学とのアレな写真が流出しても、どこぞのIT社長と結婚して金持ちにならなくても、その後離婚してしまったとしても、あの映画であれだけ輝きをフィルムに焼き付けた、それだけでもう生きてる意味果たしたよねってぐらい幸せ者であるといえる。

 

ラストの夜のプールシーン。あれは伝説級に美しい。バックに流れるフォーエバーフレンズの幻想的な曲調が夢のような煌めきを彩る。

みて、これ見て、たのむから。


forever friends | REMEDIOS

 

しかし私が敢えてこの映画の一番好きなシーンを挙げるとしたら、それは夜のプールのシーンではなく、昼間プールサイドで、奥菜恵の首筋に這う一匹の蟻を彼女が、男子に

「とって」

というシーンである。

 

クラスでも大人びていて、綺麗で、気になっていた女子。

その子の白い首筋に、一匹の蟻。それをじっと見つめる男子。

 

「とって。ねえ、とってよ」

 

慌てるでもなく、ただ微笑みながら言う奥菜恵には、いやらしさは微塵もない。

 

けれど、男子に感情移入しているこちらとしては、なんかすごくいけない気持ちにさせられる秀逸なシーンであるといえる。 

 

あと、劇中で彼女が着ている浴衣が、昔私が祖母に縫って貰った浴衣の柄と全く同じだった。

 
f:id:mikimiyamiki:20170701105605j:image

とにかく、夏休みのうだる暑さと、バカ男子達の友情、小さな恋の切なさを描いた名作である。

 

話をid:yoshitakaokaさんに戻す。

小説を、ひとつでも書ききった人間なら、小説を「書きたい」から、実際ひとつの物語を「書き上げる」には、凄まじく、圧倒的な壁があることを知っていると思う。

 

そして、その壁の向こうにあるこの「五厘クラブ」を書いた高岡ヨシさんのことは、すごいなと思うばかりである。

 

また話が飛ぶが、私が、ジブリ作品の「耳をすませば」が好きなのも、主人公の雫が「小説を書ききった」からである。

小説家になりたい、と思って、そこから恋愛や友情悩みながらも、夢に向かい努力する姿は、まぶしすぎて、時折トラウマ映画なんて呼ばれ方をされている。

けれどもっと素直に、世間は、雫が頑張ってバロンの物語を書き上げたという事実を評価してほしい……!

とか何目線か知らんが私はいつも思っている。

f:id:mikimiyamiki:20170701104642j:plain

 

それと、また話が飛ぶが、先日、ブログを通して知り合った方と、お会いした。そして、その方の執筆されたノンフィクションの原稿を頂戴することができた。

 

それはとても感動的なストーリーで、今後出版も決まっているので、ネタバレ的なことは書かないけれど、まず、文章から生半可ではない取材量の凄さがひしひしと伝わり、それだけでも畏れ入る想いになった。事実をただ羅列するだけでなく、そこに加えられる作者の感性にも、唸らされた。

 

とにかく、ほかにも文章の才がずばぬけているなあと常々おもっているブロガーさんや、ショートストーリーの発想が次から次へとわいてくる星新一みたいなid:rasinnbannさんなど、色々と刺激を受ける昨今。

 

私は「夏の決心」をしました。

この夏は、この夏こそは、私ももう一度ちゃんとわ小説と呼べるものを書きあげて、賞にリベンジしようと思っています。

 

最後に夏休みの名曲。井上陽水……ではなく、大江千里の「夏の決心」をお聴きください。

 


アイドルネッサンス「夏の決心」(MV)

 

……って本家のやつ無いやん。誰だこれ。

大江千里の夏の決心発売は、94年。私の夏休み真っ盛りのころの歌。わくわくするイントロ、この歌詞は国宝級。

http://sp.utamap.com/showkasi.php?surl=38335

 

国道の花束

うちから最寄りの幹線道路である国道176号線、通称イナロク。

 
どこへ行くにもだいたいイナロクを横断する。イナロクを初めて歩いたとき、私は生後2ヶ月の小さな娘を抱っこしていた。
 
それから、ベビーカーに乗せて。
抱っこひもに入れて。
よちよち歩きの娘を連れて。
三輪車を押しながら。
娘の自転車を後ろからおいかけ……気付けば約10年間この道を渡っている。
 
