珍獣ヒネモスの枝毛

全部嘘です

生理の奴はきたねえからどっか引っ込んでろ、って言われた方が私はラク。

 公園で遊んでいる、その男児のTシャツに書かれた文字を見て「ああ、この子のママは、すごく幸せな人生を歩んでいるのだな」と、確信した。男児のTシャツにデカデカと書かれた文字、それは、PMS

月経前症候群 - Wikipedia

 つまりはそういうことである。PMS。女性なら誰もが毎月味わうと思っていた、あのいやーな感覚。しかし、それとは無縁の人にとっては「P M S」の文字の羅列はTシャツのデザインでしかない。しかも男の子の。

 生理中は、出血の不快感はもちろん、それプラス腹痛と頭痛、眠気などがある。時には歩くこともままならない痛みに襲われることもある。しかし、精神的な、イライラ、もやもやした感じ。あれは、生理前(1週間ぐらい)特有のものである。

 ただ、この憂鬱なPMSのおかげで、逆に救われていることもあると私は思っている。

 たとえば、人間関係にモヤモヤしたり、普段落ち込まないようなことで悩みだしたり、育児や仕事が精神的にきついなあ、というようなことが身の回りに次々と起き始めるとする。で、カレンダーを見る。「あ、なーんだ、生理一週間前突入やん、こりゃしゃーないわ、うん。

 本当の私なら、こんなことで悩んだりしないし、もっとうまくやれるけど、生理前だから仕方ないよねっ」と、自分の苛立や悩み事に免罪符をもらったような気分になるのだ。

  気持ちの浮き沈みに、自分ではどうにもいかない理由をもらえると、逆に救われる。

 そういうわけなので、生理前でもないのに、特に排卵前に嫌な事があってイライラしてしまうときには、非常に損をした気分になる。そもそも、ホルモンの話だけでいうと女性が気分良くいられるのは月にうちで2週間足らずということになるのだから、その短い期間ですら楽しく過ごせないとなると、例えばなんか今日イライラするな、もしかして生理前かも?と思ってカレンダーを見たらまだ全然生理前じゃないとかになると、もうそれは絶望的な気持ちになる。身に降りかかった不幸を生理のせいにできなくなる。

 この、気分の浮き沈みを司るのが卵胞ホルモンである“エストロゲン”と黄体ホルモンである“プロゲステロン”という二つの女性ホルモンである。

 エストロゲンは、血流を良くし、肌を綺麗にする作用などもあり、女性らしい体つきをつくるホルモン。気持ちを安定させるなど、とにかく良い事ずくめなエストロゲン

 対するプロゲステロンは、肌トラブルを起こし、精神的なイライラをもたらすという、嫌なホルモン。もう黄体ホルモンなんかいらない、ずっとエストロゲンだけで生きて行きたい!とか思うのだが、黄体ホルモンとて意味なく存在するわけではなく、妊娠には必要不可欠なやつなのだ。なんか、子宮守ったり膜作ったりすんねんて。説明が雑やな。いやもう黄体のホルモンさんには毎月苦しめられてるからさ。イライラしなくてもニキビが出てきたり、あと何故か、性欲が強くなる。生理直前、卵子はもう子宮に無いのに、なぜそのタイミングで性衝動が高まるのかは不思議でならない。

 昔むかーし、生理中の女が「不浄」「穢れ」の存在であると忌み嫌われていた、そんな時代もあったそうな。月のものが始まると、様々な行動に制限をつけられた。薄暗い納屋に閉じ込められた女性なんかもいたんじゃなかろうか。

 ただ、私、これ言い方は悪いけど、やられてることはそんなに嫌じゃないかなと思ったりして。今みたいに「働く女性が輝く」社会では、生理中で体調の悪い者も、高機能なナプキンと痛み止め薬の服用で、流血していても思う存分輝くことができるわけだが、それはすごく良い事なんだけど、私みたいなへたれからすれば、生理の奴はけがれててくせえから1週間会社来んな外に出んな、どっか引きこもっとけ!っていわれたほうが、ラクっていうか。隔離してもらって、差別してもらって、全然かまわないですよ、しんどいし、みたいな感じです。

 女性と一言で言っても、色んな人間がいる。PMSのあるもの、無い者。生理痛の酷い者、そうでない者。働きたい者、そうでない者。子を産むもの産まないもの。様々な立場がある。そして残念な事に、時にお互いの痛みがわからないが故に、女性同士の立場の違いの中で分断が起こることもある。全ての女が手をとりあい、より生きやすい世の中になりますように。

女子の人間関係

 

 

 

女子の人間関係

 

 

生理の話とは全く関係が無いのだが、昔買ったこの本は面白かった。

私は、「女の友情は儚い」とか「女の敵は女」とかいうしょうもない定説が大嫌いだが、確かに女であるが故に人間関係がややこしくなることが実際あり、その原因と対処法が具体的に書かれていたので引き込まれた。立場や考え方の違う女性が、皆傷つけ合わずに共存するヒントが、この本にはあるとおもう。生理前にクヨクヨした時読むと、救われる想いがする一冊。

奴隷じゃなくて、ミシンになりたいんだ

 

 

 

村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

村に火をつけ,白痴になれ――伊藤野枝伝

 

 

 

 

 

P163 この本をかいているあいだに、かの女ができた。三年ぶりだ。まだつきあいたてということもあって、ひたすら愛欲にふけっている。好きで、好きで、どうしようもないほど。セックスだ。もちろん性衝動もおおきいのだが、とはいえそればかりではない。心も体もマジでぶつかればぶつかるほど、わかってくるのは、ひとつになっても、ひとつになれないよ、自分とはまったくの別人であるということだ

 ぎょえーっ!

 いやこれ「村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝」のあとがきなんやけど、一行目からもう、ぎょえーって、昭和のギャグ漫画みたいなリアクションなったわ、私。目ぇ飛び出したで、びよーんて。せやかて、こんなん、普通、大学の先生が、真面目な本に書く?

