それは蒸し暑い、ジメっとした或る昼下がり。
太陽の光は、梅雨の合間の薄曇りで真夏のそれと比べればまだ耐えられるものだったが、そのぶん、湿度が体全体に覆い被さるような鬱陶しい天気だった。
買い物帰りの道中、じっとりと、爪の先にまでまとわりつくような暑さの中を、ナメクジみたいにずるずる、私は歩いていた。
その時、額から流れ落ちる汗を拭おうとした私の左手を、突然、若い男がぐっと掴んできた。
そして私の薬指を握りながら、指輪を取り外すような仕草をして彼はこう言ったのだった。
「結婚、してたんか」
絡んだその細い指と私の指は、汗ばんでいたせいで、なかなか離れてくれなかった。
つい最近実際に私に起こった出来事である。
【補足】
手を掴んで「結婚してたんか」と聞いてきたのは、約30歳年下つまり小学校1年生、近所に住む男の子である。
娘と同じ小学校に通う子で、面識はもちろんある。
私が○○ちゃん(うちの娘の名前)のママであることは、彼もよーく知っている。
その上で、私が結婚しているということだけは、何故か、彼の中では理解していなかったということだ。
なぜだ。謎だ、子供。
それで、わざと意味ありげに書いてはいるが、とにかく単純に彼は私の左手薬指に驚いたからそのような行動に出たまでであり、当然のことながら、他意は全くない。
ちなみに娘もそのとき、横にいた。そして
「当たり前やん!結婚してなかったら○○ちゃん(自分のこと)うまれてへんやん!結婚するから赤ちゃんってうまれるんやでーっ!ぎゃはは!」
とゲラゲラ笑っていた。
それを聞きながら、ママは、うん、それもまた、色んなケースはあるよねー……、とは思ったのであった。
子供は作らないと決める夫婦も、いる。
子供ができなかった夫婦も、いる。
夫婦仲が悪いのに、なぜか子供の数だけ多いところもある。(このケースがほんま理解出来なくて、個人的に一番嫌。愛もカネもない夫婦は不幸な子供を増やさないで欲しい。愛かカネ、どちらかでも余る程潤沢に有るなら、子供は多くても良いと思う。)
子供を作ると決めて、なかなかできなくて、さんざん苦労して、お互いにとても愛しているけれど、もうセックスをするのに疲れてしまった、うちみたいな夫婦もある。
私の左手。
昔は、本当に素敵な年下の男の子が、この腕を掴んで離さなかったこともあったんだっけ。今じゃ、節くれだってカサカサしてマニキュアはハゲて、さんざんやけど。
ああでも、そういえば、その時の年下の男の子って、今の私の旦那さんなんだ。