珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

百合と寝とられの街からオススメのスイーツをご紹介

先日、自宅から20分ほどの場所にある洋菓子店に、知る人ぞ知る「幻のクッキー」を買いに行って来た。

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まあ、すぐ行ける場所やし、と思って油断していたのだが、前日に

「何時頃行ったら買えそうですかね?」

電話で問い合わせたところ

「みなさん開店3時間前から並んでいらっしゃいます」

と返され、のほほんとした調子で構えていた自分は腰を抜かしそうになったのだった。

 

それもこれも、他でもない母の日のためである。いや、自分の母親は和歌山の田舎者なので、何を贈っても素直に喜んでくれる。問題はお義母様だ。

 

海外にいくたびにブランド物を買ってくれて、私の知らないオシャレなよくわからない高級な物をいつも沢山プレゼントしてくれる、目の肥えたお義母様。

この日だけは、お義母さまに倍返ししなくてはいけないのだ。倍返しと言っても半沢的なあれではなく、また金銭的な倍返しも不可能なので、希少価値などに頼るしかない。とにかく毎年、母の日と誕生日は、この倍返しのために胃が痛くなるほど悩む。むしろほぼネタ切れ。

 

そして、今年選んだのがこのクッキーだった。ぜったいに、手に入れる。

 

その日は、娘の小学校の遠足、及び検尿があったので、朝から久々の弁当作り、そしてオシッコを引っ掛けられながらの採尿。

7時半、娘を見送る。それから洗い物などを済ませ、いざ、ミッシェル バッハへ。もちろんオシッコのついた手は、綺麗に洗っている。


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久しぶりに阪急夙川駅前に行った。

9時頃に店に着いたので、時間的にどうかな?と思ったのだが、整理券を無事ゲット。
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とりあえず、せっかくやから買わないと損?みたいな気持ちに駆られて5箱買ってしまった。

 

転売禁止ですってよ奥さん。


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大変、美味しゅうございました。


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多分プロブロガーとかの人は、 店名、買い方、値段、味レポなどを詳しく書くのだと思う。

 

実際恐ろしく入手困難であり、正直これを載せたら検索流入とかいうのが凄いと思う。

 

ぷろぶろがぁは、冒頭の写真を縦横間違えて載せたままにしないし、間違ってもタイトルに「寝とられ」とか書かないんだと思う。そもそも私は正格な商品名すら載せていない。

 

私はそういう、ブログで食べていける賢い人間ではないし、私の食い扶持は新規公開株の利益などで何とかなっている。どうしてもこのクッキーについてもっと知りたいなら、直接私に言ってもらえれば転売するよ。

嘘です。夙川のお店に並んで下さい。

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さて、夙川といえば、阪急沿線の高級住宅地であり、谷崎潤一郎ゆかりの地でもある。

 

阪急の夙川の駅で下りて、山手の方へ、ガードをくゞつて真つ直ぐに五六丁も行くと、別荘街の家並が尽きて田圃道になり、向うに一とむらの松林のある丘が見えてくる。キリレンコの家は、その丘の麓に数軒のさゝやかな文化住宅が向ひ合つて並んでゐる中の、一番小さな、でも白壁の色の新しい、ちよつとお伽噺の挿絵じみた家であつた。

 細雪より。

まさにクッキーやさんの近くだな、これは。

 

 

そんな谷崎潤一郎原作「鍵」を見た。出演は仲代達矢京マチ子など。

 

鍵 [DVD]

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 セックスシーン、残虐な場面、一切なしにもかかわらず当時の映倫はこの映画を成人指定にした。

 

何度か映像化されているらしいが、1959年のこの作品は、女性の乳首どころか足首もそんなに出てこない。

しかし、描かれる性の世界は歪んでいて、変態的でインモラルそのもの。ストーリーはもちろん、役者達の演技もまた素晴らしい。

 

言外に匂わせる思惑、目線で語る下劣な欲望、嫉妬。繰り広げられる心理戦に、片時も目が離せなかった。

 

自分の妻を、娘の婚約者に抱かせようと策略を練る男。

その策略に気付きながら、知らんぷりし、利用する妖艶な妻。

財産目当てで旧家の娘と婚約した若者は、美しい義理の母を抱くのか?

母の美貌に勝てない、父親にも婚約者にも愛されない醜い娘の悲しみ、怒り、その矛先はどこへ向かう?

 

もう、ドキドキしっぱなし。そして、ラストのオチが最高。登場人物四人とも全員最低、五人目の女が握るのは、どんな「鍵」なのか。

 

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谷崎といえば、これも良かった。こちらは百合で、ヌードシーンだらけ。樋口可南子さんの小さくて綺麗なおっぱいに釘付けになってしまった。

 

夙川、香櫨園、芦屋川、岡本、甲南、仁川、甲東園、宝塚……上げればきりがないほど阪神間は本当に上品で美しい街が多い。

 

今年で、結婚10年目であるが、私は、いつまでたっても、この街の住人になれる気がしない。

ずっとお客さん気分。観光客のように芦屋を語ることは出来るけれど、今住んでいる場所としてこの土地について何か言える言葉が見つからない。

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 


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ローゲンマイヤーのクロワッサンとミルクハースは、無添加で美味しいよ、ということぐらいしか、私にはわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クロワッサンが勃ってる

いいか、本当にこれから、本当のことをいうぞ?

俺は、偉い僧侶だ。世界遺産高野山の、めちゃくちゃ徳の高い偉い有り難い僧侶だ。念力で車だって止められる。だから俺の言うことは全部本当なんだ。


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このまま生きていたら、いつか、皆死ぬ。


いや、本当なんだ。

わかってないだろ?あんた。

わかってないから、いつもそんなんなんだろ?


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そんな所で靴を脱いで、線路に飛び込むのか?

そうだな。
死にたい死にたいって、俺も思ってるよ。思ってる。

 

でも、本当は死にたいんじゃなくて「こんなふうに生きたくない」だけなんだ。

 

ずっと昔から、ずっとずっと、皆に追い抜かれ、追い越され、どんどん遠ざかる連中の背中ばっかり見ていた。

 

そのうち追い抜かれるだけじゃなくて、すれ違いざまに足を引っ掛けられたり、そもそも能力がないから勝手に転んだりするようになった。


それで、ずっと地べたに這いつくばって血ヘド吐きながらガシガシ踏みつけられて、見ているのは、いつしか周りの連中の背中どころか、俺の汚いツラに降ってくる奴等の靴の裏ばっかりになった。

 

目に焼き付いてるのは汚れた靴裏の模様。背中を追いかけていた時はまだ恵まれていたんだと気づいたよ。


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だからなんでそんな所で靴を脱ぐんだ?