 えーと、これ書いてんの誰やったかいな、ってうしろのページの肩書き思わず確認したで。いや、ちゃんとした大学の非常勤講師したはる人やわ。“早稲田大学院博士後期課程満期退学”ってなんのこっちゃ私みたいなもんにはようわからん最終学歴やけども、ほんで教授か助教授か講師か非常勤かとか、その違いもあるんか知らんけども、なんせごっつ頭ええんやろ。頭ええ人が書いた、むかしのえらいひとの話なんやろ。

 せやけどな、この本はそんな堅苦しいもんやなかった。栗原さんの文章は、軽妙で爽快やった。腹わって話してる感じや。あとがき見たらわかるやろ。そして、何より、伊藤野枝という今から100年も前を生きたその女性の思想と人生に、私、ものすごい大切なことをおしえてもろた……いや、そんな生優しいもんちゃうな、頭かち割られたような気分になってん。

 結婚ってなんやろ、ほんまは誰のための制度?とか。子育てって、みんなでもっと協力するもんなんや、とか。なんでカネ、カネなんやとか、ああ、それって、うちの父親の育て方と、めっちゃ関係してるわって。あれ、あれ?てことは私、間違ってたのかなもしかしてって。

 なんか、いっかい全部ぐちゃぐちゃにされてん、この本に。今までの一生かけて信じて来て、積み上げたもんを、いっきにバラバラーってされてん、伊藤野枝というひとに。 

 

 ここで少し、私自身の話になる(急に口調変わる)。私は、名門奴隷養成所で製造、育成された、エリート奴隷である。

 そう、うちには今時珍しい奴隷がいたのだ。それはつまり、母のことなのだが。母は現在進行形で我が実家の奴隷である。父は成績優秀で旧帝大卒、銀行員であった。奈良の旧家出身の母はおとなしく、従順で、父にそして嫁いだ家にどこまでも尽くした。女はそうしなければいけないと、下市(奈良県南部の町)の武家育ちの母方祖母が、厳しく私の母をしつけたのだ。

 母は身体が弱く、安静にしなければいけない時も多々あったが、しんどくて寝ている母には容赦なく父と、同居している祖母の叱責が飛んだ。何を寝ているのだ、掃除は飯はまだか、なまけもの、要領が悪い。

 私の母の家事は完璧に近かった。料理は丁寧に出汁をとり、季節の野菜と地元の魚をうまく使う。とにかく品数、しかもメイン以外の副菜が多いのは、自分が主婦をするようになり、いかに大変か実感した。裁縫もそつなくこなし、毎年夏になると私は母のあつらえた浴衣を、冬は手編みのセーターを着た。

   しかしどこまで尽くしても、家族から感謝はされなかった。祖父は母の料理を度々けなした。父は高給取りだったが、母に何かプレゼントをしたり、綺麗な格好をさせてあげるのをみたことがない。父の給料は、いつも定期的に買い替える高級車に消えた。それは、母にとって女として当然の生き方だし、わたしもまた、女はそうしなければいけないのだと思うようになった。

 罵声を浴びせられたのは母だけでなく、私もまた同じだった。祖父と父ともに頭脳明晰な旧帝大出身者だった為、親族の期待を一身に背負った初孫だった。でもこのありさま。とにかく、「お前はなんて無能なのだ、私たちを失望させた」という意味の事をあらゆる酷い表現で言われ続け育った。

 母だけは、とても優しかったし私をいつも慰めてくれたけれど、最後の最後は、あの家では、父と祖父が一番偉いのだ。男にはさからえない。だいたい、専業主婦など最も下等な労働。一銭にもならないのだから発言権などあるはずないだろう。父はもちろん、母自身もそう信じていた。きっと、今も。

 ちなみに父親には感謝するところもあって、それはお金にたいする知識と、考え方を幼い頃から指導されていたこと、そして、やはり悔しいけれどお金の面では私学にずっと通わせてもらえたのは父親のおかげであるのだった。

 父は、「ええか、家族のつぎに大事なんはな、お金や。お金さえあったら、世の中のだいたいのことは解決するようになってる。でもな、学校で教えてくれへんやろ、それどころかお金が大事っていうたら、なんや悪者みたいに扱われる。でも違う。そうやない、生きる為に、家族幸せにするために、お金と、その知識を身につけるんは絶対必要やねん。貧乏で、一家心中するニュースるやろ、あれ見たら、お父さんほんま悲しい気持ちになる。例えば、事自己破産手続きと、それによって失う権利(のしょぼさ)などを知っていたら、知識として持っていさえすれば、そんな不幸はおこらんかったはずや。せやからな、お前はお金のこと、もっとべんきょうせえよ。」父はよくこんな話をした。

 父の銀行だけの月給は額面でおよそ60万ほど、そこへ毎月株式投資と、金融商品の運用で貯蓄を着実に増やして行った。しかし、家族を幸せにするためのお金は、増えて行く様子はあっても、あまり使われることはなかった。収入は平均以上であったのは確かだけど、全く贅沢を許さない父だった。服だって、全然おしゃれさせてくれなかった。本と勉強道具だけは、惜しみ無く買ってくれた。

 でもとにかく、人生において、お金がすごく大事で、それを稼ぐ人間が一番家では偉くて、それを守り増やす事は悪ではないのだ、ということは幼い頃から強く心に刻まれたのだった。(しかし、この考え方もまた、資本家に踊らされているというか、そもそもカネなんかじゃ幸せになれねえぜ、カネが諸悪の根源なんだぜって大杉栄伊藤野枝を知ったら思えて来て、ああもう、ここらへん、あとで書く)

