新潮社R18文学賞で最終候補手前まで残った話

私は、今も昔も、何のとりえもなくそれどころか頭も要領も器量も悪く父親から罵られ続け自己肯定感は地に落ち、とにかくどうしようもない人間であるが、文章を書くことだけは、好きだった。 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

結婚前は地元の新聞社で記者をしていた。

待遇面は良いとは言い難いところも多かったが、自分の署名付きで書いたものが17万部(2006年前後の発行部数)発行されるというのは、それだけで感動的なところはあった。

とはいえ、働いていた頃は毎日が「ミスをしているかも?誤字はないだろうか?」という恐怖に心が支配されており、印刷所から刷り上がったばかりの初稿が届いたときには、常に胃の痛みと緊張から来る吐き気を感じながら紙面をチェックしていた(実際1度すごい致命的な誤植をやらかしたからこそ、余計以後の仕事への恐怖は増した) 。

その他、地方の小さな新聞社なのでとにかく一人何役もこなさなければならない苦労や、あとはちょっと前に炎上していた“食べても無いのに食べた体で記事を書く”あれとか(ネットライターが猛批判されていたけど、紙媒体でもそういう手法は大昔からありますね)、そもそも車の運転がド下手なのに、取材はいつも車で、しかも初めて走る道に行くから、ハンドル握りながら真冬でも脇汗すごかったとか、諸々書き出したら止まらないほど色んなしんどさを味わったものだった。

しんどいばかりで、どうせこんな記事書いても誰も読んでないわ、という思いもあった。ミスは大問題になるけどそつなくこなす記事は話題にもならない。そう思っていた矢先に私を名指しで記事クレームが入ったときは、怖いとかいう思いより「私の文章をそんな隅々まで読んでくれてたんや!!」という嬉しさが凄くて、結果その電話をしてきたおっさんと最終的に仲良くなってしまったこともあった。あの電話はクレーム対応としては100点だったと思っているし、またそれは後日別の日記にでも書こう。

 

ただ、私は記者の仕事にもやりがいは感じていたが、本当はずっと、あの、その、小声になりますけど、その、小説家になりたい……みたいな夢がありまして。

 

そう、もう言ってしまうが、ずっと私は小説家になりたいという夢を持っていた。

でも、ちょっと文章で仕事をしたぐらいのぺーぺーが、そう易々と小説家になれるほど世の中が甘くないことも、よくわかっていた。ちょっと仕事をしたからこそ、わかっていたというべきか、自分の伸びしろ、天井を。

私には、小説家になるには文章力も経験も知識も教養も発想力も、すべて足りていなかった。わかってはいた、しかしわかってはいても、夢はずっと私の心の中でくすぶり続けていたのだった。

 

もう、はよ、あきらめよ。

 

2009年のある日、私は決心をする。

夢をあきらめるために、地に足をつけた生き方をするために、自分の才能の無さと一度本気でぶつかってみよう。

こてんぱんにされて、うちのめされて、実力が無いことを自分自身に叩き付けて、それからすぱっとあきらめよう、と。

当時私のお腹には赤ちゃんがいた。出産を控え、私は子どもを産む前にひとつの小説を産み落としておくことにしたのだった。

 

それがこの小説であった。 

kakuyomu.jp

 

ピアスの穴をあけること、車の免許をとること、処女を失うこと。それらは、初めてその行為に及ぶに当たって、それなりの覚悟や勇気、努力がいる。しかしながら、多くの人間は普通にそのことを経験し、自らがその経験を得る過程で味わった、小さなドラマをいつしか忘れてしまう。
 そんなごく当たり前の事実を、尚美は時々我に返って妙に感心してしまうのだ。今日も多くの人間が処女膜や耳たぶに穴をあけ、またある人は、とったばかりのクルマの免許でドキドキの初ドライブを楽しんでいることであろう。そしていつかその「初めて」の感動も、恐怖も、忘れ去るのである。
 尚美が「初めてのセックス」を知ることは、最後まで無かったわけだが。
 パンツ丸出しで幕を閉じた自分の人生って、一体何だったのだろう。尚美は思った。(本文より)

 

 

今見ると、設定そのものに甘さを感じる。唐突に始まる性描写は、狙ったのがR18文学賞であったからであるが、自分でもかなりいまいちだと思う。今ならセックスについてはもう少し表現できるかもしれない。それに、当時は30歳で処女の女性なんてそ相当奥手なおとなしいタイプに決まっていると偏見を持っていたのだったが、今は30歳で処女なんてごく普通の、いやむしろ容姿の整った女性やリア充なキラキラ女子でもありうることなのだろうとはわかっている。

とにかく、ここですっぱり夢物語をあきらめるつもりだったのが、1次予選通過の知らせが届く事になる。さらに2次予選通過。

新潮社のホームページには作品タイトルと編集者の方からコメントをのせていただいた。めちゃくちゃ嬉しくて、新聞社の上司にも連絡した。

次はとうとう最終候補作品、というところで、はい、終了〜。であった。ちーん。

 

なんか……。

なんかこれ、あきらめきられへんやないかい!

ってな感じが残ってしまったのである。

そうこうしているうちに、出産、育児に翻弄される日々が始まり、長らく文章を書く事から遠ざかっていた私が、再びはてなブログでひっそりと日記を書くようになったのは、2005年に小説家の見沢知廉氏が自殺していたというニュースを知ったことがきっかけである。この作家は、最後まで文学に生き、文学に死んだという感じの人であった。

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

そして私は、「見沢知廉」という言葉を検索エンジンに入力したある日、id:goldhead氏の文章と出合うことになるのだった。

 

つづく

f:id:mikimiyamiki:20170306000455j:plain