 

なあ、耳鳴りがするんだよ。

その耳鳴りの音が、マクドナルドのポテトが揚がったときのあの音とリズムで再生されていて、煩いというより油っぽい感じのする耳鳴りで、脂肪の塊が耳んなかで暴れてるみたいで吐きそうなんだ。

うずまき菅がそもそもグロテスクなんだ。もう逃げたいんだ、嫌なんだ。嫌なんだ、こんな自分。こんなふうに、生きたくない、こんな世界に、生きたくなかった。


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そんなことってあるか?って思うよな思ったよ俺も。でも本当にそうなんだ。

本当に、左だけ引き戸なんだ、周りは俺を騙そうってやつばかりだ。

油断していたらすぐに足許をすくわれる。


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油断していたら、せっかく作ったチョコクロワッサンが捲れ上がって勃起してやがるんだ。ファッキンクロワッサン。


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シフォンケーキをフワフワに作るためには、クソみたいに体力が要るんだ。メレンゲがめんどくせえんだ。

 

このまま生きていたら、いつか死ぬんだぜ。

 

◇  ◇  ◇

今日は、ある若者から「文章で勝つにはどうすべきか」みたいな、とても難しい相談を受けて、私も答えがあるんやら無いんやら、よくわからんくて、とりあえず何か貴方自身に付加価値つけなはれ、と言うた。 

 

文章を書くって、一見ハードル低い。

音楽、絵画、漫画、いろんな自己表現・芸術があるなかで、一番簡単に見える。 だから皆飛び付く。私も飛び付いた。憧れていた新聞記者になれた。しんどくて辞めた。今は家族のためにパンやケーキを作って編み物をするのが私の幸せ。文章で勝つ方法、あるなら知りたいです。

少女雑誌りぼん、そのグロテスクで残酷な世界

 桐野作品が大好きだ。

 

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 うんこちんこまんこばっかり原文の発想がそもそも凄まじいが、その古事記の世界をこんなふうに桐野色に書き変えられるなんてすごい。

 

一番好きなのは、実際に起こった東電OL殺人事件をモチーフに書かれた、この作品「グロテスク」。

 

グロテスク

グロテスク

 

  もう、どれだけこの作品が好きかというと、好きすぎて、下手に感想文を書きたくないぐらい好き。

 

 だから、たまに他の誰かがこの本について感想を述べているのを読んだりすると、すごく嫉妬するのだ、私の方が、グロテスクを愛しているのに、先をこされた!ムキー、ぐやじい、じたばた!!と。

 だったら書けば良いのだが、もうどこからどう褒めていいかわからないぐらいの、傑作なのだもの、そう簡単にこの想いをアウトプットできない。

 そんなんだから、半端な感想文や、的外れな評を読むと、書き手に殺意すらわく。

よって、精神衛生の為にも、桐野作品について書かれたブログ等は読まないことにしている。それぐらい、私は、この小説そして桐野ワールドが大好きだ。

 

 大好き、なんだが。
「ハピネス」に関しては、全然期待していた物語とは違っていた。

 

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 多分これは、桐野先生ご自身が、一流作家になってしまっていて、(いやもうとっくの昔から一流でいらっしゃるのは重々承知しておりますが)普通の主婦としての感覚をもう失いつつあるからではないかな、と思った。
 
 具体的にどこがどう、とかじゃなく。ママ友同士の人間関係構築に対する考えそのものが、根本的に実際のそれとはズレているなと。ママ同士の繋がりが、あまりにもあっさりしているのである。
 
 あくまでも、私に限った話かもしれないが、もっと専業主婦ママ同士の繋がりは、良くも悪くも、濃い。
 
 だって、私達にはそれしか人間関係が無いのだから。
それしかないわけではないが、少なくともこのハピネスに出てくる母親達は、常に四人だけで行動している。まあこれはこれで、一般的なママ友関係に比べると極端に狭い輪であると言えるが。
 
 とにかくそんな狭くて濃くて、世間から閉ざされたママ同士の感情のもつれ合いは、桐野先生にはもう遠い昔のことであり、その生々しい感情はもう産まれないのだろう。
 
 それでも小説としては大変面白かったし、離婚をめぐる義実家とのやりとりでは泣かされるシーンも多かった。また、お互いの子供の知能や能力の違いを感じて焦る気持ちも、よくわかる。
 
さて。
 
 グロテスクの感想を書き始めたのだが、4000字ほど書いて、また全部消したりを繰り返している。
どうにも、思い入れが強すぎて、まとまらないのである。しかも感想ってったって、あなた、私がこれを読んだのって、結婚前、もう十数年以上も前なんですから。そんな昔の感想、覚えてないでしょって、普通はそうである。
 
 でも、成績優秀で、有名インフラ企業に見事入社したエリートであるにもかかわらず、“顔が美しくない”ばかりに、どんなに努力しても認められない苦悩。美しくない女から見た世界の歪み、その表現が、私の胸には、グサグサと突き刺さったまま、今も抜けていないのだった。
 
 私は、結婚相手を顔で選んだ。
 
 もちろん性格も合うし、一緒にいて楽しい。
でも、一番の決め手は彼の、その顔であった。
たまたま彼の実家が芦屋のお金持ちだったことは、本当にラッキーだったし、彼自身それなりに稼ぎの良いお仕事に就いてくれているのも大変有り難い。しかし、そんなことは全くもって二の次であった。とにかく、結婚相手に望む最重要事項は顔、だった。
 
 いや、イケメンだったとか、好みだとかそういう話ではない。
 
 もし彼が父親になった時、産まれてくる女の子は、絶対に可愛くなる。
 そう確信出来る顔だったのだ。
一切骨張っていないあどけない丸顔、色白の肌、蒙古襞のない大きな瞳、各パーツの配置バランス。完璧だ。女の子としては。
 
 一般的に女の子の顔、特に長女の顔は、父親に似ることが多い。
じゃあ息子が生まれたらどうすんだ、という話だが、私は超色黒の面長くっきり濃いパーツの男顔。体は痩せ形長身で、女としては残念なこの身体的特徴は、男の子に遺伝すればまあそこそこプラスにはなると思ったのだ。 
 
 
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 ここで唐突に少女雑誌りぼんの話をする。
81年うまれの私が、親に初めて漫画雑誌を買ってもらったのは「りぼん」で、その表紙はちびまる子ちゃんだった。