 母は、私が嫁に行く時、あなたはもう○○家の人になるんよ、うちの子ちゃうからね、と言った。母は、その覚悟で嫁いだのだろう。

 そして私も、○○家の人間になった。それまで働いていた新聞社は、結婚を機に辞めた。あまりにも、仕事がきつかった。記者採用なのに、営業も広告制作もやった。逃げたかった。純粋に、夫を好きな気持ちのなかに、どこか仕事から逃げたい気持ちがあったことは、認める。だって、働きたくないもん、あたし(これも、実は資本家のおもうつぼ、結婚制度が資本家有利で奴隷制度助長してるんだよね、野枝さん。女の労働はあくまでも補助。だから給料あがんない。100年前とかわんない。ここらへん、あとで書く)。

 ○○家は、私の実家とはまったく違っていた。まず何より、夫がとても優しい。義理父母もまた、良い人たちだった。私は、自分の実家と母を思い出し、それらといちいち比べては、ここは天国だ、とおもったのだった。

 まわりの友人にも驚かれるのだが、私は、夫に今までほとんど腹をたてたことがない人間だ。だから喧嘩もしない。

 だって、全部自分の父親よりマシだから。

 脱ぎ散らした服を拾い集めるのも、トイレを尿はねで汚されても、夫が結婚してから一度も家事を手伝わないことも、彼が外で稼ぎ、このような暮らしをしているのだから当然だと思っている。

 とはいえ、結婚後数年は私も非正規のフルタイムで広告会社に勤めており、共働きだったわけだが、そのときでも一度も夫は家事をしていない。そして、そのことも私は当然だと思っている。そのときの彼の給料は、私の倍以上あったからだ。稼いだカネが、すべてに優劣をつけるのだ。私の実家ではそうだったもの。

 子を授かり、今の土地にマンションを買って首もすわらぬ乳飲み子と新生活が始まり、外出するすべも無く、ずっと家の中にいた。夫は仕事や友人との付き合いが忙しくて、週3日ほどしか帰れない。ずっと、ことばの通じぬ、泣くばかりの赤ん坊と二人きり。

 乳腺炎で、乳房が何度も腫れてかちこちになり、高熱がでた。死ぬほど痛くて苦しいけれど、ひとりで、話し相手もおらぬ部屋で耐えた。子は三時間おきに授乳。子が寝てる間に家事。オムツをかえ、抱っこして、ゆっくり休むことも出来なかった。母の作ったおかゆが食べたくて、一人で泣いたりしたけど、夫は外で働いてるのだ、そこに助けをもとめてはいけないと思った。

 それにわたしはもう働きたくない。会社で働くより、可愛い赤ちゃんをそだてるほうが、ずっといいにきまっている、そう思っていた。

 壁に、カレンダーを貼ろうと思った。夫に、お伺いをたてた。ダメだといわれた。新居の壁なのだから、もっと大切に。和室に、ソファを置きたいと私は言った。畳が傷むからダメだといわれた。子どものオムツや服が増えたので、棚を買いたいといった。ダメだといわれた。収納用品ばかり増やすのは頭が悪いひとのやりかただと。全部強く否定されたわけじゃないにこやかに柔らかい物腰で、けれどはっきりと拒否された。

 この美しい城を買い、日々その資金を稼いでいる張本人がダメだというのだから、そうなのだ。

 壁に画鋲ひとつ刺すのも、夫の許可を得なければ成り立たない生活。でも、私はそれを幸せだと信じて疑わなかった。私は、彼を自分の王子様だと思っていたからだ、というか思っている。あの暴君が支配する家から、そして低賃金の過酷な労働から、私をこの別世界へ連れ出してくれた王子様。私の力では手に入らなかった住環境、美しいものだけの世界。私は、強がっているわけではなくこの幸せは本物であると確信している。

 「アタシな、絶対働きたないねん。もう絶対働くの嫌やねん。だから、ちょっとぐらい、いやなことも我慢や。絶対旦那とは離婚せえへんよ、うふふっ」

 半分笑いを交えながら、こんなことを言うアキちゃん。そしてその場に居る全員が、私も含め、うんうん、と大いに頷く。

 同じ町内のママ友達とのランチ会。旦那様の職業は、パイロット、医者、コンサル、外資系金融マン、などなど。

 皆、ここにいる全員がわかっている。自分が、この先、身一つでどんなに頑張っても、それだけの収入を得られないことを。こんなランチを楽しむ生活ができないことを。夫の稼いだカネで子どもを塾に行かせる。好きな服を、靴を、買う。海外旅行にいく。その「役割」を演じる事の、どこが不幸なのだろう。そんなおもいも、ある。あるにはある。

 しかし、その「役割」があること自体がおかしいと野枝さんはいうのだ。なぜ?こんなに、私たち、幸せよ。

 P42 私のすべては唯屈従です。人は私をおとなしいとほめてくれます。やさしいとほめてくれます。私がどんなに苦しんでいるかも知らないでね。私はそれを聞くといやな気持ちです。ですけど不思議にも私はますますおとなしくならざるを得ません。やさしくならずにはいられません。

  これは、自殺したかつての担任になりきって野枝が創作した遺書である。この遺書の言葉に、すごいショックを受けたのだ、私。ずっと、女はこうあるべきだ、口ごたえするな無能。どんなに家族の為に身を粉にしても報われない、労われない、感謝されない、それが当然、そんな家で育った。そしてそのようにするべきだと、それが良い事なのだと思っていた私。遺書はこう続く

 P42 私には一日だって、今日こそが自分の日だと思って、幸福を感じた日は一日もありません。私は私のかぶっている殻をいやだいやだと思いながらそれにかじりついて、それにいじめられながら死ぬのです。私にはその殻がつきまといます。それに身動きができないのです。

 

 

  こうした女の生き方、そして結婚制度そのものに、野枝さんは異を唱えるのだ。そもそも、愛する者同士がこんなきゅうくつに暮らすの、おかしいと。

 