イナロク沿いの歩道のわきには、10年前からずっと、花束が供えられている。
 
そこでどなたかが命を落としたのだろう。枯れる前に必ず取り替えられる花束。
 
それをみるたび、なんとなく辛い気持ちになった。
 そこで事故があり誰かが亡くなってしまったことに対してではない。
 その人のためにずっと、花を供え続ける人の、この10年の歳月を思うと。
 
いつも、どんな想いで花屋さんにいくんだろう。
墓地の花より、そこに置かれる花束には、遺された人の悲しみが籠っているようで、いつも目をそむけてしまう。10年は、長い。
 
が、しかし、最近になって、その場所の花束が消えたのだった。
 引っ越しなど、花束の主に、何か事情ができたのかもしれない。
でも、前向きな理由で、例えば、その人の悲しみに一区切りついたとか、そんな簡単にいくことじゃないけれど、とにかく、誰かの死から立ち直ることが出来た人が、いるのだとしたら良いのに、と思っている。

f:id:mikimiyamiki:20170628100608j:image

 
 

百合と寝とられの街からオススメのスイーツをご紹介

先日、自宅から20分ほどの場所にある洋菓子店に、知る人ぞ知る「幻のクッキー」を買いに行って来た。

f:id:mikimiyamiki:20170516135039j:image

まあ、すぐ行ける場所やし、と思って油断していたのだが、前日に

「何時頃行ったら買えそうですかね?」

電話で問い合わせたところ

「みなさん開店3時間前から並んでいらっしゃいます」

と返され、のほほんとした調子で構えていた自分は腰を抜かしそうになったのだった。

 

それもこれも、他でもない母の日のためである。いや、自分の母親は和歌山の田舎者なので、何を贈っても素直に喜んでくれる。問題はお義母様だ。

 

海外にいくたびにブランド物を買ってくれて、私の知らないオシャレなよくわからない高級な物をいつも沢山プレゼントしてくれる、目の肥えたお義母様。

この日だけは、お義母さまに倍返ししなくてはいけないのだ。倍返しと言っても半沢的なあれではなく、また金銭的な倍返しも不可能なので、希少価値などに頼るしかない。とにかく毎年、母の日と誕生日は、この倍返しのために胃が痛くなるほど悩む。むしろほぼネタ切れ。

 

そして、今年選んだのがこのクッキーだった。ぜったいに、手に入れる。

 

その日は、娘の小学校の遠足、及び検尿があったので、朝から久々の弁当作り、そしてオシッコを引っ掛けられながらの採尿。

7時半、娘を見送る。それから洗い物などを済ませ、いざ、ミッシェル バッハへ。もちろんオシッコのついた手は、綺麗に洗っている。


f:id:mikimiyamiki:20170516200314j:image
 

久しぶりに阪急夙川駅前に行った。

9時頃に店に着いたので、時間的にどうかな?と思ったのだが、整理券を無事ゲット。
f:id:mikimiyamiki:20170516125437j:image

とりあえず、せっかくやから買わないと損?みたいな気持ちに駆られて5箱買ってしまった。

 

転売禁止ですってよ奥さん。


f:id:mikimiyamiki:20170516125541j:image

 

大変、美味しゅうございました。


f:id:mikimiyamiki:20170516125616j:image

多分プロブロガーとかの人は、 店名、買い方、値段、味レポなどを詳しく書くのだと思う。

 

実際恐ろしく入手困難であり、正直これを載せたら検索流入とかいうのが凄いと思う。

 

ぷろぶろがぁは、冒頭の写真を縦横間違えて載せたままにしないし、間違ってもタイトルに「寝とられ」とか書かないんだと思う。そもそも私は正格な商品名すら載せていない。

 

私はそういう、ブログで食べていける賢い人間ではないし、私の食い扶持は新規公開株の利益などで何とかなっている。どうしてもこのクッキーについてもっと知りたいなら、直接私に言ってもらえれば転売するよ。

嘘です。夙川のお店に並んで下さい。

f:id:mikimiyamiki:20170516135711j:image
さて、夙川といえば、阪急沿線の高級住宅地であり、谷崎潤一郎ゆかりの地でもある。

 

阪急の夙川の駅で下りて、山手の方へ、ガードをくゞつて真つ直ぐに五六丁も行くと、別荘街の家並が尽きて田圃道になり、向うに一とむらの松林のある丘が見えてくる。キリレンコの家は、その丘の麓に数軒のさゝやかな文化住宅が向ひ合つて並んでゐる中の、一番小さな、でも白壁の色の新しい、ちよつとお伽噺の挿絵じみた家であつた。

