平民金子さんのトークショーに行ってきた。

4月6日土曜日。神戸市垂水区の塩屋で行われた、平民金子さんと安田謙一さんによるトークイベントにいってきた。

 

ちなみに塩屋へは、昨年「かぞくってなんだろう?」展の取材で2度訪れたことがあるのだが、そのとき山陽本線のから見える海の美しさに心を完全に奪われてしまった。

 

特に須磨~塩屋間の眺めは絶景で、これをみるために絶対私は今回も進行方向左手の車窓に注目して乗車しよう、と心に決めていた。海に至るまでの町並み、アパートなんかの佇まいも素敵なのだ。

 

いたのだが、扉のところにしばらく立っていると、ちょうど目線のところに大きなシールで、制汗スプレーの宣伝だと思うのだが、デカデカと「ワキ汗!」という文字が書かれたそのステッカーが、どうにも目に飛び込んできて、目障りで仕方なかったので、途中からこの席に座った。

 

この眺めを妨げる宣伝は、神経を逆なでるので逆効果であると、企業広報には申し上げておきたい。
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塩屋駅からの眺め。

ここから、会場までの道順がわりとややこしいので、たどり着けるか心配だったのだが、平民金子さんの一連のツイートのおかげで迷うことなく会場に到着できた。

ご自身は「この執拗なまでの道中描写が本人の異常性を表しているようだ」などと仰っていたが、このツイートに助けられたお客さんは大勢いたと思った。

 

塩屋の町並みは、とても良い。

 会場のジャンクションカフェ。


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カフェの横には、これまた渋いたたずまいのアパートがあった。

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「ソルトインハイツ」という名前で、塩屋だからだろうけど、なんか、面白かった。しょっぱそう。

 

トークショーよりだいぶ早く着いたので、先に展示を拝見した。

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トークのとき「あれ完全に、ホラー映画のラストシーンで、主人公が最後扉開けて『ヒっ』てなるタイプの写真の貼り方した部屋ですよね」って安田さんが表現した部屋。

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今回、お二人のトークの間、私は授業を受ける予備校生のごとくずっとノートをとっていたので、はた目から見たらきもいことこの上なかったと思う。

いや、私もはじめはのんびりコーヒーとトークを楽しもう、とおもっていたのだけど、内容が、いちいち良すぎて、刺さってくるんだもん。

しかも私、すぐ忘れるから、これもう書いとかなしゃあないやん、と思って。

ほんでこうして今、1年数か月ぶりにブログを引っ張り出したのも、その内容を記録しておきたかったから。

とはいえもう1週間経って、またノートの私の字が汚くて、これほんま仕事用のボイスレコーダー起動したらよかったと思っている。

以下、汚いメモと記憶を辿ってトークの項目をかいつまんで書いていく

 

街歩きの文章執筆において心得ることは3つ

街歩きの文章で、平民金子さんが考える3つの柱は

  • 文体
  • 引き出し
  • 歴史

この3つなのだそうだ。

この話が、やはり元々地方新聞社で街歩き記事を担当し、今も時々お散歩記事のwebライティング

sanpoo.jp

をする身として、とても勉強になるというか、わかるなあ、と思った。

いや、私なんて、「わかるー」とか書けるほどのものではないし、平民金子さんと同じところに我が身を置くのは大変おこがましいこと重々承知ですが、ここはわからせてくださいよ、ほんとにわかったんだもん。

 

話を金子さんの街歩きに戻す。以下少し書き起こし

 

「自分がその街について書くにあたり、書き手がまずぶちあたる壁。それは、世の中のたいていの街のことは、もう書き尽くされているということ。

となると「なにを書くか、ではなくどう書くか」これが重要になってくる。そして、自分と、その対象になる街との歴史(関係性)も浅かったりすると、「文体」と「引き出し」で勝負することになる。そんななか「子供と散歩する」という方法を編み出した。これを「子連れ狼作戦」と呼ぶ。