 P123 うつべし、うつべし。姦通罪、もちろんいらない。貞操観念、もちろんいらない。結婚制度、もちろんいらない。好きな人と好きなようにセックスをして、好きなように暮らすのだ。はじめに行為ありき。女性の心から、奴隷根性をひっこぬこう。

 

 

 ここらへんがまた、ぐさぐさっとくるわけだ。

 ただ、私は、夫以外の人とセックスするのはやっぱりあかんと思う。だって、それって絶対旦那さん悲しむし、傷つくやん。好きな人の悲しむ事、傷つく事したらあかんやん、そういう理由。

  でも、純粋に旦那さんのこと好きやからっていう気持ち以外に、「こんな良い家に住まわせてもらって、良い生活さしてもろてるし、外で仕事頑張って稼いでくれてるんやから」って気持ちもそこにはあって、それってつまり奴隷根性ってやつだと言われたらそうなのかとも思って。だってさ、私そういう模範奴隷に育てられたんだもん。

 私のご主人様なんて、母に比べればよっぽど、よっっぽどマシってか、父親と比べたら仏レベルで奴隷想い。だからこそ、父の母に対する暴力や支配を見て育ったのが根底にあって、今がどんだけかけがえなくて幸せかって思って。

 でももしかしたら、その満たされた状況自体が判断を狂わせてるのかもしれない。旦那さんの事、純粋に好きっていいながら、純粋な「好き」のなかに、よく見たらいろんな不純物が紛れてるのかもしれない、私。

  じゃあどうやって、奴隷根性をひっこぬけばいいのだろう。そもそも、人と人が愛し合うことってどうすることが正解?野枝のこたえはこう。

 

 

 P123 ある男と女が、愛し合うまでには、双方とも有る程度まで理解し合うのが普通でしょうが、愛し合うと同時に、二人の人間が、どこまでも同化して、一つの生活を営もうと努力するのが、現在の普通の状態のように思います。

私は、こんなものが真の恋愛だと信ずることはできません。こんなものに破滅がくるのは少しも不思議なことではないと思います。

 

 

 P125 それから夫婦関係です。(中略)お互いの生活を『理解』するという口実のもとに、お互いに、どれほどその生活に自分の意志を注ぎ込もうとしていることでしょう。そしてある人々は『理解』では満足せずに『同化を強います。(中略)その歩の悪い役回りをつとめるのは女なんです。そしてその自分の生活をなくしたことを『同化』したといってお互いによろこんでいます。(中略)とんだ間違いなのですね。

 

 

  つまり、これを筆者は「ひとつになっても、ひとつになれないよ」と表現する。なんかJポップの歌詞みたい。この栗原さんの所々に出てくる表現、すきやわー。行くぜ東京!とか、ヤギ、マジ最高、とか。おもろい。でもこの文体、やっぱりかなり批判あるみたいで、アマゾンでも酷評されていました。しゅん。

   で、話戻すと、家庭に同化され、良き妻の役割を演じる。そんなのおかしいと。

 おかしいのか?私は、本気でこの役割を気に入っていたんだが。

P126 『おっとの仕事に理解を持つことのできる聡明な妻』という因習的な自負

 

 

  と表現されている。

 私は、まさにこれだ。今おもうと、ちょっとおかしなことだったのかもしれない。

   もともとの性格もあって、極端に自分の意見は圧し殺してきた。ハイパーエリート奴隷で、完璧に洗脳されてた。うちの母親に比べたら、私なんてまだまだ恵まれている。暴力も、暴言もないじゃないか。それだけで、私は天国にいるほど幸せだ、と思えるように。そして、聡明で従順な私であることに、誇りをもつように。

 P127 じゃあ、家庭にとらわれない男女関係というのは、いったいなんなのか。その根底にあるものをいったいなんとよべばよいのだろうか。野枝は、こんなふうにいっている。

 “私は、親密な男女間をつなぐ第一のものが、決して、『性の差別』ではなくて、人と人との間に生ずる最も深い感激をもった『フレンドシップ』だということを固く信ずるようになりました。”

 

 

 

友情とは中心のない機械である_そろそろ、人間をやめてミシンになるときがきたようだ

 

 ここで、野枝さんのミシン宣言ですよ。互いの個性を尊重し合える友情こそが、だいじなのだ。夫、妻という役割をもつのではなく、互いのちからをたかめあい、愛情をはぐくもう、つまりそれって友情だよねっていう。友達には主従関係も、契約も必要ないと。

     うん、素敵やとおもう!

  だけどさあ、野枝さん。現代の結婚制度に乗った以上、私は妻であるし、夫を愛しているし。そしてこの「友情」というものだって、当然二人のあいだにはあると言い切れる。げんに、ほかの夫婦よりもずっと会話も多いし、笑いのツボも一緒で(これめっちゃ重要)、とにかく仲良しだから。

   でも、私が幼い頃から植え付けられた、父という家長の支配を家で当然とする考え方、そしてこれも父が植え付けた「カネ」というものの重要さが、私を不必要に卑屈にさせていたのかもしれない。

 私が、子どもが産まれてから専業主婦として担って来た子育てと家事全般は、決して完璧でもなかったが、かといってここまで自分を卑下するものでもなかったかもしれない。すなわち、一銭にもなっていないという負い目。そんなものは、感じなくてもよかったのだ。

 私のために、ここ、アンダーラインひいといたよ。私も主婦としてこの家を支える以上、もっと夫と対等に物をいうてええのやと。それが、本当の夫婦だと思ったし、きっとあの人なら、私を怒鳴ったりしない。どんなことも、話し合える、分かり合えるとおもうのだ、彼となら。それで「うるせえ、お前も働けよ」ってなったら、もう観念してそのときは働くほうが良いのだろう、私も。

 野枝さんとはちがうけど、でも、最後は前向きに自分たち夫婦のありかた、私のあり方を考えるきっかけになった。 

 P129 複雑な機械をいじっていますと、私は、複雑である微妙を要するほど、特に『中心』というものが必要だという理屈は通らないのが本当のように思われます。みんな、それぞれの部分が一つ一つ個性をもち、使命をもって働いています。(中略)お互いの正直な働きの連絡が、ある完全な働きになって現れてくるのです。

