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女文士に、おれは、なる!!! (ドン)

放浪記 林芙美子


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少し前、新歌舞伎座にて林芙美子放浪記を見て来た。演劇内でも朗読され、小説放浪記の中でも有名な詩の一部を書き写す。

男は下宿だし

私がいれば宿料がかさむし

私は豚のように臭みをかぎながら

カフエーからカフエーを歩きまはつた。

 

愛情とか肉親とか世間とか夫とか

脳のくさりかけた私には

縁遠いやうな気がします。

(中略)

 

金だかねだ

金は天下のまはりものだって云ふけれど

私は働いても働いてもまはつてこない。

(中略)

そして結局は薄情者になり

ボロカス女になり

死ぬまでカフエーだの女中だの女工だのボロカス女になり

私は働き死にしなければならないのか!

病にひがんだ男は

お前は赤い豚だと云ひます。

矢でも鉄砲でも飛んでこい

胸くその悪い男や女の前に

芙美子さんの腸(はらわた)を見せてやりたい

とにかく、言葉が激しい。林芙美子の言葉は、激しいのだ。貧相な木賃宿に吹くすきま風の冷たさに、思わず身を縮ませたくなる。これを私が書いてるのは床暖房とエアコンの効いたタワーマンションの部屋なのだけど。

劇中の男性詩人(名前を失念した)の曰く

林芙美子の詩は、ゴミ箱の中身をこう、ぶわあーっと床にばらまいて、それでこう、見てください、みたいなね、そんな救いのなさがあるからね、僕はどうも好きになれない」

みたいなことを言ってたが、確かにそのようなところがあると思った。 

これは、貧困女子の叫びだ。

林芙美子という人は、貧しい行商夫婦の間に産まれ、幼い頃から各地を放浪する生活であった。この物語は、そんな彼女が、ろくでもない男に貢いだりしながら地を這うような想像を絶するド貧乏生活からなんとか這い上がろうとする様を描かれている。

正直まったく興味はなかったのだが、夫の母が誘ってくれたので上本町の新歌舞伎座まで観劇に行ったのだった。

そして思った。新歌舞伎座で毛皮なんかまといながら暢気に芝居見物をきめているオバ様方よりも、もっと世の中には芙美子の言葉が突き刺さる若い女性がそこらじゅうにはずである、と。

1910年代、芙美子の働いていたカフエーというものの描写は、私の中の大正ロマン竹久夢二の絵、レトロな着物に洋風エプロンがステキ……みたいなカフエーへの幻想を見事に打ち砕いてくれた。

この時代のカフエーというのは、おしゃれな店内に小野リサのボサノバが流れているようなそんな空間ではなく、元締めが女達を安月給で働かせ、狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めにして集団で住まわせ、ことあるごとに給料を天引きして行くような場所であった。

接客内容は、飲食の給仕だけではなく、主に男性客を楽しませることを重要視され、女給とはすなわちセクハラとパワハラにまみれた不当労働を強いられる職業なのであった。

カフエーではないけれど、今現代も、酷い労働環境で心と身体を病みながら働く女性(男性もだけど)は大勢いる。ツイッターにはそんな人々の呪詛があふれる。 


ここで芙美子のつぶやきをいくつか拾ってみる。

  • ハロワの窓口で女性相談員に学歴を馬鹿にされる芙美子

おたんちん!ひょっとこ!馬鹿野郎!何と冷たいコウマンチキな女だらう。(中略)「月給参捨円位ヘッヘへ・・・」受付女史はかうつぶやくと、私の体を見て、まづせせら笑って云つた。「女中ぢゃあいけないの。事務員なんて、学校出がウヨウヨしているんだから。」

わかる。事務員やりたいよねえ。あこがれの事務職。

寝ても覚めても、結局死んでしまひたい事に落ちるが、 なにくそ!たまには米の五升も買ひたいものだ

  • 工場バイト芙美子のつぶやき

なぜ?なぜ?

私たちはいつまでもこんな馬鹿な生き方をしなければならないのか!いつまでたっても(中略)地虫のやうに、太陽から隔離されて、歪んだ工場の中で、コツコツ無駄に長い時間を青春と健康を搾取されている 

100年経っても工場バイトはそんなかんじですよ

 

  •  あとこの表現も好き

地球よパンパンとまつぷたつに割れてしまへ!

と、怒鳴ったところで私は一匹のからす猫、世間様は横目でお静かにお静かにとおつしゃる 

 

  • とにかく毒を吐く芙美子

世界は星と人とより成る。

 

嘘付け!エミイルヴェルハアレンの世界と云ふ詩を読んでいるとこんなくだらない事が書いてある。(中略) この小心者の詩人をケイベツしてやろう。

  •  そうかと思えば褒める芙美子

実につまらない詩だが、才子と見えて、実に巧い言葉を知っている。

金の駿馬をせめたてよか・・・。 

  •  こんなのも

からつぽな女は私でございます。・・・生きてゆく才もなければ、生きてゆく富もなければ、生きてゆく美しさもない。

さて残つたのは血の多い体ばかり。 

 

  • そしてこれ

獄中にある人々にとっては涙は日常経験の一部分である。ひとが獄中にあって泣かない日は、その人の心が堅くなっている日で、その人の心が幸福である日ではない。

夜夜の私の心はこんな文字を見ると、まことに痛んでしまふ。 

 

とまあこんな感じで、力強く“ゴミ箱の中身みたいな”言葉を武器に、芙美子は「私は女文士になるんだよっ!」と宣言し、放浪記で見事大ヒットを当てるのである。

この女文士って表現が、何度か出てくるんだけどすげーかっこいいと思った。

女流作家、とかじゃない。もっと勇ましくて、覚悟を感じる。最近は「文士」って誰も使わなくなったのかな。

ならば、私が目指したい!

……なんてね。私じゃだめだ。生きる世界がぬるすぎる。

そもそも、『放浪記は森光子さんのときも2回みてるのよ、ウフフ』と屈託なく笑ううちの姑さんは、いかにも芦屋育ちのお嬢で、ものすごく性格は良いが果たして彼女に林芙美子の良さがわかるのだろうか。どこまで本気で面白いと思って観劇してるんだろうか。おそらく、宝塚歌劇とか、歌舞伎とか、とりあえず見とこかー、みたいな人だから特に内容は深く考えていないのだろう。

そしてそんな家に嫁ぎ、夫と夫の両親にも大切にされ、可愛い娘とぬくぬく暮らす私には、そこまで血を吐くような思いで書きたいものが、ない。

私なんぞせいぜいツイッターで「バルス」とかつぶやくのが関の山なのだった。


※今回初めてパソコンを立ち上げて日記を書いてみた。スマホだとかなり長文が書き辛いと思った。ドン