子供と一緒に散歩すると、出来ないことも多いけど、出来ることも増える。

たとえば、子供をその空間に立たせると絶対どこでも写真を撮れる。職務質問されることもない。独身の頃は、一人でいるだけで当然のように職質された。オウムと間違えられて通報されたこともある。」

 

子連れ狼作戦と、金子さんは仰っていたが、私が「ごろごろ神戸」で一番好きな文章は、このページなのである。ツイッターにものせた。

 ぜひリンク先の新聞記事写真を読んでほしい。

子育て経験したひとは、泣いてしまうとおもう。

 

金子さんの子育て観というか子供に関して紡ぎだされる言葉って、イクメンとは一線を画していて、つまりそれは「母親の葛藤そのもの」やなあって、それを言語化してくれてるなあ、って私は思ったのだ。育児に積極的なパパ、というより、その目線は、育児にもがき苦しみながら、それでも子供をめっちゃ愛してる母親っていうか。

私の、自分の「母親」という立場にたいする考えとか苦しみはここにも書いたことがあるのだけど、

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

 

こういう、どっぷり育児に浸かってる感覚って、パパにはあまりなくて。それが悪いとか言ってるんじゃないし、世の中の忙しいパパが育児に参加できないのは個人の責任ではないからどうこうそれをいうつもりはないんだけど。

とにかく、金子さんのこの文章は、しびれたんだ、私。で、その子供という「引き出し」と「文体」で神戸という街を語るその手法、すごいと思って。

 

取材をしてしまうと、書けない

あとは、お店を書くときの、ライターの姿勢・スタンスについて。これも共感した。所謂「店に言うのか?言わないのか?問題」。いちいち共感してすいません、共感させてくださいよ。

 

神戸市広報「ごろごろ神戸」には、たくさんのお店が登場するんだけど、金子さんは、そのどれにも取材アポをとって「さあ、いまから取材しますよ」という書き方をしていないそうだ。

私も新聞を書いていた時には取材許可を得て書くのが普通だったのでわかるのだけど「取材をすると、書けないことがでてくる(金子さん)」のだ。そして、最もうなずいたのは「取材せずに書くことでその店との関係を『生活のなかに位置づけて書くことができる』」という金子さんの考え方。このニュアンスの違いは私も経験がある。

手前味噌だが、私がこの記事を書いた時、

sanpoo.jp

私は先方に取材しますよ、とは言わなかった。散歩の延長にふらっと立ち寄った感覚のまま、文章にしたかったのだ。

ただ、金子さんは取材をがっつりすることを悪いと言っているわけでは決してない。

 

それぞれのライターの、それぞれのスタンスがあるよね、というお話。

対象をリスペクトし、失礼なことを書かないというのは、どの立場でも同じなのあると仰っていた。

それから、常連のお客さんとその店がひっそり織りなしてきた空気を絶対壊さないようにしたいから、書かなかったお店もたくさんあるとのこと。

このへんの、金子さんの目線もすきやなあ、と思った。土足でずかずか入らないかんじの。

 

その他心に残った話の断片(カッコ内は私のひとりごと)

 

  • 我々が何かをネットに書くとき、その対象が古いものであると特に、「昔からここ好きやった」という人が、必ず現れる。気をつけろ。(おるおる、わかる!お前絶対すきちゃうかったやろ、ていう)

 

  • 甲南女子大の側道に挟まっていた男性。彼が捕まったときに言った「道になりたい」というのは名言だった。ザ・ブームが歌にしてそう(それ風になりたい、やん。しかしあの事件はすごかったな。側道に挟まってたら見つけられてもにげられへんし、変質者にしても女性にあまり害がないので、なんかこう、応援したくなる男性だった。道になりたい男)。

 

  • 神戸には「味のないカレー」を出す店がある。思えば昔のカレーはなんかこう、味がいまひとつ足りなくて、ソースをかけて完成、ということがあった。最近はカレールーも進化してしまって美味しくなったから、あの「味のないカレー」に遭遇することもめったになくなった。昨今めずらしくなった、そういう「味のない店」だけを集めた特集を書きたい(あったなあ、そういえば。私の子供のころもおばあちゃん家で食べるカレーは味がなかったわ)