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 当時のりぼんは、ジャンプよりほんの少し早く黄金期に入っていたように思う。一条ゆかり先生がボスって感じで矢沢あい吉住渉池野恋水沢めぐみなんかが一番人気を競い、今や大御所のさくらももこはまだそこまでの地位はなかった。
 岡田あーみんと同枠の面白漫画家、という位置付けであったが、今二人がどれだけのレジェントになっているかを思うと当時のあーみん&ももこ合作企画なんかも感慨深い。ほかにも一人一人漫画家の名前を挙げたらきりがないほど、一冊のりぼんにこれだけの作家が集まっていたのか、という程に豪華な面子だった。
 
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 りぼんを読み始めた頃、「おおきくなったらすてきなおとこのこと、こいをするのだ、そしてさいごはちゅーするのだ」と思った。
 
 それが当然であり、お姉さんになれば、そうだな、小6ぐらいになれば、全員に、もれなくそんな機会が訪れると思っていた。
私の知る『お姉さんの世界』は、りぼんだけであり、りぼんに描かれたことが全てだったから。
 
 でも、女の子達は、だんだん気づいていく。自分の立ち位置というものに。
 
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 私の背は、いつだってどの男子よりも高く、また、同級生がどんどん女らしい丸みを帯びてゆくなか、私はガリガリに痩せていた。そしてとにかく色黒だった。りぼんに出てくる女の子の要素が、ひとつもなかったのだ。長々書いたが二文字で済む、つまり、ブス、だ。
 
 ブスのくせにそれに気付かず無邪気に可愛い女の子の振る舞いに憧れていた幼い私と、選ばれない女の子もいるのだ、自分はそっちの女の子だと気づいてしまった幼い私。
 
 どちらもかわいそうだけど、勘違いをしていた頃の、無邪気な自分の方を、一層今は哀れに思う。小学生の頃は、三つ編みをほどくと髪がフワフワになって、それがお姫様みたいだ、と自分では思っていたのだ、かわいそうな、真っ黒なかりんとうみたいな女の子。
 
 そんな私の顔をさらにブスにしていたのは、父親からの私に対する罵声とか存在を否定するような言葉や態度の数々だったと思う。もともとの表情に、内側からの卑屈さとか、自信のなさが加わり、だんだんと暗い顔だちになっていった。
 
 そして、具体的な疾患名は控えるが、かなり珍しい類いの皮膚疾患を、小学3、4年ごろ後天的に発症した。痣のようなものと想像してもらえればいい。少し前、海外のアパレルブランドモデルに、その病気の人が採用されて話題になった。紫外線の照射など、幾つかの治療法はあるものの、現在でもまだ、完治するまでの薬や医療機器は開発されていない。ファンデーションや、化粧でなんとか隠せるとか、そういうレベルのものではなかった。
 かなり珍しい病気なので、治療に関する需要が少なく、研究も進んでいないのではないかと思っている。(今までこの皮膚病を持った人と実生活で会ったことはないのだが、もし不用意に詳細な疾患名を書いて嫌な思いをする人がいたらいけないので、あえてそれは書かない。)
 
 「それ」は服で隠せない頬下半分から顎の広範囲に現れ、幼い同級生は、悪意無く「なんでそこだけそんなんなってるん」「変やね、キリンみたい」と言った。
子供は残酷な生き物だ。
 高学年になるとかなりその部分は大きくなり目立った。さすがに直接そのことについて話題にする友人もいなくなったが。
 
 外に出るとあからさまに私を見てくる人が増えた。人の視線が本気で怖くなった時期である。
 
 今も忘れられないが、電車に乗っているあいだじゅう、10数分、ずっと私のほうを、身体を捩ってまで、じっくりと観察してくるお婆さんがいた。
 
 珍しい生き物でも見るように、まじまじと、嫌な視線がずっと私に絡まりついて、それに囚われた私の身体はこわばり、動けなかった。そんな目に気づかない平気なふりをするのに、精一杯だった。耐えているのを悟られたくなかった。
 
 今なら思う。その場で泣けば良かったのに、と。
 
 泣き叫びながら、これがそんなに珍しいか、そんなに見たいか、と、ばばあを責め立てれば良かった。
 
 でも少女だった私は辛くて、家に帰って一人泣くことしかできなかった。母親に心配をかけないように注意しながら。
 
 可愛い女の子、フワフワして色白で丸くて、背が小さくてお人形みたいな子は、りぼんの主人公になれる。女の子の外見は、男の子のそれより、圧倒的な力を持つ。良い方向にも、また悪い方にも。桐野夏生のいう、ヒエラルキーをも飛び越える力。
 
 りぼんの主人公じゃない側に生まれた私は、それだけでも心を歪ませるに十分な素地が整っていた。そこへ、あの痣が心にもべたっと張り付いて、誰にも自分を見られたくなくて、本当に下を向いてばかりの数年間だった。比喩ではなく、物理的に、下を向けばなんとか少しは隠す事ができたから。もしそんなときでも親が私を否定するようなことばかり言わなかったら、もう少し上を向いて生きられたのだろうか。それは、わからない。
 
 不思議なのは、高校在学中に、その皮膚疾患の部分が、薄く小さくなったことである。とはいえ、今もそれが完全に消えたわけではないし、下ばかり向いてしまう癖も抜けないし、対面した人の視線が一瞬でも顎にいくともう逃げ出したくなるし、なるべく1年中タートルネックを着る生活はずっと何十年も変わらない。
 
 だからこそ思ってしまう、こういう考え方は健全ではないと知りながらも、女は外見なのだ、と。ルッキズムの呪いに、雁字絡めになっている。
 
 私は、母親としては本当に未熟で、子ども達を東大の理Ⅲへ入学させられるだけの度量もないし根性も無い。本当に、ダメな母だと自覚してそれでも毎日精一杯の愛情を娘に与えながら、もがくように必死に子育てをしている。

 

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 こんな不器用な母親ではあるが、ただ、ひとつ私が娘に与えられた財産。
 それは陶器のような白いなめらかな肌、そして誰もが可愛い、可愛いと口々に言ってくれるような顔立ちに生んだ事、つまり、私の要素ゼロの外見に産み落としたことだけは、彼女にとってこれから大きな生きる糧になるだろうと思っているのだ。とても歪んだ考えだとは思う。
 しかし、私の母としての仕事はもう、それで終わったようなものだと、思う事にしている。そうすれば、母親の負うべき責任と重圧を思う時、いくらか心は楽になるのであった。
 うちの子は、きっと「りぼん」も「なかよし」も、ずっと主人公の気持ちで読む事ができるだろう。お人形のように愛らしい我が子のきらきらした未来を思うと、自分のことにように嬉しく思う。
 私は、なんてグロテスクな、母親なのだろう。
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 

短歌かいたんか、書いたんや。

公園の 小さき花を 手にとって

「可愛い」と言う

きみがかわいい




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ニコイチで 包装された飴みたいに

甘く交じって 溶けて消えたい


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キスしてもいいですか?

