誕生日なんです

 もともと、余裕なんかない。スペック低いくせに。搭載するエンジンはポンコツなくせに。

 そんなに重いものを抱えたら、すぐに音をあげて、途中で投げ出したくなるのはわかっているのに。

 なのに私はバカだから、どうしても欲しくて、手を出さずにはいられなかった。結婚も、出産も。

 案の定、重圧にひいひい言いながら、あまりにも大切な存在を手に入れてしまったものだから、投げ出すこともできず、その大切さゆえの重さをずっしり感じながら日々を暮らしている。

 さらに最近は、「友人が苦しんでいるから元気にしたい」とか、そんなことさえ欲してしまう自分がいて、底なしのこの欲求、いろんな愛を欲しがる自分に、あきれるばかりである。

 何度も書いたが、私は父から精神的に虐待されて育った。それで、自分は基本的に何をしても認められないし失敗するし、駄目な人間だと長い年月をかけて、じっくりと思い込まされてきた。……思い込まされ? 事実、私は何をしても失敗ばかりのヘタレではないか。

 何に対しても自信がない。愛されている自信がない。

 基本的にみんなが私に苛々していて、きっと突然怒鳴ったり、死ねとかいうんだろう、などと思ってしまう。

 ずっと身近な人にいじめられてきたものだから、脳みそが変なカタチになってしまっているのだ。そういう卑屈な考え方を、すぐにしてしまう歪んだカタチに。

 そういうわけで、誰かに必要とされたり、感謝されたり、とにかくどういうかたちであれ「認めてくれた」という喜び、「愛されている」という幸せに、私はめっぽう弱い。

 そしてその「喜び」欲しさをこじらせて、心の弱っている友達に必要とされる快感、相手からの特別な感情、それらを得たいがために、私はあの人に手を差し伸べようとするのかもしれない……などと、自分の善意と愛情さえ疑いたくなるのだった。だって、悪趣味じゃないか?私は結婚していて、幸せで子供もいて、それなのに、全然違う立場から、友人を助けたい、とか。承認欲求の塊なのか、それとも考えすぎの自意識モンスターなのか。どちらにせよ、これが本当に全部父のせいなのかもわからないし、やっぱり私が根本的に悪いのかもしれない。

 そんな私には、この文章がとても刺さる。 

いまここで病を宿している誰かに対して、「励まし」というオブラートで包みながらその実は「がんばる」ことを意識的にも無意識的にも強いてしまうのではなく。
「あんなにかわいそうな人でもがんばっているのだから、健康な自分はなおさら」と、どこかボタンをかけ違えた自分への動機付けをするのでもない、何か別のやり方で。

きっと、あるのだとは思う。けれど、そんな「何か」をたまたま見つけたとして、その手応えをずっと手放さないでいるとなると、これがなかなか難しい。

 

dk4130523.hatenablog

 

 こちらのid:cj3029412さんの書かれた本「セカンド・オピニオン」の冒頭の一節である。私は、この本のプロジェクトに僅かながら協力させていただき、そのごく僅かな支援額に到底見合わないであろう様々な見返りをid:cj3029412さんから頂戴しているのだった。それはもう、申し訳ないくらいに。 

 

 私も一つの小説という体をなす文章を書ききった者の端くれとして、こうして一冊の本を出版することが、どれほどの大きな山であるかは、おこがましいながらもわかると言わせていただきたい。曲がりなりにも、その山から見た景色を知る身として。ひとつ、魂をこめて小説を書いたものだけが、知る景色があって、それを見るためにどれほどの血と汗が滲むかを、その者たちだけが共有できるのだと思う。耳をすませばの、雫ちゃんとかね。

 それに、この話は、小説ではないのだ。実在する人たちへの綿密な取材をもとに書かれた、白血病という非常にデリケートなテーマを扱うのである。

 実在する人物の生と死を物語にする難しさというのは、想像に余りあるのだった。筆者が時間をかけ丁寧に当事者と寄り添われたことが、随所から伝わりる。

なんというか、病院独特の空気感なんかもまるで自分のまわりに再現されるかのような箇所等、ノンフィクションであると同時に、とても幻想的な本でもあるのだった。

 

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 つい数日前のことであるが、その id:cj3029412さんから、またまた本をお送りいただいた。虫明亜呂無のこちらである。 

 

女の足指と電話機 (中公文庫)

女の足指と電話機 (中公文庫)

 

 

  これがまた本当に独特な感性で書かれており、面白い。今年読んだ本の中で、一番感銘をうけた。まだ今年はあと1か月ほど残っているが、一番と断言してしまおう。後日感想を書きたいが、以前黄金頭さんがブログで紹介されていた時も、『“スポーツは淫靡”って、その表現なんなんよ?!』と、その虫明ワールドの斬新さに度肝を抜いたものである。

 

 話を再び物語「セカンド・オピニオン」に戻す。

 

 ここには、あるインターネット上での運命的な出会いが描かれている。

  インターネットを介しての出会い。もともと良いイメージでは語られることのない話題。

 昨今では、特に座間市での連続殺人事件報道などもあり、とにかくネットは危険、犯罪の温床であり、ろくでもない人間がろくでもないことを吐き出し、そこで人間同士が繋がっても決して良いことは起きない、というのが世間の主流なのかもしれない。

 しかし、そういうろくでもない出会いがゴマンとある中に、案外捨てたもんではない、いやそれどころか、とても素敵な人間同士の出会いだって、散らばっていることも私は知っている。

 詳しくは書かないが、10月16日、ちょうど1ヶ月前のこと、私のはてなブログに1件の嬉しい通知があった。

 

 その人の、恋の行方を、ネット上の数人が、ずっと見守っていた。若い子達のような、キャピキャピと浮かれた恋愛ではなかった。落ち着いた、真剣な想いが伝わる文章だった。

 

 その人ご本人も、見守っている数名も、見慣れたアイコン誰一人、私は実際にはお会いしていないけれど、なぜかお互いにずっと見知っているような不思議な感情を抱いていた。

 不思議な感情、親しみ、好意を抱いてしまえる理由は、ブログである。

どの人も、年単位でブログを書いていた。そして、そこから伝わる人柄は、きっと私達、実生活で会っていても仲良くなれると確信してしまえるものだった。

 

 「死にたい」と、呟き、突然そこに現れた素性の知らない何者かと数回メールをしただけで会って、それでそいつに自分の最期を預けるのは、あまりにも博打が過ぎる。

 せめて死にたいときは、ブログに吐き出すのが良いのではないだろうか。

 

 久しぶりの更新なのに、ちょっと自分でも何を書いてるかわからないほど、文章が散らかっている。

 今日は私の誕生日なので、安いワインをあおりながら書いているのを許していただきたい。
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さっき妹から、花束が届いた。