 

 

  • 市からもらった原稿料はすべてお店への出費で消えてしまう。経費にはしないし、「税金をもらってるくせに」とかいう揶揄が一番嫌だったから、あえてそうした。(市の広報でここまで攻めた文章を書き続けたの、ほんとすごいなあと思う。まあ、批判する人もおるのかもな…そいつつまんねえ奴だな。)

 

  • これからも、「神戸」に飽きずにいられるか。いつまでも新鮮な気持ちで街を歩く書き手でいたい

 

こんな感じ。

会場にはお子さんが来ていて、金子さんが話す2時間近くの間もそのへんを歩いたりして、トークが終わるとパパにギュッと抱きついたりしていた。


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「ごろごろ神戸B面」に、サインをしていただいた。このB面がね、また、良いのよ。どれもこれも、ああ、読ませてくれて、ありがとうございます、と思う感じ。

天海祐希宝塚音楽学校を受験したとき、試験の担当教師が天海祐希の母親に向かって「お母さん、この子を産んでくださってありがとうございます」と言ったとか言わなかったとかやけど、私も思ったよ、B面読んで。金子さん、この文章を読ませてくださって、ありがとうございます、と。

神戸市の広報書いてる人が、アンパンマンミュージアムの話を大阪ミナミののぞき部屋に繋げていくなんて、思えへんやん。「あちらがわ」の話とか、センシティブなところもちゃんと、えぐくなく書いてて、ええなあ、この人、と思った。

 

 

この日購入した書籍のなかの「なnD6」という本に金子さんへのインタビューが掲載されているのだが、檀上遼さんが金子さんの現在を「ブログドリームを達成した男」と言っていた。

 

ほんとにそう、すごい成功者なんだとおもう。ブログを書いていて、公式に神戸市から声がかかって、本も出て、展覧会にトークショー。なんて華々しいのだ。ファビュラス。

でも、その記事の中でも、そして今回のトークのなかでも、金子さんは「ただの生活やからね」と言っていた。生活、そうそれは生活なのである。

 

私は宝塚歌劇が好きなのだが、生きることは、間抜けだなあ、美しくないなあ、と時々思う。例えばエリザベートという演目はどういうストーリーかというと、王妃エリザベートが、美しい死の化身トートに惹かれ、命を落とす悲劇である。死を美しく書くことは、簡単なのだ。醜いものが全部消えてくれるから。

いっぽう生とか、更に生活はどうだ。

全然美しくない。物語にならない。地味で汚くて面白くないことの連続である。死の化身トートなら銀色の長髪で歌うことも許されるが、「生活」の化身は歌っている暇などない。今日の献立、子供の学校の用意、検尿、通勤電車……生活のあらゆる要素が、美しく歌うことを許さない。

 

でも、それでも、そんな「生活」を、とことん書ける表現者がいるとしたら、それは本当に魅力的なことだと思ったのだ。そしてつまらないとおもっている日常で、私が見落としたなにか面白いもの、美しくないけど案外悪くもないなにかを、拾って言葉にしてくれる書き手、それが金子さんだと思った。

 

それでまあ、私は常々勝手に言ってるのだが「西の平民金子、東の黄金頭」だと思っていて、この東のほうのひともすごく良いと思うしトポフィリアにあふれているとおもうので、横浜市の誰か、黄金頭さんに声かけたらどうか。

 

今日は子供が昼までに帰ってくるので、デザインの仕事が繁忙期にも関わらず休みをとったのでこうして午前中はブログを書くことにした。

最近はまったく文章を書いていなかった。昨年はいくつかの媒体でライターをやってみて、少ししんどくなっていた。はてなブログ自体も、しんどくなっていた。また、ぼちぼち、やっていこうと思った。

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