なんて聞かないで

黙って奪って 欲しかったあの日

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

 

 

育児に悩むママ必見! 読んだら確実に鬱になる本ベスト3だよ☆


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 育児、それはゴールの見えぬ戦いのような日々。

その戦いのなかで、どんだけズタボロになるか、個人差はかなりある。子どもの性格、親の性格。私個人の話をすれば、特に乳幼児の頃は、心と身体が我が子によってボッロボロにされた。子どもを産み落としたその日から、私は大切にされる妊婦という姫状態から、一気に母親という重要かつ地味、それでいてしんどい役割を負う事となった。

ブチブチッと切開された性器の傷は一ヶ月経っても完治しなかった。結果的に3年続いた夜中授乳による睡眠不足、乳腺炎の激痛と高熱、抜け毛。色々あるが、まず乳房。

「これ、もう戻らへんの?」

と、いまも夫には聞かれる。

うん、戻らないだろうね。うちの子が吸いやすいように、カスタマイズされた乳。

「ちょっと貸し出したら、えらいことなって返ってきたで。これ僕のんやのに……」

とか言われても。知らんがな、あんたの子やで。あとな、泣きたいのはこっちやでほんまに。

 

さて、今日は、そんな育児に翻弄されるママが、決して手にしてはいけない禁断の書をご紹介していきたい。まずはこちら。

 

マザーズ (新潮文庫)

マザーズ (新潮文庫)

 

 

金原ひとみの、ナチュラルにセレブママなのだなという普段の子育てぶりも読み取れて、面白い。それはもう嫌みとかでは本当になくて、この人はそういう環境で子育てしているのだろうし、有名作家なのだから当然のことだ。

 私がグサグサきた文章は以下。

 

201ページ

私は今日も一弥と離れられない。地獄という特権を与えられて喜べといわれている。涙も出ない。

 

205 自由を手に入れる自由を、私は出産したその瞬間に失ってしまったのかもしれない。

 

妊娠出産、それはおめでたいこと。

でも、喜べ喜べと言われるその特権は、実際“地獄”そのものなのである。

世の中の母親がその地獄を乗り越えるための、唯一の手段は「愛すること」のみである。

 

あとは、この小説で私が感情移入せずにはいられなかったのが、以下に登場する弥生ちゃんという女の子とその母親の描写。

 

 弥生は私と公園に行くといつも他の子どもを見ている。羨ましそうに見ている。いつも何をするにも私の判断を仰ごうと私の顔を盗み見て、自分から友達を作ろうとはしない。いつだったか、他の子どもたちが楽しそうに走り回るのを弥生がじっと立ち尽くして見つめ続けている後ろ姿を見た時、発狂しそうになった。あまりに痛々しくて、あまりに苛立たしくて、あまりに悲しくて、そういう弥生をあまりに受け入れがたくて、「ママとあそぼう」という一言すら口に出来ず強烈な憤慨に混乱し目をそらした。人見知りしない子に、無邪気な子に、活発な子になってもらいたいと思って赤ん坊の頃から色々なところに連れ回し、色々な人に会わせてきた。(中略)なぜ弥生だけが、「行動する」前に「考える」子になってしまったのか。(中略)弥生は私が幼かった頃にそっくりだ。(中略)自分がそうだったからこそよけいに、弥生の弱さが堪え難いのだろう。

 

 

わ、か、るー!!

そう、まさに、私の娘はこの弥生ちゃんにそっくりの、内気でおとなしい気の弱い女子だ。

よって、大声をだして公共施設で暴れ走り回る、他人様に迷惑をかけるなどの苦労を、私はしたことがない。

しかし、その反面、我が子の内気すぎる精神面に現在進行形で大変不安を抱えているのも事実であり、何より辛いのは、その気弱なおとなしい性格に、私自身を見ることなのだ。

はっきりいってうちの娘は私に外見は全然似ていない。どちらかといえば美少女な方だと思っている。親の欲目もある。けれど、子どもというのは、月齢の小さい頃は無条件に「可愛い」と言われるものだが、6歳もすぎると、残酷にもその回数は本来の容姿に左右されてくる。

そんななか、まちなかで見知らぬ人からいまだにかなりの頻度で「お人形みたいなぱっちりおめめだねえ」と褒められる我が子は、客観的に見てもきっと悪くない容姿なのだと思っている。

このように、外見こそ違う娘だが、内面は、特に私自身がコンプレックスに感じている気の弱いところなどがそっくりで、それを日常生活のふとした時に感じたりすると、我が子に過剰な自己投影をすることが危険だとわかりつつも、いたたまれない悲しみを感じることがあるのだ。

そう、本文を借りると発狂しそうなほどに、母として辛い。

 

そして、多くの親には読むのが苦しくなるであろう描写が、冒頭に書き写したもう一人の赤ちゃん一弥くんのエピソードである。

 

軽くネタバレすると、一弥くんは、まだ小さな小さな0歳児にして、母親から徐々に酷い虐待を受けるようになっていく。

ここらへんの、ごく普通の、子どもを愛していたはずの母親が、0歳児に翻弄され、疲弊し、どんどん自我が崩壊、あるときぶわあっと赤ちゃんにその凶行が向かうという心理描写は、一度でも赤ん坊を育て、苦しんだ事のある者なら、恐ろしくて仕方ないのではないだろうか。

確かに、自分は虐待しなかった。じゃあ、そのギリギリを踏ん張れた私たちの中にあったものって、一体?そう、自分を見つめ直し、ほんとうに紙一重なのかもな、と思ってしまった私は、自分自身にヒヤリとしたものだった。

 

娘が特に小さい頃は、まるで、世界一可愛いヤクザに、自分の生活と心と体をむちゃくちゃにされている、そんな日々だった。

 

 

母性 (新潮文庫)

母性 (新潮文庫)

 

つづいて、こちら。大好き湊かなえ先生。来月サイン会いくねん〜。     

 