 

 

 

 野枝がここでイメージする機械とはミシンの事。機械は、複雑であればあるほど、全てが末端の、必要な部品。それぞれの個性が独自に重要。

 これが野枝の恋愛論であり、友情論、運動論であると筆者は解釈する。大杉が「自由連合」というかたいことばで説明する理論。主人と奴隷の関係からぬけだしたいとおもうなら、中心の無い機械に、ミシンになろう。

   さて私はミシンになれるのか、なりたいのか。模範奴隷でいたいのか。どうなのか。こんだけ書いて、実はまだ結論は出ていない。結局、夫と同じだけ稼がないと、やっぱり対等じゃないという思いが強い。私の家事育児がゼロじゃないにしても、だ。じゃあ今から働いて夫と同じだけ働けるか?同じだけ給料をもらえるか?そんなこと、実現するはずない、いまこの国で。

 

    あとは、子育ての仕方や、労働環境とくに女性の労働、そしてミシンについて色々思うところがあるので、またそれも次に書きたいと思う。

 

海と月、はやいはやい新幹線のぞみ


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昼から図書館に行かなければ。ここ最近ずっと娘と一緒に読んでいた、新幹線の絵本。夜眠る前に、二人で毎夜空想の中の東海道を旅した。そうしているうちに、もう返却期限をすぎてしまっていたのだった。

寝かしつけには、毎日色んな本を読む。物語に昔ばなし、星や花の図鑑などなど。「1日5冊以上読み聞かせしてくださいね」とは娘が通う幼児教室の先生の言葉なのだが、寝る前だけとなると、二冊読み終える頃には娘がスヤスヤ眠ってしまっている。かといって日中に読みだすと、気に入った同じ本を何度もエンドレスで読まされるのでキツい。

自然や生き物に興味を持って貰えればと思って読む虫の図鑑は、掲載写真が気持ち悪くて、私はページをさわるのさえ嫌なのだが、親が虫を嫌がる姿を見せてはいけないと思い、頑張って読んでいる。とはいえ眉間にしわ寄をせながら、ページを決して直視はしない。“シデムシ”など、外見プラスその生態(動物の死体に群がる)自体が大変禍々しく、紙の写真を触れるのもおぞましい。そんな私の姿が娘には面白いらしく、わざと「ママ、ゴキブリのとこ読もうよ、ゴキブリの写真見せてよ」と嬉しそうに笑うのだった。まったく、嫌な子。でも可愛い子。

私のお気に入りは、海の図鑑である。特に深海のページに心を奪われる。深海生物も不気味ではあるが、あまりにも風貌が地上の生命体とはかけ離れているので、逆に面白い。海の図鑑で読んで驚いたのは、まだ人類が海のなりたちや生物について分かっていることは、とても少なく、解明されている事象は惑星月の方が多いのだということ。

宇宙の月より地球上の海のほうが実は謎に満ちているなんて、ロマンあるなあ。ベッドの中で、私が「へー」とか「ほー」なんて一人で熱中してしまってる間に、たいてい娘は横で寝息をたてている。私は布団にくるまれ異世界に思いを馳せる。深海も、月も、新幹線の行く先も、私にとっては同じぐらい遠い。

そして、虫の図鑑を見ながらいつも思う。次に生まれ変わるなら、ゴキブリとかシロアリとか南京虫とかダニとか、そういう、どこからともなく涌いてきて生命力の強い、そして存在するだけで人間を不快にさせるような、しかもすぐ殺されるやつになりたいな、と。この地球で生きるには、どう生まれてもしんどいけれど多分人間が一番しんどいし、憎らしい生き物だと思うから。だから次はサクッと生まれて、嫌な人間をギャッと驚かせてからサクッと死にたい。

この前実家で処分した雑誌の表紙で辿る私の人生

実家に残してきた荷物を大幅に処分した。その中の雑誌の表紙の一部をここに記録しつつ、自分の人生を振り返る。

 
小学生の頃はタカラの着せ替え人形ジェニーちゃんでよく遊んだ。この雑誌は、ジェニーの服のコーディネートや、作り方などが掲載されている。
まだ自分自身に化粧を施したり、オシャレが出来ない子供の頃の憧れを、お人形に投影していた小学校1~4年生頃。ジェニーはもう一人の私であり、ジェニーを着飾ることが自分の喜びそのものになったのだった。(紙質が良いらしく、殆ど劣化していない。中身も充分娘が楽しめそうなので、これは捨てずに取っておくことにした)

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やがて、憧れの対象は人形から異性、しかも2次元の相手へと移行する。

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幽白である。
小学5、6年生の時、専ら私の脳内は飛影蔵馬で占められていた。毎日学校から帰ると、友達と幽白カードダスをした。
そんな時期に買っていたのは主にアニメディアである。たまにアニメージュも買ったけどあっちはちょっと硬派だった。宮崎アニメ特集が多かった印象。
アニメージュの、お気に入りの、今風の言い方をすれば『絵師さん』のイラストを切り抜いて名札の裏に入れるのがクラスで大流行した。
ここからの流れでBLにハマる子もちらほら現れた。
 
その後、中学生になり、アニメが好きというのがなんだか恥ずかしく思える年頃になり。かといって、SMAPKinKi Kidsにキャーキャー言う同級生とはちょっと違う自分でいたい、そんなめんどくさい性格の私の興味は映画に移った。

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その後、うまくいかない勉強のストレスと父親からの度重なる罵倒やなんかの精神的圧力で、どんどんこじらせて、どんどんややこしい性格になっていった私は

