この前地図を見ていて、ふと気づいた。
「御幣島から姫島まで歩けるやんか」
私の居住地は、最寄りが阪急線ターミナルとJR福知山線&東西沿線の、近頃は悪いニュース以外で名前を聞くことがない兵庫のあの駅である。阪神地区住まいには間違いないのだが、鉄道網的に阪神電鉄沿線駅に行くのは一旦梅田に出たり西九条に行ったりと、山手から海側へはとにかく同じ兵庫県なのにやや面倒な遠回りを経由しなくてはいけなかった。最寄りの阪急駅前には阪神バスの停留所はあるので、杭瀬や甲子園にはバスならのんびりと230円で行ける。これはこれで楽しいのだが、電車で行きたい時もあるよなあ…とも思っていた。
私は歩くのが好きで、休みの日はできるだけ色んな場所をウロウロしたいとは思っている。しかし、まず第一に娘がいる。もう乳飲み子では無いが、何よりもまずお母さんは家のことをしなければけない。たまには私も晩御飯を友達と食べる日もあるけれど、基本的には夕方には家に戻って夕飯を作る。自由時間は半日という中で、行ける範囲は自ずと阪急JR沿線上だけになってしまう。
どこか、まだ行ってない、近場の面白そうな場所はあるかなあ。
加島、海老江、御幣島…いつもは北新地で降りる東西線の通過駅をぼけーと眺めていたら、すぐ近くによく知る駅名を見つけたのだった。姫島、である。
私は大学生の頃、この地に何度も行ったことがあった。
彼氏ではなかったけど、恋人同士がするような一通りのことは全部したと思う。いつも彼に好きと言われるのが嫌で、その言葉から逃げていた。でも私は何度も姫島にいった、彼と会うためだけに。本当に良く無い関係だったし、色々思い出すと自分の残酷さとか薄情さ、嫌な部分が思い起こされて怖くなる。全くもって、良い思い出の場所ではなかった。
ただ、とても素敵な喫茶店があったことだけは、確かだった。
彼の家はこの建物のすぐ近くだった。駅前のダイエーで買い物をして、昼ごはんを作ったり、夜は銭湯に行って、そのまま泊まったこともある。
写真の喫茶店は「アスナロ」。2階には「いのうえ」というお好み焼き屋さんがあってもう昨日は閉店してしまっていたけど、そこも彼と行ったことがある。
正直、あの頃はこの店の良さもコーヒーの味も、人生の何もかも、わかっていなかったのだと思う。わかったようなつもりでいたけれど。
コーヒーを一口飲むと、記憶の中の味以上に、かなり美味しくてびっくりした。あとから知ったが、ここはオーナーが豆の仕入れにもかなりこだわっているそうだ。そういえば、今となっては信じられないけれど、昔の私はミルクと砂糖を入れないとコーヒーが飲めなかった。
店内には昭和歌謡が流れていた。窓の外を眺めながらコーヒーを飲んでいると、中島みゆきのナンバーに続いて、物凄くドラマチックな、なんとも切実に情感に訴えかけるイントロが流れ出した。まるでびゅうびゅうと吹く木枯らしのようなコード展開。誰の曲だろう。グーグルで早速曲検索をすると「五輪真弓 恋人よ」と出た。
ああ、その曲なら聴いたことがあった。始まり方がこんなにも感情をかきたてるメロディだったんだな。曲は流れ、サビに向かう。恋人よそばにいて、だって。そんなこと思ったことなかった。でもこんな素敵な空間でこの曲を聴きながらコーヒーの湯気を見ていると、全部の記憶が美化されるようだった。
全くもって、相手からしたら、ふざけるな、という話だと思う。何を身勝手に浸っているのだ、ええかげんにせい、と思う。この場所にはもう彼は住んでいないと知っていた、だから来れた。合わす顔がないから。それでも用心して、記憶している家の方向には歩かなかった。だいたい家まで見に行ったらキモすぎるやろ、やってることキショすぎてしんどいやろ、と思った。
淀川区の地名は、先にも書いたような「島」がつくものが多い。
ここでタイトルの答えだが、正解は「みてじま」である。私は読めなかった。
この日は姫島から野田を目指した。距離的には全然歩ける範囲だった。でも私は、20数年ぶりに、姫島から、阪神電車で野田に行きたかった。久しぶりにこの駅から阪神電車に乗りたかった。
駅のホームでは一本の快速を見送って、普通車が来た。車両に乗り込む。
途端に体に感じる、この傾斜。
地形の問題からなのか、ここから電車に乗る時、いつもこの斜めにかたむく車両に足元をややふらつかせながら、野田まで私は電車に乗っていた。そのぐらつきが妙に懐かしく、全てにおぼつかない感じがあの頃の自分を思わせた。
野田は、千日前線への乗り換えでしか降りたことがなかった。でも、今回は少し歩いてみようと思った。
駅を降りたらいきなりすごいビル。
このパチンコ屋さんは岐阜の柳ヶ瀬を思い出した。
ここらへんの路地、かなり好き。昨日は雨なのも良かった。
スナック愛。アリスの秋止符という曲の歌詞で
「心も体も開き合いそれからはじまるものがある
それを愛とは言わないけれど
それを愛とは言えないけれど」
というのがあって、それを思い出した。
「春の嵐が来る前に暖かい風が吹く前に
重いコートは脱ぎ棄てなければ 歩けないようなそんな気がして(秋止符より)」
今年も年度末仕事がじわじわ私を蝕んで、でも今年は人を増やしてもらったので年始の仕事量が昨年までに比べてかなりマシになっており、まだ一度も休日出勤していないし、なんと3連休を全て休むことが出来たのである。これは例年に比べれば奇跡のような話で、そうなるともう、どこかに出かけないと非常に勿体ないような気持になって、でも前回の三連休は娘のテスト期間だったからどこにも行けなかったし、今週こそ遠くはいけないけど歩くぞって思ったんです。それで地図とにらめっこして。子供いるのに、実家が近いとかで子供を預けて自分の時間がいっぱいある人がうらやましい。羨ましいを通り過ぎてうらめしい。うちらの本業って子育てやん、あと仕事と家事、それ以外のスキマにしか、自分を見つめたりそういうしゃらくさい時間ってないやん、スキマでしか、センチメンタルにもなられへんやん。昭和歌謡で思い出を美化するぐらい、ゆるしてほしい。
あとスキマ時間に今公募の作品を書いてます。今のところ文字数をオーバーしてしまい、どこを削ろうか思案中。今年はとりあえずその賞を目指します。