栄養に気を気を配り、休養をしっかり取る。適度に散歩をし、クラシック音楽を聴いたり、詩を朗読したりする。リルケの詩を暗唱できるよううになるごとに、情緒豊かな感性を送り込んでいるような気分になり、お腹の中の生き物を大切に育てるという行為は、絵を描いたり、花を育てたりすることに似ていると思いました。

 

 

リルケの詩を愛し、美しい庭にはバラが咲く。

妻が、「お前の魂に私の魂が触れないように 私はそれをどう支えあう?」

とつぶやけば、庭でカンバスに向かい絵を描く夫は

「ああ 私はそれを暗闇の なにか失われたものの側にしまって置きたい お前の深い心がゆらいでも ゆるがない 或る見知らぬ 静かな場所に」

と、あとに続く。絵と詩とギターを愛する、嘘みたいに麗しい両親の思い出。

 こんな絵画のような家庭。だけど潔癖で完璧すぎる母親の子育ては、相当歪んでいた……。

 

そして、途中出てくる以下の文章、これにがーんとやられる母親、多いんじゃないだろうか。いや、違うな。母親だけじゃなくて、全人類、勘違いしてるんだよ、母性ってやつを。

 

母性、とは何なのだろう。隣の席の国語教師に辞書を借りて引いてみる。女性が、自分の生んだ子を守り育てようとする、母親としての本能的性質。食事もろくに与えず、子どもから金を奪ってパチンコに通う女にも、この性質が備わっているのだろうか。世間一般には、女、メスには、母性が備わっているのが当然のような扱いをされているが、本当にそうなのだろうか。そうではなく、母性など本来は存在せず、女を家庭に縛り付けるために、男が勝手に作り出し、神聖化させたまやかしの性質を表す言葉にすぎないのではないか。そのため、社会の中で生きて行くにあたり、体裁を取り繕おうとする人間は母性を意識して身につけようとし、取り繕おうとしない人間はそんな言葉の存在すら無視をする。母性は人間の性質として、生まれつき備わっているものではなく、学習によりあとから形成されていくものなのかもしれない。なのに、大多数の人たちが、最初から備わっているものと勘違いしているため、母性が無いと他者から指摘された母親は、学習能力ではなく人格を否定されたような錯覚に陥り、自分はそんな不完全な人間ではなく、間違いなく母性を持ち合わせているのだと証明するために必死になり、言葉で繕おうとする。

 

ストーリーも最高に面白くて、そして、最後は一応ハッピー?エンドなのだけれど、ものすごい暗い気持ちになる。主人公は、救われたのだろうか、いやこれからもずっと、親子の模索は続くのだろうな、そんな感じの終わり方。

 

母性って、結局なんよ?

 

余談ですが湊かなえさんって、あんなにスーパーベストセラー作家なのに淡路島に住んで、ママ友と子連れUSJ行きながらアトラクション待ち時間に文章を書いちゃうようなエピソードのある方で、なんか同じ兵庫県民ママとしても勝手に、ほんま勝手に、親近感覚えてしまっています。

 

 

でもね、色々あるなかで、これらと比べ物にならないほど、育児ノイローゼの業火へ、ガソリンをジャブジャブ注ぐような、危険な書物が世の中にはあるのですよ。

そんなに恐ろしい悪魔の本が、普通に書店で売られているのですよ……。皆様も見つけたら気を付けた方が良いです‼

 

それがこちら。

 

 

 出ましたドン、ひよこクラブ。

もう、私、子供が0~2歳ごろまでこれ講読していたけれど、ほんと、何度書いている内容に呪いをかけられたかわからない、辛い思い出しかない本なのだ。

 

で、ある日、付録の別冊含めば全部で20冊以上あったのかな、それらを、一気に捨てたのだった。

どかーんと。すごくスッキリした。

 

もう手元に一冊もないし、2017年版は読んだ事も無いので最新情報はわからないが、内容としては、離乳食のおすすめレシピ(いちいち人参なんか型抜きしてさ、そんな余裕ないし)、予防注射情報、産後ママのファッションやおすすめおむつ収納など。

そして、0ヶ月〜13ヶ月ぐらいまでの、各月齢ごとのモデル赤ちゃんの生活例が24時間スケジュールで毎号かなりのページ数をさいて細かく載せられている。これに、思い出しても涙がでそうなほど、私は追いつめられた。

 

だって、うちの子、何をするのも誰よりも遅かったのだもの。

 

例えば、はじめてのあんよ。これ、ひよこクラブではだいたい8ヶ月から1歳ぐらいの間に、みんな歩き始めると書いてあって(まあこれはひよこクラブだけが言ってるわけではなくて母子手帳にも書いてあるあくまで平均の話なんですが)それがうちの子は、1歳半まで全く歩かず。1歳を過ぎた頃、保健所から毎月呼び出され、子どもの発達チェックを受けた。

あんよの前には、おすわりも平均より数ヶ月も遅れており、もっというと、言葉も遅かった。本当に何もかもがゆっくりペースで。

で、この本は、そういうちょっと遅れている子の例が載っていないのだ。当然である、一般的ではないのだから。

しかし、そのことに私は打ちのめされた。毎月、毎月。

また、ここに書かれているような生活が出来なかった、と。母乳もなかなかやめられず(結果幼稚園入園してもしばらくおっぱい吸ってるようなおっぱい星人になったわけですが、そのおかげか笑えるほど健康な我が子、そのせいで私の乳首は以下略)でもおっぱいを早々と切り上げる親子の話は掲載されているし。思い返せば、わざわざ私のほうも、不安になるような記事ばかり選んで読んでいたとは思う。

 

どうしよう、私たち親子、どんどん取り残される……。毎日が、そんな焦りと後悔の日々。

 

そして出る結論は、いつも「ごめんね、私って、なんてダメなママだろうね。」

 

あなたがおすわりもあんよも遅くて、いつも泣いてばかりなのは、全部ママが、育て方、産み方が悪いんだよね、ごめんね。

こんなふうに私はいつも自分ばかりを責めていた。

 

これ、自分が小さいときに「お前が悪いお前があほやからや」と父親に毎日言われたことも原因として大きいかも知れない。

 

でも、私、子どもにどんだけ大声で泣きわめかれて毎晩寝られなくて、トイレさえもまともに行く時間もなく、乳房は何度も激痛を伴う乳腺炎になり高熱が出て、それでも寝ることもできず、日中は牛乳こぼされたりむちゃくちゃやられても、一切、怒りや苛立が子どもに向いた事が無かったのだ。