 細雪より。

まさにクッキーやさんの近くだな、これは。

 

 

そんな谷崎潤一郎原作「鍵」を見た。出演は仲代達矢京マチ子など。

 

鍵 [DVD]

鍵 [DVD]

 

 セックスシーン、残虐な場面、一切なしにもかかわらず当時の映倫はこの映画を成人指定にした。

 

何度か映像化されているらしいが、1959年のこの作品は、女性の乳首どころか足首もそんなに出てこない。

しかし、描かれる性の世界は歪んでいて、変態的でインモラルそのもの。ストーリーはもちろん、役者達の演技もまた素晴らしい。

 

言外に匂わせる思惑、目線で語る下劣な欲望、嫉妬。繰り広げられる心理戦に、片時も目が離せなかった。

 

自分の妻を、娘の婚約者に抱かせようと策略を練る男。

その策略に気付きながら、知らんぷりし、利用する妖艶な妻。

財産目当てで旧家の娘と婚約した若者は、美しい義理の母を抱くのか?

母の美貌に勝てない、父親にも婚約者にも愛されない醜い娘の悲しみ、怒り、その矛先はどこへ向かう?

 

もう、ドキドキしっぱなし。そして、ラストのオチが最高。登場人物四人とも全員最低、五人目の女が握るのは、どんな「鍵」なのか。

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

谷崎といえば、これも良かった。こちらは百合で、ヌードシーンだらけ。樋口可南子さんの小さくて綺麗なおっぱいに釘付けになってしまった。

 

夙川、香櫨園、芦屋川、岡本、甲南、仁川、甲東園、宝塚……上げればきりがないほど阪神間は本当に上品で美しい街が多い。

 

今年で、結婚10年目であるが、私は、いつまでたっても、この街の住人になれる気がしない。

ずっとお客さん気分。観光客のように芦屋を語ることは出来るけれど、今住んでいる場所としてこの土地について何か言える言葉が見つからない。

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 


f:id:mikimiyamiki:20170516185506j:image

ローゲンマイヤーのクロワッサンとミルクハースは、無添加で美味しいよ、ということぐらいしか、私にはわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クロワッサンが勃ってる

いいか、本当にこれから、本当のことをいうぞ?

俺は、偉い僧侶だ。世界遺産高野山の、めちゃくちゃ徳の高い偉い有り難い僧侶だ。念力で車だって止められる。だから俺の言うことは全部本当なんだ。


f:id:mikimiyamiki:20170513193759j:image

 


このまま生きていたら、いつか、皆死ぬ。


いや、本当なんだ。

わかってないだろ?あんた。

わかってないから、いつもそんなんなんだろ?


f:id:mikimiyamiki:20170513192112j:image

そんな所で靴を脱いで、線路に飛び込むのか?

そうだな。
死にたい死にたいって、俺も思ってるよ。思ってる。

 

でも、本当は死にたいんじゃなくて「こんなふうに生きたくない」だけなんだ。

 

ずっと昔から、ずっとずっと、皆に追い抜かれ、追い越され、どんどん遠ざかる連中の背中ばっかり見ていた。

 

そのうち追い抜かれるだけじゃなくて、すれ違いざまに足を引っ掛けられたり、そもそも能力がないから勝手に転んだりするようになった。


それで、ずっと地べたに這いつくばって血ヘド吐きながらガシガシ踏みつけられて、見ているのは、いつしか周りの連中の背中どころか、俺の汚いツラに降ってくる奴等の靴の裏ばっかりになった。

 

目に焼き付いてるのは汚れた靴裏の模様。背中を追いかけていた時はまだ恵まれていたんだと気づいたよ。


f:id:mikimiyamiki:20170513192240j:image

だからなんでそんな所で靴を脱ぐんだ?

 

なあ、耳鳴りがするんだよ。

その耳鳴りの音が、マクドナルドのポテトが揚がったときのあの音とリズムで再生されていて、煩いというより油っぽい感じのする耳鳴りで、脂肪の塊が耳んなかで暴れてるみたいで吐きそうなんだ。

