この、謎めいた数字がひたすら書かれたメモは、私の大切な思い出の1つです。
数字は用紙裏面まで続いており、3:04を最後に、ぷっつり途切れています。
実はこれ、7年前、娘を出産する時に書いた陣痛の記録なんです。
出産予定日より12日前の早朝、トイレで破水し、そのまま病院へ。
破水というのは、その漢字のインパクトとは違い、実に地味なものでした。なんとなーくオシッコじゃない何かが出たな、ぐらいのおだやかなものでした。
病院で状態を見たお医者さんが一言
「なんやこれ?あ、髪の毛や!」
なんと、新生児なのに頭髪がやたら長かった娘は、生まれる前から髪だけコンニチハしてたそうです。
で、だんだんお腹も痛くなってきて、陣痛ってこんなもんか~ぐらいに考えていた私。
ナメていました。
その日は、偶然中学時代の友人と院内で再会したんですが
「ちょっと待ってよミキちゃん、破水した妊婦って、そんな颯爽と、廊下を歩くもんなん?(笑)さすが元陸上部やな!」
「せやねん、クラウチングスタートしたろか?」
などと突っ込まれてゲラゲラ笑っていた程、昼間はお腹が痛いと言っても余裕でした。
その後、痛みのハイパーインフレへと突入してゆくこともしらず…。
その日は、急に産気付いた妊婦達で院内がごったがえしていました。聞けば、相部屋の病室は全て満室とのこと。
そこで、普段は特別料金を支払わなければ入れない、特別室という広い豪華な個室で通常料金のまま入院することになりました。ラッキー。
しかし、夜8時頃、陣痛室が空いたからそっちへ行けと促され、広い部屋から一気に狭い窓もない暗い陣痛室へ。
夫が持ってきてくれたタオルは、マキシマムザホルモンのライブタオル。
いやいや……。そりゃ、ナオさん大好きやけど、分娩室でナオさんが仰々しい顔してる絵柄は、あんまり見たくなかった。もっと赤ちゃんを迎えるに相応しいメルヘンなピンク色のガーゼタオルを選んで欲しかったです。
そして、そこからが地獄の始まりでした。
部屋に入ってからは、痛みのラスボスに次ぐラスボス登場といった展開。
もうこれ以上強い敵は現れないだろうと思ってたらまた出たよ、初期の敵キャラ何やったんや?!
みたいな少年ジャンプによくある強さ(痛み)のインフレ現象が自分の身体に起こっていました。
「痛くて吐く」こんなことが、世の中にはあるんですね。お腹が痛すぎて、あまりの痛みに吐いてしまうんです。
何度も痛みの波に嘔吐し、苦しくて、とにかく早く分娩室へ行きたい、産みたい一心なのに、看護師さんはアッサリしたもので、お腹をちょっと押したりしては、ハイハイ、痛いねー、でもまだまだもっと痛くならないと産まれないんだよ~と去って行きます。
鬼や、あんた鬼や、これ以上耐えられへん、と、良い歳をして私は涙目で駄々をこねていました。
これが、陣痛の痛みを数値であらわす機械。戦闘力を測るスカウターです。
そうして、こんな強ェヤツはオラ初めてだ、ワクワクすんぞ!ぐらいの痛みのビッグウェーブ到来、これは乗るしかない!
やっと分娩室へ入ることが出来たのでした。
分娩には、夫が付き添ってくれました。ウエちゃんが舌出してるマキシマムザホルモンタオルを枕元に置き、台に乗って息んだ私は、まず、プ、と屁をこきました。(ちゃんと映ってないですが、ザーボンさんみたいな髪型をしていますね。)
こっちは死に物狂いの放屁なのに、夫はその音で、フフン、と、微かに笑いました。気づかれないように笑ってましたけど、目ざとくみつけて私は睨み付けました。屁なのかうんこなのか赤ちゃんなのか、もう、おっぴろげてるし、わけがわからないんですよ。
陣痛もマックスになり、陰部を麻酔無しでハサミで切られ、ようやく最後のひとふんばり。娘は産まれました。
娘の泣き声を聞いて、私も夫も、泣きました。
破水から約24時間後のことでした。
娘を産んで、その瞬間、主役は妊婦から、産まれてきた可愛い天使に交代しました。
その日の朝まで私を神様妊婦様と扱ってくれていた夫と実家の家族は、娘の無事を確認するやいなや、涙を流し、口々に良かった良かったと言いながら、清々しい笑顔を残し、蜘蛛の子を散らすように「おつかれっ!そいじゃーねっ♪」と解散していきました。
ベッドに戻った私は、とにかく腹が減っていました。
なんと、その日の病院は本当に妊婦ラッシュだったので、私の血だらけの服を着替えさせるのも、ご飯を食べさせるのも、看護師さん達は忘れていたのです。
まあでもこれは仕方ないと思っていて。
だって私も赤ちゃんも、健康だったんだもん。
世の中の産科医師と、看護師さんの凄いところは、分娩において『2つの命』を扱っているところなんです。
私達母娘が無事健康でお産を終えられたのは、本当に感謝すべきことなんです。
その日も、産後すぐにICUに入る赤ちゃんが何名かいました。他方、意識を失う母親もいるでしょう。
そんな、日々命をあつかう世界を生きる看護師さんが、元気もりもりな私のご飯を忘れても、全然それは仕方ないことなんです。
……なんですが。
お腹が、空いて……。
数時間の陣痛と出産を乗りきった私は、とにかく、カツサンドが食べたい!その強い欲求で、頭がいっぱいでした。何故かわからないけど、カツサンドだったのです。
私は、まだ股から背中の辺りが血だらけの服のまま、1階の売店にヨレヨレと歩いていきました。
切られたアソコが痛くて、縫われた傷がひきつるので、ヨタヨタと内股で変な歩き方です。それでも、それでも、私は、
カツサンドが……食べたいっ!
院内の廊下で何人かがギョッとした顔で私を見ていました。
さて。
私のような未熟な人間が無事に出産し、ここまでなんとか育ててこられたのは、本当に周りの人達に恵まれていたからだと心底思います。
娘を産んでから、私は、自分の誕生日には、母親に今まで以上にありがとうと思うようになりました。
そして、娘の命に繋がるまで、一体何人の「お母さん」達がいて、どんな苦労があったのだろうと、壮大な命の物語に想いを馳せるのでした。
BGMは、マキシマムザホルモンの『F』。ジャスティス7つ玉、ロマンティックgive me!
ドラゴンボール 復活の『F』マキシマムザホルモン - YouTube