 
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これは育児日記。「ぼ」マークは母乳をあげた印。

今でもよくママ友に「ミキちゃん、ほんま優しいよなあ」っていわれるけれど、まだ子どもが小さいうちは、たいていの責任が母親にあると思っていて。

だから全然子どもには怒りをぶつけた事は無かった。もちろん夫にも。

 

そして、削られる睡眠時間、子どもの泣き声(ほんとよく泣く子だった。今もか)、体調不良、それらに追いつめられた私の極限のストレスは、全部自分へ向いた。

 

どうなったかというと、自分で自分の毛を抜き始めた。主に眉毛、あと頭髪も。授乳中、ずっと無心で、自分の毛を抜いている私の姿は、とても怖かっただろう。なので一時期は頭頂部薄くて眉の無い顔面をしていました。その他、変わった方法で自分の体をいためつけた時期があった。

 

mikimiyamiki.hatenablog.com

 

 

それぐらい、私が自分を追い込んでしまったのは、その理由は一つで、それは、我が子が、可愛くて愛おしすぎたから。

過去形ではない、愛おしすぎるから、だ。

 

私、まだ娘が6歳なのに、好きすぎて大切で、逆に子育てがしんどいのだ。もういっぱいいっぱいなのだ。

あと何年、私はこの愛に苦しまないといけないんだろう。

 

こんなに愛してしまうなんて、私は母親に向いていないと思う。

 

子どもなんてほんまはきっと勝手に育つのだ。もっと片手間に効率よく育成できるはずなんだ。

 

なのに、私は愛おしすぎて自分のすべてを捧げてしまい投げ出してしまう。トイレだって行きたきゃいけばよかったのに。幼い娘が泣くと、可哀想で、放っておけなくて、ずっと抱っこしていた。だって可愛いんだもの。

 

いまも毎日私は娘を撫で回し、キスをし、全身のにおいをかぎ、「ああ、可愛いよ、可愛いフンガフンガ」と恍惚の表情を浮かべたあと、好きよ、と言う。最低20回は好きだと言ってる。そしてこれも毎日の事なのだが

「ねえ、○○ちゃんは、どうしてそんなに可愛いの?誰の子どもなの?」

と聞く。ええ私です、うん、知ってるよアホやろ。でも、毎日確認したい。するとあきれながら娘は

「またその話か、ママが産んだんやろ、忘れたん?」

と、完全に残念な人間を見る目つきで私に言うのだ。そして私は

「あーそっかー、こんな天使を産んだのってママなんやねー、ママってすごおい!あははっ」と、親ばかというか完全にただのバカ発言をさんざっぱらやっている。狂気の沙汰である。毎日、毎日、飽きもせず。

ただもう、私は子育てから逃げたい。この大切な我が子から、逃げたくなるのだ。私の生きる場所がここだけって思うと、苦しくて。

 

自分の命よりずっと大切な存在が出来ることって、凄く幸せだけど、ある意味めちゃめちゃ苦しくてこわいことなのだ。

 

私はもう、この子がいるかぎり、どんな問題からも、それは小さな子ども同士の人間関係の悩みから、年金問題、果ては地球環境への懸念まで、広範囲に渡る様々な目を背けたくなる事柄から、逃げられないのだ。

 

子供を持つということ、自分よりずっと大切な存在ができるということは、いちいち子どもに関わる事に傷ついて心を乱されながら、自分も泣きたい気持ちでいっぱいになりながら、生きること何だと思う。子供が幸せそうにしていないと、そのときの親の苦しみって強烈なもので。

 

笑顔も、悲しみも、全部倍以上のパワーでこちらに跳ね返ってくる。

この子を守るのは私の責任、それが私にできるのか。

もう少し、肩の力を抜いて、子どもを愛せたら良いのに。

 

でも、ですよ。私、母性って何?っていう湊かなえ先生の問い、あれには、わたしなりの、答えがあるのだ。

 

というのも、日々のちょっとした出来事から、娘の行動の細部に、他者への優しさと愛情を垣間見ることがあり、それは私から彼女に伝えたものであると、確信し、それこそを母性というのではないか?と思うのである。

 

例えば、娘には毎晩寝る前はおもちゃを全て片付けなさい、と指示している。しかし、娘は

「お人形達は箱に入れると窮屈だからここに寝かせてあげて良いでしょう」

と、机やらソファの上にお布団(タオル)を敷いて、ひとつひとつ、もとい、一人一人をきちんと寝かし付けてから自分も寝るのだ。

正直、こうされると部屋が片付かないし邪魔なのだが、全ての人形に布団をかけて寝かせられているそれらを、私は箱にしまう気にはなれないのである。

そして、そんな娘の優しさこそが、私自身の愛情が伝染した母性であると、考える。

 
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なーんて、自意識過剰だろうか。

私なんかが育てるより、よその賢いお母さんに育てられたほうが、よっぽど利口な子になるかもしれないな、とは、常に思っていることではある。

私にはあのママみたいに、この子を東大理Ⅲに入学させてやる根性と知恵は無い。

 

ただ、人間の子供がそこに寝ているだけなのに、めちゃくちゃ愛しくて可愛くて最高に幸せな気持ちにさせてくれるなんてことが、世の中にはあるのだ。我が子の寝顔がもたらす、この不思議な説明のつかない感覚、それは母性なのかな、と思った。 

 

最後に、いつもグズグズ泣いてばかりの乳幼児だった我が子に対してノイローゼ気味だった私を、更なる地獄の底まで突き落とした、実際言われた恐ろしい呪文をここに記しておきます。もちろん同じ文脈の言葉がひよこクラブにも書かれていた。それは

 

「ママが笑顔なら、赤ちゃんも笑顔になるはずだから」

 

私にはこの言葉が、「おまえが辛気くせえツラしてっからガキがギャンギャン泣きわめくんだろが、もっと楽しそうにしろや」に脳内で変換されて、「笑顔のないママでごめんな……」といつも思っていた。私の顔が暗いのは地顔なんですよっと。

 

ママ、こんな暗い顔やけど、あなたといると幸せやから、辛いことあってもいっしょうけんめい頑張るね。だから、明日も、嫌やろうけどキスさせてね、おやすみ。

 

※愛のままにわがままに、夜中の変なウルトラソウルテンションの勢いで日記を書いてしまったので、重複表現や表記のブレだらけ。

 

 

 

 

心の汚れた私よ、明日は水曜やで!