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何故かSPA!を買うようになる。
 
目当ては、鈴木邦男の連載『夕刻のコペルニクス』。本当に好きだったのは、作家見沢知廉で、時々彼の写真や話題が出るからそのためだけに買っていた。
 
徒手帳に、SPA!から切り抜いた見沢知廉をずっと挟んでいた。マインドは、結局ジャニーズファンと変わらない。
 
服装は、壮苑などを参考に、個性的な方向に走った。この雑誌は型紙もついているので、ハンドメイドをやりはじめたのもこの頃。

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その後、父親の期待を裏切りFラン大学に入学。
その頃はもう、せいせいしていた。女子校から男子の多い学校をわざわざ選んで進学したのだ。もう勉強なんか絶対やらへん。遊んで、遊んで、遊びつくして、将来の旦那を見つける、という目標を立てた。就職も出来なくて良いから、とにかく結婚相手を捕まえる、そう決意し、まあ結果的に初志貫徹したから良かったけど、良くない生活だった。そうした考えは、買う雑誌にも顕著に現れる。所謂赤文字系デビューをしたのは大学入学と同時であった。初めて買ったRayは、香里奈とか長谷川京子が全盛だった。これはJJだけど。

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こうして見たら特集とか酷かったなあ。この頃の女子大生は、キャンパス内でブランドカバンをひけらかすのが普通だった。
今考えたらおかしい。ヴィトンはまだしも、キャンパスでシャネルやバーキンはおかしい。今のゆとり世代とかそれ以降の若い子のほうが、よっっっぽど金銭感覚が堅実で、しっかりして賢いと思う。心底思う。
 
そして、あの頃の女子大生がバカが多かった(もちろんかしこい女子大生だって大勢いましたよ。私の観測範囲内での話です)理由は、こういう赤文字系雑誌の責任が大きいと思ってる。とにかく特集が、やれ彼氏とセックスしろ、何十万もするブランド物のカバン買え、読モの職業は謎の『家事手伝い』。
先人たちが残したバブルの空気(実際は小学校1年ぐらいで弾けてるが)を、私達は少しでも追いかけたかったのだろうか。
その赤文字雑誌の世界に少々疲れ、やっぱりこっちだなあ、と買っていたのはnon・no。あ、これよく見たら妹の時代のやつが混ざってるな。あれ、アニメディアウテナもか。まあいいや。ちなみに妹は10個下、不遇ながらも堅実なゆとり世代


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その他、地味に月刊エレクトーンも買ったりしていて。無駄に3才からヤマハ音楽教室に通っていた。15年ヤマハに月謝を支払い続け、人生で何の役に立ったかといえば“ピアノを習っていた旦那さんと音楽の話をするときに盛り上がる”ということぐらいなのだが、まあそれはそれで良かった。

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あと赤文字系もたまに買ったりしつつ

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OLになって、With、MORE、新たに創刊されたアネキャンなどを買うようになる。その頃買った雑誌は、全て最後は風呂の半身浴の際読んでボロボロにしたので既に廃棄済みである。
 
あとは、ダヴィンチなんかもテレプシコーラ目的と、あと見沢知廉のインタビューなんか目当てで購入していた。
 
以上ごく普通の、81年生まれ女の人生をザックリ振り返ってみた。あれ雑誌の表紙載せるのって大丈夫なのかな。発売済みで、非営利やったらオッケーなのかなとか思ってるんやけどなんか怖くなってきた。けいさつのひとに怒られたら消す。
 
 
 
 

祖母の箪笥

少し前、母方の祖母の荷物を整理してきた。

母方の祖父母は存命なのだが、二人とも老人ホームに入所しているため、現在母の実家は空き家の状態が続いている。
毎週母が老人ホームを訪問がてら、家の空気の入れ替えもしているが、住む人間の居なくなった家はやはり荒れてゆく。

祖母は、奈良の武家の出身であった。祖父の生家は旅籠で、私の名前はその屋号から一文字とられている。

その祖母の嫁入り道具の1つである桐の箪笥。


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そこにはたくさんの着物が収められている。なんと、祖母が赤ん坊の頃にあつらえた絹の産着までまだ残しているのだった。しかし、もう誰に着られることもなく、防虫剤を足されることもなかった着物は、やはり虫に喰われてしまっていた。

そこで、せめて今残っている着物や風呂敷だけでも、少しずつ持って帰って、再利用することにしたのだ。

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手芸好きで布地好きの私、頭の中は作りたい物で溢れ出した。こんな素敵な布がたくさん!ワクワクする。質の良い物が多く、ハサミを入れるのは少し勇気がいった。
手始めに、これで

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合皮と合わせてトートバッグを作った。裏地は、激安ナカムラで買ったペイズリーのグレー。持ち手はあえて太めにして手の負担を軽減してみた。ふむ。良い感じ。

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さて、他の布地もどんな使い方をしよう。刺繍と合わせても楽しそう。娘の服でも良いのだが、子供服はワンシーズンで終わるので、もったいない気もする。しかし、もともとゴミと同じで押し込められていたのだ。新たに生まれ変われるなら、何でも良いのかも。

そして、まだ箪笥に残る西陣織や大島紬達。あの子らを、どうやって助け出そうか思案中なのであった。

それにしても、古い本やら古い食器。価値のありそうなものもたまにあるが、保存状態が悪いので全てゴミ捨て場行きである。もったいない。

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イカナゴ狂の国から

○○家に嫁に来て、まず辟易してしまったのが関係者への挨拶回りである。

 
本家の大きな和室。床の間には、叔父が授与された菊の紋の勲章が飾られてある。
 
私は、日本には何かしらエライ人には何かしらの勲章を与えるというシステムがあることを、漠然としか知らないし、菊の紋ときいたらまず肛門を思い浮かべてしまうような人間だが、そんな私でもその勲章がどれだけ凄いのかはなんとなくわかった。
 