うずまき菅がそもそもグロテスクなんだ。もう逃げたいんだ、嫌なんだ。嫌なんだ、こんな自分。こんなふうに、生きたくない、こんな世界に、生きたくなかった。


f:id:mikimiyamiki:20170513192311j:image

そんなことってあるか?って思うよな思ったよ俺も。でも本当にそうなんだ。

本当に、左だけ引き戸なんだ、周りは俺を騙そうってやつばかりだ。

油断していたらすぐに足許をすくわれる。


f:id:mikimiyamiki:20170513192355j:image

油断していたら、せっかく作ったチョコクロワッサンが捲れ上がって勃起してやがるんだ。ファッキンクロワッサン。


f:id:mikimiyamiki:20170513193303j:image

シフォンケーキをフワフワに作るためには、クソみたいに体力が要るんだ。メレンゲがめんどくせえんだ。

 

このまま生きていたら、いつか死ぬんだぜ。

 

◇  ◇  ◇

今日は、ある若者から「文章で勝つにはどうすべきか」みたいな、とても難しい相談を受けて、私も答えがあるんやら無いんやら、よくわからんくて、とりあえず何か貴方自身に付加価値つけなはれ、と言うた。 

 

文章を書くって、一見ハードル低い。

音楽、絵画、漫画、いろんな自己表現・芸術があるなかで、一番簡単に見える。 だから皆飛び付く。私も飛び付いた。憧れていた新聞記者になれた。しんどくて辞めた。今は家族のためにパンやケーキを作って編み物をするのが私の幸せ。文章で勝つ方法、あるなら知りたいです。

少女雑誌りぼん、そのグロテスクで残酷な世界

 桐野作品が大好きだ。

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

 うんこちんこまんこばっかり原文の発想がそもそも凄まじいが、その古事記の世界をこんなふうに桐野色に書き変えられるなんてすごい。

 

一番好きなのは、実際に起こった東電OL殺人事件をモチーフに書かれた、この作品「グロテスク」。

 

グロテスク

グロテスク

 

  もう、どれだけこの作品が好きかというと、好きすぎて、下手に感想文を書きたくないぐらい好き。

 

 だから、たまに他の誰かがこの本について感想を述べているのを読んだりすると、すごく嫉妬するのだ、私の方が、グロテスクを愛しているのに、先をこされた!ムキー、ぐやじい、じたばた!!と。

 だったら書けば良いのだが、もうどこからどう褒めていいかわからないぐらいの、傑作なのだもの、そう簡単にこの想いをアウトプットできない。

 そんなんだから、半端な感想文や、的外れな評を読むと、書き手に殺意すらわく。

よって、精神衛生の為にも、桐野作品について書かれたブログ等は読まないことにしている。それぐらい、私は、この小説そして桐野ワールドが大好きだ。

 

 大好き、なんだが。
「ハピネス」に関しては、全然期待していた物語とは違っていた。

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

 多分これは、桐野先生ご自身が、一流作家になってしまっていて、(いやもうとっくの昔から一流でいらっしゃるのは重々承知しておりますが)普通の主婦としての感覚をもう失いつつあるからではないかな、と思った。
 
 具体的にどこがどう、とかじゃなく。ママ友同士の人間関係構築に対する考えそのものが、根本的に実際のそれとはズレているなと。ママ同士の繋がりが、あまりにもあっさりしているのである。
 
 あくまでも、私に限った話かもしれないが、もっと専業主婦ママ同士の繋がりは、良くも悪くも、濃い。
 
 だって、私達にはそれしか人間関係が無いのだから。
それしかないわけではないが、少なくともこのハピネスに出てくる母親達は、常に四人だけで行動している。まあこれはこれで、一般的なママ友関係に比べると極端に狭い輪であると言えるが。
 
 とにかくそんな狭くて濃くて、世間から閉ざされたママ同士の感情のもつれ合いは、桐野先生にはもう遠い昔のことであり、その生々しい感情はもう産まれないのだろう。
 
 それでも小説としては大変面白かったし、離婚をめぐる義実家とのやりとりでは泣かされるシーンも多かった。また、お互いの子供の知能や能力の違いを感じて焦る気持ちも、よくわかる。
 
さて。
 
 グロテスクの感想を書き始めたのだが、4000字ほど書いて、また全部消したりを繰り返している。
どうにも、思い入れが強すぎて、まとまらないのである。しかも感想ってったって、あなた、私がこれを読んだのって、結婚前、もう十数年以上も前なんですから。そんな昔の感想、覚えてないでしょって、普通はそうである。
 
 でも、成績優秀で、有名インフラ企業に見事入社したエリートであるにもかかわらず、“顔が美しくない”ばかりに、どんなに努力しても認められない苦悩。美しくない女から見た世界の歪み、その表現が、私の胸には、グサグサと突き刺さったまま、今も抜けていないのだった。
 