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「貴様がそう見えるなら、そうなのだろうな。しかしその答えは、お前の内なる精神が導きだしたもの。自分自身の心としっかり向き合え。一点の汚れもないと言えるか?」

 

NHKさんは、いつまでこのような問いを若いママ達に突き付け続けるのだろう、そう思っていた矢先。 

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news.yahoo.co.jp

だいすけお兄さんの引退もとい卒業。

それは、「かぞえてんぐ」さんの卒業を意味する。

かぞえてんぐさんについては、もうここでいちいち説明しない。知らない人は、とりあえずググってほしい。

Eテレおかあさんといっしょ」の中でも、それがどんなに狂ったコーナーで、ママ達の脳裏に、毎週鼻の先から何かを出しながらレフトハンドで昇天するかぞえてんぐさんが、どれほど衝撃的に印象付けられたかが、おわかり頂けると思う。

これが変な意味に見えていた私は、私の心が汚れていたからなのかもしれない。

世の中の、たいていのことは、自分の中で既に答えが用意されていて、その答えに合ったエビデンスだけを敢えて無意識に採用したりするものだ。

 

先日、平田オリザ原作の映画「さようなら」を見た。

sayonara-movie.com

阪大のマッドサイエンティストにしてgoldheadさんいわく「三大石黒の一人」石黒教授監修、本物のアンドロイドを使った話題作である。

人間とそっくりなロボット、レオナ。レオナは機械である。しかし、ここまで外見が人間に近く、しかもコミュニケーションをとることができる「機械」を相手に、私はどこまでレオナを機械とわりきることが出来るだろうか、と思いながら映画を見ていた。

 

例えば、主人公の外国人女性ターニャが、恋人とセックスをするときにレオナに別の部屋へ行って欲しいと指示するシーンがある。これはもう、ターニャがレオナを単なる機械以上に感じてしまっているという表れであると思ったし、もし私が同じ立場でも、そうしただろう。

「何か元気になれる詩を読んで」ターニャが頼めば、様々な知識のストックの中から、谷川俊太郎若山牧水、カールブッセの詩や短歌をレオナは優しく呟く。恋人が急に出て行ってしまったとき「彼、怒ったのかな」と聞くと「わかりません」という。レオナに何かを問えば、答えは返ってくる。

でもあるとき、ターニャとの会話の中で「私は自分の意思というものはありません。私が答えることは、すべてあなた(ターニャ)とのコミュニケーションのなかで蓄積されたものです」という。

それを聞いて、愕然とするターニャ。「ばかみたい。私、自分と喋っていただけじゃない」と。

 

答えはすでに用意されていたのだ、いつも、どんなときも、自分の心の中に。

 

それでも、人間は自分でも気付かなかった自分の考えに学んだり、励まされる事も多いにあるだろうとは思った。

そして、アンドロイドは、機械であり、決して心を持たない。持たないけれど、ラストのあのシーンに、どうしても意味を持たせたくなるのが人間という生き物であり、もしかしたら、本当に、ロボットが自分の意志で、心で、ああいう行動に出ることも、あるのかも知れないと思った。 あればいいな、と私は思った。

 

人は物から何か汲み出しているのではなく、自分の中から汲み出しているのだ。あるものに触発されて、自分の中で応じるものを自分で見出しているのだ。

ニーチェ/悦ばしき知識 より

 

あ、明日水曜やん、かぞえてんぐさんの出てくる日やで。朝はだいたい8時15分頃登場すんねんな。あれどうみてもチン

噛み合わない。


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私は、阪急電車でいうと三駅先のスーパーまでわざわざ電動自転車を走らせ食材を買いにいく。

理由は、身の丈に合わない高級住宅街に住んだものだから、徒歩圏内にある小売店に陳列される商品の価格設定が、軒並み高すぎるからである。
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三駅先の八百屋さんは、ボロボロの店構えに似つかわしくない、大きくて立派なワイドテレビを店内に壁掛けしており、いつもご主人がそれを見ながら仕事をしている。

 

一昨日ピーマンを買いにいくと、八百屋のテレビ画面いっぱいに狩野英孝が大写しになり、“野性の勘が”とか、“大人のお付き合いです”、“プライバシーが”やら“大人のおつきあいが”、とか言ってた。大人のおつきあい、という言葉の連呼に、なんだか恥ずかしくなってそそくさと店を出た。

 

ほったて小屋みたいな店と、最新のテレビと、そこに映し出される狩野英孝と、彼がそこでした発言の数々と、誰が買うのかわからない真っ黒になったバナナの盛られた篭と、全てが噛み合っていない。

異空間だと思った。


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少し前まで、妹がうちに泊まりに来ていた。

 

10歳年下の妹は、私の自慢の妹である。

学生時代は、モデルのアルバイトもしており、社会人になってからもボランティアでショーに出演したりカットモデルなどしていた。

誰が見ても、美人で、スタイルの良い妹は、昔から性格も溌剌としており、小学生の頃は学級委員、中学に入れば生徒会長という、友達が多い子の、まさに王道人生を歩んでいた。

スポーツもよく出来て、長い手足を生かしハイジャンプの選手として小学生の頃から全国大会へ出場もしている。

また私とは違い、頭も良かった妹は、父親の希望通り、父親の母校であり県内では最も歴史のある公立高校に進学した。

ちなみにその高校の先輩は、南方熊楠竹中平蔵である。て、竹中平蔵はあんまりプラスの情報ではないし黙っといた方が良かったか。

その後、推薦で関西の有名私大へ合格。

就職も鮮やかに決めた。

彼女は、メガバンクの総合職の内定を手にしたのだった。その年、三百人近い新入行員の中で女子で総合職に就いたのはたった7人であった。

銀行の、総合職。新入行員として配属されたのは、融資課、あの半沢直樹も所属していた融資課であった。

同じくバンカーだった父親は、性格が破綻していたので、融資課なんて花形には配属されず、池井戸作品の言葉を借りて言うと、変人の集まり臨店班(検査部)というところで仕事をしていた。※もちろん臨店班全員が変人とか花咲舞みたいな正義の味方ばかりだとか言うつもりはないですよ。
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話を妹に戻す。

 

とにかく、私の妹は、美人で明るく頭も性格もよくて、全てが、私とは、真逆、だったのだ。

そして私はそんな妹に嫉妬と憎悪の炎を燃やし……たわけではなかった。

むしろ、彼女が生まれた瞬間から、いや母のお腹にいた頃から、ずっと、可愛くてかわいくて仕方なかったのだった。

 