その広いお邸で親戚一同に紹介されるぐらいは覚悟のうちであった。
しかし、お義母様の習い事の先生方にまで、菓子折片手に挨拶まわりせにゃならないとは。
 
それにしても、坪単価百万というこの土地に、大きな日本家屋を構え、年に数回親戚が集まるためだけの部屋に20畳も費やす本家は凄いというより大変だなと思った。
そして、親戚への菓子折を、大人用だけでなく小さな子供四人分個別(可愛いキャラクターのもの)用意していたお義母さんの機転にも、恐れ入ったのだった。私にも、このような心配りがこの先要求されるのだろうか。
 
「お花とお茶は、これからミキちゃんが習いたかったら習えばエエのよ。
あとレース手芸教室とポーセラーツは、いま私が通ってるんだけどとっても楽しいから。ミキちゃんにもおすすめするわね。
それからね、ミキちゃんとは歌舞伎も行きたいし、せっかく近くにあるんやから宝塚へ観劇にもいきましょうね。ウフフ」
 
楽しそうなお義母さん。私は、張り付いた笑顔を作るのがしんどくて、口元が痙攣しそうだ。
 
最後に訪問したポーセラーツ講師をしているナツコさんは、個性的なオレンジ色の髪の毛で、いかにも芸術肌というか、曲者といったおばさんだった。
 
お義母さんのお菓子をぞんざいに受け取ると、今度ポーセラーツの発表会があるから今忙しくってごめんなさいね、と言った。
 
ポーセラーツというのは、市販されている様々な模様のシートを陶磁器に貼り焼き、オリジナルの食器などを作るハンドクラフトである。
 
私は、自分で言うのもなんだがわりと手芸が達者で、毛糸でセーターも編めるし、ミシンでコートなんかも作れる。粘土細工なども得意だし、木工にステンシルも図案から考えて施せる。
 
そんな私から見て、ハンドクラフトの中でもポーセラーツはあまり面白さがわからなかった。
云わば、既製品のシートを既製品の陶磁器に貼るだけなのだ。自分で絵を描くわけでもない。
 
そんなポーセラーツに対するあまり良くないイメージが、この日この講師に会ったことでより一層固まったのだった。ポーセラーツの発表会て何だよ。何発表すんだよ?
 
「こちらミキさん。この春からうちの□□とと夙川のマンションに住むことになったの。日用品のお買い物とかで、オススメのお店あるかしら?」お義母さんが、ナツコさんに聞いた。
 
「そうやねえ。うちは、食料品は全部阪急で買うて配達してもろてるわ、やっぱり阪急が一番やね。え?▲▲スーパー?あそこはダーメ。品質がね、ぜーんぜんよ。」
 
何の参考にもならない意見をもらった。
 
阪急百貨店の食料品が美味しくて高品質なことぐらい誰でも知っている。しかし、毎日阪急の食料品売り場で日々の日用品を買うなんて。しかも配達まで。そんなバカげた買い物情報があるだろうか。
 
こちとら尼崎で3年暮らしたのだ。アマではピーコックでも高級スーパー扱いだったというのに。まさかスーパー玉出が夙川にあるとは思わないが、激安のサンディは無いのかサンディは。
 
しかしこのオレンジ髪おばさんの意見は決して金持ちアピールの嫌みだったわけでもなく、夙川の人々の日常であったことを、後に痛感するのだった。
 
この地域に住む人にとっては、日々のおかずを阪急百貨店で買うことは全く贅沢のうちには入らなかったのである。
 
私は、夙川に住みながら、心はいつも故郷の海を思っている。
 
夙川は私の故郷より、ハッキリ言ってずっと素晴らしい所で、少なくとも私の住んでいた田舎は田舎といっても大きな工業地帯のお膝元だったから、空はいつも煤煙で濁っていたし、山や川といった自然なら芦屋の方がずっと豊かなのだった。
 
おまけにこの高級マンションにはコンシェルジュがいて、ゴミ捨てや玄関の掃除もやってくれる。部屋からの眺めは最高だ。
 
娘の通う私立幼稚園のママ友達は皆素敵な人ばかりで、メディアが騒ぐようなママカーストによるイジメなどもない。毎日が平和で、穏やかに過ぎてゆく。
 
あんなに嫌っていたポーセラーツにも通いだした。昔は難波のとらやで激安の布を買って裁縫していたのに、今では芦屋川のチェック&ストライプで娘のワンピース用にリバティの布を買う。朝はブランジェリーアンのクロワッサン。
 
それでも自分は、芦屋の人間ではない、旅行気分でここにこうしている。
そう思うことで、救われているのだ。そう思うことで、ここの人達とうまく距離をとっているのだ。
 
同じ世界の住人だと思うと、とたんに色々なものを比べて、色々なものが欲しくてたまらなくなるから。漫画みたいな、意地悪なお金持ちは一人もいなかった。でも、彼女らの持ち物が、欲しくてたまらなくなる時がある。
 
そして、この場所からは、あまりにも海が遠いのだった。
 
実家のすぐ近くには、海がある。とても綺麗な海が。空は住友金属鉄工所の煤煙で曇っていて、海風は金属を容赦なく錆びさせるけれど、海は本当に美しかった。
 
今住む場所からは、一番近い須磨までも結構距離があるし、あの海岸はちょっとオシャレすぎるというか、人工的だ。故郷の海には、飾らない美しさがあった。
 
今年3月、兵庫県に嫁に来て、9度目の春がきた。

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兵庫県民が最もざわつく季節であると言っても過言ではないだろう、そう、「イカナゴの解禁」。
すなわち兵庫県民が狂ったように大量のイカナゴくぎ煮を贈り合う季節の到来である。
 
こっちに住みだしてびっくりしたのが、くぎ煮をよそへ配る為だけの特別便がヤマトと郵便局でそれぞれ用意されていること。
この時期のみ郵便局では、小分けの弁当箱や冷凍容器もなに食わぬ顔で販売される。郵便局にタッパーですよ奥さん。
もちろんスーパーや百貨店では、イカナゴイカナゴとにかくイカナゴ&関連商品責め。
嫁に来て9年目の春だが、まだ私はこの空気感に馴染めないでいる。
 