 私は、結婚相手を顔で選んだ。
 
 もちろん性格も合うし、一緒にいて楽しい。
でも、一番の決め手は彼の、その顔であった。
たまたま彼の実家が芦屋のお金持ちだったことは、本当にラッキーだったし、彼自身それなりに稼ぎの良いお仕事に就いてくれているのも大変有り難い。しかし、そんなことは全くもって二の次であった。とにかく、結婚相手に望む最重要事項は顔、だった。
 
 いや、イケメンだったとか、好みだとかそういう話ではない。
 
 もし彼が父親になった時、産まれてくる女の子は、絶対に可愛くなる。
 そう確信出来る顔だったのだ。
一切骨張っていないあどけない丸顔、色白の肌、蒙古襞のない大きな瞳、各パーツの配置バランス。完璧だ。女の子としては。
 
 一般的に女の子の顔、特に長女の顔は、父親に似ることが多い。
じゃあ息子が生まれたらどうすんだ、という話だが、私は超色黒の面長くっきり濃いパーツの男顔。体は痩せ形長身で、女としては残念なこの身体的特徴は、男の子に遺伝すればまあそこそこプラスにはなると思ったのだ。 
 
 
f:id:mikimiyamiki:20170314141727j:image
 ここで唐突に少女雑誌りぼんの話をする。
81年うまれの私が、親に初めて漫画雑誌を買ってもらったのは「りぼん」で、その表紙はちびまる子ちゃんだった。

f:id:mikimiyamiki:20170314141742j:image
 
 当時のりぼんは、ジャンプよりほんの少し早く黄金期に入っていたように思う。一条ゆかり先生がボスって感じで矢沢あい吉住渉池野恋水沢めぐみなんかが一番人気を競い、今や大御所のさくらももこはまだそこまでの地位はなかった。
 岡田あーみんと同枠の面白漫画家、という位置付けであったが、今二人がどれだけのレジェントになっているかを思うと当時のあーみん&ももこ合作企画なんかも感慨深い。ほかにも一人一人漫画家の名前を挙げたらきりがないほど、一冊のりぼんにこれだけの作家が集まっていたのか、という程に豪華な面子だった。
 
f:id:mikimiyamiki:20170314141756j:image
 りぼんを読み始めた頃、「おおきくなったらすてきなおとこのこと、こいをするのだ、そしてさいごはちゅーするのだ」と思った。
 
 それが当然であり、お姉さんになれば、そうだな、小6ぐらいになれば、全員に、もれなくそんな機会が訪れると思っていた。
私の知る『お姉さんの世界』は、りぼんだけであり、りぼんに描かれたことが全てだったから。
 
 でも、女の子達は、だんだん気づいていく。自分の立ち位置というものに。
 
f:id:mikimiyamiki:20170314141810j:image
 私の背は、いつだってどの男子よりも高く、また、同級生がどんどん女らしい丸みを帯びてゆくなか、私はガリガリに痩せていた。そしてとにかく色黒だった。りぼんに出てくる女の子の要素が、ひとつもなかったのだ。長々書いたが二文字で済む、つまり、ブス、だ。
 
 ブスのくせにそれに気付かず無邪気に可愛い女の子の振る舞いに憧れていた幼い私と、選ばれない女の子もいるのだ、自分はそっちの女の子だと気づいてしまった幼い私。
 
 どちらもかわいそうだけど、勘違いをしていた頃の、無邪気な自分の方を、一層今は哀れに思う。小学生の頃は、三つ編みをほどくと髪がフワフワになって、それがお姫様みたいだ、と自分では思っていたのだ、かわいそうな、真っ黒なかりんとうみたいな女の子。
 
 そんな私の顔をさらにブスにしていたのは、父親からの私に対する罵声とか存在を否定するような言葉や態度の数々だったと思う。もともとの表情に、内側からの卑屈さとか、自信のなさが加わり、だんだんと暗い顔だちになっていった。
 
 そして、具体的な疾患名は控えるが、かなり珍しい類いの皮膚疾患を、小学3、4年ごろ後天的に発症した。痣のようなものと想像してもらえればいい。少し前、海外のアパレルブランドモデルに、その病気の人が採用されて話題になった。紫外線の照射など、幾つかの治療法はあるものの、現在でもまだ、完治するまでの薬や医療機器は開発されていない。ファンデーションや、化粧でなんとか隠せるとか、そういうレベルのものではなかった。
 かなり珍しい病気なので、治療に関する需要が少なく、研究も進んでいないのではないかと思っている。(今までこの皮膚病を持った人と実生活で会ったことはないのだが、もし不用意に詳細な疾患名を書いて嫌な思いをする人がいたらいけないので、あえてそれは書かない。)
 