だって10歳も離れているんだ。

それは「妹以上、自分の産んだ子供未満」そんな感じだった。

妹は、私の言うことは何でも信じたし、何でも聞いた。親とは喧嘩することがあっても、私が宥めると、それにはなぜか従うのであった。

 

とにかく私の言う事は素直に聞く子だったので、彼女が小学生の頃は、私は実にくだらない様々な嘘をついて小さなあの子を困らせていた。

 

様々な嘘のうち、今でも妹から「お姉ちゃんのあれは酷かった」と言われるのは、実は私達姉妹には、一番上に生き別れた兄がいるんだよ、という嘘だ。アルバムにたまたま写っていた赤の他人の男の子を、兄に見立てて話をすすめた。親には言うな、と釘をさした。

言ってるそばから、私はそんな嘘を忘れていたのだが、幼い妹は、ずいぶん長い間その嘘を信じ悩んでいたそうである。

あとは、3歳ぐらいの妹を連れて散歩をしていたとき、「お姉ちゃんは道に迷ってしまった、もう家には帰れないよ」などと言って本気で泣かしたこともあった。

 

いじめていたわけではない。全てが、愛しかったのだ。私みたいなもんを全面的に頼り、信頼する小さな妹が。


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だけど小さな妹は、いつのまにか身長170センチを超え、しかも胸は私がマイナスAカップぐらいしかない逆にえぐれてんちゃうか言うぐらいの貧乳なのに対して、アルファベットで6個分ぐらい先のカップに成長していた。

 

これに関しては、私の以下の持論がある。

「とにかく何でも忘れっぽいお姉ちゃんが、お母さんの腹のなかにおっぱいを2つ忘れたまま産まれてもうて、それをアンタが拾って装着して出てきたんや、せやからそれ半分ぐらい私のんやから返せや」

というものである。 尚この持論は無視され続けている。

 

そんな、何もかも完璧な妹。そして私を慕い、絶対的な信用を置いてくれていた妹。

 

そんな妹に、私の言葉がもう届かなくなったのかな、と少し寂しくもあり、成長を感じたのは、妹が京都大学の彼氏と付き合い始めた頃だった。

 

それまで、何かにつけて私に色んなことを聞いてくれた妹。何の話かは忘れたが、彼女に私が意見を述べたことがあった。そのとき、妹は「でもさ、○○くんは、それは違うって言うてたよ」と言ったのだった。

ショックだった。初めて言い返されたというか、私より信頼したい頼りたい人が現れたんだ、と思った。

 

当然である、京大生の頭脳明晰な彼氏と、かたや嘘つきのあほな姉、どちらを信じてついていくかは、言うまでもない。

 

ただ、もうあの子の一番の存在じゃなくなってんな、と実感した瞬間だったし、寂しいけれど、そんな彼とあの子が出会えたのが嬉しくもあった。

私とは違いリア充な妹なのでもちろん小学生の頃から彼氏はいたけれど、あの京大の男の子は、今までの、どの彼氏とも違ったのだった。

 

お互いの両親に、挨拶も済ませ、正式なプロポーズも受けた妹は、幸せに向かって新しい一歩を踏み出すはずだった。

 
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いつしか、妹は、職場の銀行の人間関係で悩むようになっていた。目立つ容姿の女性は、それだけで、同性の中にいると、その容姿が“無言の攻撃”になることがある、と水島広子先生の本で読んだ気がする。

 

美人は、何の気なしに男性からチヤホヤされる。それを目の当たりにし続ける同性の中には、それが“攻撃”に見える場合もあるという。

 

それが原因かはわからない。とにかく妹は、職場のある人から冷たくされるようになった。仕事でミスをした。

 

こんなときに、結婚したら、結婚に逃げていることになってしまう、と妹は思ったのだと思う。そのあたりはわからない。

知らないうちに、婚約は解消されていた。

そして、冬休みに会ったとき、妹は心療内科から、ある病名を告げられ、会社に行けなくなっていた。

 
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美人でキラキラして明るかった妹は、会話こそするものの、以前のあの子とはすっかり変わってしまっていた。

 

それを一番感じたのは、あの子に誕生日プレゼントとして、ファンデーションとアイシャドウ、シャネルのヘアミスト、いずれも20代の女の子の間では話題の商品を、あげた時だった。

 

「ありがとう。」力なく笑ってそう言った妹だったが、そのファンデーションとアイシャドウ、ヘアミストを、私が実家に帰っている間の5日間、一切封を開けないままだったのである。

 

以前の妹なら、美意識も高く、自分磨きやメイクも大好きだった。というか、若い女の子なら普通はこんなに新しい化粧品、しかもシャネルを貰ったら、喜んで使うはずである。

 

でも、完全に、なんというか覇気の無くなった妹は、メイクもヘアケアもオシャレも、興味を無くした様子だった。

 

このまま、この子、死ぬんちゃうか。

そう思ってしまうほどの、変わり様だった。

 
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それで心配して、私は、阪急沿線の高級住宅街にある我が家へ、あの子を呼んだのだった。このマンションは、大開口の大きな窓が自慢である。

 

表面上元気そうな、妹とは、なかなか核心に迫る話が出来なかった。録画していた『ヤクザと憲法』と戸塚ヨットスクールのドキュメンタリー『平成ジレンマ』を見たりした。

 

結婚さえすれば、幸せになれるから。

とにかく、彼がまだ好きだと言ってくれているんだから、何も考えずに結婚してしまえよ、それで絶対確実にあんたは幸せになれるから!!

 

そう、力強く言えれば良かったのに。

私は、前みたいに、うまいこと嘘をつけなくなっていた。

妹も、もうとっくに、前みたいに小さな泣き虫じゃなくなっていた。でも、きっと心の中はぐちゃぐちゃなのだろうと思った。あの頃みたいに、泣き叫んでも、何もならない、私にはどうすることもできない問題と、一人で戦っていた。

 

お金持ちの男の人と結婚して、専業主婦になりさえすれば、綺麗な家に住んで優雅にママ友達とランチをしてとにかく幸せになれるから何も考えるな、と、キッパリ言い切ることが出来ない私は、中途半端な嘘つきだと思った。

 

大開口が自慢の大きな窓は、この季節になると結露がものすごい。

私は一日に何度、この窓を拭いているかわからない。ちゃんと水気をとらなければ、夫のお母さんが買ってくれた30万円のカーテンにカビが生えてしまうかもしれない。

 

窓のしずくは、拭いても、拭いても、垂れてくる。まるで涙みたいに。

拭いても、拭いても……。