最も私が疑問に思う点が、親戚縁者等に、特別便を使ってまで大量に送りつけるという、そのマインドである。
何故、その楽しみを自分の家だけで完結しようと思わないのか。何故、デフォルトのくぎ煮容器はあんなに大きいのか。
 
今年のイカナゴ漁解禁は、2月26日だったそうで。
でも正直私は、イカナゴ漁が一年のうち数ヶ月間禁止されていたことも嫁に来るまでは知らなかったし、「いよいよ解禁っ!」て言われても、オ、オウ…みたいな。そこまでイカナゴを心待ちにはしていない。
 
そもそも、生態系保護の為に乱獲を防ぐ目的でイカナゴ漁を規制し、ある時期に解禁するのであれば、まず、まず真っ先に、バカでかい容器にくぎ煮を入れて送りまくる習慣を無くしたら、生態系は守れるんじゃないか。
 
そして私は、今年もまだイカナゴを好きになれないでいる。多分これからも、ずっと。

豊川悦司 「せやかて工藤! !」

 岩井俊二監督の作品は、劇中に使われている音楽、特にピアノの音が好きだ。普通のピアノの音色に、ストリングスをまぜたような透明な響きが、幻想的な世界を作り出している。

 

 中山美穂主演映画「LOVE LETTER」(1995年)も、そんなピアノのオープニングから始まる。

神戸に住む渡辺博子は、山で遭難した婚約者の藤井樹の三回忌の帰り道、彼の母・安代に誘われ、彼の中学時代の卒業アルバムを見せてもらう。忘れられない彼への思いから、そのアルバムに載っていた、彼が昔住んでいたという小樽の住所へとあてもなく手紙を出す。すると数日後、来るはずのない返事がきた。その手紙の主は、亡くなった婚約者の藤井樹と同姓同名で、彼と同級生だった、女性の藤井樹。やがて博子と樹の奇妙な文通が始まる。

Love Letter (1995年の映画) - Wikipedia

 とまあこんな感じの内容で、ショートカットが可愛い中山美穂の一人二役である。

 特に私の胸キュンポイントを刺激したのが、中学生時代の中山美穂を演じる酒井美紀と、その同姓同名男子役の柏原崇というキャスティングである。

 この95年頃の酒井&柏原コンビといえば、そう、ドラマ白線流しの黄金の二人。あの頃中学生だった私は白線流しに夢中だった。

 ドラマでは酒井美紀長瀬智也に恋をしたが、私の中では柏原君とくっついて欲しかったという思いもあり(オープニングで柏原君がスピッツ空も飛べるはず』の曲とともに眼鏡クイする等、キャラ的にも医者の娘役である酒井美紀の彼氏として最もふさわしかった。まあそれじゃドラマは面白くないわな)白線流し以外で学生服姿のこの二人のカップリングが見られたのはそれだけでも嬉しかったのだ。極論を言えば、もう私にとっては酒井美紀柏原崇カップル以外の役者は、もう誰でも良いとさえ思っている。

 ただし、この映画で一人、役作りというか演出というか、どうしても私の中でしっくりこない役者さんがいる。中山美穂の婚約者を演じる、豊川悦司さんである。



 いや、豊川さん自身には問題がないのかもしれない。もちろん演技は申し分無くうまいし表現力のある魅力的な役者さんである。では何がいけないのか。

 

 それは、彼の喋る関西弁が、もう、ほんまに、けったいなんですわ!!

 

 豊川さんはコテコテの大阪八尾出身。で、大学も関西の慶応と言われる(私が言ってるだけ)関学を出ており(厳密に言えば中退)、もともとの関西弁のイントネーションがおかしいとかそういうことではない。ただ、この映画の中で豊川さんが喋る関西弁、これほんま、どないかしてほしいんですわ!

 具体的に気になる点は、「○○っちゅーこっちゃ」とか「○○やがな」という語尾。あと、全体的なテンションの高さ。少し古い関西人のイメージを、関西人が演じている感じ。

萬田金融なら、それで良いんだ。舞台が浪速区とかの串カツ屋ならそれで良いんだ。沢木の親分が出て来て、エンディングは戎橋で梅子が銀次郎に絡んでるシーンで終わるならば、それで良いんだ。でも、中山美穂の婚約者で、岩井俊二ワールドの登場人物なのだから、この喋りはちょっと。

 だが考えてみると、もともと少し古い映画だし、この頃の関西人はみんなこんなんだったのかもしれない、とも思った。

 特に「テレビに出てくる関西人」というのは、今よりずっとステレオタイプで、もうみんな「せやかて工藤!せやかて工藤!でんがな、まんがな、おまんがなあ〜」って人ばかりがメディアに出ていて、東京からイメージされたその関西人像に、自分から寄せて、“関西人が関西人を演じていた”時代だったのかもしれない。

 今は、ネットのおかげなのか、日本が狭くなったと思う。物質的な往来という意味ではなく、人同士の関わり、という意味で、大阪と東京が近くなった。わりと世の中には色んな関西人が出て来たと思う。

 関ジャニ村上君みたいな、今なお「関西人を演じる関西人」もテレビを賑わしているが、ピースの又吉さんみたいな、静かなトーンで関西弁を喋る人が出て来てくれて、私は嬉しい。まあ、又吉さんも芸人だけど。

 あたりまえのことだが、関西人全員が、おちゃらけていて、みんなオモロいわけじゃない。皆漫才みたいに喋って、ボケたらズッコケたりしてみせてるわけじゃない。トイチの金貸しをやってるわけでもない。私みたいに、暗くて覇気のない、陰気な関西人も大勢いる。普通の関西人が、ポツポツと世間で認知され始めた21世紀は、すばらしい。

 まあ、そういうこっちゃ。ほなさいなら〜。でんがな~。