 「それ」は服で隠せない頬下半分から顎の広範囲に現れ、幼い同級生は、悪意無く「なんでそこだけそんなんなってるん」「変やね、キリンみたい」と言った。
子供は残酷な生き物だ。
 高学年になるとかなりその部分は大きくなり目立った。さすがに直接そのことについて話題にする友人もいなくなったが。
 
 外に出るとあからさまに私を見てくる人が増えた。人の視線が本気で怖くなった時期である。
 
 今も忘れられないが、電車に乗っているあいだじゅう、10数分、ずっと私のほうを、身体を捩ってまで、じっくりと観察してくるお婆さんがいた。
 
 珍しい生き物でも見るように、まじまじと、嫌な視線がずっと私に絡まりついて、それに囚われた私の身体はこわばり、動けなかった。そんな目に気づかない平気なふりをするのに、精一杯だった。耐えているのを悟られたくなかった。
 
 今なら思う。その場で泣けば良かったのに、と。
 
 泣き叫びながら、これがそんなに珍しいか、そんなに見たいか、と、ばばあを責め立てれば良かった。
 
 でも少女だった私は辛くて、家に帰って一人泣くことしかできなかった。母親に心配をかけないように注意しながら。
 
 可愛い女の子、フワフワして色白で丸くて、背が小さくてお人形みたいな子は、りぼんの主人公になれる。女の子の外見は、男の子のそれより、圧倒的な力を持つ。良い方向にも、また悪い方にも。桐野夏生のいう、ヒエラルキーをも飛び越える力。
 
 りぼんの主人公じゃない側に生まれた私は、それだけでも心を歪ませるに十分な素地が整っていた。そこへ、あの痣が心にもべたっと張り付いて、誰にも自分を見られたくなくて、本当に下を向いてばかりの数年間だった。比喩ではなく、物理的に、下を向けばなんとか少しは隠す事ができたから。もしそんなときでも親が私を否定するようなことばかり言わなかったら、もう少し上を向いて生きられたのだろうか。それは、わからない。
 
 不思議なのは、高校在学中に、その皮膚疾患の部分が、薄く小さくなったことである。とはいえ、今もそれが完全に消えたわけではないし、下ばかり向いてしまう癖も抜けないし、対面した人の視線が一瞬でも顎にいくともう逃げ出したくなるし、なるべく1年中タートルネックを着る生活はずっと何十年も変わらない。
 
 だからこそ思ってしまう、こういう考え方は健全ではないと知りながらも、女は外見なのだ、と。ルッキズムの呪いに、雁字絡めになっている。
 
 私は、母親としては本当に未熟で、子ども達を東大の理Ⅲへ入学させられるだけの度量もないし根性も無い。本当に、ダメな母だと自覚してそれでも毎日精一杯の愛情を娘に与えながら、もがくように必死に子育てをしている。

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

 
 こんな不器用な母親ではあるが、ただ、ひとつ私が娘に与えられた財産。
 それは陶器のような白いなめらかな肌、そして誰もが可愛い、可愛いと口々に言ってくれるような顔立ちに生んだ事、つまり、私の要素ゼロの外見に産み落としたことだけは、彼女にとってこれから大きな生きる糧になるだろうと思っているのだ。とても歪んだ考えだとは思う。
 しかし、私の母としての仕事はもう、それで終わったようなものだと、思う事にしている。そうすれば、母親の負うべき責任と重圧を思う時、いくらか心は楽になるのであった。
 うちの子は、きっと「りぼん」も「なかよし」も、ずっと主人公の気持ちで読む事ができるだろう。お人形のように愛らしい我が子のきらきらした未来を思うと、自分のことにように嬉しく思う。
 私は、なんてグロテスクな、母親なのだろう。
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 

短歌かいたんか、書いたんや。

公園の 小さき花を 手にとって

「可愛い」と言う

きみがかわいい




f:id:mikimiyamiki:20170317210842j:image

 

 

 

 

ニコイチで 包装された飴みたいに

甘く交じって 溶けて消えたい


f:id:mikimiyamiki:20170315153829j:image

 

 

 

キスしてもいいですか?

なんて聞かないで

黙って奪って 欲しかったあの日

 

mikimiyamiki.hatenablog.com