Facebookやインスタじゃなくて

はてなのすみっこで、誰にも繋がってない誰も私を知らないこの場所でだけ叫ぶ、勝ったのだざまあみろと私は叫ぶ。

受験と名のつくものの第一志望はことごとく落ちた気がする。旧帝大卒の父は、テストの答案を見せるたびに激昂し、嘲笑し、最後には落胆した。親を何度も失望させたという心の傷は治ることなくやがて心そのものを歪ませた。

他人に失望されるのが怖くなった。ちょっとでも失敗したら、悪い点をとったら、この人もあの人もきっと私をなじる。離れていく。
だから、過剰になんでも頑張る人間になってしまった。そして失敗することが何より怖かった。

そんなだから、部活や、会社務めなんかでも、とにかくキャパ以上に頑張ってしまうのだ。心が壊れる寸前まで。みんなに失望されたくないから。

就職先の小さな新聞社。私は、記者として採用された。しかし、退職する頃にはクライアントの広告を営業から製作まで全部やるようになっていた。もちろんイラレ、フォトショを日常的に使って。その技術を得られたのは有りがたかったと言えるが、私は普通に五時に帰りたかったのだ。やりがい、とかそういう言葉に乗せらて。しんどくて。

そして逃げた。逃げたといっても。今で言う「飛ぶ」とかじゃなく。県外の人と結婚したのだ。

彼と出会ったのは、大学時代。付き合い出したのは卒業後だけど。
高校生の頃、校庭で親友のまゆちゃんと誓ったこと。それは、良い大学に入ることじゃなくて、共学で男子の多い学部に入ろうということ。素敵な彼氏を絶対作るのだ、と。
その高校自体も第一志望ではなかったが。私立の女子校。
ルーズソックス全盛期、スカートはみんなパンツがみえるほど短い、そんな時代に私の通う高校の制服は、ズドーンとながったらしいジャンバースカート。変なボレロ。他校の生徒からの笑い者。第一志望の公立高校の子にその制服姿を見られるのが何重の意味でも屈辱だった。

そんな高校だったが、出会えた友達はかけがえの無いものだったし、皆、ここを出たら他校の奴ら見ておけよ、というような野望があったように思える。

そうして私は大学入試も第一志望の県内国立には落ちたわけだが、もうその時は父などどうでも良かった。
県外都会の共学である。男子がわんさかいる。大学の四年間は親が何百万とお金を出して私は男の家に入り浸るだけの日々を過ごした。

それでも今こうして、阪急沿線高級住宅地のその中でもランクの高いマンションの、さらに一番間取りの広い部屋に住み、毎日趣味のハンドメイドをしたりお菓子を焼いたり、ピアノをひいたりして可愛い娘と暮らせている。毎日キリギリスの暮らしだ。高校生の頃、校庭で話したことを初志貫徹した結果なのだ。
あんな滅び行く地方都市の国立など出ても、今こんな暮らしは出来ていない。ざまあみろ、だ。誰に対して言ってるのかはわからないけれど。取り敢えず、あの頃ルーズソックスでパンツを見せていた女子高生ざまあみろ私達は勝ったのだ。

そう思いながらも、常に自分は「あっち側」の人間だという感覚がある。あっちとはどっちか。例えばニュースに出てくる犯罪者のテンプレート三十代中盤、無職。
自分は、『頑張りやさん☆』だから、会社勤めは無理なのだ。社会でやっていく精神力のない人間なのだ。

今日の晩御飯は煮込みハンバーグにしよう。おやつはマフィンを焼こう。Facebookに載せよう。なに食わぬ顔でママ友とランチをしよう。

だけど私はいつもあっち側を意識して、意識しながらも、いまの優雅な暮らしをかつての他校のパンツ見せる奴らに知らしめたくて中指立てながら生きてる。